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アルケミストの恋愛事情

ねんねこ

12.エジェリーという人魚

 薄い桃色の可愛らしい唇がゆっくりと開く。何故だかそれが、凶暴な海の生物に見えてしまいメイヴィスは僅かに息を呑む。


「そうね。メイヴィス。それは正しい認識だわ……」
「いやあの、だから、急いでいるんですって……! こんなジメジメした場所に居たくないでしょ、エジェリーさん」


 そういえば海の中もジメジメしているようなものだ、と頭の隅でそう思ったがそれどころじゃなかったので撤回はしなかった。エジェリーその人も別段、気に掛けている様子は見られなかったし。
 しかし、エジェリーはやはりその場から微動だにせず言葉を紡ぐ。焦れったいくらいにゆっくりと。


「私達の血肉で得た効果は、およそ10年で薄まり、最終的には人間が元から持っていた回復力も失う事になる……。当然の理だけれど」


 ――何で今、その説明?
 一瞬、まさか村の連中に同情しているのかと考えた。が、これだけの事をされておいて今更、彼等の身をエジェリーが案じるとは思えない。
 真意を測りかねて彼女の顔を覗き込んで、ギョッとした。


「え、えっ!? そ、そんなにじめっとしてるって言ったのが気に障ったんですか!?」


 麗しい人魚の顔。その大きな瞳に薄い膜が張ったかと思えば、それは涙となって頬を伝った。その様を見て、狼狽えたようにメイヴィスは一歩後退る。一体何が彼女の琴線に触れたと言うのか。


「えっ、あれ……?」


 エジェリーの頬を伝い、地面に小さな小さな染みを作るかに思われたその涙。それを取り溢さないと言わんばかりに両手を水を掬う形にした。エジェリーの白魚のような手に頬から流れ落ちた雫が、吸い込まれる――


 なんて事にはならなかった。
 彼女の手の平に落ちた涙は液体ではなく固体になり、まるで美しい真珠のようにころりと手の平の上に転がった。鈍い照明で重厚な光を放つそれは、シンプルに美しい。真珠とは別の何かだと言う事だけは理解出来た。


 それは一粒、二粒とエジェリーの手の平の上に落ちて行く。最終的に三粒が手の平に転がった。


 もう既にエジェリーの涙の理由については思考の彼方だったが、通り過ぎた話題を引き摺るように彼女は随分と前にした質問について回答する。


「私は、貴方の……貴方達の優しさにとても感動したわ。これは……そのお礼だと思って貰っていい」
「え、これくれるって事ですか? いやいいですよ、別に報酬目当てでやってた訳じゃ無いですし」
「メイヴィス、貴方も錬金術師だそうね……。人魚の素材だなんて、もう二度と、手に入らないかもしれないわよ……」


 梃子でも動かない、という姿勢を貫いていたエジェリーがゆらりと歩み寄って来る。覚束無い足取りであるはずなのに、その歩みが酷く恐ろしいものに見えて息を呑んだ。


「あ、う……えっと……」
「遠慮なんてしなくていいわ……」


 言いながら、エジェリーの酷く冷たい両手がメイヴィスの両手を掴み挙げ、包み込んだ。力をほぼ失ったその手に、丸く冷たい塊を握らされる。それは先程、エジェリーが生成した例の涙だ。
 手の上に、二粒。
 恐らくは――自分と、アロイスの分だ。


「差し上げるわ……。その二つは、貴方の好きなように使って」
「いや、でも――ぐっ!?」


 こんな人体の一部に相違ない物を貰うのは気が引ける。そう思ってお断りしようとしたが、その言葉は別の何かと共に、強制的に呑み込む事となった。


 というのも、エジェリーが唐突にメイヴィスの襟首を掴み、そして思いの外強い力で非力なアルケミストを固定。そのままの勢いで、空いた片手をぐいとメイヴィスの口元へと押し付けた。
 予想外に強い力に硬直する。何をしようと言うんだ、と慌てて抵抗を試みるも人魚はびくともしなかった。


「ぐ、うっ……」


 口だけではなく、鼻を押さえられている。息が出来ない。
 何をするんだ急に、とエジェリーを睨み付けるが、その表情を見た瞬間に怒りは恐怖へと簡単に塗り変わった。


 恍惚とした表情。
 薄く持ち上げられた唇に、やや上気した頬。恐ろしくも美しい笑みに悪寒が止まらない。何をしようとしているのか。


 問答無用でのし掛かってくる人魚の体重を支えられず、尻餅を着いて転ぶ。彼女は剥き出しの膝をざっくりと切ってしまったようだが、それさえ意に介さない。
 ――息が、限界……!!
 口を絶対に開けてはいけない。何故かそんな気がして、意地でも閉ざしていた口が、生理現象で開く。



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