零れた欠片が埋まる時

篠原皐月

第17話 そして最強な彼女

 清香の呟きを受けた真澄は、聡と清人の方に体を屈め、その周囲だけに聞こえる程度の小声で毒吐いた。


「全く……、大の男が二人、揃いも揃って判断力をぶっ飛ばして。場を盛り上げるどころか、ドン引きさせるとは何事よ! あんた達が関係者だと分かったら、清香ちゃんの立場が無くなるでしょうが!」
 そう言われて、漸く清人と聡が我に返る。


「う……、悪い、清香。大人気なかった」
「すみません清香さん。ついムキになって……」
「ううん、それは良いんだけど……」
 言うだけ言って通り過ぎた真澄は、躊躇う事無く設置してある階段を登り、ステージに立った。そして一時のざわめきが消えて、会場が不気味に静まり返る中、司会者にまっすぐ歩み寄って声をかける。


「すみません、少しだけマイクを貸して頂けるかしら? お騒がせしたのは本意では無かったので、会場の皆さんに一言お詫びをしたいの。駄目かしら?」
 殊勝げな物言いをしながら、小さく首を傾げて見せた真澄に、相手は大人しく従った。
「どうぞ、お使い下さい」
「ありがとう」
 そうして真澄はステージの中央で、マイク片手に微塵も臆する事無く、語り始めた。


「会場の皆様、この場をお借りして、ご挨拶とお詫びをさせて頂きます。私は柏木産業創業家の、柏木真澄と申します」
 そこで軽く頭を下げた真澄を見て、再び講堂内にざわめきが広がる。


「柏木?」
「あの老舗企業の?」
「一体何だ?」
 するとそれを見計らった様に、真澄はゆっくりと会場中を見渡しつつ、再度口を開いた。


「我が家では、前々から福祉事業に並々ならぬ力を入れて、定期的に複数の福祉財団に寄付しております。こちらには知人が在籍している関係で、今日立ち寄ってから某団体の事務所に出向くつもりが、なかなか興味深い活動報告を、目に致しました」
 そこで真澄は、にこやかな笑顔を見せた。


「院内学級など、普通ならあまり日の目を見ない箇所で活動するとは、流石にその辺の学生ボランティアとは、目の付け所が違います。それに比較的短期のフォローで終えられる外科患者ならともかく、長期入院を余儀無くされている難病の子供に対しては、それこそケアは千差万別の筈。それを試行錯誤しつつ、手探りで一つ一つの事例に真摯に取り組んでおられる活動の様子に、心から感服致しました」
 軽く胸を押さえつつしみじみと語る真澄に、会場がいつしか静まり返る。


「それで是非ともこの活動にご助力したいと思った所、こちらでチャリティーオークションが開催中なのを耳にして、急遽足を運んだわけです」
 そこで一旦話を区切った真澄は、悪戯っぽい笑顔を見せた。


「実は、先程申し出た百万は、これから出向く団体へ寄付するお金だったのですが、明日にでも改めて届ける事にします。そことは長い付き合いですので、まさか1日遅れただけで、いつもの金額に色を付けてくれなどとは言わないでしょう」
 そこで真澄が冗談を言ったらしいと分かった者達が、会場のあちこちでクスクスと笑い、場の空気が僅かに緩んだ。そこで真澄が再び真顔になって話を続ける。


「今回、唐突に百万という金額を出して、皆様を驚かせてしまいましたが、そういう訳ですので決して金持ちの道楽や気紛れで、大金を投げ捨てた訳ではありません。このお金はきっと、有意義に使って頂けるものと信じております。ところで……、こちらのサークルの責任者の方はどなた?」
 真澄が司会者の方を振り向くと同時に、舞台袖のカーテンの向こうから事態の推移を見守っていた男性が、転がり出る様に真澄の元にやってきた。


「わ、私です」
 その男に、真澄はハンドバッグの中から封筒を取り出し、更にそれから銀行の帯封の付いた札束を出して、優雅な動きで差し出した。


「この度は、大変有意義な発表を見せて頂きました。これからも活動を頑張って下さい。応援しています」
 微笑みを浮かべた真澄がそう言って札束を手渡すと、感極まった相手は真澄の手を取り頭を下げた。


