零れた欠片が埋まる時

篠原皐月

第24話 秘められた誓い

 新年に入って最初の土曜日。都内某有名ホテルの大宴会場で、経済団体主催の新年会が、華々しく開催されていた。
 一流どころの企業の経営者、創業者一族の錚々たる顔ぶれが、あちこちで輪を作りながら親しげに語り合い、もしくは牽制し合う中、柏木雄一郎は時期を見計らい、目指す相手に向かって悠々と近付いて行った。


「やあ、小笠原さん、こちらにおられましたか。新年明けまして、おめでとうございます」
 にこやかに声をかけられ、勝と彼を囲んで話をしていた何人かは、意表を衝かれて黙り込んだ。しかしそれも一瞬で、すぐに勝が何事も無かったかの様に、笑顔で挨拶を返す。


「これは柏木さん、おめでとうございます」
「昨年は、お互いに色々と気忙かったと思いますが、今年は心穏やかに過ごしたいものですな」
「全く同感です」
 如何にもわざとらしく笑い合っていると、側で二人の様子を窺っていた総白髪の老人が、興味深そうに口を挟んできた。


「ほぅ……、柏木さんは小笠原さんと、懇意でいらしたんですかな? 何やら最近、仕事を取った取られたのと、穏やかで無い話がチラホラ漏れ聞こえておりましたが」
「それは……」
「滅相もありません、永島会長。ああ、勿論同業者の関係ではあるので、互いに競い合うのは当然ですが、仕事を離れた上では、親しく交歓したいと思っております」
 勝の台詞を遮り、笑顔で雄一郎が断言すると、永島は満足そうに頷いた。


「なるほど……。それでは巷で囁かれている様に、柏木と小笠原で全面戦争が勃発直前などと言う事態は、単なる懸念と言う訳ですな?」
「勿論ですとも。小笠原さんも、それには同意して下さいますね?」
 あくまでもにこやかに促してくる雄一郎に、勝は舌打ちを堪えながら、笑顔で話を合わせる。


「そうですね。どこぞの馬鹿な人間が、勝手な憶測を流しているだけでしょう。今年も宜しくお願いします、柏木さん」
「こちらこそ。……それで早速ですが、小笠原さんにお渡ししたい物が有りましてな」
「おや、何でしょうか?」
 勝が怪訝な顔をすると、雄一郎は壁際に視線を向けて軽く手招きした。すると万事心得ている彼の秘書が歩み寄り、無言で手に提げていた紙袋を、恭しく雄一郎に手渡す。すると雄一郎は、勝に向かってそれを差し出した。


「どうぞお持ち下さい。ご子息の見合い写真です」
「はあ?」
 周囲の者達と同様、思わず勝も間抜けな声を上げてしまったが、それに一向に構う事無く、雄一郎は笑顔で続けた。


「実は、私とごく親しくしているある人物が、お宅のご子息を大層気に入ってしまったみたいでして。『是正彼に、良縁を世話して欲しい』と頼まれたんです」
「ほう……、親しい人物、ですか。その方とは、どういったご関係で?」
 相手の言わんとする事が、分かり過ぎる程分かってしまった勝は皮肉っぽく顔を歪めたが、雄一郎は平然としらを切った。


「まあ、それは置いておいて。弟達や妻の実家にも声をかけて、腕によりをかけて素晴らしいお嬢さんばかりを厳選してみましたよ? 来生精巧社長のお嬢さん、畠山経団連会長の姪ごさん、信楽銀行頭取のお孫さん、白羽田大臣のお譲さん、その他、選り取り見取りです」
 その顔ぶれを聞いた周囲の面々は、驚きと羨望が入り混じった眼差しで、紙袋の中の風呂敷包みを凝視した。


「流石柏木さん。豪華絢爛な顔ぶれですな」
「人脈の広さが並みじゃ無い」
「いやいや、巷で噂されている事など、この一事で十分否定できますよ」
「本当に。これだけ骨を折って頂ける間柄だとは、全く想像できませんでしたよ、小笠原さん」
「はあ……」
 勝は何とか顔をひくつかせない様、懸命に堪えたが、この場で最年長でもある永島が、心底嬉しそうな笑顔で彼にとどめを刺した。


