異世界の愛を金で買え!

野村里志

閑話 それは一人の妻として







「酒だー!酒をもってこーい!」
「こっちには料理も追加だ!」


 祭りの最終日、広場では老若男女問わず人が集まり楽しんでいる。大人達は酒と料理を楽しみ、子供達は流れている音楽に合わせて踊っている。そしてその子供達の中で一際楽しそうにしているナージャの姿があった。


 白と黄色を基調としたドレスは周りの男子諸君の心を射貫いたのだろう。ナージャの周りには踊りを求める男子達が列をなしていた。


「サゾー様、こちらでしたか」


 佐三が政務室から広場の様子を眺めているとイエリナが声をかけてくる。


「イエリナか。広場で楽しんでこなくて良いのか?」
「ええ。楽しいのですが、流石に少し疲れてしまったので」


 イエリナははにかみながら答える。佐三は「そうか」とだけ答えてまた窓の外を見た。


「よかったのですか?あんなに貸し出して?」


 イエリナはドレスを身に纏い楽しそうに踊っている町の女の子達を見ながら質問する。


 今回ドレスを貸し出しているのはナージャだけではない。佐三の計らいで一定の年齢の町の女子全員に無料で衣装を貸し出している。無論子供用とはいえ、ここでの衣類はそれなりに貴重であるため、安い出資ではなかった。


「子供の頃の記憶っていうのは、かなり残るもんだ。だからこそ村の子供達に貸し出すのも、長い目で見たら効果的な広告だ」


 佐三は元いた世界の某ファーストフード店の戦略を思い出す。子供の味覚にうったえかけたその味は、今では世界一の規模をもつのだからその戦略は侮れない。


「でも宣伝効果だけなら、ナージャや数名だけに貸し出せばよいのでは?」


 イエリナが聞いてくる。佐三はぽりぽりと頭をかきながら答える。


「……ナージャが変に恨みや嫉妬を買っても、つまらんだろ。他の子にしたってそうだ。配るなら範囲を決めて、全員に配らなきゃな」


 イエリナはその言葉を聞いてうれしそうに笑う。佐三はその様子に「分かってて聞いたな」と不満そうな表情を浮かべた。


 広場を見るとベルフが楽しそうに酒を呷っている。どうやら町の男達と飲み比べをしているようであった。はじめこそ人狼として疎まれていたが、今ではすっかり打ち解けている。というより、どこの世界でも男達はそんなものなのかも知れない。みんなで酒を飲み、卓を囲い、バカをやれば、もうそこに種族の違いなんて無いも同然である。


 しばらく黙って町の様子を見ていると、イエリナが話し始める。


「……サゾー様、すいませんでした」
「ん?何がだ?」


 唐突に謝るイエリナの方に佐三は向き、不思議そうに尋ねる。


「今回の件、無理して来ていただいて」
「なんだそんなことか。気にするな。別に無理して行ったわけじゃない。俺にも行く理由があったからだ」


 佐三は佐三なりに気を遣わせないように答える。もしベルフがいたならば「イエリナのためだからな」と答えるべきだと言わんばかりに背中を叩かれていただろう。しかし今日に限っては人狼も酒を呷ることに夢中であった。


「それと、アイファさんの時に、顔をはたいてしまったことも」
「え?」


 佐三がきょとんとした顔で答える。佐三にとってはとっくのとうに片のついた話であり、イエリナが気にしていたなどとは夢にも思っていなかった。


「『え?』とはなんですか。……気にしていたんですよ」


 イエリナが少し不満そうに言う。そんなイエリナの様子がどこかおかしくて、佐三はつい笑みをこぼしてしまう。


「はっは。まさかそんなことを未だに気にしていたとは……」
「もう、笑い事じゃありません」


 佐三は楽しそうに笑い、イエリナもはじめは不満そうにしていたが、徐々に佐三につられて笑いだした。


「なあ、イエリナ」


佐三が語りかける。


「今は別に二人しかいない。そんな丁寧に話さなくていいし、気も使わなくていいぞ」
「別にそんなつもりは……」
「ないか?」


 佐三の質問にイエリナは黙り混む。無いといえば嘘になる。


「でも……私は……」
「私は、何だ?」
「私は、いえ、この町を含む全員が貴方に命を助けてもらった身です。馴れ馴れしく、ましてや対等になどとは……」
「…………」


 イエリナは少しうつむき加減に顔を伏せ、上目遣いで佐三の側を伺っている。佐三は頭をかき、余所を向きながら考える。


(こっちとしてはそう思っててもらった方がいいんだろうがな……)


 優位な立場をとっておけば、なにかと便利であることは間違いない。むしろビジネスにおいてはその優位性こそが利潤の源泉になるのだ。逃す手はない。


 しかし今の佐三にはどうしてもそんな気にはなれなかった。


「なあ、イエリナ」


 佐三が語りかける。


「俺のこと、どう思う」
「へっ?!」


 イエリナは急な質問に毛が逆立つ。佐三のまっすぐな瞳がイエリナをのぞき込んでいる。イエリナの顔が徐々に熱を帯びていた。


(えっと、どうしよう、何て言えば……そんなこと考えたこと……)


「自分より上の人間だと思うか?」


 佐三の質問にイエリナは「へ?」と声を漏らす。そして次第に質問の意図を理解し、恥ずかしさを覚えていった。


(なんだ、そういうことか)


 イエリナは少し居直してから佐三に向き直り答える。


「正直なところ、少し……いや、ずっとずっと高みにいる人だと思います。リーダーとしての能力は私なんかとは比べものになりません。長として、契約を結んでいる相手にこんなことを言ってしまうのは、なんだか情けない話ですが」


