猫、時々姫君

篠原皐月

第5章 姫、時々黒猫:1.女伯爵誕生

 魔術師としての勤務時間中、王宮専属魔術師の制服である紫色のローブを身に纏ったまま、予め呼び出しを受けた時間に国王執務室へ出向いたエリーシアは、迎え入れてくれた国王・宰相コンビに恐縮しながら頭を下げた。そしてその片隅に設置してある応接セットに誘導され、小さな丸テーブルを囲む椅子を勧められる。それに素直に腰を下ろすと、対面する場所に座った二人と同様にお茶が出され、ランセルが笑顔で口を開いた。


「わざわざこんな所に呼び立ててすまないな、エリーシア」
「いえ、同じ王宮内ですし、お気になさらず。確かに執務室まで出向くようにと、魔術師長を介して要請を受けたのには驚きましたが。それだけ今、例の件の事後処理でお忙しいのですよね? その……、こんな所でお茶を頂いて、宜しいのでしょうか?」
 つい先程通り抜けてきた前室の文官達が、揃って血走った目をしながら仕事をしていたのを見て取っての言葉だったのだが、ランセルが平然とその疑問に答えた。


「構わん。この鬼畜宰相が、私に満足に休憩を取らせてくれなくてな。エリーシアを呼びつけるのを口実にさぼっているのだから、堂々とお茶を飲んでいってくれ。若い者が好みそうな菓子も、準備しておいたぞ?」
「ありがとうございます。遠慮無く頂きます」
(鬼畜宰相って……、本人の前で言ってるし)
 すました顔で言ってのけたランセルの横で、タウロンが無言のまま苦笑いしながらカップに手を伸ばすのを見て、エリーシアも笑いを堪えつつ、遠慮なく中央の皿に盛られている焼き菓子に手を伸ばした。そして彼女が少し喉を潤したのを見てから、ランセルが徐に口を開く。


「それで、今回こちらに出向いて貰った理由だが……、この際エリーシアに、伯爵位と領地を授けようと思う。是非快く受け取って欲しい」
「は?」
 冗談か、あるいは何か聞き間違ったかと、エリーシアはカップを持つ手を不自然に空中で止めて、相対している二人を凝視したが、彼らが真剣な面持ちなのを認めて、静かにカップをテーブルに戻した。そして静かに疑問を呈する。


「あの……、私、貴族ではありませんが?」
「だから、爵位を授ける云々の話になる」
 真顔でそう続けたランセルに、エリーシアは両目を閉じてこめかみを押さえる動作をしてから、再び目を開けてランセルを凝視した。


「……申し訳ありません。できれば私にも分かるように、説明して頂きたいのですが」
 すると、その説明をタウロンが引き受けた。
「今回の陰謀に係わった貴族達のうち、領地の一部を没収した者はラミレス公爵とライトナー伯爵だけだが、一部と言えども、かなり纏まった土地になる」
「それはそうでしょうね」
 宰相に視線を移しながら彼女が相槌を打つと、タウロンが冷静に話を続ける。


「それを全て王家直轄地にするのは、対外的にどうかと言った意見も出たのだ。穿った見方をすれば、あの騒動は二人の勢力を削ぐ為に、陛下や私が仕組んだと二人の周囲が言い出しかねない」
「そんな馬鹿な話を信じる人間、そうそういないと思いますが?」
 その懸念を聞いたエリーシアは本気で呆れ、もの凄く疑わしそうに反論したが、タウロンが真顔で頷きながらも話を続ける。


「私もそう思っているが……。それでこの際、エリーシア殿の働きへの褒賞として、ラミレス公爵領から分割した領地を下賜し、それに相応しい爵位も与える話になった。因みにライトナー伯爵から分割した領地は、シェリル姫の領地とする予定で」
「ちょっと待って下さい! あのトレリア国の陰謀を阻止する為に、陰で色々頑張っておられた方は山ほど居るのに、皆さんを差し置いて私だけそんな物を頂く訳にはいきません!」
 慌ててタウロンの話を遮り、正論を主張したエリーシアだったが、相手は好ましそうに表情を緩めただけで、淡々と説明を続けた。


