黒の魔術師 

野村里志

迷い









 一時間ほど前のことである。シンはわずかな心配を元にサラが寝た後にこっそりベッドを抜け出し、外で隠れて見張りをしていた。明日になれば妖精祭を一目見てさっさと次の町へ出かける手はずだった。シンのその提案に妖精祭を楽しみたかったサラはどこか不満そうにしてはいたが、もとより物珍しさからくる興味本位だったのでさほど怒らずに話は済んだ。


 しかし彼女は来た。


 暗い色をしたローブを纏った女性は自分たちが泊まっている宿の前で足を止め、羽ペンほどの小さい杖を取り出した。


「動かないでください」


 シンは音もなく近づきナイフを相手の首元に近づける。無論この程度のことが脅しにならないこともシンは重々承知していた。


「ゆっくり振り返ってください」


 シンに促されるままに女性は振り返る。


「こんばんは……。フィオネさん」
「こんばんは。シン君」


つい最近見たばかりのその美しい素顔はシンにとって間違えようがなかった。












 シンは真剣な表情をしているフィオネに「場所を変えましょうか」とだけ行って付いてくるように促す。フィオネも「ええ」とだけ言ってシンの後を追う。 


 その後ろ姿には一切の隙がなく、フィオネの方もこの場で後ろから攻撃を仕掛けるほど無粋ではなかった。


「昨日は…どうしていたの?」


 フィオネがシンに尋ねる。


「昼間は睡眠を取っていました。昼間に襲撃は目立ちますし、流石にサラも昼間に襲われて即座に負けるほど抜けてはないです。一応、上級魔術師ですし」
「そう。だからウチには来なかったのね」
「……すいません」


 シンは少し後ろに視線をやり、フィオネの様子を見る。いつもと変わらぬ凜とした立ち振る舞いではあるが、その表情だけが違っていた。


「どこへ行くのかしら?」


 フィオネが尋ねる。


「町を出たところにちょっとした丘があったと思います。とりあえずそこまで行きましょう」


 シンもフィオネもこの後の展開は十分に理解していた。互いが意図していることも、そしてどちらかは帰っては来れないということも。


「でもどうやって外へ?待ちの外に出るには衛兵に話をつけなきゃいけないけど」
「それなら大丈夫ですよ。ここに立ってください」


 シンは塀の近くを指さしてフィオネに指示する。フィオネは指示されたところに立つとシンと共に隆起した土に飲み込まれる。そして何事もなかったかのように地中を通って塀の外に放出される。


「すいません。急で驚きましたか?」
「ええ。でも久しぶりにどこかスリリングだったわ」


 フィオネは少し険しい表情を崩し、微笑んだ。しかしすぐに居直して先程の表情に戻った。


「ねえ」
「?」
「いつ……気付いたのかしら。私が貴方たちを排除しようとしているって」


 シンは少し黙ってから答える。


「なんとなく、同類な感じがしたんで」


 シンは右手をさらけ出し黒の痣をフィオネに見せる。本当はフィオネに触れたことで断片的に理解したのであるが、自らの魔術について明かすことになるため、それは伏せた。


「そう、シン君。やっぱり君も」


 そう言いながらフィオネはどこか哀しそうな顔をした。


「やっぱりというと、あなたも」
「薄々感じてはいたわ。もっともそれは別の噂からだけどね」


 フィオネはそう言って続ける。


「私は元々、魔術師協会の人間よ。それも上級魔術師。だから協会を辞めても、協会につてはいくらかあったわ。勿論そこから情報も入る。ブライトを捕らえたという大ニュースは、尚更聞き漏らしたりはしないわ」


 シンは黙って聞き続ける。


「ブライトもブランセルでは元々魔術研究における権威だった人よ。そういう意味では良い意味でも悪い意味でもブライトは今の魔術協会では有名だった。魔術研究の功労者でありながら、人殺しでもある男、そんな男を仕留めたのは若干十六歳の少女。ニュースとしては面白いけど、疑うには十分であったわ」
「…………」
「そんなとき彼女が店に来た。一目で噂の少女だと分かった。そして聞き出している内に突き止めた。彼女の成功には協力者がいるって。でも君がその協力者だとは流石に思わなかったわ」
「……」
「ブライトは捕らえられたって話だけど、彼はもう死んでいるのね」
「ああ。俺が殺した」
「そう……。あ、勘違いしないでね。それを責めているわけではないの。自分を殺しにかかっている相手を生け捕るなんてこと余程の実力差がないとできないわ。ブライトが相手なら勝てたこと自体奇跡みたいよ」


 フィオネは少しはにかみながら答える。そして少し寂しそうにシンを見つめながら続けた。


「ただ、君にそんなに辛い思いをさせてしまっていることが、どうしてもやるせないの」


 フィオネの言葉にシンは何も答えなかった。憐れみを受ける気はないが、彼女のその感情はそうした安っぽい表現と同じとは思わなかった。


 少し遠くに丘の影が見えてきた。シンはこの道が永遠に続けば良いとさえ感じていた。


「戦いは……避けられませんか?」


 シンは最後にフィオネに聞いてみる。サラが黒の魔術師を追っていることは彼女にとっても脅威ではある。しかしそれだけが彼女が自分たちを狙う理由とは思えなかった。もしそうなら他の魔術師も全員狙わなくてはならないからだ。


 フィオネは何も言わずに先程取り出していた小さい杖を構える。その振る舞いこそが答えであった。


「もう言葉はいらないわ。戦いを始めましょう」


 その言葉にシンは無言でナイフを構える。


「魔術付与されたナイフ、杖代わりの触媒にも武器にもなる代物かしら。手強そうね」


 そう言うフィオネにはどこか余裕が見られる。しかしその余裕は油断となることがなさそうであった。その背景までは知りようがなかったが彼女は徹底的に外敵を排除する気でいることは明白であった。


(なんとか彼女に触れることができれば……)


 シンにはこの戦いに対して積極的な理由がなく、はじめて戦う意志が揺らいでいる戦いでもあった。それが戦いにおいて致命的であることはシンにはよく分かっていたが、どうしてもその甘さは捨てられずにいた。


 「なんとかして戦いを終わらせる。すくなくとも殺しは……」シンの中でその思いが強くなっていく。


「ブランセルの魔術師、円環のフィオネ。いざ」
「シン・レスト、参る」


 戦いの火蓋は切って落とされた。









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