「あっ、ありがとうございます! 多大なご協力感謝します! 今後、より一層実りある活動を続けていく事を、お約束します!」
「皆様! 当サークルの趣旨に賛同して頂き、多大な寄付をして頂きました柏木さんに、盛大な拍手をお願い致します!」
 司会者役の学生も感動した様に、会場に向かって声を張り上げると、会場中から割れんばかりの拍手と感嘆の声が沸き起こった。


「きゃあぁぁ、あのお姉様カッコイイ~」
「流石柏木、ただの金持ちじゃねぇな」
「凄いな百万単位でポンと寄付かよ」
「脱税やって溜め込んでる様な奴とは、そもそも格が違うよな……」
「ああいう人が居る家がトップを占めてる会社なら、福利厚生とかも良さそうだよね?」
「うん、寄付して社会還元してるなら、社員にだって還元してそうだし」
「来年、柏木産業にエントリーしようかな?」
「元々優良企業なのに、今回のこれで学内で一気に人気が上がるな」
 清香達の周囲からもそんな声が伝わり、ステージ上で手を振りながら愛想笑いを振り撒いている真澄を見た一同は、揃って感心した様に唸った。


「流石真澄さん。会場全体が柏木からの寄付の事に意識が向いて、直前に常識外れの大金で競り合いをしていた馬鹿男二人の事は、すっかり頭の中から消し去られたか」
「おい!」
 遠慮なく感想を述べた友之に対し清人が文句を言おうとしたが、次々と他の者が口にする言葉に不満をかき消された。


「ここは国立の東成大には一歩及ばないが、私立の雄だからな。優秀な卒業生を確保するのに、社名をアピールする絶好の機会だ」
「真澄姉、『ピンチをチャンスに変える』を地でやってみせたか。やるなぁ」
「CM1スポット幾らで考えたら、百万は安いかもな。学生の口コミはバカにできないし」
「学祭だから、他の大学の学生や関係者も出入りしている筈だし、効果絶大か」
「しまった……、これが親父の耳に入ったら、『どうしてお前がやって《倉田》の名前をアピールしなかった!?』とどやされる……」
「正彦……。それ間違っても、お前には無理だから」
 そう冷静に浩一が突っ込んだところで、ステージから紙袋を提げた真澄が戻り、無言で促された正彦と友之と明良が奥に一つずつずれて真澄に席を譲った。そこに同然の如く真澄が腰を下ろし、それから滞りなくオークションが進行していった。


 そしてオークションが終了し、講堂内の人間がぞろぞろと入れ替わる様に移動し始め、清香達もそれに倣って立ち上がった時、ステージの袖下で何人かと輪を作っていた朋美が、手を振りながら声をかけてきた。
「清香、ちょっと来て!」
「あ、うん、今行く!」
 それに応じた清香は、聡に向き直って断りを入れた。


「ごめんなさい聡さん、ちょっと朋美の所に行ってきます」
「ああ、講堂を出た所で待っているよ」
「すぐ行きますね」
 そうして互いに笑顔で別れた2人を見ながら、周囲の者達も立ち上がり通路に出る。


「じゃあ俺達も出ているか」
「そうだな」
「それなら、これを持って貰えるかしら?」
 そこで真澄が先程手に入れたアレンジの入った紙袋を、立ち上がった清人に向かって無造作に突き出した為、周囲の者達は恐れ慄いた。


(ちょっ……、真澄姉!)
(どうしてここで、事を荒立てようとするんですか!?)
(今の清人さんを刺激したら、後が怖いですよ!)
(さっさと帰りたいが、無視して帰ったら、余計面倒な事になりそうだし……)
 案の定、清人は真澄の顔と差し出された物を交互に眺めてから、不機嫌さを隠そうともせずに、冷え切った口調で尋ねた。


「どうして俺がそれを持たなければいけないのか、理由を説明して頂けますか?」
(ああ、怒ってる怒ってる……)
(只でさえ邪魔をされて、不機嫌だってのに)
(こうなるのが分かってて兄さんに命令出来るなんて、この女性は勇者だな)
 柏木に連なる男達が戦々恐々とする中、聡だけは予想外の展開に呆然とし、かつ真澄に心の中で賛辞を贈った。そしてどう対応するのかと様子を窺っていると、真澄が一見上品で邪気の無い笑みを、その顔に浮かべながら言い返す。


