異世界の愛を金で買え!

野村里志

猫耳のシンデレラ











「わー、イエリナ様、見て見て!」


 大領主の屋敷には多くの貴人達が集っていた。それぞれが教会や領地の重鎮達でありイエリナの位はその中でも下の方であった。


 人々は皆着飾り、美しい衣装を身に纏っている。彼らは自分の価値を信じ切っており、全員が全員自信に満ちあふれていた。


 そんな中イエリナは、自分だけが別の世界の住人であるように思われた。


「こら、ナージャ。あまりはしゃいじゃダメよ。私たちは招待こそされているけど、主役ではないの」
「えー!そんなのつまんない!せっかく綺麗な服もサゾー様に用意してもらったのに」


 ナージャは自分の気持ちをまっすぐに表現しながら、不服そうにしている。イエリナはそれをたしなめながらもどこか羨ましくも感じた。


(いけない。私は私の役目を果たさなくては)


 イエリナは思い直し、気持ちを切り替える。


「さあ、ナージャ。大領主様や他の方々に挨拶に行きましょう」
「はい。イエリナ様」


 イエリナはナージャを伴い、挨拶回りに出向く。しかしこれはこのパーティーの最大の困難でもあった。














「はー。やっと終わったわね」


 イエリナは一通りの挨拶を終えて、パーティー会場の端の席に座っていた。イエリナは一仕事終えてやっと緊張から解放されている。


「イエリナ様……」


 そうしたイエリナとは対照的にナージャが悲しそうな顔をしてこっちを見ている。


(ナージャにとっては初めてのことだから……しょうがないわね)


 イエリナは優しくナージャの頭を撫でる。


 イエリナはこの会場にいる中でナージャや他の従者を除けば唯一の獣人族である。それだけに風当たりが強いのは当然でもある。これは何もイエリナに始まったわけではなく、その父親や祖父、その祖先まであの町が猫族の町として生まれてからずっとである。


(しかし今日はいつにもまして嫌みや皮肉が強かったわね。まあおじいさまはワインをかけられることもしばしばと言っていたから、昔に比べればまだマシになった方ではあるのでしょうけど)


 イエリナはナージャの様子を見る。先程の浮かれた表情とはうってかわって、今にも泣きそうであった。


 ナージャは十分すぎる程に賢く、それだけにイエリナがこれまでに耐えてきた言葉や扱いを察するのは容易かった。そしてただ自分が浮かれていたことが申し訳なくなってしまったのである。


「ナージャ、そんな暗い顔しないの。せっかく綺麗にしてもらったのに、台無しよ?」
「イエリナ様……ごめんなさい」


 ナージャは先程以上に泣きそうな顔をしている。ここに連れてくるべきではなかったかもしれない。イエリナはそんな風にも感じた。


 彼女にもこんな思いをさせる必要はない。長である自分が背負えばいいことである。イエリナはそう思った。


(来年は一人で来よう。それがいいわ)


 イエリナはそう考え、ワインでも飲もうと召使いに手を挙げ合図をする。ついでにナージャにもなにか飲み物をもらってあげよう。そう考えていた。


 パーティーの運営に雇われている召使いはイエリナに気付き、近づこうとするも他の貴人によって止められる。そしていくらか言葉を交わした後、そのまま回れ右して戻ってしまった。


(下らないことをするものね)


 イエリナはニヤニヤと笑みを浮かべながらこちらを伺っている貴婦人達を遠目に見つめながら立ち上がる。本来イエリナ達客人が自ら立って動く必要などないのだが、このままでは永遠に酒にありつけることもないだろう。ナージャのための飲み物の一つでももらわなければならない。そんな風に思いながらイエリナはただ静かに歩いていく。


 しかしある召使いの横を通ったとき、不意に足をかけられてバランスを崩された。


(……っ?!)


 バタンという音と共にイエリナは強く転ぶ。ナージャがそれを見て慌てて駆け寄ってきた。


(右肩の痛みで上手く手が付けなかったわね)


 イエリナは痛みを堪えながら立ち上がる。足をかけた召使いは何食わぬ顔で別の招待客に対応していた。


「あら、だいじょうぶですの?」


 見ると先程の貴婦人達が近くまで来ている。この時点で誰の差し金かは理解できた。


「いえ、お気になさらず」


 イエリナがニコッと笑い、答える。


「あら、無理しなくて良いですのよ」
「そうそう、普段から着慣れないドレスに靴を履いているのですから」
「人間の真似は辛いでしょう」


(なんともわかりやすい連中だ)


 イエリナはただただニコッと笑いながら夫人達の嫌みに耐えていく。実際問題右肩の痛みでうまく受け身をとれなかったのは事実だ。それは無様な転び方ではあっただろう。


 しかし殊この嫌がらせに関してはさほど気にならなかった。その右肩の痛みはどこか誇らしくもあったためである。




 丁度その時、大きな音楽が鳴り響く。


 舞踏会が始まった。






















「…………………」
「ほら、ナージャ舞踏会よ。もっと近くで見てくれば?」
「……………いい」


 ナージャはすっかり落ち込んだ様子で椅子に座り、小さく下を見つめている。あれほど楽しみにしていた音楽も、踊りも、今のナージャには何一つ響かなかった。


(悪いことをしてしまったかしら)


