サイコ魔道士の変遷
06.ブルーノと愛犬の思い出話
***
――気が重い。
こっそりとジャックは心中で溜息を吐いた。今、シルフィア村へ向かっているのだが自分の為でもあるとはいえ、行きたくないものは行きたくない。グワングワン、と何の音だか分からないが反響して煩い機械音も、アルコールのような薬の臭いも。とにかくトラウマが敷き詰められた場所なのだ。
沈んだ気分のまま、仲間の会話に耳を傾ける。何か面白い話題であれば重い気分を晴らせるかもしれない。
などと考えていると、丁度リカルデが口を開いた。
「ブルーノ、貴方は私達と出会う前、色々な所を旅していたそうだな」
「おーう。まあ、ここ数年はマーブル大陸から出てねぇが。それがどうしたよ」
「いや、どんな所だったのだろうかと思って」
「話すのは良いが、俺の情報は古いぞ。何せ、長生きだからな」
前置きをしたブルーノの話は実に壮大なものだった。
どこどこの海には巨大な魚がいて船が丸呑みにされたのを見た、数千人が出入りする巨大ギルドの話、青い光を讃えた美しい鉱石の話――
膨大な引き出しを、一つ一つ開けられるのには正直舌を巻く。自分が彼であったのならば、出来事など端から全て忘れてしまっていそうだ。しかし、一つだけ疑問がある。
「あんた、ずっと一人旅だったのか?」
「お?おお、そうさな、ほとんど一人旅だな。それがどうかしたか?」
「旅の連れでもいた方が、楽しいんじゃないかと思って」
ふっ、とブルーノは自嘲めいた笑みを浮かべた。
「まあ、お前の言ってる事は正しい。けどよ、俺はロスト・タウンを出てこっち、ずーっと旅を続けてるんだぜ?年数に換算すると70年。同族ならまだしも、基本三種だったらよぼよぼのおじいちゃんおばあちゃんになっちまうだろうが。元気な時は良いが、段々見てられなくなってくるんだよ。そういうの」
「……そうだな。周りは年老いても、あんたは平気だし。悪かったな、変な事を言って」
悪かったなついでに訊きたいのですけど、と全く話に興味を示していなかったイアンが不意に口を開いた。激烈に嫌な予感がしたものの、止める暇も無く彼女はあっけらかんと訊ねる。
「吸血鬼や人魚は人と交わるではありませんか」
「おい、どうしたよ急に……」
「え?だって、そこ2種は前々から人との混血が問題視されていましたよね?魚人に至っては、始祖が人魚だと言うじゃないですか。けれど、貴方達《旧き者》は浮いた話がありませんね。長い時を生きる貴方達は違うかもしれませんけど、人間は見目麗しい存在に惹かれる習性を持っています。好意を寄せられる事はあったのではありませんか?」
「まあ、否定はしないが」
「《旧き者》とはいえ、種は種。他者の好意に流されてしまう者もいるはずです。が、種族婚の話はゼロですよね?隠蔽されていなければ、という話になりますが」
確かに、《旧き者》には2回出会った。一人はブルーノで、一人は船に同乗していたルイス。どちらも男性にしては整った顔立ちをしており、いっそこの世の存在では無いような、浮世離れした印象を持っていると言っていいだろう。
自分で口にした疑問では無いが、訊いてはいけない事情に首を突っ込んでいるようでハラハラしてくる。横目でブルーノを盗み見るも、サングラスのせいで正確な表情は伺えなかった。
ややあって、ブルーノはイアンの問いに答えを寄越した。たっぷり数十秒待ってからだ。
「あー、何だ、恐らくは教育のせいだとは思うんだが、旅を始めた頃に犬を飼ってたんだよ。普通の犬な。今でも覚えてる。綺麗な金色の毛並みで、大きな犬だ」
「何だかそういう犬は貴方に似合うな。私も動物と暮らしてみたいが……今は夢のまた夢、と言ったところかな」
「おう、犬は良いぞ、リカルデ。お前も飼ってみろ。で、俺は親父に言われて犬を飼ってた訳なんだが、アイツ等可愛いよな。もう、毎日一緒。旅の間中ずーっとな。良い相棒だったんだが、犬には寿命がある。だいたい20年ってところか。21年目でその犬がポックリ逝っちまってよ……。以降、寿命がある生き物とは長く旅する事が無くなっちまったわけ」
成る程、と納得したように頷いたイアンだったがしかし、次の瞬間には酷く意地の悪い顔をした。
