トリップ女子高生はとにかく帰宅したい。

ねんねこ

05.

 ――物覚えの悪い頭が、ある種命の危機に際してパッと重要な記憶を甦らせた。これが人間の持つ防衛本能、等という獣じみた感覚なのかもしれない。


 そういえば、最初の最初。まだランドルが道中に加わったばかりの頃に得た情報。
 それによると、確か彼は「王都と賢者の橋渡し役」だったはずだ。つまり、彼の上司とは国であると同時にリンレイでもある。中間管理職なのだから。


 それを理解した瞬間、珠希は苦い顔でランドルからそっと距離を取った。地味にショックだし、最初の説明をきちんと思い出せていれば予想出来た事なのだが、それでも一時とは言え一緒に旅をした仲間。心にしこりが残るのは当然だ。
 他の面々も――


「あ、あれ……!?」


 恐るべき事に。どうやらランドルの裏切りというか、元鞘へ戻るという行為に衝撃を受けているのはどうやら自分だけらしかった。
 ロイはあっけらかんとして驚いているだけだし、ダリルは渋い顔。フェイロンは舌打ちを漏らしたのみだし、コルネリアに至っては「やっぱりな」と殺意満点の一言を溢しただけだ。最後の良心、イーヴァは無表情で何を考えているのか分からない。


 困惑していると、とんとん、と軽く指先で肩を叩かれた。この誰の気配でも無い気配は言うまでも無くバイロンのものだ。怖々と、その恐ろしい面の顔を見上げる。
 彼は手に持ったメモ帳を差し出してきた。


『何かしようとしていたようだが、どうした?』


 ランドル手製の術式の事を言っているらしい。
 先程まではそれを使って離脱する気だったが、これは果たして使って良いのだろうか。まさか、使用したが最後ギレットへぽーんと飛んでしまうのではないだろうか。


 魔法をある程度理解していそうなフェイロンに判断を仰ごうと、顔をそちらへ向けた所で今度はもっと強く肩を叩かれた。バイロンである。


「な、何ですか……!」
『あの有角族はリンレイ側に回る可能性がある。不用意に近付かない方が良い』
「あっ……」


 ――すっかり忘れてた。というか、頭から抜け落ちていた。
 ランドルの件に関しては、ある種ストンと状況を理解出来た。恐らく付き合いの長さ的な問題だと思う。


 だけど、フェイロンは。
 アーティアに流れて来て初めて出会った人物の一人であり、これまでも両手では数え切れない程に面倒を見て貰った。口調は変わっているし、ひねくれ者ではあるが自分を見捨てる事だけはしなかった恩人である。
 それが、まさか敵に回る可能性があるなどと微塵も考えが及ばなかった。


 見れば、リンレイもじっとりとフェイロンに視線を移している。その表情は如実に「お前はどうするんだよ」、と訊ねているかのようだ。
 一方で板挟み状態のフェイロンはと言うと眼を細め、見た事も無いくらいに険しい顔をしている。決め倦ねているような、まだ迷っているような。


「い、イーヴァ、どうしようか」
「どうしようもないね。こればかりは、私達は口を出せる問題じゃない」
「でも」
「言いたい事は分かる。けれど、リンレイは間違い無く有角族の重鎮。彼女を裏切るのであれば、二度とアグリアの地に帰れない事すら危惧する必要があると思う」
「そっか……」


 故郷を追放されるか、ぽっと出の小娘を救うか。
 あまりにも勝ちの薄い選択肢に、「お願いだから私と一緒に来てくれ」という厚顔無恥なお願いさえする気になれない。


 睨み合う有角族のお偉いさんを前に、ダリルがこちらへ移動して来た。彼はそもそもイーヴァの護衛という名目で着いて来ているからか、迷いのようなものは身請けられなかった。


 痺れを切らしたリンレイが、棘のある口調で言葉を紡ぐ。


「フェイロン。よいか、妾は珠希を殺めるつもりなど無い。ただ、『保護』をしたいと言っているのだ。まだ強硬手段に出ておらぬうちに、この場を納めよ。穏便に済ませたい」
「……珠希を『保護』してどうするつもりなのでしょうか。とても人道的に扱う気があるようには見えませんが」
「人道的に扱うとも。不自由はさせぬ。ただし、行動は制限させて貰うが。そうでなければ危険だ。とはいえ、そなたが人間の娘を気に掛ける殊勝な性格であるのならば、面会くらいなら許可して構わぬ」


 眉間に皺を寄せ、両目を閉じ、険しい顔で考え事をしていたフェイロンはややあって、その頭を横に振った。何かを否定するようでもあり、迷いを振り払うようでもある。どちらの方向へ何を振り切ったのかまでは伺えないが。


 苦い顔をしたフェイロンと、目が、合う。


「フェイロン……」


 引き攣った声が漏れた。合っていた目が瞬間的に逸らされる。更にもう数秒、何事かを考えていた彼はややあって重々しく決断を下す。


「……リンレイ様」
「うむ。身の振り方を決めたか」
「残念ですが、俺は今回、貴方にとっての敵のようです」


 やや予想外だった、そう言いたげにリンレイは目を細めた。ゾッとする程に美しい顔が、険のある顔をすると非常に恐ろしい。


「ほう……。ほう、そうか。そう来たか。珠希よ、そなた、随分と人望があるのだな? 良い良い、構わぬ。妾はそれを寛大に赦そう」
「随分と簡単に赦すと口にするあたり、貴方のその行動は我等有角族を単位とした行動ではないようですね。貴方の、個人的の目論見……違いますか」
「そなたの頭の良いところ、勘の鋭い所は好ましいが対岸に立たれると鬱陶しい事この上ないのぅ……」


 ――個人行動って事?
 流石に話が複雑化し過ぎて訳の分からない状態になってきた珠希は、こっそりと首を傾げた。如何に空気を読まない性質と言えど、今の状態でそれを聞く事は憚られる。



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