「深窓育ちなもので、箸とお茶碗より重い物を持った事が無くて、指が千切れそうなの。そんなか弱い女性が目の前に居るのに、無視できないわよね?」
(深窓? 誰がだ?)
(白々し過ぎる……)
(……姉さん、勘弁してくれ)
 周囲が揃ってうんざりする中、清人は嘲笑めいた笑みで応戦した。


「それはそれは大変ですね。しかし札束は平気で持ち歩けるみたいですが、そうなると金だけは持ち歩くのに必要なのは手では無く、図太い神経みたいですね。それで重さも感じないとは羨ましい。こちらは人並みの神経しか持ち合わせていないので、一つ勉強になりました」
(うわぁ、負けてないよこっちも)
(つうか、この人に真っ向勝負挑めるのは、清人さん位だろ)
(二人とも笑顔が極悪だよな)
 揃って周囲が顔を引き攣らせていると、真澄が真顔になって清人を睨みつけた。


「つまらない御託を言ってくれるわね。人を本気で怒らせて、金を払って頭を下げる位で、勘弁して貰えると本気で思っているわけ?」
「…………」
 真澄が言っている内容に心当たりのあり過ぎる清人は、反射的に黙り込む。他の者達が(何事?)と不審がる眼差しを向ける中、真澄が一歩足を踏み出し、清人の耳元で小声で脅迫した。


「この場で、あんたが仕掛けている、えげつない“あれ”を洗いざらいぶちまけて良いの?」
「真澄さん」
「それが嫌なら、さっさと私の言うとおりにする事ね。……さあ、これを持つの? 持たないの?」
 聡の前で小笠原に対する小細工を暴露された日には、密かに進めている諸々が無駄になる可能性があり、清人は舌打ちしたいのを何とか堪えて、真澄の方に片手を差し出した。


「……お預かりします」
「最初から、素直にそう言いなさい」
 ふんぞり返って清人に紙袋を渡す真澄を見て、周囲の人間は皆驚愕した。


(え!? 清人さん、一体どんなネタを握られてるんだ?)
(真澄さん……、楽しそうですね)
(初めて見たな。清人さんのすげぇ仏頂面)
(外面が良いのが、この人の特技の一つだったのに)
 そんな呆然としている面々を、真澄が容赦なく追い立てる。


「ほら、さっさと出るわよ。あなた達もグズグズしない! 通路で立ち止まってたら他の人の邪魔でしょう」
 それに従い一同はぞろぞろと、何とも言えない表情で外に向かって歩き出したが、中ほどで並んで歩いていた修と奈津美の間で、小声での会話が交わされた。


「……奈津美」
「分かったわよ、もう……」
 基本的に男に厳しく女に優しい真澄に対しては、自分よりも妻の方が口を聞きやすい筈と判断した修が妻に目線で懇願し、奈津美は肩を竦めてから夫を初めとする男達の疑問を解消するべく、前を歩く真澄に声をかけた。


「真澄さん、ご無沙汰しています。今日は偶然お会いできて嬉しいです」
「ええ、奈津美さん、珍しい所で会うわね。また今度お店に伺うわね」
「お待ちしています。それで……、今日はどうしてこちらに? しかも大金持参で。寄付に行く直前に寄ったなんて、話を作っただけですよね?」
 慎重に核心を突いた奈津美に、真澄は笑いを堪える表情になった。


「勿論そうよ。大学祭の事は清香ちゃんから聞いていて、もともと顔を出すつもりだったの。ついでに彼女がオークションに出品する事も知っていたし」
「あら、どうしてですか?」
 色々お忙しいでしょうにという思いを、顔に出しながら不思議そうに奈津美が尋ねると、真澄が機嫌良さそうに彼女と並んで歩きながら話を続けた。


「先月の初め位に、相談を受けたのよ。『アレンジのデザインをどうしたら良いか迷ってる』って。単なる左右対称とかにしたく無かったみたいね。『真澄さんはセンスが良いから、何かアイデアを出して貰えませんか?』なんて言われたら、とても邪険にできないじゃない?」
「あら、凄い殺し文句」
 思わずふふっと笑った奈津美に、真澄も目許を和ませる。


