異世界の愛を金で買え!

野村里志

長と頭領









「話には聞いていたが、随分と大きいな。あれでは猫というより虎に近い」


 佐三はかがり火に照らされている二人の影を見ながら呟いた。イエリナも女性にしては背が高い。しかし盗賊の頭領はそれ以上に大きく、佐三の身長と同程度あるように見えた。


「しかし黙々と食事に手をつけているな。あれじゃイエリナも取り付く島もないといったところだが……はてさて」
「……随分余裕そうだな」


 のんびりとした態度の佐三にベルフが問いかける。盗賊の集団が町のすぐそばまで来ていることもあり、ベルフの警戒は一段と厳になっていた。


「盗賊が町の門前にまでせまっているのだぞ?警戒しなくて良いのか?」
「大丈夫だよ。お前が一つ吠えれば、相手の戦意は瞬く間に失われる。それに一番肝心な頭領が一人前に来ているのだ。いざとなれば、お前が彼女を狙えばいい。彼女の身柄と引き換えになら、喜んで下がるだろう」


 ベルフの言葉に佐三はいつも通りの様子で返答する。しかし落ち着いた態度ながら非情な想定までしている佐三に、ベルフは何を言うわけでもなくただ黙って手すりの上に腰を下ろした。ふと見ると猫族の従者達もそれぞれ配置についている。既に佐三が根回ししているのだ。


「さて、イエリナ。どう交渉をする?」


 佐三はイエリナをじっと見つめながら、その行く末を見守っていた。










(ダメだ……話を聞いてはくれない)


 イエリナの目の前ではチリウが黙々と料理を食べていた。よほど食べていなかったのだろうか、その速さは尋常ではなく、既にイエリナが普段食べる量の二倍近く食べていた。


「あの、チリウさん。お話を聞いてください」
「………」


 チリウはただ黙って食事を続ける。先程から何度声をかけても同様であった。


(どうしたら……)


 イエリナはどうすれば話を聞いてもらえるのか、それを考える。時間がない。イエリナは当初の予定ではここで話をすることで、活路を見出す作戦であった。実際に彼女たちは兵糧が断たれていることもあり、きっと誘いには乗る。イエリナはそう考えていたし、実際にその判断までは正しかった。


しかし、ここで全くと言って良いほどに相手をされないことは考えてはいなかった。たとえ敵意であっても対話ができれば活路は見いだせる。しかしそれすらもなければ何も始められない。ここで対話ができなければ、誰かが戦うことになる。それだけは避けたいのだが……。


(どうすれば……話を……)


 イエリナの頭の中が少しずつ白くなっていく。何をすべきなのか、それさえもおぼろげになってきた。偏に自分の詰めの甘さもあったのだろう。そうした自分を責める気持ちがより焦りを生み出した。


(どうすれば……)


 丁度その時であった。




アウォォォォオン!




 振り向くとベルフが塔の屋根で遠吠えを行っている。そのそばでは佐三が耳を塞ぎ、文句を言っている。イエリナはそのとき、かすかに佐三と目が合った気がした。


 時間にして一瞬。それも勘違いかもしれない。


 しかしイエリナにとってそれで十分であった。佐三がそこにいる。それを思い出せたのだから。


(あれっ……)


 イエリナは自分の体から空気が抜けていくような気がした。肩の力は抜け、視界が広がる。イエリナが大きく深呼吸をすると今までの焦りが嘘のように消えていた。


(違う。そうじゃない)


 イエリナは今一度頭を整理する。


(私がするのは聞いてもらうことじゃない。聞いてあげることだ。それも表面上の言葉だけでなく、相手の心の声を)


 イエリナは再び正対して、チリウを見た。


「チリウさん」


 イエリナが語りかける。


「この町で暮らしませんか?」


 その言葉に、チリウの耳がかすかに動く。イエリナはその動きを見逃さなかった。


 交渉が始まった。
















(考えなさい。彼女達が本当に求めているものを。建前の裏側に隠された本音を)


