異世界の愛を金で買え!

野村里志

男の真価

 










「困りますよ、お客さん」


 奴隷商が人狼の前に立つ佐三に話しかけてくる。


「せっかく盛り上がるように催しを用意したんだ。変に水を差されては商売に差し支えが出ます」
「商売?俺今まさに買い取ろうとしているのにか?」


 佐三が軽く笑いながら答える。奴隷商は少し大げさに困ってみせる。


「そうは言っても、もう処分することは決めてしまいましたし……せっかく見に来てもらっている人にも、ねえ?」


 佐三は奴隷商の様子で彼が何を考えているのかすぐに分かった。それは商売をしている者ならではの感覚だろう。彼も佐三がなんとなく意図を察してくれたことを理解した。


「いくらだ?」


 佐三が小さい声で尋ねる。


「……500は最低でも」
「残念だが手持ちは100しかない」
「それじゃお話になりませんよ」


 二人は話を続ける。


「民衆を抑えるにもこちらとしては苦労します。ここで変に反感でも買ったら……300では?」
「200だ」
「それは厳しいですね」


 奴隷商は渋い顔をして民衆の様子を伺う。民衆は早く続きを見たがっており、その表情からは苛立ちが見て取れた。


 そしてそれは賭け事を取り仕切っている胴元らしき男も同様であった。その男は奴隷商の方を見ながら早くしろとばかりに手で合図を送っていた。奴隷商はひとしきりペコペコ頭を下げた後、振り向いて舌打ちをする。


「すいませんが、今日の所は……」
「いいのか?一銭も得にならんぞ?」
「……っ!?」


 佐三が続ける。


「この賭け事の胴元、見たところお前の身内ではないな。大方王都の連中……商人ギルドか?」
「……」
「正解みたいだな。ここで入る金も、微々たるものだろう。仕入れと食費、それと運んでくる人件費。あの狼をもってくるのは相当かかっただろう。いいのかそれを無駄にして」
「…………」


 奴隷商は黙り込む。現場にいる人間ほどお金の価値をよく分かっている。責任者であれば尚更だ。もし物珍しい人狼を仕入れたのだとしたらそれは相当の金額を要したに違いない。それをこんなしょうもないショーのために浪費したのだとすれば、納得いくものではないだろう。


 奴隷商が口を開く。


「あんたも……わかるだろう?ギルドや王都の人間を敵に回すべきじゃないって事」
「ああ」
「こっちも売れるのであれば銀貨数十枚でも売り飛ばしたいくらいだ。もっているだけで金が飛んでいく。……だがもう処分するしかない」


 佐三はその言葉に大きく首を振る。


「大丈夫だ」


 佐三が続ける。


「要は誰も損をしない落としどころを作れば良い」


 佐三はそう言って笑って見せた。
















「おい、まだか!早くしろ!」


 民衆が苛立ちの声をあげる。佐三はゆっくりと其方の方へ歩いて行った。


「皆さん、聞いて欲しい」


 佐三が民衆に呼びかける。


「まずは賭け事や催しの邪魔をしてすまない!だが私はどうしてもこの人狼を買いたいのだ」


 民衆がざわつく。ほとんどは文句を述べているのだろう。しかしそんなことは織り込み済みであった。


「だからこうしよう」


 佐三は懐から銀貨の入った袋を取り出す。


「今から賭けをしよう。私はこの二百枚の銀貨をかける。私が勝ったら、この人狼を買わせてもらおう」
「じゃあ、負けたらどうするっていうんだよ!」


 民衆の中から一人の男が叫ぶ。佐三は「ハッハッハッハ」と大きな声で笑った。


「心配無用だ」


 佐三は続ける。


「私が負けるときは、死ぬ。この二百枚は好きに分配して、さらにそのあとこの人狼を痛めるなりなぶるなりしてくれ」


 佐三の言葉に民衆は再びざわついていた。
























 佐三の賭け事はシンプルであった。人狼の目の前に行き、佐三自らが首と手についた枷を外す。生き残っていたら佐三の勝ち。人狼に殺されれば佐三の負けである。無論逃げはしないように足に枷は残しておく。


