異世界の愛を金で買え!

野村里志

報酬とインセンティブ









「主殿、ただいま戻りました」


 ハチが佐三の前で敬礼する。佐三は「堅苦しいなぁ」と笑いながら、ハチをねぎらった。


「ハチ、よくやってくれた。やはりお前に任せて正解だった」
「はっ。ありがたきお言葉」


 ハチは済ました表情で背筋を伸ばし、返事をする。しかしその興奮ははち切れんばかりに振られている尻尾で丸わかりではあった。


「夜通しの任務で疲れているだろう。今日はもう休みを与える。ゆっくり休んでくれ」
「いえ、主殿。私は……」
「いいから。これは命令だ。休むのも仕事だ。帰った帰った」


 そう言って佐三は半ば無理矢理ハチを政務室の外に追い出し、帰宅させる。どこか寂しそうにしているハチの様子がイエリナにはとても新鮮に見えた。その様子一つで佐三がどれほど慕われているのかうかがえることができた。


「ハチさんもああ見えて結構可愛らしいとこありますよね」


 脇で見ていたアイファがそっとベルフに耳打ちしていた。


「ベルフ、ちょっと来てくれ」


 ハチを送り出すと佐三がベルフを呼ぶ。ベルフは呼ばれるままに佐三に付いていき、二人で廊下に出て行った。
















「ベルフ、フィードバックの時間だ」


 佐三はベルフを連れながら話し出す。今までの傾向から佐三のいう「フィードバック」がただの「お説教」であることはベルフが一番分かっていた。


「まずイエリナが忍び込んでいたこと、お前分かっていただろ?」
「……いや」


 ベルフの言葉に佐三が視線を向ける。「またこの目だ」。ベルフは佐三の前では全て見透かされているとすら感じられた。


「ベルフ、俺はお前を咎めたいんじゃない。だが嘘をつくようでは処罰せざるを得ないぞ」


 佐三が呆れたようにいう。ここは正直に言うべきだろう。ベルフはそう感じた。


「……分かっていた」
「だろうな。俺ですら予想がついた。だからハチを見に行かせた」
「知っていたのか?イエリナが抜け出していたこと?」
「あくまで予想だ。それにお前を襲う連中が想像を超えるような武力をもっているかもしれない。いずれにせよハチを見張りとして送る予定はあった」
「俺を信用していなかったのか?」
「イエリナについて報告しないだろうと言う意味ではイエスだが、お前の実力という意味ではノーだ。銃すらきかないお前が負けるとは思ってない。ただイエリナを守るという点では相手に分があるとは思った」
「まったく、こういうことではお前に敵わん。今回は素直に非を認める」


 そう言うとベルフはしおらしく頭を下げる。佐三はそれに軽く手を振り、そんなものはいいとばかりの態度を示した。


「別に謝る必要はない。以降報告を優先することだけは覚えていてくれ」


 佐三はそう言って、政務室へ戻っていく。ベルフは歩いて行く佐三の背中をなんとなしに見続けていた。


 すると不意に佐三の足が止まる。そして振り返り一言だけ残した。


「何にせよお前が無事でよかった。次は気をつけろよ」


 佐三はそうとだけ言うとまた歩き出した。佐三としてはなんとなく思い出したように付けた言葉なのだろう。しかしそれはいかなる報酬よりもベルフの働きに報いていた。


「まったく、あいつには敵わん」


 ベルフは軽く頭をかき、佐三と反対の方向へ歩き出した。














「さてイエリナ、お説教だ」


 政務室に戻ると佐三は開口一番にそう告げる。アイファと話していたイエリナは急に帰ってきた佐三に驚き、耳をピンと立てた。


「なんだ、不思議そうな顔して。勝手に抜け出して捕まったんだ。当たり前だろ?」
「いえ、そうではなくて……」


 イエリナはもっと重いトーンで責められるとばかり思っていたため、佐三のその様子は意外であった。


「まず向こうで見てきたものについて教えてくれ」


 佐三は紙を取り出してペンをインクに浸す。


 イエリナは見てきたこと、話したことを概略にまとめて説明した。


「女性だけの盗賊団?」
「はい。それも身寄りのない人達が集まった集団だそうです」
「まあ、ありえん話ではないか」


 佐三は情報をまとめながら今後の予定を考える。


「アイファ、事業の売り上げの変化はどうだ?」
「祭りでの宣伝効果も落ち着いて、売り上げも下がってはきていますが……。これが資料です」
「ありがとう」


 佐三は資料を受け取り、衣服事業の財務データに目を通す。


(悪いとは言えないが、そこそこ落ちてきているな。となれば……)


