猫、時々姫君

篠原皐月

6.本人&本人

(よいしょ、っと)
 心ならずも現在ここの住人となっているディオンは、鉄格子の隙間を楽々と通り抜けて中に入って来たシェリルに気付き、本気で面食らった。


「……え? あれ? こんな所に猫? それにいきなり出て来たみたいに見えたけど、一体どこから、どうやって入って来たんだ?」
「初めまして、ディオンさん。私はシェリルって言います」
「え?」
 思わず独り言を漏らしていると、目の前にちょこんと座った黒猫が礼儀正しく自己紹介してきた為、ディオンは一瞬呆けてからパニックに陥った。


「……う、うわぁぁっ!! ねっ、猫が喋ったぁぁぁっ!! これが噂に聞く化け猫って奴か!? 俺は美味く無いぞっ!! あっち行けっ!!」
 無意識に毛布を引き寄せたディオンがそれを両手で掴み、勢い良く上下に振って目の前の猫を追い払う真似をした為、さすがにシェリルも腹を立てて怒鳴り返した。


「いきなり現れたのは申し訳無いですけど、何かもの凄く失礼ですよね!! 誰が化け猫ですか!? 第一、私は猫の姿をしているだけで、れっきとした人間なんですから!!」
「は?」
 噛み付くようにそう言われたディオンは手の動きを止め、まじまじとシェリルを見下ろした。


「……本当に、人間?」
「はい」
「なんで猫なわけ?」
「それには色々複雑な事情が……。でも今は、あなたを探すのに好都合だったわ。そうだ! こんな些細な事を言い合ってる場合じゃ無いの! あなたがこの国の第一王子って事になってるのを何とかしないと!」
「え? 何だそれ?」
 益々分からない顔になったディオンを見上げて、シェリルは逆に驚いた。


「え? まさか当事者なのに知らないの? さっきのいけ好かない連中からとか、お父さんとかから話を聞いてない?」
「いや、俺がここに閉じ込められてる理由は、一切聞かされていないんだ。父さんと話す時も、周りで余計な事を言わないように、見張っているみたいで」
「そうだったの」
 唖然としたシェリルだったが、その間にディオンは床に座り込み、真顔で頼み込んできた。


「猫だろうが人間だろうがどうでも良い。頼む、教えてくれ。今、外ではどんな事になってるんだ? 見回りはさっき来たばかりだから、暫く来ない筈だから」
「分かった。私が知っている範囲の事を教えるわ」
 そうしてシェリルが、夜会でランセル公爵主導によってハリード男爵子息が第一王子として名乗りを上げた事と、その後の王宮を舞台にした水面下での《レオン王太子派》と《第一王子ラウール派》の派閥抗争のあらましを語って聞かせると、ディオンの顔から忽ち血の気が引いた。


「何て事になってるんだ……。俺が事も有ろうに、長年行方不明になってる第一王子? そんな事、あるわけ無いだろうが!!」
 驚愕した後に怒りがこみ上げてきたらしく、ディオンは拳で床を叩きながら吐き捨てたが、シェリルは困った顔で付け加えた。


「でも、王宮から派遣された調査団が、ハリード男爵の領地での調査でも、あなたの本当の両親が不明で、男爵夫妻が拾った子供を育てたのは間違いないって、報告が上がっているんだけど」
「俺の両親ははっきりしている」
「え? 嘘!?」
 あっさり言われた内容にシェリルは目を丸くしたが、ディオンは眉間に皺を寄せながら語り出した。


「本当だ。実は本当の母親と母さん。つまり養母は遠縁に当たる関係でね。実母が結婚前に火遊びして、できたのが俺なんだ」
「……えっと、そうでしたか」
「それが表沙汰になったら、実母の家、その相手の家、更には実母の婚約者の家にとって、不名誉極まりない事になる。それで実母の家では実母を密かに出産させた後、密かに俺を殺す事にしていたそうだ」
「殺すって……。それに婚約者がいたのに火遊び……」
 想像の限界を軽く超える話に、シェリルは絶句してしまったが、そんな彼女にディオンが申し訳無さそうに謝ってきた。