「先に死なれるのが恐ろしいのですね?」
「何企んでんのか知らねぇが、まあ、その通りだな。アッシュ……20年くらい経ったあたりから、毎日具合悪そうでよ。病院に連れて行っても歳だって言われてどうしようもないし……。いいか、断言するぞ人間共。自分は元気なのに大事な相手がどんどん弱っていくのを見る事こそ、世の中で一番の拷問だからな。犬でこれなら意思疎通出来る生き物なんて……」
「貴方のお父上、大変に立派な思想教育をしますね。貴方の様子を見ていると、成る程確かに寿命のある種を生涯の伴侶にはしたくないと思っているのが分かりますし」
「おう。恋だの愛だの、浸ってる時は楽しいんだろうがな。強い感情は嫌いだ。意志ある生き物として、理性を保っていられないのはマズイだろ」
何を言っているんだ、と眉根を寄せたのはリカルデだった。
「誰かに先立たれるのは人間だって同じさ。いつ相棒が病気になったり、事故に遭ったりするかも分からない。健やかに生きて老衰で死のうが、必ず配偶者のどちらかが先に死ぬ事になるだろう」
「いやだって、お前等人間の寿命なんて精々100年弱じゃねぇか。こちとらあと何百年生きるか分かんねぇんだぞ。何か、アッシュの事思い出したら泣けてきた……」
「流石にそれは異常だな。貴方方、伝承種は『忘れる』という防衛本能をどこかに置いて来ているとしか思えないくらいだ」
リカルデの弁には頷きざるをえなかった。ブルーノはおよそ70年旅を続けていると言うが、犬を飼っていたのは20年。であれば、犬がいなくなってから50年経っている事になる。《旧き者》というのはかなり記憶力が良いのか、或いは辛いと思った事を忘れられない性質を持っているとしか思えない。
そんなブルーノが人間の娘と恋に落ちて、結婚する――娘が死んだ後の事を考えると空恐ろしい。それに、もし子宝に恵まれた場合。その子供より長生きする可能性だってあると考えると、とてもじゃないが「人間と恋に発展したら面白いのに!」、なんて茶化す事が出来ない。
――気が重い。
こっそりとジャックは心中で溜息を吐いた。今、シルフィア村へ向かっているのだが自分の為でもあるとはいえ、行きたくないものは行きたくない。グワングワン、と何の音だか分からないが反響して煩い機械音も、アルコールのような薬の臭いも。とにかくトラウマが敷き詰められた場所なのだ。
沈んだ気分のまま、仲間の会話に耳を傾ける。何か面白い話題であれば重い気分を晴らせるかもしれない。
などと考えていると、丁度リカルデが口を開いた。
「ブルーノ、貴方は私達と出会う前、色々な所を旅していたそうだな」
「おーう。まあ、ここ数年はマーブル大陸から出てねぇが。それがどうしたよ」
「いや、どんな所だったのだろうかと思って」
「話すのは良いが、俺の情報は古いぞ。何せ、長生きだからな」
前置きをしたブルーノの話は実に壮大なものだった。
どこどこの海には巨大な魚がいて船が丸呑みにされたのを見た、数千人が出入りする巨大ギルドの話、青い光を讃えた美しい鉱石の話――
膨大な引き出しを、一つ一つ開けられるのには正直舌を巻く。自分が彼であったのならば、出来事など端から全て忘れてしまっていそうだ。しかし、一つだけ疑問がある。
「あんた、ずっと一人旅だったのか?」
「お?おお、そうさな、ほとんど一人旅だな。それがどうかしたか?」
「旅の連れでもいた方が、楽しいんじゃないかと思って」
ふっ、とブルーノは自嘲めいた笑みを浮かべた。
「まあ、お前の言ってる事は正しい。けどよ、俺はロスト・タウンを出てこっち、ずーっと旅を続けてるんだぜ?年数に換算すると70年。同族ならまだしも、基本三種だったらよぼよぼのおじいちゃんおばあちゃんになっちまうだろうが。元気な時は良いが、段々見てられなくなってくるんだよ。そういうの」
「……そうだな。周りは年老いても、あんたは平気だし。悪かったな、変な事を言って」
悪かったなついでに訊きたいのですけど、と全く話に興味を示していなかったイアンが不意に口を開いた。激烈に嫌な予感がしたものの、止める暇も無く彼女はあっけらかんと訊ねる。