 イエリナは少し笑いながら答える。そんな様子を見ながら佐三は答える。


「俺は、そう思っていない」
「へ?」
「俺はあくまで、お前とは対等だと思っている」


 佐三が続ける。


「確かに、戦略や実績からしてみればイエリナより俺の方に分があるかもしれない。俺は元々もっと大きな組織を率いていた人間だ。経験値で既に差がある」
「そう……だったのですか」


 イエリナは「道理で」といった様子で頷く。


「だがな、だからといって俺が偉いわけじゃない」
「っ?!」
「俺はあくまで取引をしているに過ぎない。契約に優位性はあっても、上下はない。それが原則だ。あくまで己の意志で結んでいるに過ぎない」
「それはどういう……」
「ベルフは俺の部下ではあるが、奴隷ではない。従業員だが、家来ではない。あくまであいつの意志が全てだ。みんなもそうだ。あくまで自分の意志でここにいる。少なくとも俺はそうあってほしいと願っている。……まあ現実は難しいがな」


 佐三は少し自嘲気味に笑い、話を続ける。


「イエリナやこの町の住人は、俺に助けられた。だが、おれだってそうだ。イエリナがいなければ刺されて死んでいただろうし、それ以前にどこかで野垂れ死んでいたかもしれない」
「そんなこと……」
「あるね。間違いない」


 イエリナは言葉を遮られ、佐三は楽しそうに笑っている。イエリナも「もう」と不満そうにしたが、先程同様佐三の笑いにつられて、徐々に笑みがこぼれていた。


「サゾー様」


 すこし間を置いてからイエリナが質問する。


「どうして、そんな話をしてくれたんですか?話さない方が、何かと便利なような」
「お、イエリナも分かってきたな?」
「もう、茶化さないでください!真面目な話です」
「そうだな……」


 少し考えてから佐三が答える。


「なんとなくかな」


 そう言う佐三の目にはふざけているようでどこか寂しそうな心が見え隠れしていた。そしてそれはイエリナにもはっきりと伝わった。


(この人は……)


「まあ、何にせよだ」


 佐三が話し始める。


「変に気を遣わなくて良い。こっちとしても疲れるからな」


 佐三はそう言って立ち去ろうとイエリナに背を向ける。その堂々とした背中は先程以上に寂しそうであった。


(このまま立ち去らせてはいけない)


 イエリナは考えるよりも早く、体が動いた。




「へっ?」




 後ろからの人肌の感触に佐三は情けない声を漏らす。見るとイエリナが後ろから抱きついていた。


「イエリナ?お前、何を……?」
「あ、えっと、その……」
「いや、こっちが聞いているんだが」


 された側より、した側が慌ててどうすると言わんばかりに佐三はイエリナを見る。顔は見えないが力強く抱きしめられており、身体に触れるイエリナの感触から、その気持ちがなんとなく伝わってきた。


「イエリナ、そろそろ……」
「…………」


 イエリナは断固として放そうとしない。勿論佐三の腕力では剥がすことも不可能であった。


「私には、貴方しかいません」


 イエリナが話す。


「私は……、少なくとも私は、自分の意志でここにいます」
「いいのか?そんなことを言えば、余計に……」
「いいんです」


 イエリナが続ける。


「上とか下とか、関係ないんです。契約とか長とかではなく、一人の……あなたの妻として、私はいるんです」


 そう言ってイエリナは手を放す。振り返ると耳まで熱くなっていそうな、イエリナがそこにいた。


「じゃあ、まずはその丁寧な口調を直さないとな」
「えっ?!」
「だってそうだろ?俺の地域じゃ妻に『様』なんてつけさせてないからな。流石に堅苦しすぎる」


 佐三はケラケラと笑いながらイエリナを見る。少しうつむきながらドギマギしているイエリナはいつもの大人びた様子とは異なり、少女のように可愛らしかった。


「…ゾー」
「え?なんて?」
「……サゾー」
「きこえないな」


 佐三が楽しそうにからかっているとイエリナがわなわなと震え出す。すると予想だにしないグーパンチが佐三の顔面に飛んできた。


「ぐえっ!」
「調子に乗るな!」


 佐三は痛みに顔を抑える。イエリナは腕を組みながらそっぽをむいていた。


「何すんだいきなり!顔がもげるかと思っただろ!」
「貴方が悪いんです!あまりにもからかうから!」
「それにしたってグーはないだろ、グーは!自分の力考えたことあるのか!」
「しょうがないでしょ、出ちゃったんだから」
「何だと!」
「何よ!」


 二人はそれだけ言うと、黙り出す。そしてしばらく沈黙が続いた。


「ぷっ」
「ふふっ」


 ほとんど同時だっただろうか。お互いに笑いはじめ、次第に大声で笑い出した。


「はっはっはっはっは」


 二人は楽しそうに笑う。佐三にとって、イエリナがこんなに楽しそうに笑っているのをみたのは初めてであった。


「なんだか喉が渇いちまった。広場に飲みに行かないか」


 佐三がイエリナを誘う。イエリナは答えるまでもなく先に歩き出した。


「やれやれ」


 サゾーは頭をかきながら呟く。そしてぼんやりとイエリナの後ろ姿を眺めていた。いつもイエリナが自分の後ろを歩いていたからだろうか。イエリナの後ろ姿を見るのは随分と久しぶりのようにも感じた。


「ほら、早くしないとお酒もなくなってしまいますよ。サゾーさ……」


 そこまで言ってイエリナは口を閉じる。佐三は何事かときょとんとした顔でイエリナを見る。


 イエリナは「こほん」と軽い咳払いしてから言い直した。




「サゾー」




 イエリナはそうとだけ言うと少し早歩きで政務室を出て行く。


「こんな顔じゃ行けないな」


 佐三が小さく呟いた。











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