異世界の愛を金で買え!
本音と建て前
「これで、いいのでしょうか」
一日の作業を終え、ハチとアイファは既に自宅へと帰っている。佐三は「出張で疲れた」と言ってすぐさま自室のベッドへと飛び込んでしまった。
みんなの中でそのままぼんやりとソファに座っていたベルフにイエリナは声をかけた。理由は勿論、佐三の提案についてである。
「わからんな」
ベルフは低い声で答える。
「わからないって……」
「わからんものはわからん。……だが思うところがないわけでもない」
ベルフはそう言うといつものようにソファに横になる。この寝心地のいい長椅子はベルフにとって最高の居場所の一つである。
「私は……反対です」
「だろうな。あの場にいた全員が完全に納得したわけじゃないだろう」
イエリナの言葉にベルフが答える。
「ではどうすれば……」
イエリナが質問する。しかし返ってくるのは「わからん」というベルフの言葉だけであった。
イエリナは今日言われていた佐三の言葉を思い返す。いずれにせよ盗賊団や従業員の保護、かの小領主への対応は急務であった。
(でも盗賊や小領主と直接戦おうとすればどんなに圧勝でも必ず被害が出る。従業員をなるべく安全に取り戻そうと考えれば、武力や暴力による解決は問題になってくる)
イエリナは「んー」とうなりながら頭を抱える。考えれば考えるだけ佐三の考えが正しいもののように感じてしまう。
(長として、非情な判断はやってきたつもりだったけど……私も随分と変わったものね)
以前この町が包囲され、住人が度々拉致されたときも、イエリナは救出することを選択しなかった。その数人のためにこの町の戦闘員を動かせば町を守れなくなることが分かっていたからだ。全体のために、少数を犠牲にし続けたのである。
(以前はこの町のためだったけど、今度は知りもしない領民のため。優しいと言えば聞こえはいいけど、甘くなったとも言える。それにこの考えが正しいとも言えない。下手な甘さは、被害を拡大させてしまうのだから)
イエリナはただひたすらに悩み続ける。理屈では、理論では、頭の中では、佐三の言っていることや目指していることは理解できるのだ。しかし心の部分でどうしても納得することができなかった。
「なあ」
あまりにも長い時間悩み続けているイエリナにベルフが助け船を出す。
「なに?」
「これはサゾーの言葉だが、『えてして机の上で考え続けても答えは出ない。判断がつかないなら足を動かせ』だそうだ」
「………」
「ゲンバシュギが基本の基本だとかも言っていた気がするが……まあ深いことは知らん。とにかく他の連中にも話を聞いてみればいいんじゃないか?」
ベルフの言葉にイエリナは少し下を向いて考える。そして何かを決めた表情をして政務室を出て行った。
(これでゆっくりとできるもんだ)
ベルフは出て行くイエリナを目で送りながら、大きく伸びをする。実のところベルフは佐三の考えには概ね賛成している。というのもベルフの価値観は佐三と会ってから大きく変わっている。踏み越えてはいけない一線は譲らないものの、そこを越えなければベルフもベルフでそれなりにドライな考え方ができるほうであった。ただイエリナの手前、明確に佐三に賛同することは避けたのである。
(ま、人は言っていること、やろうとしていることが本心とは限らないってことだな。俺もアイツも)
ベルフは大きな欠伸をしながら再び大きく伸びをした。
「それで私の所に来たと」
アイファは弟妹の喧嘩を仲裁しながら答える。右では弟がはしゃぎ、左では別で弟妹が喧嘩している。四人の元気な弟妹をうまく処理しているアイファはイエリナにとって凄く新鮮で、とても自分では真似できない芸当に思えた。そしてアイファにそのことを伝えると「慣れですよ、慣れ」と笑いながら答えてくれた。普段仕事で見せる気配りや判断もこういうところからきているのだろうか。イエリナはそんなことを考えた。
「忙しいところ、悪いわね」
「いえいえ、いいんですよ。みんなもイエリナ様が来てくれたって喜んでくれましたし、おかげでさっきよりずっと静かになりましたから」
(私が来るまではもっとうるさかったのか……)
イエリナはますますアイファを尊敬した。
「イエリナ様、一緒に遊ぼうぜ!」
「こら、イエリナ様は用事があって来たの。礼儀正しくしなさい!」
「なんだよ、姉ちゃんは関係ないだろ!」
「仲の良い弟妹ね」
イエリナはアイファ達の様子をみてクスクスと笑う。自分には弟妹はおらず、両親も既にいない。家族の温かみがどこか微笑ましく、羨ましくもあった。
「そういえば、ハチさんのところには行かなかったのですか?ハチさんの宿舎の方が政庁からはずっと近いような」
「ああ、それは……」
イエリナは苦笑いをしながらハチとの会話を思い出す。「私は主殿に従うだけだ」。その一点張りの彼女はとりつく島もない様子であった。
「そうですか。でもハチさんも本当はどう思っているか分かりませんよ?」
「?何故そう思うんですか?」
「だってハチさんの尻尾、わかりやすいですから」
イエリナはふと昼間の様子を思い出す。普段であれば佐三の近くにいるときは尻尾を大きく揺らしているところあのときは妙に元気なくだらりとしていた。
(しかし本当によく見えているわね、アイファは)
イエリナは再度アイファに感心する。
「それに私も、できれば辛い思いをする人は少ない方がいいです」
「アイファさん……」
「佐三様の考えでは確かにこの町は潤い、危機は逃れられるかもしれません。でもどちらかが勝つということはどちらかが負けるということ。この町の商業が発展する一方で、ハチさんが元いた領地は更に貧しくなります。そうすれば働き口がなくなる人も。やっぱり仕事がないって、とても辛いことですから」
アイファは「難しいんですけどね」と最後に付け足す。アイファがこれまでにどういう経歴を辿ったのかはイエリナも知らされている。仕事に困って生きてきた身としては、多分に同情する部分はあるのだろう。
(やはり、このままではいけない)
イエリナはそう思い直した。
何ができるかはわからない。佐三の考え方や目的は非常に合理的で、そのアイディアも間違っているとは言えない。しかしその回答はあくまで優秀なものであっても満点の回答ではないのである。完璧でない以上、改善の余地は十分にある。
(あの人だったら、どう言うだろうか)
イエリナの頭に佐三の顔がよぎる。きっと「完璧な答えなんかあるわけないだろ」とか「現実的に考えて」とかバッサリ言うのだろう。
イエリナはそんな佐三を脳内でおもいっきり殴り飛ばした。
考えは決まった。あとは何ができるのか、少しでもあがくことである。
どこか吹っ切れた様子のイエリナに、アイファもうれしそうに微笑んだ。
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