零れた欠片が埋まる時

篠原皐月

第4話 交錯する思惑

「いただきます」
 夕食時、清香と食卓を挟んで挨拶をした清人は、常より微妙に多い皿数と手の込んだ料理を眺め、箸を動かしながら不思議そうに尋ねた。


「清香、何だか今日は、随分気合いを入れて作ったな」
「うん! だって嬉しい事があったから」
 如何にも上機嫌に言い出す清香の、「聞いて聞いて!」的な無言の訴えを醸し出している瞳を見た清人は、笑いを堪えながら尋ねてみた。


「へえ、因みにどんな良い事があったんだ?」
「今日図書館で、お母さんがお兄ちゃんデビュー以来の熱烈なファンだって人に偶然出会って、色々な話を聞いてきたの」
「そうか。例えば?」
「あのね、出版作品を全部コレクションしているのはお約束でしょうけど、装丁が傷まない様にオリジナルの手製のカバーをかけてるんだって」
「そんな風に大事にして貰っているのは有り難いし、作家冥利に尽きるな」
 自分の作品を大事にして貰っていると聞いて悪い気がしないのは当然であり、清人の顔も自然に緩む。


「それで、お兄ちゃんはこれまで色々なジャンルで書いているでしょう? 一般的な文芸書とかの他に、エッセーとかミステリーや各種ルポやノンフィクション、恋愛物や時代劇とかSFまで手を広げちゃっているし」
「まあ、書きたいものを書いているうちに、際限なく幅が広がってしまったんだが」
「それでその方、ご丁寧にジャンル毎に色柄を変えてカバーを作っているから、お兄ちゃんが新しいジャンルに手を出す度に『今度はどんな物にしようかしら?』って楽しそうに、でも真剣に悩んでいるんですって」
「俺が雑食作家なばかりに、見ず知らずの女性を散々迷わせる結果になって申し訳ない」
 そこで苦笑を一層深くした清人に、清香が顔付きを改めて神妙に言い出した。


「それでね? お兄ちゃん。話しているうちに分かったんだけど、実はその人、今入院中なんですって」
「それは……、それなりの年齢の人だろうし、心配だな」
 思わず同情する口調と表情になった清人に、清香が軽く首を振りながら続ける。


「でも『すぐ退院予定だから心配しないで欲しいし、変な事を聞かせて却って申し訳なかった』と謝られたの。だけどその話を聞いて、私つい『お見舞い代わりにお兄ちゃんのサイン本でもさしあげましょうか?』って、言ってしまって……」
 そう言って気まずそうに俯いた清香を眺めた清人は、目元を緩ませて優しく笑いかけた。


「分かった。それは清香の親切心から申し出た事だし、気にしなくて良い。俺なんかのサインで喜んで貰えるなら、幾らでもするから」
 それを聞いた清香は、弾かれた様に顔を上げ、嬉しそうに礼を述べた。
「ありがとう、お兄ちゃん!」
 その笑みにすこぶる満足しつつ、清人が早速どの本にサインして渡そうかと思案する。


「じゃあ……、出版社から貰った最新刊が残っているから、早速それにでも」
「あ、ちょっと待って!」
「どうした」
 慌てて引き止めた清香に清人は訝しげな顔を向けたが、清香は順序立ててその理由を口にした。


「あのね、できればお母さんが普段読み込んでいる本にサインをして貰えないかって、頼まれているの」
「そうなのか?」
「うん、サインして頂くだけでも恐縮なのに、本まで頂けないって。それに愛着のある本にサインを頂けた方がお母さんも喜びそうだからって事なんだけど、どうかしら?」
 幾分心配そうにお伺いを立てる清香の顔を見て、清人は破顔一笑した。


「それなら俺もそれで構わない。大事に読み込んで貰っている本を見たら、俺も嬉しいからな」
「良かった! じゃあ今度預かってくるから、お願いね」
「分かった。しかしその人は良識と謙虚さを兼ね備えた上、母親思いの親孝行な人だな。そんな風に思いやって貰って、そのお母さんは幸せだ」
「そうね……」
 しみじみと感想を述べた清人だったが、ここで何故か清香が箸の動きを止めて何やら考え込んでしまったらしい事に気がつき、気遣わしげに声をかけた。


