異世界の愛を金で買え!

野村里志

エピローグ5 絡めた手









「ふー、今日も寒いな」


 佐三はかじかむ手をたき火に当てながら体を揺する。この冬一番の寒さが町を襲っていた。


「しかしこんな状況でも工事は必要だからな。まったくついていない」


 佐三は町の外壁を眺めながら漏らす。老朽化の影響か町の外壁に限界がきており、早急な補修工事を必要としていた。


 佐三が来る以前はそもそもこの町は小領主によって狙われており、とても人材を工事に回す余裕などなかった。佐三が来て以降も町の法整備や上下水道の整備、その他町づくりに尽力しており防衛にまで手を回すことができていない。冬になり事業が一段落つき、その他の仕事が落ち着いたことでやっと手を回せることができたのである。


 もっともその必要がなかったのは偏にベルフが偵察と牽制を一人で行うことができたという点に由来している。そのため佐三としても憎まれ口は叩くものの、そのベルフの功績を多分に評価はしていた。


(しかしいつまでもベルフに頼るわけにもいかないからな)


 代えが効かないということは同時に弱点があるということでもある。例えば別の用事でベルフが不在の場合、あるいは病気等で戦力にならない場合、この町は防衛上の多大なリスクを負うのである。特にこの世界では佐三のかつていた平和な世界とは異なり、賊の存在はいたって普通である。町が防衛能力をもつことはある種必要不可欠な要素であった。


「主殿」


 ハチが声を掛けてくる。


「南東の外壁の修繕は一応終わりました」
「おう、おつかれ」
「主殿の方はいかがでしょうか?もし人員が足りないのであれば私たちも……」


 ハチが手伝うことを提案する。しかし佐三は笑いながら遠慮した。


「いやいいよ。ハチ達が勤勉に働いたからこそ早く終わったんだ。今日はあがってゆっくり休んでくれ」
「しかし……」
「じゃあ、アイファがいくらか忙しそうにしてたから、その手伝いをしてやってくれ」
「御意に!」


 そう言うとハチは「すたたた」と駆けてゆく。


(「犬は喜び庭駆け回り……」とは言うがやはり彼女は外でも元気だな)


 佐三はハチを見送りながらそんなことを考える。やはり前回のはたまたま体調が悪かっただけなのであろう。そう思うほどハチは元気に走っていた。


「ふ~寒い、寒い」


 佐三は再び手をたき火に当てながら体を震わせる。人によっては火こそが文明の始まりだと言う人もいる。人類の発展に火が必要不可欠であったことを佐三は身をもって感じていた。


(さすが文明の象徴とまで言われるだけあるぜ)


「サゾー様、此方の確認お願いできますでしょうか?」
「分かった。今行く」


 作業員の一人から声がかかり、佐三は歩き出す。ふとその時佐三は自分の手のひらを確認した。


 それは文明の力をもってしても寒さでかじかみ、赤くなっていた。














「ふ~。疲れた、疲れた」


 佐三は政務室のソファに深く座ると大きく息を吐いた。既に誰もいなくなっている政務室は佐三の独り占め状態である。


 佐三が帰ってきた頃には部屋は既に暖まっており、先程までのように刺さるような寒さに耐える必要はなかった。


(何も発展した暖房装置がなくともなんとかなるもんだな)


 佐三はそんな風に感心しながら窓の外を見る。電気が未発達な世界において夜が来るのは本当に早い。特に冬場はそれを感じさせた。佐三の感覚では正午を過ぎてからそれほど時間が経っていないように感じていたが、既に日は傾き夜が訪れ始めている。


(夜まで働くのなんて当たり前だと思っていたが……。やはり何が当たり前かなんて相対的なもんだな)


 佐三がそんなことを考えていると不意に政務室のドアが開いた。


「誰かいるの……って、サゾー?」
「ああ、イエリナか。どうした?」


 佐三が不思議そうに尋ねる。


「どうした?ってもうこんなに暗くなってきているのにまだ仕事しているの?」
「暗くなってるったって時間的には……あ、いやなんでもない」


 佐三は時間の概念を話そうとしたが途中でやめる。この世界に時間の概念があるのかはわからない。しかしこの町では日の出と共に活動し、日の入りと共に休むのである。それを佐三の文明的尺度で話すのは野暮というものである。


(なかなかこうした感覚ってのは抜けないもんだな)


