異世界の愛を金で買え!
素晴らしくも儚く、脆い日常
「アイファ、この仕事を頼む」
「はい」
「アイファさん、それが終わったらでいいのだけれど、こっちの書類もお願い」
「はい」
慌ただしい政務室、アイファはイエリナと佐三につられるように忙しく手を動かしていた。アイファにとってこの職場で学ばなければいけないことは多かった。数字を扱うのに最低限必要な計算能力、書類を理解するための専門的な知識、そしてそれを素早くこなす処理能力が求められていた。
元々働いていた仕事場で身につけた最低限の知識のおかげで何とかやってはこれているが、それでもなかなかにハードな労働であった。
(イエリナ様も佐三様も……すごい)
アイファにとってイエリナのその優秀な仕事ぶりは驚きだった。本来獣人族はさほど頭脳仕事にむいてはいない。それ故基本的にどの町でも肉体労働に従事している。しかし猫族が管理している町ということもありイエリナはそういった教育も受けてきているのであろう。イエリナは例外的に最低限の教養が身についているのである。
そして何より恐るべきは佐三の能力である。佐三はアイファに仕事の内容はおろか計算や用語など基本的なところから教えてくれている。そして一方でイエリナの仕事の最終チェックまでも行っている。さらには、そうした業務の傍らでアイファやイエリナが行っている事務作業の二倍近い量の仕事をこなしてしまってもいた。
(それなのに、あんなに涼しい顔して、休憩もしっかりとっている)
無論佐三は休憩をとるのはそれが最も効率的であると知っているからで、決して余裕があるわけではない。しかしそれを二人が知るよしもなかった。
(私も、もっと頑張らないと)
アイファは再び手を動かし、疲れ始めている自分の脳を精一杯稼働させた。
この町での仕事は決して簡単ではなかった。佐三はいつもアイファにベストを尽くすことを求めていたし、楽もさせてはくれなかった。
しかしきつい仕事ではあるが、アイファは決してやめたいとは思わなかった。佐三は要求が厳しい反面、決して無茶は言わなかったし、疲れていれば無理にでも休憩を取らせてくれた。イエリナはイエリナで自分の仕事で一生懸命になりながらも何かと気を回してくれた。イエリナの手伝い係であるナージャも「アイファ姉さん」と慕ってくれたし、寝てばかりいるベルフも夜に宿舎に帰るときは必ず警護として送ってくれていた。
そして何よりアイファは自分が必要とされていることが誇らしかった。今まで仕事を探す過程で足下を見られ、嫌な思いもたくさんしてきた。何とか見つけて雇ってもらったかつての職場でも、どこも自分の立場が低いということもありお世辞にも良い環境とは言えなかった。そうした環境の中で何とか這い上がろうと自分の能力をみがくと共に、要領よく仕事をこなす術を身につけてきた。
(かつては自分や弟妹達のためだけに働いていたというのに……)
アイファはせわしなく働いているイエリナと佐三を見る。今、自分が働いているのは勿論自分のためでもあるが、それと同じくらいこの町やこの人達のために役に立ちたいとも思っていた。そしてそんな自分がアイファにはどこか不思議にも感じてた。
「姉さん、楽しそうだね」
「え?」
食事中、不意に発せられた弟の言葉にアイファは食事の手が止まった。十日働き、三日ほどの休暇をもらうことになったアイファは弟妹達のいる村へと帰ってきていた。十分すぎるほどの給与をもらったこともありテーブルの上に並んでいる食事はいつもよりかいくらか豪華であった。
そんな食事に夢中になっている弟妹達の中で、一番年長の弟が発したアイファへの言葉はアイファにとって意外なものであった。
「どうしてそう思うの?」
アイファが聞く。
「だって僕らがいつも仕事のことを聞くと、今まではほとんど何も教えてくれなかったもん。ただ暗い顔で『気にしなくて良いわよ』っていうばかりで」
「そうかしら」
「そうだよ。だから姉さんいい職場に恵まれたんだなって」
弟はうれしそうに笑って、パンを頬張る。アイファは自分自身の変化に少し驚いていた。
「ねえ、姉さん」
「何?」
「あんまり、俺たちのこと気にしなくていいよ」
「……っ!?」
弟は続ける。
「姉さん、今の職場、楽しいんだろ?キツいって言ってたけど今の姉さん、俺が見てきた中で今一番生き生きしてる。俺、姉さんには俺たちにかまわず、もっと自由にいきてほしい」
「………」
「俺も親方に大分認められてきて、最近は少しだが給金ももらえるようになった。それに弟妹も大きくなってそれぞれ少しずつ自分のことができるようになった。だから今の仕事が嫌じゃないんだったら、今までみたいに仕事を変えずに、姉さんの好きなように続けて欲しい」
アイファは弟からはじめて聞く言葉に不意に目頭が熱くなった。「ずっとこんな状態が続けばいい」。そんな風にさえ思っていた。
(でも、そういうわけには……)
アイファは自分が稼いできた給金の入った袋を見る。給与としては十分すぎる程の額だが、必要とする量には足りてはいなかった。
(でも、このまま何もなければ……)
アイファは何も言わず席を立ち、自分の給金を床の下に隠した。そして少し考えてから両手で小さく自分の頬をたたいた。
(ダメよ。私がこんな甘い考えをもってちゃ……)
アイファは自分の中にもつ楽観的な考えを切り捨てる。自分が最年長であるという自覚があくまでアイファに現実を見させていた。
アイファはテーブルで楽しそうに食事をする弟妹達を見る。「これこそが守らなければならない現実であり、それ以上を望んではいけない」。アイファは自分にそう言い聞かせた。
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