「本当よね。それで持っている画集から、作品化出来そうなパステル画の幾つかを選んで、こんなのを題材にしてみたらどうかと、写メールで送ったの。それを元に、あれを作ったみたい」
 そう言って、一歩後ろを歩いている清人の手元を指差した真澄に、奈津美は感嘆の眼差しを送った。


「確かに一枚の絵みたいな、素敵な作品ですものね。使えそうな絵を選んだ、真澄さんの眼は確かです」
「あら、私の選定眼より、清香ちゃんのデザイン感覚とアレンジ力の方が凄いと思うけど?」
「清香ちゃんは、後で改めて誉めてあげます」
「そうして頂戴」
 そこで女二人で笑い合ってから、奈津美は何を思ったか、顔付きを改めて口を開いた。


「でも真澄さん。修さんとも、さっき少し話していたんですけど……」
「なあに? 遠慮しないで言ってみて?」
「どうしてあんな大金を持って、こちらに出向いたんですか?」
「単なる女の勘ね。揉め事が起こる様な予感がしたものだから。勿論普段は、こんな無造作に持ち歩かないわよ?」
「…………」
 そこで真澄がチラッと背後を振り返った為、その視線の先の清人と聡は揃って顔を逸らした。それを認めてから、奈津美が更に意見らしき物を口にする。


「今回は確かに、事態の収拾に役立ったかもしれませんが……。余計なお世話かもしれませんし、私達と真澄さんの経済観念は違っているのかもしれませんが、それに百万も出すのはちょっとどうかと思いまして……」
 そう言って気まずそうに若干俯いた奈津美だが、それを聞いていた男達は心の中で拍手喝采を送った。


(偉い! 奈津美さん!)
(もっと言ってやって!)
(そうだよな。それが真っ当な金銭感覚ってものだよな!)
 対する真澄は講堂の外に出て来た為歩みを止め、奈津美に向かい合って苦笑いしてみせた。


「そんなに恐縮しないで? 心配してくれたんでしょう? ありがとう。でも費用対効果は十分だから」
「それは……、ここの大学で《柏木》の名前を効果的、好意的にアピールできたからですか?」
 先程の夫達のやり取りを思い返し、まだ何となく納得しかねる顔で尋ねた奈津美に対し、真澄がきっぱりと断言する。


「そうね。それだけでも百万以上の価値はあるけど、この場合、原資もしっかり回収可能なの。だからどう転んでも、私が損をする事は無いわ」
「え? どこからどうやって回収するんですか?」
 本気で目を丸くした奈津美に向かって、真澄は飄々と言ってのけた。


「簡単よ。家でお祖父様の前で『この清香ちゃんの手作りアレンジメントを、百万で競り落として来たわ』って言えば、『二百万出すから儂に譲ってくれ!』と言って、飛び付いて来るのに決まっているもの。話の持って行き方によっては、下手したら三百万位は出すかもね」
「……はあ、なるほど。良く、分かりました」
 盛大に顔を引き攣らせながら奈津美が頷き、男達は真澄の容赦の無さにうんざりすると同時に、毟り取られる事決定の祖父を哀れに思った。
(実の祖父から巻き上げる気満々なのか、この人は……)
 そこで思わず清人が忌々しげに呟く。


「相変わらず……、勝機と商機を逃さない人ですね」
「誉め言葉として受け取っておくわ」
 清人の嫌みも真澄が軽く受け流した所で、出入り口から清香が走り出て来て、一同の元にやって来た。


「お待たせしました! 真澄さん、今日はありがとうございました」
 駆け寄ってくるなり盛大に頭を下げた清香に対し、真澄が裏表無しに顔を綻ばせる。
「どういたしまして。こんな素敵な作品になって、私もアドバイスした甲斐があったわ」
「サークルのメンバーからも、改めて私からお礼を言ってくれって言われましたけど……、あんな大金を出して、本当に良かったんですか?」
 心配そうに見上げてくる清香に、真澄が悪戯っぽく問いかける。
「清香ちゃん。私がお金と時間を浪費するタイプの人間に見える?」
 そう問われた清香は何秒か真剣に真澄の顔を見つめてから、にこりと笑った。


