猫、時々姫君

篠原皐月

14.エリーシアの帰還

 突然、出席している貴族達の中程の位置から、複数の紐状の物が生き物の様に幾つかの方向に伸び、瞬く間にラウールとラミレス公爵を初めとする数人の身体に絡み付いて拘束した。しかもラウールの身体には四肢の他、首から口にかけての部位にも絡み付いた為、計五本のそれで身動きはおろか、声も出せなくなる。


「……っ、……ぅぐっ! ……ふぁっ、……んんっ!」
「うふふっ! やぁ~っと隙を見せてくれたわね。手こずらせてくれちゃって! まあ、これで取り敢えず、一件落着でめでたしめでたし? あぁ~、頑張っちゃったわ~、私」
 そしていきなり姿を現したかと思ったら、その紐を左右の手首に装着している腕輪の石から五本ずつ放出し、高笑いしている旅装のエリーシアを見て、未だ姿を消したままのシェリルは、会場の隅で目を丸くした。


(エリー! いつの間に大広間に入って来てたの!?)
 そんなシェリルと同様に、彼女の存在に全く気付いていなかった周囲の者達が、不気味がって急いで後退りする中、玉座に近い場所からレオンが吠えた。


「おい、エリーシア! お前、そんな所で一体何をやってる! それに戻って来たなら戻って来たで、どうしてすぐに報告を入れないんだ!」
 それを耳にしたエリーシアは、面倒くさそうに眉を寄せ、相変わらず捕獲した男達の身体や首を紐で締め上げながら、不機嫌そうに答えた。


「ここに忍び込んだのは、ついさっきですよ? しっかり防御魔法を周辺に張り巡らせている生き証人を、きちんと捕獲すべく様子を窺っていたんです。そうしたら逃げ出す為の術式に意識が移ったので、その瞬間を狙って攻撃できましたので」
「それは分かったが……、その紐は何だ? 普通の紐じゃ無いだろう?」
 一見、通常の物とは色調や材質が違うとしか思えない代物に、会場内の全員が同じ疑問を覚えたが、エリーシアは事も無げに答えた。


「この紐全体に、クルムドーラの毒を濃縮した物を、たっぷり染み込ませて有るんです。これは経皮吸収されるので、ずっと縛られてると、その神経毒で身体が痺れて動けなくなるんですよね」
(ちょっと待ってエリー! それ、街にお買い物に行く時とかに、時々付けてたよね? そんなに怖い物だったの!?)
 にっこり笑顔で説明された内容に、シェリルは心の中で悲鳴を上げたが、レオンも同様に狼狽した声を上げた。


「あの毒蛇の!? 何て物を使ってるんだ! 危ないだろうが!」
「えぇ~? 普段はこのブレスレット内に術式で収納してるので、全然危険じゃありませんし、か弱い女が世の中を渡って行くのに、これ位の護身用装備の五つや六つ、当然ですよ」
「五つや六つって、これだけじゃ無いのか!?」
 もはやレオンは呆れの表情を隠そうともせず、周囲の貴族達がドン引きする中、エリーシアが思い出した様にベランダに続く大きな窓の外に向かって大声で呼び掛けた。


「お待たせしました~! 入って来て下さ~い!」
 その声と同時に窓が左右に全開になり、何事かと室内の殆どの人間が目を向けると、そこから正方形の絨毯がふわふわと空中を漂いながら大広間へと入って来て、エリーシアと国王夫妻との間の空間に音もなく着地した。そしてその上に座っていた男が、ゆっくり立ち上がりながら陽気にエリーシアに声をかける。


「いや~、エリーに忘れ去られたかと思って、おじさんヒヤヒヤしたよ。お、偽ラウールにラミレス公爵、ライトナー伯爵にメルヴィル伯爵、キリアム子爵っと。首尾良く、全員確保してるな。上出来上出来」
「ありがとうございます」
 そしてエリーシアにヒラヒラと手を振ってから、彼は主君に向き直って片膝を付き、深々と頭を下げた。


「それでは陛下にご報告致します」
「あ、ああ……、宜しく頼む」
 その彼の頭部には、おそらくエリーシアの物かと思われる、ピンクの大きな花柄の薄手のストールらしき物が目以外の部分を覆ってぐるぐる巻きにされており、はっきり言って彼の方が不審者そのものであった。しかしそれは、内偵組織の中心人物である彼が、自分の身元を隠す為の緊急措置だと分かっていた為、ランセルはそれについては触れない事にする。
 そしていつもとは声も変えた、アクセスからの報告が始められた。


「結論から言えば、そちらに身動きできずに転がっている男は、ハリード男爵令息のディオンでは無く、トレリア国第九王子で魔術師のサイラス・ヒューラ・トリルです」
「何だと!?」
 さすがに国王以下、皆が驚きの声を上げる中、アクセスが短く指示を出す。


「エリー」
 そしてエリーシアも不用意に彼の名前を口に出したりする事無く、淡々と打ち合わせていた事を進めた。


「了解しました。さあ化けの皮を、今、剥いであげるわよっ!? ディルス・シェイ・デア・クアル!」
「……っ!!」
 エリーシアが呪文を唱えた瞬間、手首から伸びている紐を伝わって、小さな光と何かの力が走り、ラウールと名乗っていた男に到達し、その全身を包み込んだ。すると見る間に髪の色が黒から暗褐色になり、彼女を睨み付けている瞳が琥珀から深い青色になる。


「なるほど……、これなら《ラウール》だと主張できる筈が無いな……」
 その変化を目の当たりにしたレオンが思わず呟くと、それまで必死の形相で拘束を外そうとしていた彼が、急に意識を失った様に瞼を閉じ、手足を投げ出して倒れた。それを見たクラウスが、彼女達に近寄りながら声をかける。


「エリー。何だか彼が、随分ぐったりしているようだが。毒の他に何か混ぜたのかい?」
 すると、エリーシアはきょとんとしながら、その問いに答えた。


「あぁ……、手強そうなんで、五本使ったのがまずかったでしょうか? 全部に同量染み込ませてあるんですよね。でも相当な腕前の魔術師ですし、毒物に対する耐性魔法術式位、構築してあると思ったんですが」
 それを聞いたクラウスは、はっきりと顔色を変えた。


「ちょっと待て! 五本のうち、毒が含有されているのは一本だけじゃ無かったのか!? それじゃあ、彼は他の人間の五倍は毒に接していると!?」
「勿論、そうなりますが」
「エリー! 今すぐ彼の拘束を解除してくれ! 下手したら呼吸が止まるぞ!!」
「え? そうなんですか? すみません。人体で試した事が無かったもので」
 瞬時に紐を腕輪に収納し、真顔で謝罪したエリーシアだったが、クラウスは目の前の蒼白な顔で横たわっている男を見下ろしながら、矢継ぎ早に会場に居る部下の魔術師達に指示を出した。


「誰でも良い! 大至急、魔封具を持って来い! それと薬師の手配もだ! あと奥に転送させるから、受け入れの術式構築をしておけ!」
「は、はいっ!」
「直ちに準備致します!」
「あ、こいつ結構な魔力保持者ですから、安全に運ぼうと思ったら、魔封具は一つや二つじゃ駄目ですからね~」
 急に緊迫感が増してきた会場の中で、どこか間延びしたエリーシアの声が響き、シェリルは(エリー、半分以上はエリーのせいで皆大騒ぎしてるんだから、少し大人しくしていましょうよ)と、がっくり肩を落とした。





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