「これは春から縁起が良いな。希に見る良縁ばかりじゃないか。小笠原君、ありがたく柏木君の好意を受けたまえ」
「はい……。息子にまでお心遣いを頂き恐縮です、柏木さん」
「いやこれ位、大した事ではありません」
 雄一郎の純粋な好意からきている行為と信じて疑わない永島に、勝は反論を封じられた。由紀子と結婚して社長職を譲られて以来、こういう社交場で全く後見の無い勝を、何くれとなく気にかけてくれ、庇ってくれた恩人の目の前で、変に事を荒立てたくはなかった為である。


「そう言えば、君の息子には暫く会っていないな。聡君、だったか?」
 勝に対するその問いかけを、横から雄一郎が奪う形で答える。
「そうです、永島会長。今年二十五歳の東成大経済学部出身の秀才で、体格も立派で容姿もなかなかの好青年です」
「おや、柏木君は彼の人となりを知っているのか?」
「そうでなければ、縁談など持ち込みませんよ」
「それもそうだな」
 そこで一同が揃って楽しげに笑い合う中、半ば強引に紙袋を押し付けられた格好になった勝だけは、必死に怒りを押し隠していた。


 その日、夕方になって帰宅した勝は、運転手から手渡された紙袋を手に提げながら、仏頂面でリビングに入った。
「…………戻ったぞ」
「お帰りなさい」
 笑顔で声をかけた由紀子だったが、勝は表情を変えないままぶっきらぼうに言い放った。


「今すぐ聡を呼べ」
「……分かりました」
 常になら「聡を呼んでくれ」という筈の夫が、命令口調で言ってきた為、由紀子は少し驚きながらも聡を呼びにリビングを出て行った。そしてほどなくして、聡が由紀子とリビングに姿を現す。


「お疲れ様です、父さん。新年会で何かあったんですか?」
 ここに来るまでに、由紀子から何やら父親が不機嫌らしいと耳打ちされた聡は、勝の顔色を窺いながら慎重に問いかけたが、既にネクタイを緩めながら憮然としてソファーに座っていた勝は、自分とは向かい側の席を指し示した。


「まずそこに座れ。話はそれからだ」
「……はい」
 取り敢えず聡が大人しくソファーに収まり、由紀子も勝の隣に腰を下ろすと、勝は持参した紙袋から風呂敷包みを取り出し、それを目の前のテーブルに置いた。


「お前への縁談だ。柏木が見合い写真と釣書を、大量に俺に押し付けてきた」
「は?」
 前振り無しの話の内容に、聡はただ呆気に取られたが、流石に由紀子は顔色を変えた。


「あなた! 断れ無かったんですか? そんな突然に」
「興和製紙会長の前で、親しく声をかけられてな。まさか事を荒立てたり、周りの連中に変に不仲の所を見せる訳にもいかんし。……完全に、向こうにしてやられた」
「そう……、永島さんには、変にご心配をかける訳にはいかないわね」
 忌々しく舌打ちした勝の説明を聞いて、由紀子は仕方無さそうに頷いた。そして固まっている聡の代わりに風呂敷包みを解き、内容を確認し始める。そして幾らもしないうちに、顔色を曇らせた。


「あなた……。この顔ぶれの方達とのお話を、無碍に断る様な真似は」
「流石にできんな。車の中で中身を確認してきたが、うちのメインバンクの頭取令嬢や、許認可官庁の幹部の娘も含まれているとあっては。全く柏木の奴、やってくれる……」
 そこで勝は由紀子との話に一区切り付け、黙って二人のやり取りを見守っていた聡に声をかけた。


「さて、どうする? 聡。大人しくこの中の誰かと見合いをするか? 柏木のお膳立てはなかなかの物だ。小笠原にとって有益な縁談ばかりだからな」
 半分以上皮肉を込めた父親の口調に、聡は冷え切った声で尋ねた。


