異世界の愛を金で買え!

野村里志

観て、察すること







 トントントントントン




 指で小刻みに机を叩く音がする。それはリズムよく、そして徐々に強くなっていく。


 アイファは横目で音の主の様子をうかがう。イエリナはどう見ても不機嫌であり、尻尾を激しく左右に振っていた。


「ベルフさん、ベルフさん」


 アイファが小さい声で尋ねる。


「なんでイエリナ様、あんなに機嫌悪そうなんですか?」
「機嫌悪くなんてないですよ」
「ひぃ!」


 ベルフよりも早くイエリナが反応する。獣人族の聴力からでは内緒話など不可能である。イエリナは一見笑っているが、その言葉からは言いようのない苛立ちが漏れている。


「何かあったんですか?イエリナ様?」


 アイファが恐る恐る聞いてみる。


「別に、何もないですよ」
「そうですか……」
「……サゾー様があの犬を連れて二人で出かけてしまって留守にしているぐらいで、何も」
(それかあ……)


 アイファはなんとなく事情を察し、頭を抱える。


(どうも今日に限って二人を見ないとおもったわけだ)


 この日の朝一番で佐三とハチは出立していた。出かけてくることはベルフに伝えてあったのだが、ベルフが今日になってイエリナに伝えたこともあり、イエリナはついていくことも止めることもできなかった。もっともベルフが事後連絡にしたのは、ある種わざとでもあり、イエリナの方も本気で止めるつもりはなかったが。


(だからって、事前に言われるのとそうでないのじゃ、心の持ちようがちがうのに)


 イエリナは苛立ちを隠さず、走らせるペンにはいつもより力がこもっている。端でみているアイファにはペンが折れないか心配であった。


(しかし随分と懐かれたもんだな)


 ベルフはソファで横になりながらイエリナの方を見る。動物的感覚の問題か、アイファに言われるまでもなくイエリナの苛立ちはベルフには伝わっている。そしてその原因が佐三がハチを連れて二人で行ってしまったことであることも。


 これまでのイエリナであればそこまで気にもとめなかっただろうし、気にしたとしてもここまで素直に気持ちを表さなかっただろう。そういう意味では佐三を大領主のパーティーに行かせたのはよかったのかもしれない。そんな風にベルフは思った。


(しかし、この女も女で、ちょっと面倒だな)


 ベルフがそんなことを考えると不意にイエリナがベルフの方を見た。


(やべっ)


 ベルフは慌てて目を閉じ、狸寝入りをする。そしてしばらくしてから、薄目を開けてイエリナの様子を観察した。既に作業に戻っていたが、イエリナの勘にはどこか侮れないものがあった。


(サゾーもサゾーで、あの犬っころと一緒に出かけたりしたらこうなることくらい予想がつかんもんかね)


 ベルフは今はいない自分の主に心の中で恨み節を言う。もっとも彼がそんなことに気付く人間ではないことはベルフ自身が一番よく知っていた。女性に対する観察力が根本的に抜け落ちているのだ。


(ま、いずれにせよ佐三が帰ってくるまではのんびり休ませてもらおう。これからまたこき使われるだろうし)


 ベルフはそう思い、また静かに目を閉じた。




















「こちらが商人ギルドの印章です」


 佐三は門番に自らが商人であることを説明する。やはりギルドのお墨付きは地方でも有効なようですぐさま門番は通してくれた。


「随分簡単に中には入れましたね」


 ハチが聞いてくる。


「まあハチの顔が割れていないってのが大きいけどな」


 ハチは元から比較的裏の仕事をさせられていた。そのためこの町でも一般の人間にはほとんど知られていない。


「そうだとしても、獣人を連れている人間を疑ったりはしないのでしょうか?」
「まあ、商人にも獣人族の召使いを従えている人間がいないわけじゃないからな。それに何より商人の組合を敵に回したくはないんだろう。そう言う意味ではこの肩書きを高い金出して買った意味があったな」


 この身分を得るために佐三は二年近く時間をかけた。気の遠くなるような投資ではあるが今のところ十分にその価値を発揮している。


(美味しい蜜はいつだって既得権益にあり、か。どこの世界でも変わらんな)