「どうかしたのか?」
 その問い掛けに清香は一瞬何と言ったものかと迷う風情を見せたが、ぼそぼそと正直に思った事を口にする。
「あ、えっと……、大した事じゃ無いんだけどね? 私も親孝行、したかったかなぁ……、なんて」
「……清香」
 思わず何とも言い難い顔で清人が口を閉ざし、自然と重苦しくなったその場の空気を払拭しようと、清香がわざとらしく明るい声を張り上げた。


「だから! 親に親孝行出来なかった分、親代わりに面倒見てくれてるお兄ちゃんの老後の面倒はみてあげるからね! 安心して!」
「……なんだそれは?」
 いきなり飛躍した話の内容に清人が眉を顰めたが、清香は勢い込んで続けた。


「だってお兄ちゃんったらもう三十一なのに、結婚どころか女性と付き合ってる気配すら感じないんだもの」
 その妹の訴えに、清人は呆れた様な溜め息を吐く。


「あのな……、未成年の妹が居る家に、女性をとっかえひっかえ引っ張り込んだりできると思うのか? お前が知らない所でそれなりに付き合ってはいるから、清香が心配する事は無い」
「それなら今までどうして、結婚の話が出てこなかったの?」
「清香が自立して幸せな結婚するのを見届けるまでは、自分の事は考えられないからな」
 真顔で淡々と、自分の中での既定路線を語った清人に、今度は清香が溜め息を吐きたくなった。


「あのね……、そんな事言ってたら、お兄ちゃんは忽ち四十過ぎるわよ!? だから私のせいで一人寂しい老後を過ごす事になったら、面倒みてあげるって言ってるの」
 椅子に座りながら些かふんぞり返る様に姿勢を正して宣言した清香に、清人がクスッと小さな笑いを漏らす。


「別にそうなっても、清香のせいじゃないと思うが?」
「いいの! それに……、お兄ちゃん以上に格好良くて頭が良くて頼りになる男の人なんて、そうそう居ないんだもの。だから私の方が、一生独身の可能性が高いと思うし……」
 多少いじけた様に呟いた清香に、とうとう清人は笑い出し、何とかそれを堪えながら結論づけた。


「それについては明らかに俺のせいだな。分かった。じゃあその時は、二人で静かな老後を過ごそうか」
「そうしようね!」
 自分達の将来についてのブラコンシスコン二人組の会話はそれでひとまず円満に終了し、その後清香が清人に色々話し掛けつつ食事を続けたが、何故か清人は何かを考える風情で受け答えをした。そして食べ終えて椅子から立ち上がりつつ、すまなさそうに清香に声をかける。


「清香、悪いが来週一つ締切があって、予定が詰まってるんだ。後片付けを任せて良いか?暫く書斎に籠もるから」
 それに清香が素直に頷く。
「分かったわ。二時間位したら珈琲を持っていくね。明日の朝ご飯も私が準備するから心配しないで」
「ああ、頼む」
 軽く微笑んでから清人は歩き出し、仕事場にしている書斎へと入った。そして机の前のキャスター付きアームチェアにドサリと音を立てて座る。
 大きめのその背もたれに寄りかかりながら、清人は斜め上方向を見るともなしに見つつ、先程までとは打って変わって無表情で呟いた。


「親孝行、か。『親孝行したい時に親は無し』とは良く言ったものだな」
 そして次に上半身を起こし、机に肘を付いて両手を組む。そこに額を押し付ける様にして、不機嫌そうな呻き声を漏らした。


「しかし、不愉快な事まで思い出したな。…………ふざけるな」
 この時、清香がはっきり告げなかった事もあり、清人は清香が知り合った「母親が自分のファン」だという人物が、清香と同年輩の女性だと、何となく思い込んでしまっていた。しかもその人物が最近自分を苛立たせている張本人と同一人物であるなどとは、夢にも思っていなかった。