「これはあれですか。大人しくこの縁談を受けて、清香さんの周りからさっさと失せろと言う、柏木側からの遠回しな脅しですか?」
「解釈はどうとでもできるが、ここで一番重要なのは、父親の再婚に関して柏木家に対して大いに含む所のある筈の“彼”と、あの損得勘定に聡い“柏木”が、全面的に手を結んだと言う事実だ。相当嫌われたな、聡」
 深刻な話の筈が、勝はその顔に微苦笑を浮かべ、釣られて聡も顔を緩めた。


「そこまで嫌われれば、いっそ本望ですよ。相手が無視できなくなっている証拠ですからね。申し訳ありませんが、その話は全部断って下さい」
 息子のあまりにもあっさりした言い方に、僅かに渋面を見せる勝。
「簡単に言ってくれる」
「やってやれない事は無いでしょう。父さんなら」
 悪戯っぽく笑いながら言ってのけた聡に、勝は今度は笑いを堪える表情になった。


「はっ……、いつの間にか世辞も上手くなったな。分かった。何とかしておこう」
「すみません」
 面倒をかける事になった父に向かって殊勝に頭を下げた聡だったが、ここで勝は真顔になって口を開いた。


「それはともかくとして……。どのみちいつまでも、現実から目を逸らしている訳にはいかないだろう。そのうち清人君と腹を割って話をしなければいけないと思うから、そのつもりでな」
「……分かりました」
 思わず強張った顔で頷いた聡から、勝は由紀子に視線を向けた。
「由紀子。お前も、心構えだけはしておけ」
「はい……」
 同じ様に緊張した顔つきながらも、小さく答えた由紀子を、勝は何とも言えない表情で少しの間見詰めた。




 新年早々、小笠原家でそんな不穏な会話が交わされた翌日。三が日を過ぎたものの一月に入って最初の日曜日とあって、神田明神にはそれなりに参拝客が訪れていた。
 社務所の窓口では様々な祈祷の受付、お守りや絵馬などの販売で人が並んでいたが、その傍らの大木の下で、先程引き当てたばかりのおみくじを手に、清香が堪え切れない笑いを漏らす。


「うふふっ、今年はやっとお兄ちゃんに勝った!」
 その喜びぶりに、清人が呆れた様に小さく肩を竦めた。
「おみくじに、勝ち負けがあるわけ無いだろう?」
「だって……、これまで毎年、お兄ちゃんは大吉ばかりで、私は吉や小吉とかで悔しかったのに、今年は私が大吉で、お兄ちゃんが凶だなんて凄く嬉しいんだもん!」
 ウキウキと上から垂れている枝におみくじを結び付けている清香の頭を、清人が苦笑しながら軽く叩いた。


「こら、俺が不幸になっても良いってのか?」
「そんな事は言って無いってば! それに大吉の私が側に居れば、そんなに不幸にもならないでしょう?」
「それもそうだな」
 緩みまくった顔のまま清人が清香と共におみくじを結び付けていると、何故か背後から奇妙な声が聞こえてきた。


「……げっ!!」
「え?」
「は?」
 呻きとも叫びとも取れるその声を、不思議に思った二人が反射的に振り向くと、何メートルか後方に、口許を手で覆った聡の姿を発見した。そして清香は忽ち笑顔になり、清人は威嚇するかの様にスッと目を細める。


「聡さん、どうしてここに? 三が日は過ぎましたけど、初詣ですか?」
 走り寄って来た清香ににこやかに話しかけられた聡は、視線を忙しく行き来させてから、若干引き攣り気味の顔で答えた。


「あ、ああ。三が日のうちは色々忙しくてね。父の実家がこの近くだし、落ち着いた頃そこに顔を出すついでに、ここに来ているんだ。清香さん達は? ここは住んでいる所からは、随分遠いけど……」
「私達も混雑している時にわざわざ来たく無くて、毎年ずらして参拝しているんです。実はここの例大祭を見物に来て、お父さんとお母さんが出会ったんですよ。それで縁起が良いからって、両親が生きていた頃から、毎年ここに来ているんです」
「そ、そうなんだ」
(まずい……、幾ら心構えをしておけと言ったって、こんな所でいきなり兄さんと母さんを会わせるわけには)
 内心で激しく動揺している聡とは対照的に、清香がのんびりと尋ねる。


