異世界の愛を金で買え!
Sleeping baby
タッタッタッタッタ
静かな森の中で、狼の足音だけが響いている。ベルフは二人を乗せただまっすぐ町へと向っていた。
「ったく、まさか二人も乗せる事になるとは……」
「こればかりはしょうが無いだろ?馬車はあいつらが追い返してしまったんだし、かといって有名人を王都に連れ帰る訳にもいかないだろ?」
「だとしても近場の町で……」
「近場の町だとフィロの顔も割れている。生きていることがバレたらここまでせっかくやってきた色々な準備が無駄になるだろ?さ、急いだ急いだ」
「…………」
ベルフの沈黙が彼の不満を語っている。これから如何ほどの食費を請求されるだろうか。佐三は値切るための口実を考えていた。
「ねえ」
すると佐三の前に座っているフィロが振り向きながら声を掛けてくる。
「なんだ?」
「なんで私がこの狼に乗っているのよ」
「なんでって、そりゃ行き場もないだろ?」
「だからって……」
「細かいことは気にするな。うろちょろしていたらまた処刑されるぞ?」
「……あたかも一度処刑されたみたいにいわないでちょうだい」
フィロの言葉に佐三は「ははは」と笑う。フィロはどこか子供扱いをされているみたいで不満そうな顔をする。
「まあしかしどうせここいらで働いてもいけんだろ?」
「それは……そうだけど……」
「じゃあつべこべ言わずに俺の所に来い。労働環境は保証するぞ」
「……随分と傲慢な口ぶりね。まるで仕えるのが当たり前みたいに。こっちは元々王家の親類よ?少しは敬いなさいよね」
そう言うフィロに佐三は笑いながら返す。
「関係ないね。必要性と代替性に基づくパワー関係が全てだ。君は俺しか頼れないし、俺を必要としている。それだけが事実だ」
「……とんだ悪党ね。商人らしさがにじみ出てるわ」
「お褒めにあずかり光栄です」
佐三がそう言うとフィロはまたしても不機嫌そうに「むー」と呻っている。母親に甘えたばかりだからであろうか。今の彼女はカドがとれ、威厳の代わりに可愛らしさをまとっている。
(いくら頭が良くても、佐三の前では赤子同然だな)
ベルフは佐三に軽くあしらわれているフィロの様子を見ながらそんな風に感じていた。
「それにだ」
佐三が話す。
「別に君は俺に仕えるわけじゃない。あくまで対等な契約に基づいて雇用されるだけだ」
「それは……何が違うのよ?」
「契約しない権利もあるし、やめる権利もある。君たちがやっている封建制度とは似ても似つかないものだよ」
佐三の話にフィロは半信半疑の様子で耳を傾ける。力をもつものが支配するのに、何故そんな逃げ道を用意してあげるのか。それが分からなかった。
その瞬間、ベルフが軽くはねる。そしてその衝撃でフィロがバランスを崩した。
「きゃっ!」
フィロは危うく落ちそうになるも後ろから佐三に抱きとめられる形でなんとか落下を免れる。
「………」
「ったく、危ないだろ。ちゃんと掴まってろ」
佐三はそう言ってフィロの体制を立て直させる。そしてフィロが落ちることがないようフィロの側面から前方に手を伸ばしベルフの毛をつかんでいた。
「サゾー、あまり毛をつかむな。抜けはしないが、気分の良いものではない」
ベルフが文句を言う。
「しょうがないだろ?フィロが落っこちそうになるんだから」
「……………」
「わかった。わかったよ。ちゃんと手当は出すよ。だから勘弁してくれ」
「最初からそういえば良いのだ」
佐三は頭の中で予算の勘定をする。栄え始めたとは言えベルフの食費は未だに安くない出費となっている。はやく事業を拡大し、その比率を小さくしたい。佐三はそう思った。
「ねえ」
フィロが話しかける。しかし佐三は考え事をしていたためそれを無視した。
「ねえってば」
「なんだ?重要な話か?」
「え?いや、えっと……」
「そうじゃないならちょっと待ってくれ」
佐三はそう言うと再び勘定に頭を悩ませる。フィロは悶々とした気持ちを抱えたまま後ろから伝わる呼吸音に鼓動を早めていた。
(この男……気にならないのかしら!?今、私を後ろから抱きしめていることに……)
無論佐三はフィロを抱きしめているつもりなど無い。ただ落ちないようにフィロの横から手を前に出し、フィロが座る少し前をつかんでいるだけだ。
しかし当のフィロからすればそうではない。後ろからは佐三の体温が伝わり、その呼吸音はばっちりと聞こえてくる。低い声で話すその独り言もフィロの耳には届いていた。
男性にここまで接近を許したのはフィロにとっては初めてであった。こんなに近くで体温を感じることもである。ましてや抱きしめられた経験などあるはずもない。それだけにこの状況はフィロにとってまったく落ち着くものではなかった。
(普通の男性は、これぐらいで慌てないもの?別にそういう雰囲気でもなさそうだし……。もしかして私が気にしているだけ!?)
