異世界の愛を金で買え!
閑話 『三月目の浮気』
日常が帰ってきていた。
結局アイファは三日どころか一日も休まないうちに、町に帰ってきた。
視線を落とし、申し訳なさそうにするアイファとは対照的にイエリナとナージャは満面の笑みでアイファを出迎えた。
町は賑わい、政務室は業務に追われっぱなしではあったが、かつての様子が戻ってきたことは確かであった。
ただ一点を除いて。
「はぁ」
お昼時の政務室。それぞれは昼休憩をとっており、残っていたのはイエリナとそれを待っているナージャだけであった。
「イエリナ様、どうしたの?」
大きくため息をつくイエリナにナージャが質問する。イエリナは少し慌てたように笑顔を取り繕いながら「大丈夫よ」とだけ答えた。しかしまたしばらくすると手の進みが遅くなり、浮かない顔をしはじめた。
(イエリナ様、どうしたんだろう)
ついこの前アイファが戻ってきて、みんな喜ぶことはあっても、嫌なことはないはず。そう考えるナージャにはイエリナの様子が不思議でしょうがなかった。
ナージャは再びイエリナの様子をうかがう。少し集中して手を動かしては、ため息をついたり、ぼーっと考え事をしての繰り返しである。これでは待てど暮らせど終わりそうになかった。
この日は結局ナージャだけで昼ご飯をとることになった。
「で?俺の所に来たってわけか?」
ベルフは目をこすりながらソファから起き上がる。
「狼さん、この時間に寝てるなんて変だよ」
「いいんだよ。俺はどちらかと言えば夜型なんだ。昼間は寝てて当然」
外は日が傾き始めており、佐三は既に本日の仕事を切り上げていた。いつの間にかイエリナもおらず、今政務室にいるのはベルフとナージャだけであった。
「それで?」
ベルフが質問する。
「イエリナがどうしたって?」
「なんか最近おかしいの。妙にうわの空だし、なんか悩んでるみたいで……」
「ん?そりゃまたどうして?アイファだって戻ってきたろうに」
「わかんない。狼さん、なんか知らないかなって」
ベルフは今までの出来事を知る限りで思い出す。
(もしここ最近の出来事なら間違いなくアイファに絡んだことだろうけど……)
ベルフはいくらか考えてみるものの、見当がつかなかった。
「なんか他に情報は無いか?」
ベルフがナージャに質問する。
「うーん」
ナージャが顎に手を当てながら考える。その様子はどこか佐三が物事を考えているときの様子に似ていた。
(変なところで癖が移ってしまっている……。純真な少女がアイツみたいにならなければ良いが……)
「あっ」
「何か分かったか?」
ベルフがそんなことを考えているとナージャが手を思い出したような声を上げる。
「そういえば最近、イエリナ様いつも以上にサゾー様のこと見てるかも」
「となるとサゾー絡み……。あっ」
ベルフも思い出したような声を上げる。今度はナージャが「何か分かったの?」と視線を向けてくる。
「平手打ちの件か……」
ベルフの呟きにナージャが「あー」とだけ返事をした。
「じゃあ、イエリナ様、サゾー様を叩いたことを気にしてるの?」
「まあ、その可能性はあるな」
ベルフはそう言いながらその時の状況を思い出す。アイファがいないと知り、それぞれが慌てている中で佐三は冷静であった。ただ一方でその判断は冷酷でもあり、感情としてそれを受け容れられないイエリナが佐三に平手打ちをかましたのである。
(人狼族では女性が男性の、ましてや自分の夫に暴力を振るうなどありえないことだが……)
ベルフは違う種族故の文化の違いかと思い、ナージャに聞いてみることにした。
「なあ、一つ聞きたいんだが」
「なーに?」
「猫族では、女性の方が立場が強かったりはするのか?」
「立場が強い?」
「ああ。嬢ちゃんの……いや、嬢ちゃんの友達の家の父ちゃんと母ちゃん、どっちが偉そうにしてる?」
ナージャは少し考えた後に「お母さん」と答える。
「そうなのか?」
「うん。いつもお母さん達にお父さんはタジタジしてる」
(お母さん達……そうか元々この町は一夫多妻か)
ベルフは自分のかつていた場所と、文化がまるで違うことを再認識する。
(確かに人狼族は基本的に女は男の後ろを守るもんだ。女が前に出てくることはない。そういう意味ではイエリナは普通っちゃ普通とも言えるが……。まあでも十歳やそこらの子供の言うことを鵜呑みにしてもまずいか)
ベルフはそう考え再び、イエリナと佐三のことについて考える。しかし少し考えた後、さほど重要でない気がしてきた。
「ま、大丈夫だろ」
ベルフはそう言って再びソファに横になる。急に考える気を失ったベルフにナージャはすこし怒り気味に「もー!」と言っている。
「狼さん、真面目に考えてよ!」
「ああ考えてるよ」
「考えてない!」
可愛らしく怒るナージャを横目に、ベルフは大きくあくびをする。そもそもこの件が原因なのであればベルフは特に言うことはなかった。何故なら、佐三は叩かれてしかるべきだし、少しは叩かれて性根を治した方が良い、そう思ったのである。
(それにサゾーが、こんなことで怒ったりはしないだろう)
ベルフはこの部分においてはある種の確信があった。
「もう知らない!別の人に聞く!」
ナージャは「プンプン」と可愛らしく怒りながら、政務室を出て行った。大方自分の姉にでも話を聞いてもらうのだろう。ベルフはそんなことを考えながら大きく欠伸をした。
(どうせ外野がグチグチ言うことじゃない。それに……)
ベルフはイエリナが佐三に平手打ちをした時のことを思い出す。あのとき、確かにイエリナは佐三に意見していた。
(本来、あの女はもっと強気でいる女だろう。それが今まであんなにしおらしかったんだ。サゾーに気を遣い過ぎているのはあきらかだからな)
ベルフはイエリナが強く主張したことをさほど悪いことだとは思ってはいなかった。人狼族からすれば異常なことではあるが、佐三と出会ってから、随分と自分が変わった気がしていた。
「まあ夫婦喧嘩がひとつできるようになったんだ。マシにはなってるだろ」
そう言うとベルフは再びソファに横になり、徐々に意識を手放していった。
しかしベルフはあることを失念していた。人の噂がどういうものであるのか。
ナージャが姉に話した話は、尾ひれがついて町を回ることになる。
『イエリナ様がアイファ様のことでサゾー様を叩いた』
この事実は歪みに歪み、町の噂として出回ることになる。そして話は『佐三がアイファに手を出そうとしてイエリナに怒られた』と姿を変えていくことになる。
町の劇場で『銀狼に乗った王子様』の続編として『三月目の浮気』が上演されるようになったことは、また別の話。
「なんか最近、町の人が俺に冷たいんだが、なんか知らないか?ベルフ」
「さあ、わからん」
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