子兎とシープドッグ

篠原皐月

(19)発覚

 祐司の周囲で不穏な出来事が起こり始めて三日目。流石に噂を小耳に挟んだ弘樹と幸恵に会社帰りを急襲された祐司は、連れ込まれた居酒屋の個室で二人相手に管を巻いていた。
「……だから、月曜から本当に変な事ばかりなんだ。車道から水はかけられたのを皮切りに、休工中の工事現場の足場から砂が大量に降ってくるわ、強盗追跡用のペイント球で狙い撃ちにされるわ、職場に俺宛に届いた箱の中から大量の虫が飛び出してくるわ。俺が疲弊している理由が分かったか? 言っておくがまだまだあるぞ、洗いざらい全部聞きたいか!?」
 最初は不機嫌そうに押し黙っていた裕司だったが、よほど鬱憤が溜まっていたのか、中ジョッキ一杯で舌が滑らかになり出した。しかしとても愉快とは思えない内容の話に、弘樹と幸恵は思わず溜め息を吐きつつ顔を顰める。


「落ち着け祐司……。分かった。もう十分だから」
「一体何をやったのよ? どう考えても、誰かの恨みを買っているとしか思えないんだけど?」
「人聞き悪い事言うな! 俺に全然心当たりは無いぞ!」
 祐司が座卓にジョッキを乱暴に置きつつ、憤慨した叫びを上げると、その相手の幸恵は困った顔で傍らの上司を見上げた。
「そうは言っても……。どう思います?」
 そこで問いかけられた弘樹は、部下の推理を肯定した上、それを更に発展させた。


「絶対、何か恨みを買ってるよな。お前、綾乃ちゃんの他にもちょっかい出してる女とかいないのか?」
「ちょっと祐司。まさか本当にそんな事してるの?」
「してるわけ無いだろう! そっちはそっちで土曜日から着信拒否されてるっていうのに、本当にもう何がなんだか……。勘弁してくれ」
 思わず声を荒げた幸恵に怒鳴ってから、祐司は文字通り頭を抱えて座卓に突っ伏した。そんな風に弱り切っている祐司を労わる事無く、弘樹がやや冷たい目を友人に向ける。
「はぁ? 着信拒否って……、お前綾乃ちゃんに一体何をした?」
「何もして無い!」
「そうよね。土曜日は体調が良くなかったから、結局行かなかったって言ってたし」
「何だそれ」
「おい、どういう事だ?」
「……えっと」
 思わず言ってしまった内容に男二人から突っ込みを入れられ、一瞬誤魔化そうとした幸恵だったが、そんな雰囲気ではなかった為、愛想笑いをしながら事情を説明した。


「その……、放置し通しのお返事をしたいけど、今更何て言ったら良いか分かりませんって彼女から相談を受けて……」
「それで?」
「つい……、部屋に行って手料理でも作ってあげれば気持ちは伝わるし、すぐ機嫌は直るから大丈夫よって勧めたんだけど……」
 それを聞いた男二人は唖然とし、特に弘樹は眉を寄せつつ幸恵を窘めた。
「お前、何て事をあの綾乃ちゃんに唆してるんだ。男の部屋に女を一人で送り込むなよ」
「あら、祐司は紳士だと信用しているからこそですよ。そうよね? いきなり襲ったりしないわよね?」
「……まあな」
 笑顔で念を押した自分から僅かに視線を逸らしつつ、しかも返事が若干遅れた事に幸恵は(怪しい……)と思ったが、今問題にしている所はそこでは無かったので、あっさりスルーする事にした。


「それで先週の土曜日に行く事にしてたんだけど、当日具合が悪かったから結局行かなかったって、月曜の朝に会った時言ってたのよ。だから何もしてませんよ」
「確かに来なかったな」
 二人はそこで納得して頷いたが、そこで弘樹がピクリと片眉を上げた。
「荒川、ちょっと待て。その話、土曜日だって言ったよな?」
「はい、そうですけど、それが何か?」
「祐司、お前が綾乃ちゃんから着信拒否されたのが、土曜の夜からって言ってたよな?」
「確かにそう言ったが。だから何だ?」
「いや、俺の思い過ごしなら良いんだが……、うおっと! 悪い、ちょっと待っててくれ!!」
 何やら思わせぶりに何か言い始めたと思ったら、大慌てで突然鳴り出した着メロに反応した弘樹を、祐司と幸恵は半ば呆れ気味に見やった。そんな視線などものともせず、弘樹が上機嫌で通話を始める。