無論これは文化や時代による違いもある。かたや挨拶でハグをする文化もあれば、平安貴族は男性に見られることすら許されなかった。単に価値観の違いである。
フィロは再び佐三の様子をうかがう。佐三は此方などお構いなしに考え事をしていた。
(私を前にして、まるで私の方を見ていない)
フィロは今までを振り返る。今まで多くの貴族の男性達が、フィロに婚姻を申し込んだ。パーティーに行けば必ず皆が振り返ってくれた。贅沢な悩みとは知りつつも、そんな視線は時に煩わしさすら感じた。
しかし今、かつて無いほど自分に接近を許した男は、まるで自分の方を見ていない。フィロはそんな状態がたまらなくもどかしかった。
(何よ、私のためにあんな危険なことまでしたのに……)
思い返せば自分に言い寄ってきたどの男も、今回の件で動いてはくれなかった。勿論貴族にとっては王の命令に逆らうなどもっての外だということはフィロにも分かっていた。
フィロはわざとらしく佐三の胸に体重をあずけてみる。フィロはドキドキしながら様子を伺うも、佐三は依然と考え事に夢中であり、そんなことにはまるで気にかけていなかった。佐三のそんな様子もフィロには歯がゆかった。
「ねえ」
「…………」
聞こえなかったのだろうか。フィロの言葉に佐三は反応しない。それはさらにフィロの心をかき乱した。
しかしそれは同時にフィロにとっても好都合な気がした。フィロは軽く深呼吸をする。
「……ありがとう」
フィロはさっきよりもいくらか小さい声で礼を言う。当然返事は返ってこない。
だがそれでいい。変に返されても気恥ずかしい。フィロがそう思ったときであった。
「……どういたしまして」
「なっ!?」
フィロが慌てて振り向く。顔が熱い。きっと真っ赤に染めているだろう。自分でもよく分かった。
しかし振り返って見えてきたのは依然として考え事をしていた佐三の姿であった。先程の返事も生返事だったのだろう。特に先程と変わった様子もなかった。
フィロがこちらをむいているのに気付いたのか、佐三は考え事を中断してフィロの方を見る。
「どうした?」
「……………」
「何だよ?」
「何でもない!」
フィロはそう言って再び前を向く。佐三は「なんなんだ?」と訳が分からず、しばらく困惑していた。
事態を把握していたのはいつも通りベルフだけであった。
フィロは黙って先程のように佐三に体重をあずけていく。背中から伝わる体温は、どこか温かく、そして優しかった。
今までの疲れもあったのかフィロは徐々に眠りへと落ちていく。それはまるで親に見守られながら寝る赤子のように、安心しきった様子で寝入っていた。
佐三は船をこぎ始めたフィロを見て、落ちないようにより自分の方へと引き寄せる。
タッタッタッタッタ
再びの静けさが訪れる。
『やれやれだ』
そう言ったベルフの独り言は、誰に聞かれるわけでもなく、夜の静寂へと吸い込まれた。
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