「見えないです。ご協力ありがとうございました」
「うん、素直で宜しい。本当に、性格が捻れ捲った馬鹿どもに、清香ちゃんの爪の垢でも煎じて飲ませたいわね」
「…………」
 頗る上機嫌で清香の頭を撫でつつさりげなく視線を投げてくる真澄に、清人と聡はぐうの音も出ない。他の者が密かに面白がったり気の毒に思っていると、更に真澄の仕切り発言が飛び出した。


「さて、それじゃあ私はここで失礼するわね。門の所に車を呼ぶから。清香ちゃん、お兄さんが車が来るまでこれを持って待っていてくれるそうだから、約束とかがあったら悪いけど一緒に行くわね」
「はぁ!?」
「いえ、待ち合わせとかの約束はしていなかったですけど……、お兄ちゃん?」
 流石に清香が怪訝な顔を見せ、清人も怒りの形相で真澄に詰め寄り、小声で噛みついた。


「ちょっと待って下さい、何ですかそれはっ!!」
「何か文句でも?」
「何で俺がそこまで!」
 しかし真澄も負けじと、ドスの効いた声で囁く。


「清香ちゃんの前で“あれ”を言っても良いの? そんな事をしたら弟君に対抗策を取られるだけじゃなく、清香ちゃんに『信じられない、お兄ちゃん最低!』って言われる位で済めば良いけど、最悪」
「お付き合いします」
「そう、宜しくね」
 如何にも悔しげに了承の言葉を口にする清人と、余裕たっぷりで頷いた真澄を見て、聡は不審に思うのを通り越して唖然とした。


(あの人に、一体どんな弱みを握られてるんだ? 兄さんは)
 その内容を知ったら、とても心中穏やかではいられなかった聡だが、現時点でそれを知る由も無く、首を捻るのみだった。そして真澄の指示が更に続く。


「そういう訳だから、清香ちゃんの事を宜しくね。でも言っておくけど、夕飯前にきっちり家まで送り届けるのよ?」
「分かりました」
 つい先程までとは異なり、幾分きつい視線で念を押してくる真澄に、聡は苦笑いしかできなかった。


(まあ、さすがに全面的に味方をしてくれるわけでは無いが、門前払いよりはマシか)
 そんな事を考えていると、清人はジャケットのポケットから手帳を取り出し、そこに挟んであったメモを恭子に向かって差し出しながら声をかけた。


「じゃあ川島さん。このリストで残っている場所の、写真を撮っておいて貰えますか?」
「はい、分かりました」
 それまで控え目に皆の後ろに付いて歩いていた恭子が前に出て来て、清人からそれを受け取る。他の皆が(え? ここに押し掛ける方便じゃなくて、本当に取材してたんだ)などと密かに驚く中、淡々と清人が話を続けた。
「終わったら、そのまま帰って貰って構いません。今日は日曜なのに付き合わせて、申し訳ありませんでした」
 軽く頭を下げる清人に、恭子は笑いを堪える表情で応じた。


「いえ、とても楽しかったです。先生の普段とは全く違った一面が見られましたし」
 そう言ってクスクスと笑い出してしまった恭子に誘発された形で、周囲から失笑が漏れる。それを耳にした清人は、疲れた様に溜息を吐いた。
「川島さん……」
「それじゃあ解散。他の皆も寄り道しないで帰りなさいよ?」
 追い払う様に片手を振ってから、真澄は清人を従えて正門に向かって悠然と歩き出した。その背中を見送りながら、男達が顔を見合わせる。


「すっかり悪ガキ扱いだな」
「まあ、あんまり品行方正とは言えないだろう」
「違いない。じゃあさっさと帰るか」
「じゃあ清香ちゃん、またね」
「聡君、ちゃんと清香ちゃんを送り届けろよ?」
「でないと後が怖いからね?」
 そうして他の者達が、三々五々その場を立ち去っていくのを見送りながら、清香は隣に立つ聡に苦笑しながら声をかけた。


「はあ……、皆が揃って賑やかだったから、急に静かになりましたね」
「確かにね。清香さんはやさしいお兄さんみたいな人達がいて、楽しいし退屈しなさそうだね?」
「はい」
(ちょっと皮肉が入っていたが、分からなかったか)
 即座に迷い無く返答された為、聡は若干溜息を吐きたくなった。それを何とか抑えて、意識を切り替える。