 佐三はアイファの方を見る。するとアイファは準備よく別の報告書を差し出した。


「近くで衣服を売っている商人のリストです。最近いくらか新しい人達が増えました」
「良い仕事だアイファ。とても助かる」


 佐三はそう言って報告書を受け取り、目を通す。報告は一目でわかりやすいように整理されており、佐三の教えがふんだんに活かされていた。


「……どうしたんだ?イエリナ」
「……別になんでもありません」


 ふと見るとどこか不機嫌そうにしているイエリナが佐三の目に入る。しかし聞いてもその理由までは分からなかった。


「……私の報告には、何も褒めてくれないのに」
「何か言ったか?イエリナ」
「何も言ってません」
「あと関係ない話だが、勝手に捕まった人間の報告を褒めるほど俺は優しくはないぞ」
「聞こえているじゃないですか!」


 イエリナは「もー」といいながらそっぽを向く。自分が悪いことは重々分かっていたし、それをキツく咎められないだけでもありがたく思わなくちゃいけないことも十分に理解はしていた。しかしそれとは別にどこか納得のいかない部分がイエリナのどこかに存在した。


(悪いのは私なのは分かっているけど、それにしたって褒めてくれても……)


 イエリナは心の整理がつかないまま、佐三を見つめる。佐三は資料と報告書、そしてイエリナの報告を書き起こした紙を見ながら、「あーでもないこーでもない」と思案していた。


「佐三様、私そろそろお暇します。弟妹達の面倒もあるので」
「ああ、わかった。アイファ、今日もお疲れさん」


 佐三が手を振るとイエリナもはっとなってアイファに挨拶をする。アイファはそれに答えるとそのまま政務室を後にした。


「イエリナももう上がって良いぞ」


 佐三は再び資料に目を向けながらぶっきらぼうに話す。イエリナはその無関心さがどこか納得がいかなかった。


「『お説教』はないのですか?」


 イエリナが質問する。本来であれば黙ってすごすのが賢明だろう。しかしイエリナにとっては自分に関心が向いていないことの方が癪にさわった。


「自分から言うとは殊勝な心がけだな」
「真面目な話です」


 茶化しながら言う佐三にイエリナがそう答えると、佐三が軽く笑いながら答えた。


「ない」


 イエリナは「へっ?」と漏らして、言葉を失う。これから何を言われるかと身構えていただけにどこか拍子抜けしてしまった。


「どうしてないのですか?私自身、お叱りを受けるものと」
「本当にあるんだったら人前で説教はしない。まあもうアイファは帰ってしまって二人だが、いずれにせよさっき説教があると言ったのは冗談だ」
「でも、私のせいでハチさんやベルフさん、それに貴方にも……」


 イエリナが申し訳なさそうにしていると佐三が笑い出す。


「なんだイエリナ。今日は随分としおらしいじゃないか」
「笑い事じゃありません!」


 イエリナはどこか恥ずかしそうに答える。これではまるで立場があべこべだ。


「まあ少し真面目な話をすると、だ。別にお前は軽率に行ったわけでも、改善可能なミスをしたわけでも、ましてや怠慢な仕事をしたわけでもない。そうだろ?」


 佐三の言葉にイエリナはただ黙って頷く。


「じゃあ言うことは何もない。第一そうした行動をマネジメントするのが経営者の仕事だ。今回の行動は結果としては軽率な行動だが、それはお前自身の意志で行ったものだ。その意志はそう曲げれるものじゃない。じゃあ後はそれを簡単に行わせてしまった管理者側の問題になるな」
「そう……なのでしょうか?」
「なんだ?まだ納得できてないのか?」
「……はい。結果として命の危険には晒されましたから。私の命は、私だけのものではないのに」


 イエリナがそう言うと佐三は鼻で笑いながら両手をあげた。


「まあ意見の相違だが、イエリナの命はお前自身のものだろ」
「そんな身勝手な」
「いずれにせよもう少し自由に生きたらいい。それに……」


 佐三が続ける。


「お前とこの町は、いずれにせよ俺が守る」
「………っ?!」
「契約だからな」
「…………」


 一瞬舞い上がった自分を説教したい。イエリナはそう思った。


「契約の履行は商人の義務だ。ベルフで十分だとも思っていたし、ハチがいればしくじることもないと思っていた。ただ相手の戦力はすこし予想外ではあったけどな」


 佐三はそう言って再び書類に向う。既に話は終わったようでイエリナはただ呆然と佐三の様子を眺めていた。




 夕暮れ時の政務室にただ佐三が走らせるペンの音だけが響いていた。













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