「やあ眞紀子さん、感激だな~。眞紀子さんの方から電話をくれるなんて。初めてだよね? 今日は俺の熱意がとうとう伝わった、記念すべき日に…………。はい、すみません。黙ります。それでご用件は?」
 どうやら叱り付けられたらしいと、祐司がビールを飲みながら内心で溜飲を下げていると、唐突に「はい?」と弘樹が上げたらしい戸惑った声が聞こえた。
「……ええ、はい。その話は本人から聞きました。と言うか、今まさに目の前で聞いていた所で」
 同様に幸恵も怪訝な視線を向ける中、弘樹はチラリと祐司と幸恵を横目で見やりながら話を続ける。
「はぁ……、なるほど。そういう事でしたか。良く分かりました。取り敢えず本人には、俺から伝えておきますので。…………はい、ご連絡ありがとうございました。失礼します」
 そうして壁に向かって深々と一礼してから、弘樹はスマホをしまいこんで、真顔で祐司に向き直った。


「喜べ、祐司。綾乃ちゃんに着信拒否されてた理由が分かったぞ」
「どうして喜べるんだ!」
「最近、お前のマンションに貴子さんが来て、料理作り置きして帰ったろ」
 いきなり変わった話に、祐司は戸惑いつつも素直に頷いた。
「ああ、電話をかけてきた時につい愚痴を零したら、『不摂生してるから、ろくでもない思考に陥るのよ。ちゃんと食べなさい』って言って、買い出しに付き合わされて、山ほど惣菜を作っていってくれたが」
「土曜日にか?」
「土曜日だったが?」
(何を言い出すんだこいつは?)的な視線を受けた弘樹は、疲れた様にたった今聞いたばかりの内容を、端的に告げた。


「買い出しから帰って来たお前達を見て、綾乃ちゃんは恋人同士だと勘違いしたらしい」
「……はぁ!? 何だってそんな誤解するんだ!」
 一瞬遅れて祐司は声を張り上げたが、幸恵もあまりの事態に固まった。そこに弘樹の補足説明が加わる。
「眞紀子さんの話では『返事を保留にしている間に他の女性と付き合い出して、それが言い出せなくて高木さんが困ってると思ってたから、自然消滅させる様に携帯を着信拒否してた』そうなんだが……」
「何だそれは……」
「うわ~、凄い斜め上の発想~。それに祐司って、密かに彼女にそういう男だと思われてるんだ~」
 思わず声を失った祐司だったが、どこか乾いた口調での幸恵のコメントに、力一杯反論した。


「誰がだっ! 第一、それは明らかな誤解だぞ!」
「分かってるから落ち着け。眞紀子さんが貴子さんの事を検索して、綾乃ちゃんに教えたそうだ。そしたら綾乃ちゃんが『あまりにも馬鹿馬鹿しい勘違いだし申し訳なくて、高木さんに合わせる顔が無いです! 穴掘って埋まりたい~』って泣きながら布団を被ってるので、取り敢えず連絡してみましたとさ。携帯の拒否設定も、綾乃ちゃんが落ち着いたら解除させるって約束してくれたから」
「誤解だって分かってるなら、もう良い」
「取り敢えず、一件落着で良かったわね」
 疲労感を覚えながらも、取り敢えず問題解決と祐司と幸恵は安堵の溜め息を吐いたが、ここで再び弘樹が難しい顔をし始めた。


「……いや、一件落着ってわけでも無いよな。もう一度確認するか」
「弘樹?」
「係長?」
 そんな事を呟いた弘樹は、不審そうに見やる二人を無視し、再びスマホを取り出して電話をかけ始めた。
「あ、もしもし眞紀子さん? 弘樹だけど」
 そして相手にすげなくあしらわれたのか、慌てて懇願する。


「うわ、速攻で切らないでくれ、真面目な話だから! まだ綾乃ちゃんは眞紀子さんのマンションに居るんだよね? ちょっと聞いて欲しい事があるんだけど」
 一体何事だと思いながら祐司と幸恵がその光景を見ていると、弘樹はあまり穏やかではない内容の事を口にした。
「……えっと、綾乃ちゃんが土曜の夜から日曜の夜にかけて、家族の人と会ったり電話で話したりしたかなと思って。…………うん? いや、大した事じゃないんだけど頼むよ」
 電話の向こうの眞紀子には分からなくても、つい先ほどまで話していた、または話を聞いていた二人には、弘樹が尋ねた内容の意味が容易に推察できた。


