猫、時々姫君

篠原皐月

11.危険地帯

「シェリル姫、ご歓談中お邪魔をして申し訳ありません」
「いえ、大丈夫ですよ? それよりジェリドさん、それは……」
 恐る恐るラウールが手にしている、得体が知れない物を指差しながら尋ねると、ジェリドはにこやかに詳細について説明した。


「遠目にも目障りな害虫が、姫の周りに居りましたので。ちょっと排除しようと、あそこの回廊から魔術で補強しながら投げてみました。ああ、姫は先端部分には触れないで下さい。結構強力な神経毒を塗布してありますので」
「毒……」
 それを聞いたシェリルは無意識に顔を引き攣らせ、ラウールは如何にも嫌そうに顔をしかめる。


(『投げてみました』って。だってあそこからだと結構な距離を、一直線に凄い勢いで飛んで来ましたよ? それに『毒』って、何をそんなにあっさり言ってるんですか! しかも『姫は触らないで下さい』って、ディオンなら触った構わないって事ですか!?)
 突っ込みどころが有り過ぎて、咄嗟に言葉が出なかったシェリルに代わって、言葉の端々に皮肉げな響きを含ませながら、ラウールが声をかけた。


「噂に違わず、なかなか強烈な方ですね。近衛軍第四軍司令官、ジェリド・ウェルス・モンテラード殿。今はラウールと名乗っていますが、ディオン・カースド・ハリードです。以後、お見知り置き下さい」
「ラミレス公爵の所でお顔を拝見した事はありましたが、お互いに自己紹介はしていませんでしたね。こちらこそ宜しくお願いします、ラウール殿」
 一見、礼儀正しく受け答えした二人を見て、シェリルは不思議そうに口を挟んだ。


「ジェリドさん? ラミレス公爵と親しかったんですか?」
「私は今、ファルス公爵の護衛の任に付いておりまして。ファルス公爵がラミレス公爵と顔を合わせた時に、こちらの方も同席しておられました」
「そうですか」
(何だか、如何にもディオンを付属品か置物扱いしている気がする。気のせいかしら?)
 思わずシェリルは考え込んだが、ここでラウールが幾分表情を険しくしながら苦言を呈する。


「それにしても……、後宮の庭園でこんな物騒な代物を放つなんて、あまり感心できませんね。万が一、シェリルに当たったりしたら大変でしたよ?」
 しかしその懸念を聞いたジェリドは、笑って一刀両断した。


「ご心配無く。それは間違っても姫に当たるどころか、かすりもしません」
「それは大した自信だな。自身の能力への過信は、身の破滅に繋がると思いますが?」
「お気遣いありがとうございます。ですがそれはご自分への戒めの言葉として、大事に胸の内にしまっておくのが宜しいかと」
 堂々と言い放ったジェリドに、ラウールがはっきりと眉を寄せながら問い質す。


「ほぅ? 自分には関係ないと? シェリルに怪我をさせる筈がないと、そこまで断言できる根拠は?」
「私の姫に対する愛です」
「……はぁ?」
 何か変な事を聞いた、とでも言わんばかりの表情になったラウールに、ジェリドが冷静に言葉を継いだ。


「因みに今現在は、陛下に私達の婚約を正式に申し込んでいる段階ですが、そう遠く無い時期に認めて頂けると確信しておりますので」
 そこで泰然自若なジェリドと、話に付いていけずに呆けているシェリルを交互に見たラウールは、怖い位真剣な顔で問いを発した。


「シェリル?」
「は、はい」
「なんだかこの男、君の自称婚約者っぽい事を口走っているけど……、本当か?」
 鋭い口調で詰問されて、シェリルは思わず慎重に考え込みながら答えた。


「え、えっと、その……、確かに、求婚らしい事は言われましたよ?」
「『らしい』では無くて、求婚はしましたから」
「それで君は了解したわけか?」
 鋭くジェリドが突っ込みを入れ、ラウールが半ばそれを無視しながら問いを重ねる。その質問を受けたシェリルは、真顔で考え込んでから、ジェリドに視線を向けて確認を入れた。


「……お返事、しましたか?」
「お忘れですか?」
(え? あれ? 何かいきなりで驚いて、とっさに理解できないうちにミリアに運び出されたと思ったんだけど……。私、その場で何か言ったのかしら?)
 質問したものの自信満々の笑顔で言い返され、シェリルは途端に自信が無くなってきた。すると二人の心の中を読んだのか、ラウールが怒りを含んだ低い声でシェリルを窘めてくる。


「流されるな、シェリル。大方こいつが勝手にほざいてるだけだ」
「え? ディオン?」
「人聞きが悪いですね」
 ジェリドが平然として言ってのけた為、ラウールが盛大に舌打ちし、その眉間にはっきりと皺を寄せた。


「全くたちが悪い。シェリルが世慣れていない事を良い事に、あっさり丸め込もうとするなんて」
「遊び半分で魔術をかけてみようと試す輩よりは、遥かにましだと思いますが? 少なくとも堂々と正面から、彼女に相対しているわけですし」
 そこで男二人が、器用にも笑顔のままでの睨み合いに突入する。


「羨ましいな。あなたには武芸と魔術の腕がある上に、面の皮も相当厚いらしい」
「面の皮云々で言うなら、どなたかには負けると思いますよ?」
(こ、怖いっ! 何、この張り詰めた空気! それ以前に、二人とも一応微笑んでるのに、その笑顔が怖過ぎる!! これからどうなるわけ?)
 もはや下手に口を挟む事もできず、戦々恐々と成り行きを見守るだけのシェリルだったが、予想外の方向からこの対決に終止符が打たれた。


「……ラウール様、次のお約束の時間が迫っておりますので」
「分かっている」
 今の今まで少し離れていた所で待機していたラウール付きの騎士がテーブルに歩み寄り、上半身を屈めて彼の耳元で囁いた。内心はどうあれラウールがそれに素直に頷き、椅子から立ち上がる。


「それではシェリル、そろそろ失礼するよ。今日は美味しいお茶をありがとう」
「いえ、大してお構いできなくてごめんなさい」
 シェリルも慌てて立ち上がって右手を差し出すと、ラウールはそれを握り返しながら、彼女にだけ聞こえる声量で素早く囁いてきた。


「事が落ち着いたら、全力であいつとの事は阻止してやる。君に変な苦労はさせたくないからな」
「え?」
「それじゃあ、また」
「……ええ」
 問い返す間も無くラウールは笑顔で立ち去り、シェリルは唖然としながらその後ろ姿を見送った。その斜め後方で、ジェリドが盛大に舌打ちしてから悪態を吐く。


「たちが悪いのはどっちだ。得体の知れない偽者風情が」
(何とか終わった? それにこの二人が、互いに相容れないタイプだって事も分かったわね……)
 ジェリドの呟きを背中で受けながら、シェリルは遠い目をしつつ現実逃避気味にそんな事を考えた。





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