異世界の愛を金で買え!

野村里志

Shall We Dance?

 






(私はどうしてあんなことを聞いてしまったのだろうか)


 イエリナは馬車に揺られながら、自分のした行動について振り返る。たまたまあの日、二人になる機会があった。そして話している内に、ふと出てしまったのがあの言葉であった。


 佐三は丁寧に断った。その理由も、わかりやすく合理的であった。イエリナは十分それが分かっていた。


 ただそれでも聞いてしまった。もしかしたら、という願いを込めて。












「イエリナ様、パーティー楽しみだね!」


 隣に座るナージャがうれしそうにはしゃいでいる。この年頃の女の子にとってあの場所は特別だ。華やいだ会場に着飾った人達、そこはまるで世界全体が輝いているような場所だ。さしずめこの馬車は物語にでてくるお姫様の馬車だろうか。舞踏会にむかうお姫様に、ナージャは自身を投影しているのかもしれない。


 イエリナは「そうね」と笑いながらナージャに答える。うまく笑顔が作れているだろうか。イエリナはそんなことを考えていた。


「……サゾー様も来れればよかったのに」


 ふとナージャが呟くように話す。


「そうね。でもしょうがないわよ。また来年来れば良いわ」


 ナージャは少し寂しそうにしながら窓の外の景色を眺めている。この子は純真無垢な少女の一面を持つ一方でたまにこうした大人の側面を覗かせる。イエリナはあらためてナージャの賢さを見た気がした。


(でも、きっと来年も……)


 イエリナは今後佐三と踊ることはない、そんな気がしていた。事業が大きくなればそれ以上に忙しくなるであろう。そして事業が大きくなり、彼の名声や富は益々大きくなっていくはずだ。それだけの実力を彼はもっている。


 そしてそうなればこの小さな獣人族の町にとどまる理由はない。元々利益のための契約なのだ。彼は次の年にはもうこの地にいない可能性だってある。イエリナはそう思った。


(私が聞きたかったのは……ひょっとして……)


 イエリナは自分がどうしてあの夜に、あんなことを聞いてしまったのかを考える。パーティーに来てくれるか、踊ってくれるかなんてことはどうでもよかった。ただ知りたかった。自分が彼にとってどういう存在なのか。


 そしてきっと信じたかったのだ。自分が彼にとって替えのきく人間ではないのだと。


「イエリナ様?」


 ナージャが聞いてくる。つい考え込んでしまったと、慌ててナージャに「なに?」と聞き返す。


「イエリナ様も……つらい?」


 その少女のまっすぐな瞳に自分が映る。


(この子は本当に賢い子だ)


 おそらくナージャもつらいのだろう。佐三が来ないことも、そしてそれでイエリナが悩んでいることも。


 イエリナは気を遣わせてしまったと反省し、大きく笑って「そうね。でもしょうがないわよ」と答える。


 割り切らなければいけない。自分は長であり、町を守らなければいけないのだ。


 恋など、自分がするものではない。イエリナはそう考えた。




















「サゾー、今し方イエリナ達一行が大領主のところへ向ったぞ」
「わかった。報告ありがとう」


 佐三はそう言いながらただ窓の外をぼーっと眺めている。ここ最近ずっとこんな調子だ。ベルフはその異変にとっくに気付いていた。


「サゾー」


 ベルフが問いかける。サゾーは何も言わずただただ黙っている。


「今なら間に合う。パーティーへ行ってきたらどうだ」


 ベルフは佐三にそう提案する。そして少ししてから佐三が返事をした。


「それはできないといっただろ」
「ああ。だが今のお前じゃここにいても仕事にならないと思ってな」


 ベルフが皮肉交じりに言う。アイファは用があって外に出向いている。彼女が帰ってくる前にベルフはケリをつけるつもりでいた。


「何があった?」


 ベルフが質問する。


「別に、何もないが」


 佐三はそっけなくそう返事をする。ベルフはその返事を聞いておもむろに佐三の首根っこを掴み、持ち上げた。


「っ……?!」
「もう一度聞く、何があった」
「何もって…………わかった!いいから下ろせ」


 ベルフが下ろすと、佐三は軽く咳き込む。ベルフはただその様子を静かに眺めていた。


「イエリナに頼まれたんだ。パーティーに一緒に来てくれないかって」


 ベルフはその予想外の行動に少し驚く。彼女は理知的でかなり自制的だ。自分の立場や状況が分からないほど愚かではない。その上で聞いたのだ。


「それで断ったのか?」
「そりゃそうだ。方針は変わらない」


 佐三はそう言ってソファに座る。しかしベルフはそこで終わることをよしとはしなかった。


「何故だ?何故断った」
「何故って……言ったろ?今の状況を。そんな呑気な状況じゃ」
「そんなことあの女だってわかっているだろう。その上で聞いてきたのだ。お前にそれがわからないはずがない」


