異世界の愛を金で買え!

野村里志

仁義なき逃走

 




 その日の正午、町の長であるイエリナの名をもって退去令が発出された。軍事的強制力や刑罰をもった強制退去ではなかったが、結果として町の全住民がこの令にしたがった。

 勿論残っている住民の大半が獣人であることも関わってはいるが、イエリナの人望によるところが大きい部分はあった。「イエリナ様に迷惑はかけられない」。そう考え、住民達は指示に従いながら町からの退出をすすめた。

「それじゃあ最後に残った住民達の移動ルートを説明する」

 佐三は政務室のメンバーを集め、今後の方針について確認する。

「まずイエリナとナージャ」
「「はい!」」

 二人が元気よく返事をする。

「二人は古くから町に住む猫族の住民達を指揮してもらう。護衛はこの町にもともといた従者達が行う」
「はい」
「周囲に身寄りがない分苦労をかけるが、その分この町の残った予算のほとんどをこのグループに渡す。今後の方針はイエリナに任せる」
「一応大領主様のパーティーで知り合った領主夫人の方で、住居を支援してくれる方が何人かおります。いただいたお金も合わせれば、一時的にはなんとかなると思います」

 イエリナの言葉に佐三は頷くと、次はハチとベルフ、チリウの方を見る。

「人狼や犬族、猫族以外のグループは北方の犬族の村を頼ってくれ。長老には話を通してある」
「「了解」」
「いくら支配がすすんでも、直接的に支配力を高めてこなければ交易に支障はでない。それに治安はさらに悪化するだろうからチリウ達の部隊や、ドニーを初めとする人狼の荒くれ者達も仕事には困らないだろう。是非長老に手を貸してやってくれ」

 佐三の言葉にベルフは軽く鼻で笑った。

「ドニー達も意外なほど指示に従っているな」
「確かに……少し失礼ではありますが、てっきり一番に逃げるのかと……」

 ベルフの言葉にハチが同意する。ベルフはからかうようにして答えた。

「おそらく、彼等自身も分かっているのだろう。佐三の指示に従っておいた方が間違いはないことに」
「そういうものだろうか?」
「あいつらはある意味で鼻がきく。自分たちが一番最初に捨て駒にされそうになった経験が多々あるからな。だからこそ佐三の命令が自分たちを見捨てるものでなければ、ましてやこれまでの成功を見れば、したがっておいた方がいいという判断になるのさ」

 ベルフの説明にハチが「成る程」と納得する。しかしそれはある意味では間違っているのだ。

 その松下佐三こそ今一番に逃げようとしているのだから。

「私たちは分かったが、アイファはどうするんだ?」

 チリウが尋ねる。

「私は人間ですし、夢を追って鍛冶屋で修行している弟もいますから……。弟の村に帰って暮らそうと思います」
「しかし、危険だぞ。特に女は……」

 チリウは心配そうにアイファに言う。しかしアイファは首を振って、堂々と答えた。

「いいんです。どんなに辛いことがあっても、最後は弟妹達と一緒にいたいですから」
「……アイファは強いな」

 チリウはそうとだけ言うとそれ以上は何も言わなかった。

「最後に俺とフィロのグループだ」

 佐三が話を再開する。

「俺とフィロは学者及び技術者を伴って主神教のお世話になる。タルウィの拠点にはまだたくさんの備蓄があるし、俺がした献金もいくらか残っているそうだ。技術者や学者達の人数もさほど多いわけではないし、丁度いい隠れ蓑になる」
「私も賛成です。学者の方にはご年配の方も多いですから、一番近い避難所に行けるのは、大変助かると思います」

 フィロの答えに、皆が同意する。こうした非常時にあっても仲違いがおきないこの町は、ある意味で異常なほどであった。

 しかしこうした長所も、それぞれが辛い経験を持ち、ここに寄り添っていることに起因している。皆が場所を追われ、暗い過去をもつからこそ、他者に対して少しばかり思いやれるのである。暗い過去の存在が集団を一つにしているともいえる。

 こうした集団の側面を考えると、その団結も決して手放しで称えられるような微笑ましいものでもない。佐三はそんな風にも感じた。

「ベルフは全員の保護が終わったら、遺跡に来て俺と合流しよう。お前との契約の今後は、そこでまた話し合おう」

 佐三は契約書に戦争が起きたときや侵略された場合についてまで書いているわけではない。一方でベルフとの契約はこの町の存在とは別の所にある。そう言う意味で、今後はベルフとの話し合いが必要であった。

 もっとも当のベルフは契約を打ち切ろうという様子もなく、どうということもないような顔をしていた。

「そして最後にだ」

 佐三は重たそうに袋を持ち上げると、机の上に置いた。ドシンという衝撃の音と、わずかばかりの金属のこすれる音が聞こえた。

「今日でそれぞれの契約を解除する。違約金と退職金だ。イエリナ以外の従業員はそれぞれ持って行ってくれ」

 皆は佐三が出した袋を見て、お互いを見合う。そして少ししてから笑い出した。

「何だ?何がおかしい」
「だって……」

 イエリナが笑っているところは久しぶりに見た。佐三はそんなことを思いつつも、何故笑っているのかが分からず要領を得なかった。

「主殿、我々は契約を打ち切ろうなどと思っておりませぬ」

 ハチが言う。

「そうです。ハチさんの言うとおりです」

 アイファが同意する。

「だな。私たちも今更離れようなんて思ってない」

 チリウが笑う。

「私も既に贅沢な暮らしはしましたから。今更欲しいとも思いません」

 フィロが丁寧に断る。

「困ったな。どうしよう?」
「おい、俺には聞かないのか?」

 ベルフは不満げに佐三に言う。しかしベルフとはそもそも契約を打ち切っていないのだ。払う理由はない。

(まあ、半ば無理矢理打ち切ることになるからベルフにあげてもいいか)

 佐三はそう考え、「じゃあもらうか」とベルフに差し出す。無論ベルフはそれを固辞した。

「馬鹿言うな。冗談だ。契約を解除していないだろ?」

 もっとも契約を打ち切ったとしても、ベルフはその金に手をつけようなどとは思っていない。それは佐三にもなんとなく分かっていた。

「では、行くか」

 佐三の言葉にそれぞれが動き出す。皆が部屋を出て行く中、佐三はその背中を眺めていた。

「サゾー?」
「……ああ。今行くよ」

 イエリナにそう答えて佐三も歩きだす。決意をもった皆の背中に対して、今の自分はどうだろうか。

 そこに仁義などない。誇りも意地もへったくれもない逃走。それこそが佐三が今からやろうとしていることである。

(あれ……?)

 いつもより佐三の背中が小さく見える。イエリナはそう感じた。





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