黒の魔術師 

野村里志

謎解きは夕餉の前に

 






 「おーい。どこ行ったー?」


 朝、目覚めて隣の部屋を訪ねると本来いるはずのサラが姿を消していた。普段シンの方が早く起きているため、シンにとっては予想外のことであった。


(どこかでかけたのかな?)


 シンは特になんとも思わず、そのまま階段を降りた。この質素な宿屋は基本的に夫人一人で切り盛りしており、夫人も一階で寝泊まりしている。夫人は朝早くから掃除を始めているため、サラが出かけているならば夫人が見ているはずである。


 シンはそうアタリをつけて夫人を探した。


(お、いたいた)


 シンは一階の奥、シン達が昨日食事を取ったテーブルで夫人が座っているのを見つけた。


「すいません、俺と一緒にいたちっこい女の子見ませんでしたか?」


 シンに声を掛けられ夫人は驚いたように振り向く。そしてさらに驚いたように慌てて椅子から立ち上がる。


「あなた……どうして」
「?」


 シンはどうしてか異常な程に狼狽している夫人を見る。その様子はまるで存在しないはずのものを見ているようであった。


「いえ、なんでもないわ」


 夫人は軽く一呼吸おいてからシンの方へ歩いてきた。


「おはよう。よく眠れた?」
「あ、まあ、はい。おかげさまで」


 シンは先程の様子が少し気になったが、それよりも先にサラについて聞くことにした。


「すいません。俺と一緒にいた……」
「ああ、あの女の子ね。どうかしたの?」
「いえ、見てないかなって。朝から姿を見せないものですから」


 シンはそう言って周りを見渡す。どうやら外に出たわけでもなさそうであった。


「おかしいわね。私が起きてからは見てないわよ」


 そう言いながら夫人は首をかしげる。その表情からはいくらか疲れが見え、余り眠れていないことが見て取れた。


「そうですか。じゃあしばらく待ってみます」


 シンはそう言って再び上の階に戻る。しかし日が高い位置に来るまで待っても、サラが姿を見せることはなかった。








 (何かあったな。それも、良くない何かだ)


 シンはサラが急にいなくなったことで何かしらの緊急事態であると判断した。考え得る可能性は魔術協会がらみか、町でのトラブルか。


 しかし魔術協会がらみの用事であればシンをおいていくことはありえない。何故ならシンは曲がりなりにも優先順位の高い黒魔術師として位置づけられている。それを野放しにするのはいくら何でもありえない。


 そもそも戦闘面においてもサラがシンに後れを取っていることはここ数回の戦闘で分かっている。強さは逆に考えれば危険であることの裏返しともいえる。サラがこの数日間で異常なまでの信頼をシンにおいているのでもない限り、目を離すことはありえないし、流石のサラもそこまで頭は抜けていない。


 (よく考えたらあいつ俺のお目付役として機能してないじゃねえか)


 シンはここにおいてサラの任務における存在意義を問い直してしまう。シンは逃げようと思えばいくらでも逃げることができるのだ。


無論サラがいることで依頼が達成できるわけで、シンにとっては意味があるのだが、魔術協会のリスク管理の面から言うとお粗末極まりなかった。


(まあもとより逃げる気も、放棄する気もないが)


 シンは再びサラの部屋に入る。そして先程は気にしなかった部屋の様子をくまなく調べていった。


(これは……昨日協会の人間からもらっていた書類)


 シンはそれを広げて中を見る。それは魔術による簡素な鍵がかかっていた。


(なるほど。サラ当人しか読めない仕組みか。しかし作りが甘いな)


 シンは自らの姿をサラに変える。同時に振る舞いから呼吸の仕方まで変わっていくのがわかった。


 そして書類の中身を確認する。


「なるほど。昨日の態度はそういうことか」


 シンは昨日サラがみせていた、わずかばかりの不安げな様子を思い出した。


『黒の魔術師、“ブライト”の情報をこの周辺で確認。注意されたし』 


 文書には短くそう書かれていた。










(もし仮にサラがこの魔術師によって拉致されているのであれば非常に危険であることは間違いない)


 シンは現在の状況を簡単に頭の中で整理した。


 不可解なサラの消失。夫人の態度。そして“ブライト”の情報。おおよその推理はシンのなかでは終わっていた。あとは確認の作業である。


 しかしそこに確証はない。既にサラがトラブルに巻き込まれ消されている可能性もある。しかしそうであった場合にはもはや推理の意味はないため、検証から外した。


(トラブルに巻き込まれていない場合はそれでいい。今の懸念事項から外す。いまは何かしらの問題が発生したという仮定の下で考える)


 シンはサラの部屋を調べながらさらに思考を進める。


(巻き込まれていて、なおかつ生きている場合を考える。その場合にはいずれにせよ迅速な救出が必要となる。のんびり帰ってくるのを待つという選択肢はない)


 シンはサラが泊まっていた部屋にかすかな魔術の痕跡があることを確認した。実に巧妙にしかけられた装置であり、かつて師匠が扱っていたものと同等かそれ以上のものであった。


(疑いを持たなくちゃ……とても見つけられなかった)


 シンはそれだけ見つけると部屋を物色することをやめて、自分の部屋に戻る。そして部屋に置いてあるいくらかの包みを腰につけ、ナイフの刃先を確認した。


 戦闘の準備ができていることを確認するとシンは推理の最終確認をするために一階へと降りた。


 一階では夫人が食事の用意をしていたのであろう。スープの良い匂いがしており、その匂いはシンの食欲をかき立てた。


 しかしそのスープにすぐにありつけないことは非常に残念であった。


 シンは呼吸を整え、自らを戦闘のための状態へと切り替えていく。本来ならシンは推理すらも大して必要ではなかった。シンは探偵でも保安官でもなく魔術師である。ヒントも証拠も必要ない。


「夫人」
「ん?なんだい?もうすぐ夕餉ができるからね」


 そう言って振り返った夫人はすぐ目の前までに来ていたシンに驚く。


「どうしたんだい?ちょっと近くて……なんか照れくさいね」


 そう言う夫人の手をシンはそっと取り、両手で優しく包む。


「……良かった。あなたがやったわけではなさそうですね」


 夫人は呆気にとられていたがシンはかまわず続けた。


「夫人。もう一度聞きます。僕と一緒にいた少女、サラがどこにいるのか。知っていますね?」


 シンはまっすぐ夫人を見つめ、優しく語りかけた。






 夕方の町。スープが沸騰し鍋の蓋を少しずつ押し上げていた。









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