 ベルフの言葉に佐三は黙る。そしてベルフから視線を逸らした。


「良いから行け。今ならば間に合う」


 ベルフは再び催促する。


「彼女なりの願いがあったのだろう。ならば行くべきだ」
「それはできない」
「何故だ?あの主神教のお偉いさんを迎える方が大事だからか?」
「……そうだ」


 ベルフは拳を握り、佐三の顔に一発お見舞いする。鈍い音とともに佐三がソファから転がり落ちた。


「……随分痛い一撃だな」
「そりゃそうだ。そうなるように殴ったからな」


 佐三はベルフを正面に見ながら立ち上がる。やっとまともに話せる。ベルフはそう感じた。


「ではもう一度聞くぞ。何故イエリナの申し出を断る」
「簡単な話だ。これ以上イエリナに踏み込むことはするべきではないからだ」
「何故だ?お前達は夫婦になったのであろう?」
「そうだ。だがそれも永遠ではない。お前だって分かっているだろう」


 佐三が答える。ベルフは佐三の言わんとしていることがなんとなく掴めてきた。


「お前、まさか」
「前にも言ったなベルフ。必要性と代替性だと。人の立場はそれで決まると」


 佐三は続ける。


「彼女にこれ以上踏み込めば、彼女の代替性が効かなくなる」
「お前、それを本気で言っているのか」
「そうだ。随分昔にも言っただろう。全てのもの代わりはいると」
「それが妻や子供でもか?」
「そうだ」


 「バチン」という音と共に佐三がベルフに殴り倒される。その音を聞いて廊下からアイファが駆け込んでいた。


「なんですか今の音……ってベルフさん?!」


 目の前には倒れている佐三と、しゃがみながらその首元をつかんでいるベルフがいた。


「何しているんですか!」
「うるせえ!女は引っ込んでろ!」


 聞いたこともないようなベルフの剣幕にアイファは驚く。しかしそれでも止めなければと近づこうとすると佐三が手で制止した。


「ベルフ、お前は二度も俺を殴った。この始末どうつけるつもりだ?」
「謝りはしない。俺は契約に従ったまでだ。お前こそ前に言ったことを忘れたか?『一つ、イエスマンはいらない』。雇用契約の第一項だ」


 両者は互いに睨み合い、引く気配を見せない。アイファはどうにかしなきゃと思いつつも踏み込めないでいた。


「サゾー、お前は前に言ったな。『代わりなんていくらでもいるさ』って。あのときの俺はその言葉に救われた。だが今、その言葉がお前を苦しめている」
「何を知ったことを」
「知ったことをだと?お前が一番分かっているんじゃないのか。お前自身いやなのだろう?自分が替えのきく人間になってしまうことが。力を失うことが。そして恐れているんだ。彼女が替えのきかない人間になってしまうことが」
「貴様!」
「やっと感情が見えてきたな!お前らしくもないが、それでいて一番お前らしい」


 佐三がベルフに殴り返す。しかしいつぞやの時と同様、軽くいなされ、反撃を喰らってしまう。


「サゾー、もう一度聞く。どっちが大事だと思っているんだ?」


 佐三は何も言わずただ黙っている。その時ふと前にイエリナにマーケティング戦略の初歩を教えたときのことを思い出す。自分の話を聞きながら、難しそうな顔をしたり、分かってうれしそうにしたり、そんなイエリナの表情が脳裏をよぎった。


「あと、もう一つ言っておく」


 ベルフが言う。


「俺はお前以外の所では働くつもりはない。これはあのときからまったく変わらないことだ」
「……それでは俺に主導権を握られることになるぞ?」
「知ったことか。俺は力関係に基づく対等なんて欲していない」


 ベルフは続ける。


「どっちが上とか下とかじゃない。信頼関係の基づく対等な関係を、俺は求めているんだ」


 ベルフのまっすぐな言葉に佐三はただただ黙っている。ベルフもそれ以上は何も言わず、佐三から手を放した。


「ベルフ、仕事がある」


 佐三が口を開く。


「何だ?」
「スーツを着て、主神教のお偉いさんを歓待する仕事だ。いまから三日以内に様々な人間の作法を身につけなければならない。あとついでに護衛もしなきゃならない。正装のままでな」
「反吐の出るような仕事だな」


 ベルフは笑って答える。佐三もそれをみて小さく笑った。


「だが雇用主のお達しじゃ仕方ない」


 ベルフはそう言って佐三に手を差し伸べる。佐三はその手を取り立ち上がった。


「さっさと教えろ、サゾー。時間がないのだろ?」
「ああ。お前は物覚えが悪いからな」
「お前の鈍さには及ばんよ」


 そう言って二人は笑い出す。始めは小さく、そして徐々に笑い声は大きくなり、最後には政庁に響き渡るのではないかというぐらい大きくなった。アイファは殴り合っていたかと思ったら、今度は仲良く笑い出した二人を見て力が抜けるようだった。


「さて、じゃあさっさと教えて行きますか」


 佐三が続ける。


「町の長であるイエリナの頼みだ、経営者として……いや、」






「夫として、行く義務があるな」


 佐三がそう言うと、ベルフはただ静かに小さく笑みを浮かべた。




 のだったが……


















「だから、ゲストより先に座るなって言ってるだろうが!何度言ったら分かるんだ、バカ犬!」
「犬?!犬と言ったな!誇り高い狼に対して!」
「犬の方が覚えが良いわ!なんで同じ事何回も言わなくちゃいかんのだ」
「お前の教え方に問題があるんだろうが」
「何だと!」
「何だ!」
「もう喧嘩はやめてくださいー!」




 出発は少し後のことになった。











「恋愛」の人気作品

コメント

コメントを書く