「それは尤もな話だ。だからそれは、今回の一件だけに対する褒賞では無く、シェリル姫をこれまで養育されてきた事への褒賞だと言う事にもなっている」
 それを聞いたエリーシアが、はっきりと分かる程度に不機嫌そうに顔を歪める。


「モンテラード宰相。私や義父は、何らかの見返りを期待して、シェリルを育てた訳では無いのですが?」
「その気持ちは良く分かる。だが陛下の意志が固くてな。気を悪くしないで欲しい」
 そこで唐突に、ランセルが会話に割り込んできた。


「本当はどちらも、アーデンに下賜したかったのだ」
「陛下?」
「彼は身分は無かったが、若かった頃の私の唯一無二の友人で、誰よりも信頼の置ける家臣だった。王宮に居る頃、何度も同様の話をしたのだが『そんな物は不要だ』といつも固辞されてな。そんな彼に、そうとは知らなかったにせよ、娘まできちんと育てて貰った。だからせめて彼の代わりに、娘に受け取って貰いたい。どうだろうか?」
(父さんが固辞したのなら、余計に私が受け取る筋合いの物じゃないと思うんだけど)
 そうは思ったものの、真摯な顔付きで自分の顔を見詰めてくるランセルに、エリーシアは多少居心地が悪い思いをしながら考え込んだ。そして無言のまま少し考えを巡らせてから、ゆっくりと口を開く。


「それでは……、その話をお受けするに当たっては、ちょっとした条件が有るのですが」
「どんな条件かな?」
 冷静に問い返したタウロンに、エリーシアは真顔で確認を入れた。


「私に領地経営の経験などは皆無ですが、その土地の実際の運営はどうなりますか?」
「直轄地に準じる扱いで、王宮から実務に長けた人間を配置するが、その人間にあなたの要望を伝えて好きに運営して構わないのだが」
「それなら向こう五年間、その土地の税額、税率は、従来の半分にして下さい」
 いきなり申し出られた内容に、二人は思わず顔を見合わせた。そして、とある懸念について言及しようとする。


「半分? いや、しかしそれでは」
「勿論それでは、周囲の土地から人間が無秩序に流れ込んで来そうなので、元からその土地の戸籍簿に登録されている者限定で、移住してきた人間からは従来通りの税を徴収します」
「それなら厄介な人間が、大量に流れ込むのは防げるな」
 エリーシアの如才無い対応策を聞いて、タウロンとランセルは素直に感心して頷いた。しかしエリーシアは別に自慢する事も無く、淡々と自分の意見を述べる。


「それに、下の人間にとっては、正直、誰が領主になっても関係無い筈です。騒ぎ立てるのは、前の領主から恩恵を受けていた小役人位でしょう。だから税を半分にして、徴収した税も全て領内の街道や橋、水路や運河の整備等に注ぎ込めば領民は喜びますから、急な領主変更でも動揺などはしないと思います」
「なるほど。ラミレス公爵やライトナー伯爵の手の者が、ぽっと出の女領主なんか信用できないと騒ぎ立てて、領内で造反を企てたとしても、応じる人間など皆無になるか」
「はい。いきなり平民に爵位を与えるのは、幾らなんでも相当無茶だと思いますから、それ位はしても良いかと。幸い私の住居は、今現在後宮に無償で提供されていますし、魔術師としての俸給も十分ですので、領地からの税収を当てにしなくても生活できます。両者から没収した他の財産も、ありったけ土壌改良や環境整備につぎ込ませて下さい」
 真顔で告げたエリーシアを見て、男二人は苦笑するしかできなかった。


「彼女がなかなかの政治的センスの保持者で、こちらとしても幸運でしたな」
「分かった、エリーシア。その様に取り計ろう。周囲が騒々しくなって、却って迷惑をかけるかもしれないが、宜しく頼む」
「はい、謹んでお受けいたします、陛下」
(私が貴族様、ね。本当に面倒くさいけど、仕方が無いか。逃げまくってた父さんの尻拭いをするのは、昔から私しかいないものね)
 ランセルに軽く頭を下げられ、これ以上固辞する事はできないと諦めたエリーシアは、自身も頭を下げてその申し出を受け入れた。それによってエルマース王国に、前例が少ない上相当型破りな女伯爵が、誕生する事となった。



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