 イエリナはそう思いつつも、しょうがないことだとは思っていた。見たくないものを隠し通すばかりではナージャのためにはならない。いつまでも少女ではいられないのだ。わざわざ見せる必要はなかったかもしれないが、あえて隠すべきでもなかった。


 イエリナはナージャの隣で静かに座りながら綺麗に踊る人達を眺める。それは昔からの憧れの舞台であり、いつもはどんなに辛くともその様子を見ることで心の安寧を保ってこれた。


 しかし今回に限ってはその舞踏会を見ても寂しさが募るばかりである。


(変ね。いつもはあれだけ心が躍っていたというのに……)


 曲が変わり、人々は入れ替わり踊り始める。各々はパートナーを代えながら思い思いに踊っている。


(いつかこの場所に自分も加わるのではないかと考えていたなんて……。バカね)


 イエリナの視界が徐々に滲んでいく。この輝かしい世界に、それどころかこの世界にすら、自分の居場所がないように思われた。


 音楽が変わる。この次が最後の曲であろう。はやく終わらないだろうか、イエリナはそう感じた。


 そんなときだった。
















 誰かが此方の方に近づいてくる気がした。どこか横柄でありながら、優しさを感じる足取り。心なしか息も切れている。急いでいたのだろうか。


 人々をかき分け徐々にその男は近づいてくる。イエリナは知らず知らずに耳を立て、その足音のする方へ目を向けた。雑踏や音楽の喧噪の中、その足音を聞き違うことだけはあり得なかった。


「失礼、お嬢さん。次の曲、私と踊っていただけますか?」
「サゾー様……どうして……」


 佐三は呆気にとられたイエリナの手を取りながら立ち上がらせ、エスコートする。そしてそのままゆっくりと群衆の輪の中へと向っていった。


 イエリナはそこでふと我に返り、足をとめる。自分にはこの場所は不釣り合いだ。それに佐三に迷惑をかけてはいけない。そう判断したためである。


「サゾー様、あの夜の願いは私の身勝手な願いでした。ですから……」
「うるさい。俺が踊りたいから踊るんだ。勘違いするな」


 佐三はイエリナの様子に少し呆れながらイエリナの手を強く引き、さらに足を進める。


「でも、私にはこんな場所、不釣り合いです」
「何故だ?」
「何故って……」
「じゃあ問題ないな」
「そうじゃありません。私は……獣人ですし、それに身分も」


 イエリナは自分らしくないと思いながらそんな弱音を漏らしてしまう。どこか否定してもらうことを期待する、そんな少女じみた自分が少し嫌でもあった。


 しかし佐三は何事もないかのようにその言葉を否定する。


「シンデレラだって大した身分じゃないだろ?」
「シンデ……何です?」
「おとぎ話のお姫様だって、王子様に見初められるまではプリンセスじゃないってことだ」
「それはあくまで物語で……」
「まあ物語は物語だ。だれもがプリンセスになれるわけじゃない。……だが、だからといってプリンセスを目指してはいけない道理はないだろう?目指す権利くらいはあるはずだ」




 「それに……」と言って佐三が続ける。


「お前は俺の嫁だ。たとえ契約であってもな。俺の嫁であるからにはそれ以上の卑下は許さない。たとえイエリナ自身でもだ」


 佐三はまっすぐイエリナを見つめ、そう告げる。イエリナはキュッと口を閉じ、何も言えなくなってしまう。そしてその隙をついて佐三はイエリナを連れて踊りを囲む人だかりをかきわけ中に入る。丁度その時音楽が止んだ。


「さあ、次の音楽で入るぞ」


 佐三の言葉もイエリナにはうまく届いてはいなかった。せめて足を踏まないようにしよう、イエリナはそう思った。


 佐三が手を差し伸べ、ダンスの準備に入る。イエリナも習っていたとおりにスカートをつまみながら備えた。


「サゾー様、よく私たちの場所が分かりましたね。この会場も、相当広いはずですのに」


「確かにな。だが会場で一番美しい女性を探したら、すぐに見つかったよ」


 佐三がニコッと笑いながら冗談交じりに答える。それがリップサービスであることは重々分かっていはいたが、それでも心が高鳴る自分がいることをイエリナは認めざるを得なかった。


 音楽が鳴り始める。周りの人々が徐々に踊り始めた。


「ところでサゾー様、踊ったことは?」


 イエリナは妙に自信ありげながら、どこか風変わりな様子で構えている佐三に質問する。


「ん?まあ、任せとけって」


 佐三が続ける。


「元の世界では覚えざるを得なかったからな。社交ダンスからアイヌ舞踊までなんでもござれだ」


 そう言って二人は踊り出す。


「イエリナ様……きれい……」


 流れる壮大な音楽の中で、ナージャのうれしそうな声がイエリナには聞こえた気がした。















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