 本来、清香に関しての観察力洞察力は鋭敏な清人が、珍しくそんな些細な勘違いをした日の翌日。
 明るい午後の日差しが差し込む、ガラス張りの広い店内の壁際でシャンプーを済ませた清香は、スタッフに誘導されて鏡の前の椅子に座った。それからさほど待たされる事もなく、指名をしていた明るいオレンジ色に近い髪の美容師がやってきて、その背後から声をかけてくる。


「やあ清香ちゃん、お待たせ」
 笑顔を振りまきながらふわりとカット用のビニールケープを自分の周りに広げた玲二に、清香は鏡の中の彼に笑顔を返しつつスルリと袖に腕を通した。


「今日もお願いします、玲二さん。でも私って贅沢よね?」
「何が?」
 ケープを清香の首の後ろで止めつつ、首にかかる程度の髪を僅かに揺らしながら玲二が尋ねると、清香がクスクスと笑いながら理由を述べた。


「だってカリスマ美容師と人気が高い玲二さんに、電話一本でこちらの都合に合わせていつでも予約を入れて貰えるんだもの。しかも毛先を揃えるだけなのに。他の女の人達に知られたら、絶対恨まれるわ」
 それに玲二は清香の髪を纏めたタオルを外しつつ、笑って応じる。
「可愛い清香ちゃんがわざわざ俺に会いに来てくれるんだから、時間を空けるのは当然だよ?」
「もう、相変わらず上手なんだから」
 苦笑した清香の髪を、玲二は滑らかな手の動きで肩から背中へと流した。


「言っておくけどお世辞じゃないよ? 本当に、会う度に何にも染まっていない清香ちゃんを見ると……」
 そう言いながら玲二は後ろから両手を回し、清香の両サイドの髪を耳の横で指で挟んで長さを測る様に伸ばしつつ、僅かに屈んで清香の顔に自分の顔を寄せた。そして鏡の中の清香に向かって、艶やかな流し眼を向ける。


「上から下まで余す所無く、俺色に染め上げてみたくなる……」
「ぜえ~ったい、駄目っ!」
 大抵の女性はこれで落ちるところが、清香は頬を染めるどころか、気分を害したらしい顔で盛大に否定してきた為、さすがの玲二もへこみそうになった。


「……酷いな。そんなに嫌わなくても」
 すると清香が猛然と理由を述べる。
「だって美容師さんって、会う人会う人私の髪を見るなり『あら素敵な髪ね! でも若いんだからもう少し明るい色にした方が絶対似合うわよ? ついでに軽くパーマもしてみない?』とか何とか上手いこと丸め込もうとするんだもの!」
 憤然としながら訴えられた内容に、玲二は苦笑いしながら立ち直った。


「ああ、カラーやパーマが嫌な訳か……。因みにその理由、聞いても良い?」
「だってお兄ちゃんが『自分の髪がくせ毛で明るめの色だから、この黒くてサラサラの髪が好きだ』って言って、嬉しそうに髪を撫でてくれるんだもの。うっかり職業上の口車に乗って変えたりしたら、そんな事してくれなくなるかもしれないでしょう?」
「……そうかもしれないね」
 取り敢えず同意の言葉を返しながら玲二は手を動かし、肩甲骨にかかりそうな長さのストレートヘアを少しずつヘアクリップで頭に留めてカットの準備を進めた。


「じゃあいつも通りの長さで、揃えるだけで良いんだね?」
「はい、玲二さんの腕の振るい甲斐が無くてすみませんが、宜しくお願いします」
「任せて」
 くすくすと笑いながらも、次の瞬間真面目な仕事上の顔になった玲二は、クリップを一つ外して指に挟みこんだ髪に向かって鋏を動かし始めた。しかし頭の中では先程の話を思い返し、些かげんなりする。


