トリップ女子高生はとにかく帰宅したい。

ねんねこ

06.

 ダリル達と別れて、十数分くらい歩いただろうか。不意に前を歩いていたコルネリアが空を見上げた。隣の家で飼われている犬にそっくりな動きで笑いそうになったが、寸前で堪える。


「ど、どうしたのコルネリア」
「いやその前に何でお前半笑いなの、珠希。まあいいや、何か甘い匂い、してきたなって」


 ――え? いや全然匂わないけど。
 慌ててイーヴァを見るも、彼女もまた首を傾げていた。そうなってくると、誰の発言が正しいのかは黙々と歩を進めているフェイロンへと委ねられる。


 フェイロンは一瞬の逡巡の後、こう答えた。


「うむ。懐かしきアグリアの香よな。この芳香こそが、人の脳を溶かす」


 心なしか少し寂しげにそう言ったフェイロンは小さな笑みを浮かべている。哀愁漂う表情だが、感傷的な気分に浸っている場合じゃねぇぞと言わんばかりに珠希は口を開いた。


「いやあの、我々人類には何の匂いもしないんだけど」
「結界の効力であろうよ。とはいえ、どの程度保つのかは未知数だ。気分が悪くなったり、夢心地のような気分に陥った時はすぐに教えよ」
「こっわ……。そんな副作用があるんだ……」


 歩きながらぽつぽつとフェイロンは言葉を紡ぐ。故郷の気配が近づいて、感傷的な気分になっているのは明白だ。


「俺がまだ子供だった頃、一度だけ人間を連れ込んだ間抜けが居たぞ」
「はっ! そりゃいい! 結果を聞かなくても悲劇性の見え隠れしてる話は嫌いじゃないな」


 ケタケタと嗤うコルネリアの悪意が含まれた言葉に対し、話題提供者はただただ肩を竦めている。残念な事に、今回ばかりは魔族の言い分が正しい気さえした。


「あの時は何が楽しくて人の子をアグリアへ連れて来たのか分からぬが、まあ、今は頭から否定はせぬな」
「というと?」
「イーヴァよ、主等と旅するのも悪くは無いという事か。己の故郷に連れ込みたくなる気持ち、分からぬでもない」
「そう。フェイロンは最近、少し優しくなったと思う」


 イーヴァの思いの外、肯定的な一言に有角族の彼は苦笑を漏らしたようだった。何故、この危険な大地で和やかな雰囲気になっているのか。疑問は尽きない。
 というか――


「フェイロン、そういう発言はフラグっぽいから止めた方がいいよ?」
「ふらぐ?」
「そうそう。憎まれ口を叩いていた仲間が急に素直になったりとか、敵対してた人が実は良い人だったとか」


 ふん、とフェイロンは鼻を鳴らした。実にらしい振る舞いだ。ついでにこちらを振り返り、悪戯っぽい笑みをも浮かべる。


「ならば、そのフラグとやらは俺には関係ないな。いつだって素直に生きている」
「ええ? 嘘じゃん!」


 などと否定しつつも、一概に否定出来た発言ではないと悟る。割と気侭に生きている御仁なのだ、彼は。


 ――不意にフェイロンが立ち止った。大あくびしたコルネリアもまた、そこで足を止める。


「うむ、なかなかに長い道のりであったな。休憩は必要か?」


 意地の悪い笑みを浮かべたフェイロンが、そっと脇にずれた。見えた光景にゾッとして息を呑む。


「え、あ、そっか。これが……」


 ぽっかりと口を開けた大穴。底は見えない。というか、底など無いのかもしれない。黒々としたその大穴は見ているだけで吸い込まれてしまいそうな圧がある。ずっと見ていると気が狂ってしまいそうだ。


「うわっ!?」
「……? 珠希、急に驚いたような声を出して、どうしたの?」
「い、いや何でも」


 イーヴァが取り出した封具の鎖が腕に当たったのに、盛大に驚いてしまった。慌てて何事も無かったかのような顔を装ったが、コルネリアには気付かれてニヤついた笑みを手向けられる。
 ここへ来るまでに変な神経を使ってしまったが、今からがお仕事の時間だ。早急に作業を終え、ここから離脱しなくては。


 とはいえ、この形状を見るにどうして良いのか全く見当も付かないのでイーヴァの動きを見守る。



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