 佐三の提案は民衆にすんなりと受け容れられた。人一人が命を賭けた賭け事をするのである。皆多かれ少なかれ興味をもっていたのだ。それにかなりの確率で銀貨200枚の恩恵にあずかれる。やらない手はなかった。


 佐三はそんな王都の民衆を心から軽蔑した。


「あんた、本当にやるのかい?」


 奴隷商が聞いてくる。


「あんたは知らんが、俺たちは相当なことをあの人狼にしている。人間に対する恨みなんて、生半可なものじゃない。それに見ただろ?毎日のように暴れていたあの姿を。枷があっても目の前に行けば殺される。それなのに……」


 そんな奴隷商をよそに佐三は笑ってみせる。


「まあ、負けてもあんたは損しないんだ。気楽にいろよ」


 佐三は奴隷商の肩をポンッと叩く。そして笑いながら枷の鍵を受け取った。


(まあ、勝算が無いわけじゃないからな)


 佐三は心の中で呟く。実際佐三は自身でそれなりの可能性は感じていた。


 というのも民衆はこの人狼が毎日のように暴れている姿しか見ていない。その一方で佐三はこの人狼に一定の知性があることを確認しているのだ。言葉が通じる以上、佐三が交渉する余地はあるし、この人狼を説き伏せることも不可能ではない。


 それに冷静に考えればこの人狼は生きるためには佐三を手にかけることはしない。合理的に考えれば、この賭けで佐三が負ければ人狼は処分されるのだ。本来ならば手を出したりはしないだろう。この点でも有利であった。


 もっとも目の前に立ち、血走った目でこちらを睨み付ける人狼の前ではそんな理屈が役に立つかは怪しいものであった。


「さて、一勝負するか」


 佐三は一歩ずつその人狼へと近づいた。


 一歩、また一歩。その歩みに合わせて民衆は固唾をのんだ。枷をつけた状態でも手負いの獣である。殺される可能性は十分にあった。


 佐三はあえてゆっくりと歩く。一歩ずつ地面を踏みしめるかのように。それはまるで民衆を分けて歩く王族の様に。


 佐三は人狼の前に立ち、ゆっくりとその手枷を外す。しかし右手の手枷を外したとき、その手で首を掴まれた。


「うわぁ!」
「ひぃ!」


 民衆がどよめく。しかし佐三は何事もなかったかのように左手の枷も外した。


「……触れるな」


 人狼は小さく呟く。しかし佐三はそんなものを気にすることなくそのまま首の枷まで外した。


 上半身が自由になった人狼はそのまま佐三を地面に叩きつける。佐三は一瞬呼吸が止まったが、すぐに起き上がって近づいた。


「アウォォォォオン!」


 人狼が叫ぶ。しかしその声はかすれ、もはや断末魔のようであった。


「……満足か?」
「……っ!?」


 佐三は続ける。


「満足か?」
「……黙れ!」


 人狼は再び佐三の首根っこをつかみ、そのまま持ち上げる。首には爪が刺さり、血が垂れ始めていた。


「人間風情が!誇り高き人狼に情けをかけようって言うのか!」


 人狼はかすれたような声で叫ぶ。佐三はただ黙って人狼を見つめていた。


「図に乗るなよ人間!汚い手段を使うことでしか勝つことのできない汚れた種族が!今ここでその喉を切り裂いてやろうか!」
「………」


 佐三は何も言わない。首が絞まり、徐々に額に脂汗が出始める。しかしその表情をかえることはなかった。


 哀れな小動物を見る、そんな目であった。


「……バカな奴だ。生き残るためには俺に従うしかないというのに」
「黙れ!」


 人狼が叫ぶ。


「人間……人間がぁ!貴様の言うことを聞くぐらいなら、戦って死ぬ」
「誇り高くか?」
「そうだ!」
「やれやれ……。そんなものに誇りがあると本気で思っているのか?」
「黙れ!損得でしか生きられない貴様らなどに分かってたまるか!」