「吸血鬼や人魚は人と交わるではありませんか」
「おい、どうしたよ急に……」
「え?だって、そこ2種は前々から人との混血が問題視されていましたよね?魚人に至っては、始祖が人魚だと言うじゃないですか。けれど、貴方達《旧き者》は浮いた話がありませんね。長い時を生きる貴方達は違うかもしれませんけど、人間は見目麗しい存在に惹かれる習性を持っています。好意を寄せられる事はあったのではありませんか?」
「まあ、否定はしないが」
「《旧き者》とはいえ、種は種。他者の好意に流されてしまう者もいるはずです。が、種族婚の話はゼロですよね?隠蔽されていなければ、という話になりますが」
確かに、《旧き者》には2回出会った。一人はブルーノで、一人は船に同乗していたルイス。どちらも男性にしては整った顔立ちをしており、いっそこの世の存在では無いような、浮世離れした印象を持っていると言っていいだろう。
自分で口にした疑問では無いが、訊いてはいけない事情に首を突っ込んでいるようでハラハラしてくる。横目でブルーノを盗み見るも、サングラスのせいで正確な表情は伺えなかった。
ややあって、ブルーノはイアンの問いに答えを寄越した。たっぷり数十秒待ってからだ。
「あー、何だ、恐らくは教育のせいだとは思うんだが、旅を始めた頃に犬を飼ってたんだよ。普通の犬な。今でも覚えてる。綺麗な金色の毛並みで、大きな犬だ」
「何だかそういう犬は貴方に似合うな。私も動物と暮らしてみたいが……今は夢のまた夢、と言ったところかな」
「おう、犬は良いぞ、リカルデ。お前も飼ってみろ。で、俺は親父に言われて犬を飼ってた訳なんだが、アイツ等可愛いよな。もう、毎日一緒。旅の間中ずーっとな。良い相棒だったんだが、犬には寿命がある。だいたい20年ってところか。21年目でその犬がポックリ逝っちまってよ……。以降、寿命がある生き物とは長く旅する事が無くなっちまったわけ」
成る程、と納得したように頷いたイアンだったがしかし、次の瞬間には酷く意地の悪い顔をした。
「先に死なれるのが恐ろしいのですね?」
「何企んでんのか知らねぇが、まあ、その通りだな。アッシュ……20年くらい経ったあたりから、毎日具合悪そうでよ。病院に連れて行っても歳だって言われてどうしようもないし……。いいか、断言するぞ人間共。自分は元気なのに大事な相手がどんどん弱っていくのを見る事こそ、世の中で一番の拷問だからな。犬でこれなら意思疎通出来る生き物なんて……」
「貴方のお父上、大変に立派な思想教育をしますね。貴方の様子を見ていると、成る程確かに寿命のある種を生涯の伴侶にはしたくないと思っているのが分かりますし」
「おう。恋だの愛だの、浸ってる時は楽しいんだろうがな。強い感情は嫌いだ。意志ある生き物として、理性を保っていられないのはマズイだろ」
何を言っているんだ、と眉根を寄せたのはリカルデだった。
「誰かに先立たれるのは人間だって同じさ。いつ相棒が病気になったり、事故に遭ったりするかも分からない。健やかに生きて老衰で死のうが、必ず配偶者のどちらかが先に死ぬ事になるだろう」
「いやだって、お前等人間の寿命なんて精々100年弱じゃねぇか。こちとらあと何百年生きるか分かんねぇんだぞ。何か、アッシュの事思い出したら泣けてきた……」
「流石にそれは異常だな。貴方方、伝承種は『忘れる』という防衛本能をどこかに置いて来ているとしか思えないくらいだ」
リカルデの弁には頷きざるをえなかった。ブルーノはおよそ70年旅を続けていると言うが、犬を飼っていたのは20年。であれば、犬がいなくなってから50年経っている事になる。《旧き者》というのはかなり記憶力が良いのか、或いは辛いと思った事を忘れられない性質を持っているとしか思えない。
そんなブルーノが人間の娘と恋に落ちて、結婚する――娘が死んだ後の事を考えると空恐ろしい。それに、もし子宝に恵まれた場合。その子供より長生きする可能性だってあると考えると、とてもじゃないが「人間と恋に発展したら面白いのに!」、なんて茶化す事が出来ない。
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