異世界の愛を金で買え!

野村里志

脛の傷











 ガキンッ


 鈍い金属音がなる。イエリナ目の前ではチリウの鉈をハチがみたこともない剣で受けていた。


「ハチさん」
「とんだ不始末であるぞ。イエリナ殿」


 ハチはチリウの鉈を弾く。チリウは瞬時にハチの実力を悟り、距離をとった。


「敵襲だ!」


 チリウが号令を出すと、瞬く間に武器を構えた女性達が出てくる。普通の人間に加え、獣人族も多数混じっており、年齢層も幅広かった。


「ハチさん、彼女たちは……」
「盗賊にしては、統率がとれている。訓練も施されているようだ」
「そうではなくて」
「戦いの場においてそれ以上は無用。イエリナ殿、逃げる準備を」


 ハチは剣を構えながら後ずさりする。そして一瞬のうちに近くにあったかがり火を壊し、明かりを消した。


「さあ」


 ハチに促されるままにイエリナは駆け出す。後ろを牽制しながらハチもイエリナの後をついていった。


「逃がすな!耳や鼻のきく者達は彼女たちを追え!他の者は周囲に別の部隊がいないか警戒せよ」


 チリウはそう指示すると、新しくかがり火を用意する。もしかしたら別の部隊が来るかもしれない。追加の明かりが必要であることもうかがえた。


(町の長を捜索するのに、一人であるということはないだろう。おそらく、別の部隊も……。いずれにせよ、この駐屯地は移動した方が良さそうだな)


 チリウは周囲の側近に近々拠点を移動する旨を伝える。その側近達もそれぞれに散り、各々の集団で情報を共有し始めた。


(しかし今助けに来たのも女だったな。それも犬族だ)


 自分たちが依頼を請け負って、半包囲を作っているのは猫の町のはずだ。加えて犬族と猫族のそりが合わないことは比較的有名な話である。従って長を犬族の人間がいの一番に助けに来るということ自体が不思議な話である。


(猫、犬、人狼。そしてそれを束ねる人間か)


 チリウ忙しそうに動いている団員の皆々を見る。ここにも様々な種類の人間が集まっているという点では同じではあった。


(ただ唯一違う点があるとすれば、私は女で、我々は弱者だということか……)


 チリウは再び鉈を強く握る。これまで酷い扱いを受けてきた女性達を数え切れないほど見てきた。そして救えた者は数えるほどしかいない。チリウのなかでふつふつと言いようのない感情が生まれてきた。


(考えていても仕方ない。私は私のなすべきことをするだけだ)


 チリウは再び周囲の人間に指示を出し、自身も移動の支度をはじめた。


















「ここまでくれば大丈夫であろうか」


 ハチは追っ手がいないことを確認すると足を止める。そして耳を澄ませながら追っ手との距離を測った。


(ここは風上だ。臭いでは追って来れまい。だとすれば静かに森を抜けるのも手だが……。しかしわざわざ無理をする必要もあるまい。主殿に伝達もしたし、そのうちベルフ殿も来るだろう)


 ハチはいくらかの手段を考える。いまから静かに抜けるか、朝が来るのを待つか。いずれにせよ向こうも深追いはできないであろうことは予想ができた。ただ自分たちのみを案ずる、それこそが使命であった。


「ハチさん、どうしてここに?」


 イエリナが質問する。本来忍び込んだイエリナがここにいることはベルフ以外は知らないはずであり、ベルフがおらずハチだけ来るのは不自然であった。


「主殿の命だ」
「サゾーの?」
「……そうだ。主殿がベルフ殿を近くから監視し、問題があれば手助けしろと。まさか貴方を助けることになるとはおもいませんでしたが」


 ハチはそう言うと剣を鞘に収める。その独特な形はイエリナには見慣れないものであった。


「その剣は?見たところ片側にしか刃のない、細い剣ですが……。見たことのない形です」
「詳しくは分からないが、私の一族に伝わる剣だ。主殿は“カタナ”などといっていたが……。以前主殿と調査に出かけたときに取って帰った」


