黒の魔術師
勝負の心得
風が吹いている。春の訪れを知らせるかのような優しい風は、ほのかな暖かさをシンにもたらしていた。
「最高だ。この力があれば死に際の人間が何を思っているのか、何を感じているのか知ることができる。今まで見て取るしかなかった相手の感情がよりリアルにわかるじゃないか!」
目前で興奮気味に話すその男は新しく得たおもちゃに熱中する子供が如くはしゃいでいる。その様子は不気味で、目を覆いたくなるような様子であった。
(さて、勝ち目は薄い。逃げるのも手だが……)
そんな中シン冷静に状況を分析して、隣に立つサラの方を見る。自分は逃げられたとしても、彼女を守りながらの退却は難しそうであった。
(やるしかないか……)
シンは逃げるという選択肢を減らし、目の前にいる狂人を倒す手段を考えはじめた。
「……さっそくためさなきゃ」
デスペアは唐突に声を落とし、シンの方にかけだしてきた。その速度から自らに肉体強化を施していることが見て取れた。
「クソッ」
シンは自らを加速させ、蹴りをお見舞いする。しかしその攻撃はデスペアの身体に届くも攻撃を入れた感触が得られなかった。
(攻撃がほとんど無力化されている)
シンが攻撃を無力化されている隙をデスペアは逃さない。そのままシンの腕をつかみにかかる。
「しまっ」
シンは慌ててデスペアから距離を取る。しかし一瞬の間ではあったがデスペアに触れられてしまった。
「この術は相手に触れれば触れるほど精度が増して行くみたいだね」
「……まあな」
シンはじりじりと追い詰められていく中でなんとか活路を見いだそうと考える。
(現状、奴に好き勝手コピーさせていたら俺の上位互換ができあがってしまう)
デスペアはさらにシンに触れようと地面を蹴る。その速度はさらに速くなっていた。
(まずい)
シンは慌ててデスペアの攻撃を防御する。しかし防御するたびにその攻撃の速度と強さは増していった。
(あいつの反転の魔術、そのからくりが分からない以上勝ち目はない。しかし短時間で、しかも俺の魔術なしでその答えを探るのは限りなく難しい)
シンは距離を取ろうとするも、デスペアの速い動きはもはやそれすら許してはくれなかった。シンはただ状況を悪化させながら体術戦を行わされていた。
(待てよ。向こうの体術がきくということは)
シンは自らのひらめきを信じ、カウンターとなる肘打ちをデスペアに打ち込んだ。しかし得られたのは先程同様むなしい感触であった。
「残念だけど僕の魔術に関してはある程度自分で調整できるんだ」
デスペアはシンに蹴りを入れる。その威力はシンが繰り出すもはや遜色ないものであった。
「ぐはっ」
「シンッ!?」
サラが魔術をつかい、デスペアに詰め寄る。しかしそれ以上の速さでデスペアは動きだしサラの背後に回った。
「君には興味ないな」
「チッ!」
デスペアは懐にあった短剣を抜き、容赦なくサラに突き立てようとする。シンは加速術式によりサラを抱きかかえデスペアの攻撃をよける。
「ふむ。どうやらコピーした魔術の精度は対象以上にはならないらしい。まあでもそもそもの肉体の能力差でコピー対象よりも強い場合はあるみたいだけど」
デスペアはすでにほとんどシンの魔術に対して理解していた。一方でシンは反撃の糸口すらつかめぬままであった。
(あいつは一方的に俺に触れることはできるが、逆は許されない。まいったな、文字通り一方的じゃないか)
シンとサラは共に強みが失われてしまっていた。各々の魔術はデスペアが使えてしまう上に、デスペアには反転の魔術というアドバンテージがある。大きな差はなくとも確実に追い詰められてしまっている。
(奴が俺の魔術をコピーしている以上どこかで「反転」の魔術を消してはいるはずだ。だがそのタイミングがわからない)
デスペアは新しい魔術の使い方を試していくようにシンへの攻撃にバリエーションを加えていく。都度サラも加速術式やその他の魔術によって攻撃を試みるも全部片手間で処理されてしまう。
「邪魔だな。君は黙っていてくれ」
デスペアは器用にサラに蹴りを加える。肉体強化を加えた蹴りによってサラは身体二つ分ほど後ろに飛んでいった。
「サラッ!?」
「さあ、まだまだ楽しもう。シン君」
デスペアは相変わらずケタケタと笑っている。追い詰められていく状況下でのその笑いはどこか不気味で、どこか怒りを覚える笑い方であった。
(サラは……)
デスペアの後方で倒れている少女を見る。小さくうめき声が聞こえるため死んではいないであろうが動かない様子を見るに戦闘への復帰は難しそうであった。
(さて、どうするか)
シンは大きく息を吐いて、ナイフを構える。かつて師に教えられた戦闘における基本姿勢。戦いにおいて冷静であることは瞬時に身体に覚えさせるために訓練した一種の型のようなものであった。
(奴の魔術は「反転」それに加えて俺の術を全般的にコピーし始めている)
デスペアは次にどの魔術を使ってみるか思案していた。既に彼にとってこれは戦いではなく快楽と化していた。
(『勝負の場において今までやってきたこと以上のことはできない』だから思い出せ。俺は今まで何をやってきた。師匠に何を教わってきた)
デスペアは地面から槍を生成し、シンに打ち込む。シンはその攻撃を同等の土の壁で防いだ。
「……もう飽きてきちゃった」
デスペアは唐突に呟く。
「だからもう殺すよ。苦しみ、苦痛に歪むその瞬間を、君の魔術で味わうのが楽しみだ」
デスペアは汚い笑みを浮かべながら地面を蹴った。
(『敵が勝利を確信したとき、それ即ち最大の敗因が生まれる。逆もまたしかり』)
かつて師に教えられた戦いにおける基本を心の中で復唱する。
シンは既に落ち着きを取り戻していた。身体の中から余計なものが抜けていく感覚。これまでいくつかの魔術を取得していく中で取り込んでしまった、心の贅肉のようなものが徐々に取り除かれていく気がした。
魔術を覚えるに従って、見かけ上強くなっていくに従って失われ始めていた勝負の心得、戦いにおける真の強さを再び思い出していた。
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