トリップ女子高生はとにかく帰宅したい。

ねんねこ

08.

「えっ、あっ……」


 ――これはどうすればいいのだろうか。
 半分止まった思考回路の中、徐々に形を崩していく結界を呆然と見つめる。今まで、数々の脅威と対峙した記憶はあるが、生憎とこれが破壊された事は一度たりとも無い。即ち、どう対処すれば良いのか分からない。
 どうすればこの傷を修復できる?
 そもそも、後どのくらい保つ?
 自分の能力であるはずなのにそれら全てが定かでは無い。持て余している余裕がある内は良かったのだと、愕然とする他なかった。


 揺らめく炎の隙間、表情の無いリンレイの顔がチラチラと見える。それだけでも、この炎を鎮火してくれるつもりは無いのだと理解出来た。
 いつも助けてくれる仲間達は他の事で手一杯。それ以前に、最早これは珠希個人の問題とも言える。


「ひっ……!?」


 軽く現実逃避した瞬間、もう修繕は不可能。ゆで卵の殻が取れるように、結界の一部が剥げ落ちた。それは地面に辿り着く前に小さく煌めく粒子となって大気中に溶け消える。
 結界が力を失うと同時に、炎の勢いも弱まり、特に珠希を傷付ける事無く自然だが不自然に鎮火した。


「さあ、そなたを守るものは何一つ無くなった。そうであろう、珠希?」
「わ、私の事をどうするつもりですか!? いたぶって遊ぶつもり!?」
「そのようなつもりは無い。ただ――そう、火で焼け死ぬのは熱い。そうであろう? これは妾なりの尊重であるぞ」


 人命は尊重しないが、死に方は尊重するのか。そんな気遣いは欠片も要らないのだが、彼女がそれを汲んでくれるとは到底思えない。
 せめてもの抵抗、と睨み付けてみるも全く効果は無かった。当然である。


 片手に術式を編みながら、千年を生きたという有角族の彼女は大きく一歩を踏み出す。謳うように、何も心配は要らないとでも言い聞かせるかのように蕩々と言葉を紡ぎながら。


「安心せよ。フェイロンも、あのイーヴァという人間の娘も。そなたと共に居た者達は見逃そう。ただし、魔女の下僕の方は見過ごす訳には行かぬが」
「いや、それ以前に私自身が助かりたいんですけど」
「それは聞けぬ」


 やはり主張を譲るつもりは無いらしい。が、それはこちらとて同じである。
 珠希は手の平をリンレイに向けた。強者の余裕を持っている彼女はしかし、強者の慢心は持ち得ない人物だったと再認識させられる。
 ほとんど呼び動作無しに力を解放したはずが、それは彼女の素早い回避とフットワークにより、目標を掠る事無く地面をえぐり、炎の壁を僅かに振動させた。やはりこの謎の結界も実態が無いのだろう。上手く力を通す事が出来ない。


 リンレイは目と鼻の先、手を伸ばせば届く距離にまで近づいて来ていた。恐ろしく整った顔がこちらを見下ろしているのが分かる。その双眸には僅かな憐憫が含まれてさえいるようだった。


「あ」


 反射的に一歩下がった事によって、気付いた事がある。
 そういえばイーヴァから何かアイテムを貰っていた。ズボンのポケットに入っているそれは、足を動かした事によって存在を主張する。そういえば、ポケットに打開策用の何かが入っていたのだと。


 僅かに見えた希望に縋るように、とにかくリンレイから離れようと腕を振る。瞬間、パシリと片手を捕まえられた。恐ろしく力が強くて息を呑む。華奢な白い腕に見えるというのに、とんでもない力だ。
 ――マズいマズいマズい! イーヴァから貰ったこれ、どうやって使うの!? そもそも、今これ使って大丈夫? 使い方なんだっけ!?


 イーヴァの事だ、アイテムの使用法についてはきっと説明してくれているはず。記憶の糸を手繰ろうとするも、目の前の脅威が思考の邪魔をして上手く思い出す事が出来ない。
 半ば涙目になりながら、再びリンレイの見目麗しい顔を見上げる。僅かに唇を歪ませた彼女はぐっと距離を縮めてきた。


 外国人同士のハグでもするかのような距離感。術式を持っていない方の手で、幼子をあやすように頭をゆるりと撫でられた。ぞっとして息を呑む。小さな子供を落ち着かせるはずの行為に恐怖する日が来るとは思わなかった。
 術式を持った手が、背に回されるのを敏感に感じ取る。
 何よりも濃い死の気配を感じ、反射的に息を止めた。背後に回った術式が淡く輝くのを視界の端に捉える――


「……え?」


 呆然とした声を上げたのはリンレイの方だった。



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