 ハチはそう言うとイエリナの方を見る。


「イエリナ殿、不用心ですよ。私がいなければ死ぬところでした」


 ハチの強めの言葉にイエリナはしずかに「ごめんなさい」と漏らした。今回に至っては完全にイエリナの過失であった。


 ハチはそれ以上に言いたげではあったが、明らかに申し訳なさそうにしているイエリナに対しそれ以上は言わなかった。ただ腕組みをしながら指を細かく動かし、いくらか苛立ちが隠せてはいなかった。


「……とりあえず朝まで静かに移動しましょう。日が出るのを待って、それから本格的に動き出した方がよほど安全でしょうから」


 そう言ってハチは歩き出す。イエリナはその後ろをついていった。


「ベルフさんはどうなったでしょうか?」
「ベルフ殿は問題ないであろう。貴方が連れて行かれているのをみて慌てて追って来たので全ては見ていないが、盗賊達はまるで歯が立っていなかった」
「強いですね」
「ああ。憎たらしいほどに」


 不機嫌そうに言うハチにイエリナは少し笑ってしまう。ハチは二度ベルフに襲撃を防がれ、その時に手痛い一撃をもらっている。おそらくそれが尾を引いているのだろう。


「……なにがおかしい」
「いえ、何も」


 ハチが急に振り向き、イエリナを睨む。イエリナはその鋭い感性にただただ驚いていた。


(後ろに眼があるのかと思ったわ……)


 ハチは再び歩き出す。


「何を話しておられたのだ?」


 ハチが質問する。


「え?」
「あの盗賊の者とだ。見たところ幹部か頭領とお見受けした。一人だけ、明らかに立ち振る舞いが違った」
「頭領と言っていました」
「だろうな」
「聞いていらしたんですか?」
「隙をうかがっていた。話の内容までは聞き取れなかったが、急に鉈を振りかざしたので慌てて止めに入った」


 ハチがそう言うと、イエリナは再び申し訳なさそうに「ありがとうございます」とだけ言った。ハチは軽く鼻息をならし、再び質問を続けた。


「それで何を話されていたのだ?」
「……彼女たちの話です」
「盗賊団のか。それはいい情報だ。主殿の計画にも役に立つであろう」
「………」
「……浮かない顔だな」


 イエリナの様子にハチが不思議そうに聞いてくる。


「やはり、あの人達を争いに巻き込まなければならないのでしょうか?」
「あの人達?領民のことか?」
「それもありますが、あの盗賊の人達もです」
「彼女たちが?何故?彼女たちは加害者であろう?」
「でも被害者でもあります。……彼女たちは皆誰かしらに傷つけられてここにいるんです」


 イエリナの言葉にハチは少し考える。イエリナの様子や言葉からハチにはおおよその察しがついていた。そしてしばらくの沈黙の後にハチは口を開いた。


「イエリナ殿、例え被害者であっても、それを他の人にする理由にはなりません」
「それは……そうですが……」
「私も一族のために主殿を襲いました。しかしそれは覚悟があってのこと。私とて仕方なかった等と命乞いをしようとはおもいません。人に危害を加える者は、また別の誰かによって危害を加えられても文句は言えないのです。そして同様に被害者であっても加害者になっていい道理はないはずです」
「………」
「貧しくて賊に身を落とす人間はいくらでもいます。道を踏み外す人間も。私も似たような者です。だから気持ちはわからなくもないです」
「だったら……」
「しかし!」
「っ?!」
「それは許される行為ではないです。背負うべき罪なのですから」


 ハチはそう言うとそのまま歩き出す。イエリナは黙ってついていくことしかできなかった。


「ハチさんは今でもそう思っているのですか?」


 イエリナが静かに質問する。その言葉にハチは立ち止まることなくひたすらに歩みを続ける。




「ああ」という返事だけが、静かな森の中で、小さく前から聞こえたような気がした。











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