異世界の愛を金で買え!

野村里志

閑話 狸との化かし合い











(このハゲ狸め、抜かしてくれる)


 佐三は目の前の大男、主神教の幹部であるタルウィを見ながら内心で呟いた。




















「あれ、サゾーは?」


 朝の政務室。イエリナはいつまでも見えない夫の姿にアイファに質問した。


「え?先程ベルフ様をつれて出かけられましたよ。何でも主神教の方に会いに行くとかで。……ひょっとして伝えられていませんでしたか?」
「ええ、まったく」


 イエリナが笑顔で答える。しかしその裏に如何ほどの怒りが潜んでいるのかアイファは当然知っている。アイファは新しい火種を持ち込む佐三に静かに恨み節を吐いた。


「まったく、あの人は妻をなんだと思って……大体私を連れて行っても……、まあ今回はハチさんを連れて行ったわけじゃないから良いとしても……」


 イエリナはブツブツと文句を言いながら席に着く。アイファは早く誰か来ないものかと願いながら、仕事を再開した。


最近になって分かってきたことだが彼女……イエリナはかなり気まぐれな女性だ。今まではどこか他人行儀な部分もあったのだろう。いつもきちんと隙がなく、自分の前でも長としての振るまいを心がけていた。しかし最近ではこうした気分の浮き沈みも隠すことはない。そういった意味ではどこか心の距離が縮まっている気もした。


そのため機嫌が悪いイエリナもアイファにとっては信頼の証みたいなものであり、悪いように感じることもなかった。


(だからついつい佐三様に文句が出ちゃうんですよねぇ)


 アイファは出かけていった自分の主の顔を思い出す。時に難しい話をしたかと思えば、時に少年達とムキになって遊んでいる。なんとも捉えようのない相手だ。


だがそんな彼には文句があっても、ついつい許してしまう自分もいる。それが何故だかはアイファにも分からなかった。


(ああ、もう。とにかく早く帰ってきてくれませんかねぇ)


 アイファは先程出たばかりの主の帰りを、早く早くと願っていた。
















「これはこれは、佐三殿。お久しぶりです」
「いえいえ、タルウィ様こそ」


 佐三はタルウィがこの地域の布教を担当することになったと聞き、主神教の支部へと挨拶に来ていた。


「しかし随分と早いお着きですな。私とて着いたのは一昨日の夜。人事の変更が公になったのもその日です。熱心な信者ですらまだいらしてません。ひょっとして佐三殿も、創造主を信じる気になりましたかな?」
「はっはっは。お戯れを。私は世俗に染まった商人です。速いのはあくまで“足”だけですよ」


 そう言って佐三は後ろにいるベルフの方を見る。ベルフは“足”代わりにされたことで機嫌が悪かった。


「ベルフ殿、ご機嫌麗しゅう」
「……どうも」


 ベルフがぶっきらぼうに挨拶する。


「すいません。礼儀がなってなくて」
「いいや、構いません。むしろ獣人族で襲ってこないだけ、既に礼儀正しすぎる位です」


二人は合わせて「はっはっは」と笑う。ベルフにしてみればとんだブラックジョークだったが、佐三はとりあえず笑っておくことにした。もっとも佐三もベルフも主神教と獣人にどういった確執があったかは知らない。しかし宗教である以上、信仰を異なるものを敵視してきたのだろう。何故なら敵の存在こそが信仰を強めるのだから。


「それで、今回はどういった御用件で?」


 タルウィが聞いてくる。


「いえいえ、ただ挨拶に参ったまでです」


 佐三が謙遜しながら答える。


勿論嘘である。


「そうですか」


 タルウィが続ける。


「私はてっきり、となりの小領主との諍いの件かと思いましたが」


 そう言ってタルウィがにやりと笑う。


(狸め)


 佐三は内心で呟いた。


「随分と詳しい様子で」
「いえいえ、風の噂に聞いたまで」


 タルウィが笑いながら話す。


「ただ、小領主風情が主神教と事を構えようとはしないでしょう。ましてやある程度勝利をつかんだ後ならば」
「だとすれば、話は早いですな」
「いやしかし、困ったことがありまして……」


(それ来た)


 佐三はいくら欲しいのかと言わんばかりの様子でタルウィを見る。タルウィは話を続けた。


「ここら辺の地域は貧しく、救いを求める人が多いのですが……」
「それは大変だ。すぐに救わなくては」
「そうなんです。しかし私たちにも資源が足りなくて……」
「ソレハ大変ダ。誰カガ手助ケシナクテハ」