「ところで、聡さんお一人ですか? 由紀子さんとおじさまはご一緒じゃないんですか?」
 そう清香が口にした途端、その背後で清人がその眼に殺気をちらつかせ始めた為、聡は本気で狼狽した。


「あ、ああ……、母が去年入院したから皆で病気平癒の祈祷をして貰ったんだけど、二人は先に駐車場に行って貰って、俺だけこっちにお守りを買いに来たから」
「そうなんですか。側にいらっしゃるなら一言ご挨拶しようかと思ったんですけど、それならまた改めて」
「うん、そうしてくれるかな。わざわざ車まで来て貰うのも悪いしね」
 そうして聡がほっと一息吐いた瞬間、背後から今現在尤も聞きたくない声が響いて来た。


「聡? もう買い終わったのか? 由紀子が言い忘れたらしくて、受験生の子供が居る知り合いに渡すから、商売繁昌御神札の他に勝守も……」
「ごめんなさい、聡。二度手間になってしまったら……」
「…………」
 社務所の建物の陰から角を曲がって出て来た夫婦は、後ろ姿の息子に向かって声をかけたが、更にその向こう側に居た人物を認めて口を閉ざした。清人と聡も咄嗟に対応ができずに無表情になって固まる中、一人清香だけが笑顔で勝と由紀子に頭を下げる。


「おじさま、由紀子さん、新年明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします」
 それを受けて、二人は何とか笑みを浮かべつつ、ぎこちない挨拶を返した。


「ああ……、こちらこそ宜しく」
「新年早々、会えて嬉しいわ」
 そこで何を思ったか、清人が無表情のまま夫婦に向かってゆっくり歩み寄った。その何を考えているか分からない様子に、由紀子は怖気づいた様に一歩後ずさりして勝の背後に半身を隠す様にし、危険な物を察知した聡も、一歩足を踏み出す。
 しかし勝は息子を目線だけで制し、清人と正面から対峙した。


「初めまして、清香の兄の佐竹清人です。先日は妹がお宅にお邪魔させて頂いたそうで、加えて聡君から結構な品物を頂きまして、ありがとうございました」
 軽く頭を下げながらの清人の話の内容や口調は、いたって紳士的、かつ礼義に適った物ではあったが、事情を知る者にとっては辛辣すぎる一言だった。


(なるほど……、初めて顔を合わせた時は、自己紹介する間も無く殴り倒されたからな。確かにある意味、初対面には違いない)
 ついつい笑い出しそうになるのを堪えながら、年長者の余裕で勝は言葉を返した。


「ご丁寧にありがとうございます。聡や清香さんからお話を聞いたりして、あなたとは既に、随分前からの知己の様な気がしていました。今回が初顔合わせだと、信じられない位です」
 そう言って穏やかに笑った勝を見て、清人は(嫌みか、この狸親父。あの時、もっとボコボコにしておくべきだったな)と益々腹立たしさを覚えた。


「そう言えば……、佐竹さんは柏木社長とも昵懇だとか。柏木社長に働きかけて、色々ご配慮頂いた様でありがとうございます」
「さて、何の事やら。確かに柏木さんの所とは家族ぐるみでお付き合いをしていますが、一介の作家如きが大企業の社長職を務めていらっしゃるお宅に、どんな配慮をすると?」
「家庭の中の事まで考えて頂けるとは、恐縮です。しかしご心配頂く様な事はありませんので、今後はお気遣いなく」
「小笠原さんは、どうやら何かお考え違いをしていらっしゃる様ですが?」
「そうでしたか?」
「そうだと思いますが?」
 傍目には笑顔のやり取りだったが、話の内容が今一つ掴めない清香は後ろで首を捻り、聡はこの腹の探り合いの会話に胃痛を覚えた。