 佐三は内心で自身の感覚が抜けきらないことを笑う。長く染みついた習慣というものはそう簡単に抜けないのだろう。既に三年近くこの世界にいるはずであるが、未だにギャップを感じることは多々あった。


 佐三がそんなことを考えているのを余所にイエリナはどうしていいか少し迷い気味であった。しかし少し考えてから覚悟を決めると佐三の横に座った。


「ん?どうした?」
「べ、別に!」


 イエリナはそっぽを向きながら返事をする。佐三は一瞬不思議そうな顔をするが、特に気にすることなく再び窓の外を見た。


「あ、雪だ」
「え?」


 佐三は立ち上がり窓を開ける。すると暗闇の中でうっすらと白い雪が降り注いでいた。


「わー、きれいね」


 イエリナが楽しそうに笑う。普段あまり見せないその少女的な微笑みは佐三から見ても微笑ましかった。


 佐三は「はー」と手に息を吹きかける。イエリナはそれを見て佐三に問いかける。


「……寒いの?」
「いや、そういうわけじゃないんだが」
「そう?ならいいけど」
「まあ昔からの癖みたいなもんだ。手がかじかみやすくてな」
「ふーん」


 佐三がそう言うとイエリナは少し考える素振りを見せる。そして少ししてから唐突に佐三の手を握りだした。


「えい!」
「え?」


 佐三は突然の行動に声を漏らす。しかしイエリナはいたって真面目に佐三の両手を握っていた。


「何しているんだ?イエリナ?」


 佐三が不思議そうに質問する。


「え?手がかじかんだ時に私のお母さんがこうやって……、もしかして普通はしないの?」


 イエリナが少し恥ずかしそうに聞いてくる。


「まあそうだな。普通はしないな」


 佐三がそう言うとイエリナは自分の勘違いに恥ずかしくなって慌てて手を放す。佐三はそんな慌てふためいているイエリナを見ながらケラケラと笑っていた。


「もう、そんなに笑わなくて良いじゃない」
「はいはい。わかった、わかった」


 佐三はそう言ってイエリナの顔を見る。普段はキツくするどい表情も今は形無しである。佐三はそんな彼女の様子がどこかおかしく、そして愛おしく感じた。


「ほら、手出せよ」


 佐三はそう言うとイエリナの左手を取り、自らの右手で握った。そしてゆっくりと下ろして、手を繋いだまま再び雪を眺めた。


「……きれい」
「そうだな。悪くないもんだ」


 佐三はそう言いながら舞い落ちる雪を眺める。今までは雪の存在など飛行機のフライトを遅らせるリスク要因くらいにしか考えていなかった。その意味では雪に趣を感じることなどということは初めての経験であった。


 佐三は雪から目をはなし、イエリナの方を見る。イエリナは緊張からか借りてきた猫のように大人しくなってしまっていた。


 ふとしたいたずら心からだろう。佐三はにやりと笑うと不意にイエリナの耳元に顔を近づけた。


「ふー」
「うにゃうっ!」


 佐三はぴんと立ったイエリナの耳に息を吹きかけてみる。イエリナは情けない声を出しながら慌てて離れて、佐三の方を見た。


「にゃ、にゃにするのよ!」
「『にゃに』?」
「言ってない!『何するの』って言ったの!」


 佐三のからかいにイエリナがムキになって答える。佐三はそんなイエリナを笑いながら受け流していた。


「もう、バカにして!」
「ははは。悪い悪い」
「ただでさえあなたはフィロさんを連れてくるのも危ないことばかりして……、それに私は指輪を買ってもらってないこと忘れてないからね!」
「わかった、わかった。今度ちゃんと用意するよ」


 イエリナは拗ねた様子でそっぽを向き、ただ雪景色を眺めている。佐三もそれ以上は何も言うことなく、同じように外の景色を眺めた。


「ん?」


 そんな時であった。ふらふらと手持ち無沙汰になっていた佐三の手がイエリナの手に当たる。しかしイエリナは何を言うわけでもなくただ外を見ていた。


(……まあ、いいか)


 佐三はそのままぼーっと外を見続ける。すると不意に手に温かいものを感じた。


 佐三は一瞬イエリナの方を見る。イエリナは相変わらず外を見続けているが、すこし顔が赤みがかっているのがわかった。


「……何?」


 イエリナが顔を向けることなく聞いてくる。


「いや、何でもない」


 佐三はそう言って笑い、再び外の景色に視線をもどした。




 佐三の手は、もうかじかむことはなかった。













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