「ああ、ありがとう。それで? …………へえ、そうなんだ。ついでにその時、どんな話をしたのか聞いてくれるかな? ……まあ、ちょっとね」
 少し間が空いてから帰ってきた言葉に、弘樹は納得した様に頷き、更に問いを重ねる。その間祐司と幸恵は一言も発せず、事態の推移を見守っていた。
「……ああ、なるほど。それはそれは。どうもありがとう、助かったよ。お礼に今度奢るから、一緒に食事に行」
 どうやら話は終わったとばかりに、問答無用でブチ切られたらしい弘樹は、「相変わらずつれないねぇ……」などと言いながら、再びスマホをポケットにしまい込んだ。すると祐司が問い質す様に、幸恵が恐る恐ると言った感じで話しかけてくる。


「おい、弘樹……」
「まさか今の話……」
 その声に、弘樹は困った様な表情で、確認した内容を二人に告げた。
「日曜の昼、親父さんが秘書同伴で、綾乃ちゃんのマンションに飯を食いに来たそうだ。その時話した内容は、荒川と仲良くなった事を含めた世間話らしいんだがな。……あの綾乃ちゃんだぜ?」
「君島代議士辺りには、考えている事だだ漏れの可能性大ですよね」
「隠し事なんて、出来そうに無いしな……」
 そう言って揃って肩を落とした弘樹と幸恵の目の前で、座卓の上で握り締めた拳を振るわせつつ、祐司が低い声で呻いた。


「つまり、こういう事か? 俺は彼女を泣かせたか捨てたかと君島代議士に誤解されて、月曜からの三日間、執拗な嫌がらせを受けてたってわけか?」
 その怒りを押し殺した祐司の口調に、流石に焦った弘樹と幸恵が宥めようとする。
「おい、祐司。綾乃ちゃんはちょっと勘違いしただけなんだし、そう怒るなよ」
「そうよ。あの子に悪気は無かったのよ、悪気は。別に父親に言いつけたわけじゃ無いんだから」
「……怒る? 誰が彼女に対して怒るって言うんだ。俺が腹を立ててるのは、親父の方だ。金と権力に飽かせて、何してやがるんだ。ふざけんなよ、クソ親父……」
(うわ、まずい。祐司の奴本気で怒ってやがる)
(気持ちは分かるけど、代議士相手に腹を立てても……)
 もう目つきが尋常ではない祐司を、すっかり宥める気を無くしてしまった弘樹だったが、ここで祐司から不穏すぎる要求が繰り出された。


「弘樹。お前、この前、彼女の下の兄貴を呼びつけたから、当然連絡先を知ってるよな?」
「そりゃあ、知ってるが……、それがどうかしたか?」
 流石に弘樹が躊躇ったが、祐司が有無を言わさず要求する。
「さっさと教えろ。今すぐだ」
「何の為に?」
「お前には関係ない」
「……分かった。ちょっと待ってろ」
 横から(ちょっと係長、そんなあっさり教えちゃうんですか!?)と横から幸恵が非難がましい視線を送っているのは分かっていたが、弘樹は目の前の脅威を回避するべく、自己保身に走った。
 そしてその数分後、連絡先を教えて貰った祐司は、早速綾乃の兄、君島和臣に連絡を取った。


「君島さんですか? 高木です。懇親会ではお世話様でした。…………いえ、こちらこそ」
 流石営業部勤務と言うべきか、つい先ほどまで憤怒の表情をしていたと思えない程に、にこやかな笑顔を浮かべつつ社交辞令を繰り出していた裕司だったが、すぐに口調を変えてきた。
「つきましては、無理を承知で、君島さんに是非お願いしたい事がありまして……」
 それを聞いた弘樹と幸恵に緊張が走ったが、予想通りと言うか予想以上と言おうか、二人の度肝を抜く様な事を祐司が口にした。


「はい、君島代議士に二人きりでお会いしたくて、席を設けて頂けないかと。お父上には『是非この間のお礼がしたい』と申して頂ければ、話は伝わると思いますが」
 驚愕して固まっている二人を他所に、どうやら祐司と和臣の間で話が徐々に纏まっているらしく、淡々とした口調で話が進む。
「…………ああ、綾乃さんは関係ありませんので、教えなくて宜しいですよ? 彼女もこの事は知りませんし。……はい、そちらの都合に合わせますので。宜しくお取次ぎ下さい。はい、失礼します」
 そうして首尾良く話を終わらせたらしい祐司が携帯をしまい込むと同時に、弘樹と幸恵が強張った顔付きで迫った。
「ちょっと待て、祐司。お前正気か!?」
「いきなり首謀者呼びつけて、何をする気よ!?」
「言いたい事、真正面から言ってやるだけだ。心配するな。じゃあ俺は帰るから清算宜しく」
 しかし祐司は飄々とした態度を崩す事無くその店を後にし、弘樹と幸恵は想像もしなかった展開に、呆然と立ち竦んで祐司を見送ったのだった。





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