 佐三はそんな皮肉めいたことを思い、乾いた笑いを浮かべる。そして早足で前へと進んでいった。ハチは何も言わず佐三の少し後ろをついていく。


「臭いはたどれるか?ハチ」
「はい。しかし私も最近来たばかりですから、その従業員の顔の判別までは……」


 ハチは少し申し訳なさそうに言う。そんな様子に佐三は笑いながら答える。


「ははは、馬鹿言うな。お前がいきなりそんなにできたらこっちが驚きだ。顔は俺が覚えているから、おおよその場所まで案内してくれ」
「……っ!わかりました」


 ハチは尻尾をローブの下で揺らしながら答える。今日は目立たないようにする意味をこめて耳と尻尾は隠れるような服を着ている。それは少し不便ではあるが、自分の感情が漏れないようにする意味ではいくらかありがたかった。


「主殿、こちらで……」


 ハチは先導したと思ったら、急に足を止めた。佐三は不思議そうに「どうした?」と聞いてくる。


「なんでもありません。さ、行きましょう」


 ハチはそう言って再び足を進める。しかし頭の中に一つの疑問が残っていた。


(確か資料によればあの事業に際して集められた人間は町の外から入ってきた人達が主だったはず。それに従業員は臨時の採用で40人近く新しく追加された。今回さらわれたのはその人達だ)


 ハチは静かに後ろを歩く、佐三の様子をうかがう。佐三はのんびり町の様子をみながら鼻歌交じりに歩いている。端から見るその姿は呑気な商人そのものだ。


(顔を覚えている?従業員の?それも臨時に出稼ぎに来た人々の?)


 徐々に臭いが近くなってきた。町にのこっていた彼らの持ち物から臭いを辿らなければとてもじゃないが分からなかった。臭いなぞ記憶しているものではないからである。


 そしてそれは顔の判別についても同じ事が言えるはずなのだ。この男を除いて。


「ハチ、頭を伏せて俺の後ろを歩け」


 佐三は唐突にそう言うとハチに頭を下げさせ、自分の後ろを歩かせる。そして佐三は少し前をゆっくりと歩いた。


「そろそろ顔を上げて良いぞ」


 佐三に言われてハチは頭を上げる。


「主殿、何を……」
「今通った奴、パーティーで見た。おそらくここの執事ってとこだろう」
「……っ?!」


 ハチは慌てて振り返りその後ろ姿を確認する。臭いまでは覚えてはいないが、あの姿はどこか見覚えがあった。


(直接会うことは少なかったから、気付かなかった)


 もっともハチが知らないだけで向こうは常に小領主の裏で控えていることもあり、ハチの顔は十分に認知している。加えて犬族が元々少ないこの領地では当然視界には入る。そうなればバレる可能性は十分にあった。


(とはいえ主殿よりも私の方が見た回数は多いはずなのに、不覚だ)


 犬族であるハチは佐三に比べればいくらか視力が弱い。したがって視覚による認知にはいくらか差はでて当然である。しかしそれでも佐三の観察力は並では無いことは理解できた。


 ハチは前を歩く佐三を見る。この町に来たばかりであるはずなのに正確に臭いの方へ歩いて行っている。どう見当をつけたのかはまったく分からないが、既に彼には従業員達の場所がおおよそわかっているようであった。


「多分この館だと思うんだが、どうだろう?」


 佐三が足を止めた先にはかつて自分が仕えた主の屋敷があった。


「臭いもこのあたりで強くなっています」


 ハチは次の指示を待つ。ここからの潜入は自分の仕事だ。自分の力を発揮する、よい機会である。


(ここで働き、自らの能力を示さねば)


 ハチは今か今かと佐三の言葉を待った。しかし佐三はいくらか屋敷を眺めると、すぐに踵を返して歩き出す。


「よし、一時撤退」
「へ?」
「ハチ、このあたりの宿屋を教えてくれ。なければ以前お前が住んでいた場所でも良い。……あ、でもこの辺りの様子を先に見ておきたいな」


 そう言うと佐三は呆気にとられているハチを置いて歩き出す。


「え、ちょっと、待ってください。主殿」


 ハチはすこししてから慌てて佐三を追いかけ後ろを歩いた。













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