猫、時々姫君

篠原皐月

10.千客万来

「シェリル……、そんなに困らなくても。まるで俺が苛めているみたいだ」
「いえ、困ってなんかいないし! 苛められたとも思ってないから!」
(本当は、とても困っているけど!)
 シェリルは必死に弁解したが、相手は苦笑いしたのみだった。


「まあ、確かに普通は対応に困るよな。急に異母兄弟を名乗る人間が現れるなんて。でも、やはり俺はシェリルと違って、相当胡散臭いと思われているらしい。さっきの二人も、顔を合わせるのも嫌だったみたいだし」
 そんな事を自嘲気味に言われて、シェリルは思わず口を挟んだ。


「でも、私だってここに来たばかりの頃は、ミリアに結構きつい事を言われたりしたわよ?」
「そうなんだ」
「ええ。でも話してみたらすぐ打ち解けたし、二人とも本当に、普段は礼儀正しい良い子だから」
「羨ましいな」
「え?」
 唐突に感想を述べられてシェリルは戸惑ったが、ラウールは淡々と続けた。


「シェリルも最近こちらに来たばかりなのに、王宮に随分馴染んでいるみたいだから」
「馴染んでいると言うか……、私が庶民の中で育って物知らずだから、周りの皆さんが気を遣ってくれているだけよ。ディオンの場合、ちゃんと貴族として育っているから、皆の見る目が厳しいんじゃないかと思うんだけど」
「確かに、それも一理あるかもしれないけどね」
 考え込みながら言ってみると、ラウールは取り敢えず納得した。そして再びカップを持ち上げてお茶を口にする彼を眺めながら、シェリルは密かに胸を撫で下ろす。


(本当は、ディオンが偽者だと分かり切っているから、王宮の中枢の方達からの当たりが、余計にきついんだけど。それは取り敢えず秘密にしなくちゃいけないし。何とか誤魔化せたかしら?)
 そこでラウールが、何気ない様子で話題を変えてくる。


「ところで……、この前も聞いたけど、魔術師のお義姉さんは、まだこちらに戻って来ていないのかな?」
「え、ええ。お得意様だったお家やお店の人達と話が弾んじゃったりして、なかなか予定通り進まなくて困っているみたいね。……でも、どうしてそんな事を聞くの?」
 いきなり話題が変わった事に加え、この場にいないエリーについて興味深そうに尋ねてきた事をシェリルは不思議に思ったが、ラウールは事も無げに答えた。


「うん? ああ、シェリルに随分強固な防御魔法を施していく人だから、どんな人なのか、個人的にもの凄く興味が湧いていてね」
「強固って言われても……。私には良く分からないんだけど」
 そこで静かにカップを置いたラウールは、意味ありげに微笑んだ。


「そうか……。それはそうだろうね。君には魔力はあっても強大では無いのははっきりしているし、あまり魔術に長けている感じもしない」
「そうね。義父もエリーも、私にはその手の才能は殆ど無いと言っていたわ」
 自分に対する評価に、素直に頷いたシェリルだったが、ここでラウールが些か物騒に瞳を光らせた。


「だが、今も君から、かなり入り混じった魔力を感じる。君自身の魔力に加えて、お義姉さんの魔力だろうね」
(入り混じったって……。それは多分私の魔力じゃなくて、お義父さんが首輪に施しておいた術式から発している物と、エリーが別に私にかけていった魔術から感じるって事よね?)
 そんな風に考えを巡らせたシェリルは、思わず率直な感想を述べた。


「でも、そんな風に感じ取れるなんて、ディオンって本職の魔術師みたいね」
 それを受けて、ラウールが一瞬表情を消してから、薄く笑う。
「そうだね……。幸いと言うか何と言うか、そういう方面の才能には恵まれていたみたいだ」
(え? 何か微妙に、雰囲気が怖くなってきていない?)
 座ったまま段々異常を感じ始めたシェリルだったが、その至近距離での彼の微笑は、徐々に物騒な物に変化していった。


「全く……、こんなに強固で複雑な物が目の前にあったら、つい打ち破ってみたくなるのが、魔術師としての性じゃないか……」
(何? 何か左足首がちょっと温かい? え? 今何か、この人、魔術を発動させてるの!?)
 今やはっきりと異常を感じているシェリルだったが、取り敢えず首輪の術式が作動しているらしい事に加え、魔術に対する対応策など思い浮かばない為、平静を装いつつ無言で相手を観察した。


(でも、幾ら簡単な魔術でも、呪文は全く詠唱してないし、術式も出現していないんだけど? まさかエリーと同レベルの魔術師で、極端に魔術の発動条件を省略できる人なわけ? それって、敵に回したら、もの凄く厄介って事なんじゃないの!?)
 そこまで考えて無意識に顔を青ざめさせたシェリルだったが、更に彼女の血の気を失せさせる事態が発生した。


「……え?」
「おっ……、と」
 何か自分の顔の横を、虫か何かが飛んでいったかと思った次の瞬間、斜め前に座っているラウールが、自分の顔の前に右手を素早く出し、人差し指と中指で飛来したそれを器用に挟み込んで動きを止めた。しかし、それを目の当たりにしたシェリルの困惑が更に深まる。


(な、何? 針……、にしては太くて長いし、短剣の類でも無いわよね? あれじゃ細くて握れないし。刺さったら痛そうだけど。それに、尖っている方が、何となく色が違う?)
 せいぜい掌を広げた時の、親指から小指位までの長さしかない、裁縫での針としても料理での調理串としても使えそうに無い中途半端な代物を、シェリルは何度も目を瞬かせながら凝視したが、ラウールは左手の指で一端を摘みながら、皮肉っぽく問い掛けた。


「危ないな。こんなのが平然と王宮の庭園を飛び交うなんて、物騒極まりないね、シェリル?」
「ええ……。あの、でもそれ、どこからどうやって飛んで来たのか……」
「それは、本人に聞くのが一番だと思うな」
 そこで飛んできた方向と思われる背後を振り返ると、回廊から庭園に足を踏み入れ、ゆっくりとした足取りでこちらに向かってくるジェリドに気が付いた。


(ジェリドさん? どうしてここに? それに近衛軍の制服って言う事は、お仕事中なのよね?)
 頭の中を疑問符で一杯にしながら、シェリルがその姿を凝視していると、ラウールが小さく笑いながら話を続ける。


「ついさっきから、回廊からあからさまな殺気を放ってよこしていたから、試しに少しちょっかいを出してみたら“これ”とはね。噂以上に、容赦の無い人物らしい」
「あの……、どういう事?」
 その問いにラウールは薄笑いを浮かべたまま答えず、そうこうしているうちにジェリドが二人のテーブルにまでやって来て、恭しく一礼した。





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