(だけど……、嬉々として年頃の妹の髪を撫で回すなよ清人さん。絶対、あちこち触りたいだけだろ。危ないなぁ)
 思わず愚痴を言いたくなった玲二だったが、今日顔を合わせた時からいつも以上ににこにこしている清香を見やって、ふと第六感的なものが働いた。


「ところで清香ちゃん。最近何か良い事があった?」
「え? どうしてそんな事を聞くの?」
「いつもより、何となく機嫌が良いかなと思って。客商売だから、観察眼はそれなりにね。特に魅力的な女性に関しては」
 目を丸くした清香に、玲二は手を止めないまま茶目っ気たっぷりに言ってみる。すると清香は、納得したように話し始めた。


「凄いな~、玲二さん。実は昨日嬉しい事があったの」
「へえ、どんな事?」
「お母さんがお兄ちゃんの熱烈なファンって言う人と知り合いになって、色々あってその人と連絡先を交換したの」
 好奇心で尋ねてみたものの、何やら不穏な物を感じてしまった玲二は慎重に尋ねてみた。


「ちょっと聞くけど、その知り合った人って、女の人だよね?」
「ううん、男の人」
(はあ? それじゃあ得体のしれない男に、あっさり連絡先を教えたって事か!?)
 サラッと言われた内容に、玲二は流石に手の動きを止めて慌てて確認を入れた。


「因みにそれ、清人さんに話した?」
「ファンだってお母さんの事? 勿論嬉しいって言ってたけど?」
「いや、そうじゃなくて……、連絡先を交換した人が男の人だって事」
「別にわざわざ話す事じゃないかと思ったから、言ってない、かな?」
 僅かに首を傾げ、怪訝そうに自分が話した内容を確認している清香を見て、玲二は腹立たしく思った。


(何だよ清人さん! いつもなら俺らが清香ちゃんを誘ったりしようものなら、露骨に邪魔したり圧力かけてくる癖に! どうして今回に限って疑いもしないんだ?)
 そこまで考えて、ある一つの可能性に行き着く。


「……清香ちゃん。ひょっとして清人さん、締め切りが近いとか?」
 その問い掛けに、清香は完全に目を見開いて驚愕した。
「凄い! どうしてこの場に居ないお兄ちゃんの事まで分かるの? 玲二さん、ひょっとして最近超能力に目覚めた!?」
「は、はは、さすがにそれはどうかな~」
 天然っぷりを如何なく発揮し、嬉々として食い付く清香に顔を引き攣らせつつ、玲二は内心で深い溜め息を吐いた。


(清人さん、あんた何で肝心な時に使い物にならないかな!? しかしあの人が締切位で、清香ちゃんの監視が緩むとは考えにくいが……。まあ、仕方がない。今日は俺が情報収集に勤しむ事にするか)
 そう腹を決めた玲二は、再び手を動かしながら清香から必要な事を漏れなく聞き出す事に専念した。


「因みに清香ちゃん。その人とどこでどんな風に知り合ったの?」
「昨日図書館に行って、レポートを書くための資料を探してたの。学内の図書館は粗方目を通してたから、他に参考になるのはないかなって。そしたら……」
 そして繊細な手の動きで玲二が毛先を揃えている間、清香は巧みに誘導されて前日出会った悟との一部始終を語った。


「……そんな風に意気統合して、結局本を借りた後、図書館の隣のカフェでお茶を奢って貰ったの。『お手数をかけるので、是非ともこれ位奢らせて下さい』って。流石一流商社勤務の人は、気配りも欠かさないのね」
 心底感心した様に目を閉じて1人納得している清香に、前髪を揃えていた玲二は激しく脱力して思わず床に蹲りたくなった。


(清香ちゃん……、悪いけど、そいつどう聞いても胡散臭さプンプンだから! もっと警戒心を持とうよ!)
 しかし取り敢えずの小言はひとまず横に置いておく事にした玲二は、何とか最後まで笑顔を保ちながらカットを終わらせた。そして「じゃあまたお願いします!」と無邪気な笑顔を見せて清香が去って行ってから、緊急召集をかけるメールを、兄と従兄弟達に一斉送信した。





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