 イエリナはひたすら自らに問いながら続ける。


「私たちの町にはまだ食料の備蓄と、商人用の家屋の予備があります。少し手狭ですが少なくとも冬は越せます」
「………」
「それをあなた方に提供する用意があります」


 イエリナが提案する。するとはじめてチリウの食事をする手が止まり、口が開かれた。


「……何が目的だ?」
「っ?!」


 チリウの言葉にイエリナは一瞬驚くも、すぐに落ち着き、返答する。


「戦わないこと。双方に犠牲が出ないことです」
「……ふん。甘い考えだな」


 そう言うとチリウはイエリナを睨み付ける。それは一見『敵意』の目であるように見えたが、イエリナはそこに『疑い』が混じっていることを見出した。


(彼女は……敵意を向けているように見せているが、それは真ではない。本音は信じられていないだけだ。私たちのことを)


 イエリナは次なる質問を投げかける。


「何故甘い考えと?」
「そのような話が、罠でないと何故言える?都合のいい話が、そうそうあるものか」
「しかし双方に利がある話です」
「黙れ。お前達のような支配者側の、それも商人に媚びを売った女の言うことなど聞けるか!」


 チリウは机を叩く。しかしイエリナは以前とは違い、いたって冷静であった。彼女は今、少しずつ多くのことを話し始めてくれている。イエリナはそのことで自分が着実に前に進んでいると確信できた。


(少し前までは、この敵意に対してどうすることもできないと思っていた。説得は難しいと勝手に諦めていた。でも今は違う)


 イエリナは自分の視界が徐々に明瞭になっていく気がした。自分が今観ているもの、そこから察することができること。そうした要素がどんどん増えていくのを実感していた。


 今、目の前にいる彼女の気持ちが少しずつ自分に伝わってきている気がした。


(今ならなんとなく分かる。彼女の、彼女たちの利害が。本音と建て前のせめぎ合いが)


 イエリナの表情に徐々に自信が表れてくる。今自分はやれている。その思いがイエリナをさらに前へと押し進めた。


「彼は……私の夫は、私とこの町を救ってくれました」
「……何?」
「他の方々もそうです。お金の管理をしているアイファさん。部隊を率いているハチさん。皆私の夫に、マツシタ・サゾーに助けられた人達です」
「だから私たちも、と?そんな馬鹿げた話信じられるか!第一牙をむいた相手を迎え入れるなど……お前、何をしている?!」


 イエリナの行動にチリウがたじろぐ。イエリナは服をはだけさせ、寒空の下、背中を露出させていた。


「この肩の傷は、貴方たちに捕まった私を助けに来た、あの犬族の女性がつけたものです」
「……」
「彼女は元々、夫を狙う刺客でした。これはそれをかばってできたものです」
「……」
「彼女は、かつて敵でありながら、今は重要な仕事を与えられています。そして彼女が来なければ、私は貴方に殺されていました」


 イエリナが続ける。


「勿論、私たちは貴方たちを無条件で養うつもりはありません。しかしその力を用いてこの町のために働いてくれるのであれば、喜んで歓迎します」
「………」


 チリウは何も言わず黙ってテーブルを見ていた。何を言うわけでもなく、ただじっと。イエリナは何を聞き出しているわけでもないが、その様子から多分に彼女の気持ちを感じていた。言葉だけでなく、チリウの挙動の一つ一つからメッセージを観察していた。


(これ以上は考える時間が必要ね)


 イエリナはそれ以上チリウに話すことはなかった。今彼女は迷っている。自分が何を信じ、どうするべきなのか。今はその時間を邪魔するべきではない。イエリナはそう思った。


「こちらに細かい条件や、提案が書かれています」


 イエリナは紙を一枚取り出し、チリウに差し出す。チリウは黙ってそれを受け取った。


「もしその気があるのでしたら、いつでもこの町に来てください。その書状を門番に見せれば、私の所へ案内してくれるはずです」
「………」


 イエリナはそう言うと立ち上がり、深くお辞儀をする。チリウはただ黙って席を立ち、その場を後にした。




 彼女は来てくれるだろうか。


イエリナは願うように、静かにその離れていく背中を見つめていた。















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