 人狼はさらに力を強める。しかし佐三はそれでも表情一つ変えなかった。


「……見ろよ、この状況を」
「っ!?」
「見世物にされ、辱められ、挙げ句の果てに玩具にされて殺される」
「……………」
「これのどこに誇りがある。いるのはバカな狼一人だ」
「黙れ、黙れ、黙れぇ!」


 人狼は佐三を下ろし、殴り飛ばす。しかしそこにはもう人間ほどの力しか残っていなかった。


「はあ、はあ、はあ、はあ」


 人狼は息も絶え絶えに目の前にいる男を見る。もう目はかすんでしまっているが、その男の眼だけはハッキリと映った。


(なんて目をしやがる……)


 目の前にいるのは中肉中背の非力な人間である。自分の力をもってすれば、始末するのは容易であった。


 だができなかった。理由は分からない。だが自分の中のどこかでこの男には勝てないような気がしていた。


「なあ、教えてくれ」


 人狼が問いかける。


「なんで来たんだ?俺に一体……何の価値が……」


 人狼は息を乱しながら質問する。佐三は一呼吸置いてから静かに話し出した。


「簡単な話だ。お前を欲しいと思ったからだ」
「そりゃまたどうしてだ。こんな惨めで弱い獣人を?こんな危険を冒して?ましてや言うことを聞くかどうかも分からないのに」


 人狼の言葉に佐三は笑って答える。


「それは俺が経営者だからだ」
「ケイエイシャ?」
「そうだ。経営者にとって必要なことはリスクをとる勇気、そして自分の判断に責任をもつ覚悟だ」
「……そいつは無謀すぎやしないかね」


 人狼はゴホゴホと咳き込む。血がポタポタと垂れていた。


「だがまだ一つ答えてないぞ」
「なんだ?」
「俺を必要とする理由だ」


 それを聞いて佐三は「そんなことか」とばかりに答える。


「お前に信念を……誇りを見出したからだ」
「っ!?」


 佐三は続ける。


「お前が強いかどうかなど知ったことではない。人間に捕らえられたことも関係ない。ただお前は、捕らえられて尚、死ぬ間際にして尚、誇りを持って生きようとした。そこは評価する」
「……こんなに弱くてもか?」
「くどいぞ。それに男の真価はそんなもので測ることはできない。男の真価が試されるのは勝ち負けにではない。負けたときにだ。苦況にあってこそ真価が試される。俺はそれを見出し、そこに賭けたに過ぎない」
「……命をかけてまでか?」
「当たり前だろ。時間が待ってくれない以上、いかなる決断にも多かれ少なかれ寿命がかかっているんだ。今日は少しばかりそれが大きかったに過ぎない」
「………」


 人狼はそれ以上何も言わなかった。ゆっくりと膝を曲げ、佐三に対して頭を垂れた。


 民衆がざわめき出す。しかし佐三はもう既に飽きているかのように頭をかいていた。


「なあ」


 人狼が話す。


「条件が一つある」
「奴隷のくせに生意気だな」


 佐三が笑う。


「で、何だ?」
「あの外套、俺にくれないか?」


 人狼の言葉に佐三は小さく笑う。


「構わんよ。どうせもう雨に濡れてるし、何より獣臭いだろうしな」


 佐三はそう言って手を差し伸べる。


「ふん。言ってろ」


 人狼は顔を上げその手をとった。


「嘘だろ……」


 誰かが呟いた。それは見る者全ての心境であっただろう。その姿はまごうことなき人狼を従える人間なのだから。




 この時、『人狼憑き』が誕生した。











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