 佐三の棒読みにタルウィは「うんうん」と頷く。しかし佐三もそう簡単に話を進めるほど優しくはなかった。


「これは風の噂ですが……」


 佐三が話し始める。


「……何ですかな?」
「主神教の幹部の地位というのは信者を増やした数、そして集めてきた寄付金の数で決まるそうですな」
「正しくは信仰を広めた者にですが……まあ概ね間違いありません」
「そこであなたは獣人に目を付けた。まったく未開拓の市場です」
「お戯れを。この宗教が獣人に嫌われているのは知ってのことでしょう」
「しかし餌付けはできそうですな」


 佐三の言葉にタルウィが黙る。


「貧しい者はそんないざこざなんかよりも先に、衣食住を求めるでしょう。それを与えれば布教など容易い」
「しかし主神教の信者、とりわけ上層部は獣人を見下す人間が多くいますが?」
「でも、貴方は違う」


 佐三はハッキリとした言葉で続ける。


「貴方はあまつさえ獣人すら取り込もうとしている。より大きな目的のために」
「………」


 タルウィは佐三の言葉に黙り込む。佐三は加えて少しトーンを落として話を続けた。


「それに、です。もし上層部が貴方を弾こうとしても貴方に大量の信者がいれば、話は違いますね」
「……っ?!」
「貴方に大量の信者と豊富な資金があれば、独立することだってできるはず。かつての古い慣習に囚われた連中に抗う“抵抗する者プロテスタント”としてね」
「………」
「ここで端金を要求することもないでしょう。私は猫族の妻をもつ男であり、今やギルドの証を持つ商人の端くれ。長く利用した方がよいのでは?」
「……まったくなんて人だ。あんたは」


 タルウィは「降参だ」と両手をあげて、大きく息を吐く。佐三はここでようやく話ができると感じた。


「細かい話は省こう。貴方が望むように小領主には遠回しに圧力をかける。……しかし資金が足りないのもまた事実だ」


 そう言ってタルウィは右手を広げ五本の指を立てる。銀貨5千枚である。しかし佐三はそれに首を振った。


「わかった。もう腹を割ろう。3千でどうだ。これ以上は負けられない」


 タルウィは困ったように言う。しかし佐三はまたも首を振る。


「強情な……。私どもといえどこれ以上は……」
「勘違いなさらないでください。そんな端金じゃないと私は言っているのです」


「へっ」ともらすタルウィを余所に佐三はベルフに目配せする。ベルフは担いでいた袋を地面に置く。その袋が落ちるときにわずかに「ジャラッ」という音が漏れた。


「ここに金貨が500枚あります。今の相場だと1枚辺り20枚前後ですので銀貨1万枚相当になりますかね」
「1万……」
「私の願いは二つあります。一つは小領主に関する問題への配慮。しかしこれはできればでかまいません。こちらでも手は打つので」
「ふむ。してもう一つは?」
「もう一つは以前言っていた遺跡……別の世界とつながると言われるその場所を見学させていただきたい」
「……っ?!」


 タルウィはその要求に言葉を失う。もはやこの商人が何を見据えているのかは検討もつかなかった。


「言い忘れていましたが、私は自分の町だけを潤わせようと思ってはいません。この地域全体が潤うことで、私たちも豊かになろうとしています」
「……そしてその地域で布教すれば、豊富な人員と、豊かな資金が同時に手に入るということか」


 佐三は何も言わず頭を下げその場を去る。タルウィが断ることはないだろう。約束を違えることも。ならばこれ以上は無粋だ。こういった取引に対しては契約書などあるべきではない。


タルウィはそのハゲた頭を撫でながら困ったように呟く。


「あいつは一体何者なのだ?」


 その言葉は誰に届くわけもなかった。


 一人の人狼を除いて。






















「……リーダーだろうな」


 タルウィの元を去る途中、ベルフが不意に足を止めた。


「どうしたんだ?」


 佐三が振り返る。


「いや、なんでもない」


 そう言ってベルフは服を脱ぎ、大きく吠える。


「何度見てもシュールだな」
「いいから、早く乗れ」


 佐三は言われるがままにその巨大な狼にまたがる。


「約束を忘れるなよ」
「腹一杯の飯だろ?だが5杯までだぞ?」
「……ここに置いて行くか?」
「わかったよ。好きなだけ食え。まったく」


 それを聞きベルフが走り出す。




 銀色の毛が揺れていた。









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