「ごめんね、清香さん」
「何ですか? 聡さん」
「その、さっきも謝ったけど……、つい先生と張り合って、清香さんを随分ハラハラさせてしまったみたいだし……」
「本当です! 大の大人が二人揃って、何をやってるんですか!?」
「うん、本当に悪かった」
 本気で怒られて益々気まずい思いをした聡だが、次の瞬間清香が小さく笑った。


「もう怒って無いですよ。その代わり、もう同じ事はしないで下さいね?」
「分かった。誓うよ」
 真顔で頷いた聡に、清香は少し意外そうに言い出した。


「でも……、正直言って、凄く意外でした。お兄ちゃんも聡さんも、どんな時でも冷静に対応できる人かと思っていたのに」
「それは自分でも、意外だったかな? 俺も自分がこんなに熱くなるタイプだとは思っていなかったから。本当に、楽しい場を台無しにしかけてごめん」
(兄さんに多少煽られたからって……。まだまだ精神修行が足りないな)
 そんな事を思いながら聡が苦笑すると、清香も多少悪戯っぽく笑って打ち明けた。


「真澄さんが上手く纏めてくれて、良かったですね。だけど……、正直に言うと、私もちょっとだけワクワクしてました」
「え?」
「最後の方、どっちが競り落とすんだろうって、密かに楽しんでました。あ、でも、本当にほんのちょっとだけですからねっ! あんな心臓に悪い事は二度と御免です!!」
「肝に銘じておくよ」
 勢い込んで訴えてくる清香に、聡は苦笑しながら頷いた。すると清香が口調を変えて聡を見上げてくる。
「でも、真剣な顔でお兄ちゃんと張り合ってた聡さん、とても格好良かったですよ?」
「……え?」
 意外な言葉を耳にして聡が固まったが、そんな事は察しないまま清香が無邪気な笑顔で続けた。


「きっとお仕事中は、あんな顔をされてるんですよね? 笑ってる顔も素敵ですけど、ああいう“戦ってる顔”っぽいのも魅力的だなと思って、眺めてました」
「ありがとう……」
(落ち着け、俺! 彼女に他意は無いから! 素直に感想を口にしてるだけで)
 変な動悸を覚えながら何とか動揺を抑えようとした聡だが、つい気になった事を口にしてしまった。


「……先生は」
「え? お兄ちゃんがどうかしましたか?」
「あ、いや、その……。俺と張り合ってる先生については、どう思ったのかと……」
 口ごもりつつ相手の反応を待った聡だが、清香は事も無げに言い切った。


「お兄ちゃんは笑ってても怒ってても、大抵の男の人より魅力的なのは、もう十分に分かりきっているので、一々口に出す事では無いと思って、別に言わなかったんですけど」
「……ああ、そうだよね」
「聞きたいですか?」
「いや、結構。ごめんね? 変な事を聞いて」
「はぁ……」
(変な聡さん。一体何が言いたかったのかしら?)
(やっぱり俺は、その他大勢での一括りか)
 微妙に落ち込む聡に、首を捻る清香。しかし清香は悩むのをすぐに止め、次の話題を口にした。


「それで……、聡さん」
「うん? どうしたの?」
「お母様の退院までに、あのアレンジと同じ物を作ってお渡ししますね?」
 そう言われて、聡は少し驚いた表情を見せた。
「え? 大変じゃないのかな。そんな気を遣ってくれなくても、大丈夫だよ?」
「でも、随分気に入ってくれたみたいで、嬉しかったんです。勿論、ご迷惑なら止めますけど」
 心配そうに顔色を窺って来る清香に、聡は心からの笑顔を向けた。


「そんな事はないよ。寧ろ嬉しいから、ありがたく頂く事にする。母も喜ぶだろうし」
「良かった。じゃあ年末までには渡せる様にしますね」
「色々と忙しい時期だし、無理はしなくて良いから」
「はい!」
 そう言って輝く様な笑顔で請け負った清香を見下ろして、聡はしみじみと思った。
(ああ、その笑顔って、やっぱり最強かもしれない)
 聡の中で、また何かがゆっくりと動き出した瞬間だった。



「零れた欠片が埋まる時」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「恋愛」の人気作品

コメント

コメントを書く