「ごめん。考え無しに、不愉快な話を聞かせてしまって」
 そこで気を取り直したシェリルは、慌てて首を振る。
「ううん。構わないで。話を続けてくれる?」
「ああ」
 そしてディオンも軽く頷いて話を続けた。


「だけど実母の母親……、つまり実の母方の祖母が不憫に思って、子供がいなかった俺の養母に相談したんだ。それで両親は俺を密かに引き取る事にし、祖母は俺を殺すのを止めさせて捨てるふりをして、両親に俺を渡したのが真相ってわけ。その祖母は秘密を抱えたまま亡くなり、実の両親も、実母と結婚した元婚約者で現在の夫も、俺の存在すら知らないんだ」
 そこまで聞いた内容を、頭の中で吟味してみたシェリルは、ディオンに控え目に確認を入れてみた。


「えっと……、それって、世間に公表すると拙い話、なのよね?」
「勿論、さっき言った三家にとってはね。だから両親が口を割らなくて、こんな困った事態になっているんだと思う。母と実母は結構交友があったらしいから、庇っている筈だ」
 そこで重い溜め息を吐いたディオンにシェリルは同情しつつ、つい愚痴っぽい呟きを漏らした。


「ハリード男爵夫妻が、もの凄く律儀な人達だって事は良く分かったけど……。正直に言えば、今回の事が起こる前に、周囲に本当の事を打ち明けていて欲しかったわ。そうしたら、ディオンを第一王子に仕立て上げようなんて考える輩は、出て来なかった筈だし」
「同感だ。実の両親の立場なんか知った事か」
(何だか、身につまされる話。挙げ句に、こんな事に巻き込まれちゃうなんて)
 実の両親について言及した時の冷え冷えとしたディオンの口調と表情を見たシェリルは、同様に捨てられた我が身を顧みて複雑な心境に陥った。しかし余計な事を考え込む余裕も無く、ディオンが切羽詰まった表情で訴えてくる。


「本当に、状況が分かって良かった。急いでここを抜け出して、父さんを止めないと。王族の名を詐称するなんて、下手すれば国外追放、良くても爵位と領地没収だ」
「そんなに大事なの? それにハリード男爵は脅迫されて、嫌々協力していただけでしょう?」
 ラミレス公爵とライトナー伯爵はともかく、ハリード男爵は大した罪にならないだろうと思い込んでいたシェリルは目を丸くした。しかしディオンが難しい顔で続ける。


「情状酌量して貰えるかどうかは微妙だな。夜会で父がその偽王子を、自分の息子だと言ったわけだろう?」
「うん……、言ってたわね」
「それだけだったらまだしも、公式行事である即位記念式典や公式な舞踏会で同じ事をしたら、目こぼしなんかしてもらえる筈がない。第一、王家の威信に係わるよ」
「じゃあ尚更急がないと! もう夕方の時間帯だわ」
 そこまで言われて、さすがにシェリルも焦りを感じてきた。そんな彼女から鉄格子に視線を移しつつ、ディオンが唸る。


「しかしどうするか……。ここの出入り口の鍵は、上の見張りの奴が持ってる筈だし……」
 釣られてシェリルも鉄格子の方に何気なく目を向けると、床に置かれたトレーに気が付いた。その上に乗せられている空の食器を見て、ある事を思い付く。


「ねぇ、ディオン。食事はどうしていたの?」
「食事? 一日二回、担当の人間が運んで来て、そこの差し入れ口から入れてくるんだ。代わりに空のトレーを渡しているけど、どうしてそんな事を聞くんだ?」
 いきなり何を言い出すのかとディオンは怪訝な顔になったが、シェリルはそれには構わず問いを重ねた。


「ちなみに、お夕食が運ばれて来るまで、まだ結構時間がかかる?」
「いや、そろそろ来てもおかしくない時間帯だ」
「ちょうど良かったわ。それなら良い考えがあるの!」
「え? シェリル、本当か!?」
 話を聞いて瞳を輝かせたシェリルに、表情を明るくしたディオンが詰め寄る。そして時間を無駄にはできないと、シェリルは早速自分の思い付いた作戦を、ディオンに語って聞かせた。



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