サイコ魔道士の変遷

ねんねこ

08.賢者様の冷やかし

 呆れていると、不意に鼓膜を靴音が打った。メンバーは全員一カ所に集まっているので、仲間の足音ではない。そしてその音はリカルデを除く全員とも気付いていたようだ。


「おや……どちら様でしょうか?」


 イアンの一言により、状況を瞬時に理解したリカルデが問いに考察を返す。


「まさか、室長殿が戻って来た、とか?」
「彼ならやりかねませんが、周りの者がそれを許可するとは思えませんね」
「確かに……」


 足音は迷いの無い足取りで、着実に自分達の方へと近づいて来ている。身構えるリカルデを余所に、人外2人の冷めた反応とイアンの無関心さは全くこの場にそぐわなかった。いつもの事だが。
 部屋の手前、つまりはドアの前でぴたりと足音が止まる。こちらを伺うような空気は感じられない。


 次の瞬間、躊躇いなくそのドアが開け放たれた。あまりにも堂々とした振る舞いに一瞬だけ思考が止まる。というか、やましさを感じない動作に毒気を抜かれたとも言えるだろう。
 果たして、現れた人物は前にも一度会った事がある人物だった。特に、ブルーノはサングラスの下にある顔を盛大に歪める。どう反応すべきか迷い、結果として無言を選んだような表情と言えばそれが正しいだろう。


「ルーファスさん……!!」


 賢者、ルーファス。《旧き者》として名を連ねるその人は、屈託の無い笑みを浮かべて「やあ」と手を振った。片手を。
 そうして、もう片方の手には大きな荷物を持っている。
 ――人の死体。
 赤いペンキでも引いたかのように、真っ赤な痕を伸ばしている。それはルーファスが遺体を引き摺るように持ってきたからに他ならない。白衣を着ているその人は、その大半を自らの血で真っ赤に染め上げていた。
 唐突に現れた猟奇的な光景。リカルデが息を呑み、ルーファスと会った事が無いチェスターは鼻を鳴らす。


 一瞬の沈黙。その後に、あくまで穏やかにブルーノが口を開いた。この場で賢者に話しかける権限を持つのは、恐らく彼だけだろう。


「ルーファスさん、何故、ここに……?」


 はは、と悪びれもせず爽やかな笑みを手向けたルーファスはそうだなあ、と呟くと天井を見上げた。言い訳を考えているようにしか見えない。


「そうだなあ、実はこの研究施設を先程襲撃してね」
「それは何故ですか?」
「ブルーノ、そういえば君の仕事ってラストリゾートの研究をしている人間の牽制とかそんなのだったよね?」
「いえ、俺の話ではなく。貴方から話を聞きたいのですが」


 ルーファスはブルーノの仕事について理解しているようだ。賢者の美しい顔が、愉快そうに歪められるのを見た。造形がなまじ整っているばかりに、酷く威圧感のある攻撃的な表情にすら見える。


「ブルーノ、これはお土産だよ。仕事を頑張っている君へのね」


 そう言った賢者は、手に持っていたその死体を軽く放った。イアンとはまた別のベクトルの人道外れた行為に動きが止まる。そうこうしているうちに、床からふわりと浮いた遺体は一瞬の浮遊の後、生々しい音を立てて床に転がった。


 転がった拍子に、その人の顔が視界に入る。
 ――知った顔だった。彼女の良い思い出は一つも無いが、何にせよ、知っている顔。それはチェスターとイアンも同じだったらしい。腕を組んだイアンは得心したように頷く。


「直接お会いした事はありませんが、彼女は副室長のロジーネさんで間違いありませんね?」
「あの生意気な人間の小娘か」


 固まっているジャックと、イアンの視線がかち合う。彼女の場合、それは確認だ。本当に彼女が副室長のロジーネであるか否かの。
 もう一度だけまんじりとその遺体を見下ろしたジャックは、深い溜息を吐き首を縦に振った。


「ああ、こいつは……ロジーネで間違いない」


 疑問が解消されたからだろう、イアンとチェスターはすぐに動かない副室長に飽きたようだった。それより、ルーファスを油断なく見つめている。
 いまいち彼が誰なのかを理解していないらしいチェスターが眉間の皺を深くしながら言葉を紡ぐ。


「それで? 《旧き者》、お前は何故ここに来た?」
「うん? あれ、答えなかったかな。これはブルーノへの土産で、僕は可愛い愛弟子に会いに来たんだよ。どうだい? 元気していたかな?」


 言葉を受けたイアンは僅かに目を細める。


「……元気、そうですね、元気ではあるのでしょうね」
「そうかい、それは何より。あ、あと、ブルーノの仕事の冷やかしも兼ねているよ。君も、こんな重大な仕事を任されるようになったんだね」


 おい、と最悪殺されるかもしれないが堪らず口を挟む。しかし、意外にも穏やかに賢者はジャックの言葉に応じた。


「ああうん、何かな?」
「室長はどうした?」
「室長……? そんなの居たのかい。人間ってほら、服にジャラジャラバッチみたいなのを着けている子が偉いんだろう?」


 そう言ったルーファスはロジーネ――の着ている白衣を指さしている。確かに、地位を誇示するのが好きな彼女は白衣に勲章のようなものを大量に着けてはいるが。とはいえ、ルーファスにとって人間は皆同じ生物らしい。



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