(二人とも、もういい加減勘弁してくれ、胃がっ……。そうだ、母さん!?)
 慌てて由紀子の方に目をやると、真っ青な顔で片手で軽く勝のコートの袖を掴んでいるのが目に入った。しかし清人が更に足を踏み出して彼女に近寄ったのを見て、聡は顔色を変える。
 緊迫した空気を醸し出す中、清人は勝の斜め後ろに佇む由紀子を面白く無さそうに見下ろしてから、笑顔らしき物をその顔に浮かべた。


「聡君のお母様の、小笠原由紀子さんですね? 初めまして、清香の兄の佐竹清人です。あなたの事は、清香から話を聞いていました」
「…………は、はじめ、まして」
 目が全く笑っていない笑顔で無言の圧力を受け、初対面では無いとも言い切れずに、由紀子はか細い声で挨拶を返した。すると由紀子と勝だけに聞こえる程度の小声で、清人が冷たく吐き捨てる。


「どの面下げて、清香を家に引っ張り込んだ。この偽善者が」
「………………っ」
「由紀子!」
 真っ青な顔の由紀子が小さく息を飲んで胸元を押さえ、そんな彼女の顔を覗き込んだ勝が、僅かに顔色を変えて小声で呼びかける。対する清人は、そんな二人に全く興味が無さそうに一瞥しただけで、踵を返して歩き始めながら、清香に声をかけた。


「それでは失礼します。この後、片付けなければいけない仕事もありますので。ほら、清香、行くぞ」
「う、うん。じゃあ聡さん、おじさま、由紀子さん、失礼します」
 慌てて清香は頭を下げて別れの言葉を述べ、勝達も何とか笑顔を浮かべつつ言葉を返した。


「ああ、さようなら」
「じゃあ清香さん、また電話するから」
「はい!」
 そうしてその場に立ったまま、二人を見送っていた三人だったが、その姿が人混みに紛れて見えなくなった瞬間、緊張の糸が切れた様に、由紀子が玉砂利の上に崩れ落ちて膝をついた。


「由紀子、大丈夫か!?」
「母さん!!」
 流石に顔色を変えた男二人に、由紀子が胸を押さえながら弱々しく呟く。
「大丈夫よ、ちょっと苦しいだけだから、お薬で何とか……」
 そう弁解した由紀子を、勝が叱りつけながらバッグの中のピルケースを探す。


「早く舌下錠を使え! それから念の為、このまま病院へ行くぞ。聡、電話でかかりつけの病院に、休日対応して貰えるかどうか確認してくれ!」
「分かった!」
 由紀子の傍らで慌ただしく対応している二人に、周囲の視線が集まり始めている頃、清人と清香は境内を抜けて最寄駅への道を歩いていた。


「今年は、色々良い事がありそうだね、お兄ちゃん!」
「……………………」
「お兄ちゃんってば! 聞いてる?」
「あ、ああ、すまん。何か言ってたか?」
 掴んだ腕を揺さぶって漸く反応を返された清香は、少し前から話しかけても上の空状態の清人に、怪訝な視線を向けた。


「どうかしたの? さっきから何だか変よ?」
 それに対し、清人は僅かに視線を逸らしながら弁解する。
「いや、何でも無い。ちょっと仕事で疲れてるかな? 新年早々、一本新しいのを抱え込んだし」
 それを聞いた清香は、何となく腑に落ちない様な顔付きをしたものの、深くは追及せずに話を終わらせた


「……そうなの? じゃあ今日は帰ったらゆっくり休んでね? 晩ご飯は、私が準備するから」
「すまないな、清香」
 それからは何となく互いに無言で家路を辿っていたが、清人は心の中で、継母である香澄に向かって、謝罪の言葉を述べていた。


(すみません、香澄さん。あれから二十年以上経っても、まだ俺には約束を果たすのは、無理みたいです……)
 勿論そんな清人の呟きを、耳にする者など皆無だった。



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