猫、時々姫君

篠原皐月

12.偽者登場

 このところの特訓に次ぐ特訓でさすがにぐったりしたシェリルが自室の窓際で猫の姿でひなたぼっこをしていると、なんだかドアの外が騒がしいと思った次の瞬間、エリーシアが突進してきた。
「エリー、どうしたの?」
「話は後! 行くわよ!」
「うきゃあぁぁっ!!」
 いきなり駆け寄ったと思ったら、問答無用でエリーシアが自分の体を抱え上げて走り出し、シェリルはたまらず悲鳴を上げた。


「エリーシアさん、何事ですか?」
「大至急、王妃様の所に行くわ! リリスはここで待機していて!」
「は、はい!」
 慌てて尋ねたリリスにエリーシアが怒鳴り返し、足を止めずに後宮の廊下を駆け抜ける。


「エリー、一体何事?」
「ラミレス公爵が、陛下に謁見を願い出てきたのよ。シェリルの偽者を連れて」
「え?」
 忌々し気に告げられた名前に聞き覚えはなく、更に(私の偽者ってどういう事?)と、シェリルは益々訳が分からなくなった。しかしエリーシアはそのまま、ミレーヌの私室の一つに飛び込んだ。


「お待たせしました! シェリルを連れてきました!」
 ゼイゼイと息を乱しながら報告した彼女を見て、ミレーヌが困ったように微笑む。
「ご苦労様です、エリーシア。すぐに準備ができますか?」
「大丈夫です」
「それではシェリルはこちらに」
「……はい」
 ミレーヌが座っているソファーの傍らに落ち着いてからシェリルが見回すと、カレンを筆頭として、もう顔なじみになっている侍女達が揃って険しい表情をしているのが目に入った。それを不思議に思っていると、ミレーヌから声をかけられる。


「エリーシアから話を聞きましたか?」
「私の偽者が現れたとか……」
「ええ。正確には『行方不明になられていた第一王子ラウール殿下』の偽者です。先ほどの謁見室内の様子を記録した物をこちらの壁に投影して貰うので、まずはご覧なさい。それではエリーシア、始めてください」
「はい、それでは皆様。こちらをご覧ください」
 その直後にエリーシアが呪文を詠唱し、白い壁面に鮮明な画像が浮かび上がった。


「陛下。謁見の申し出に即座に応じていただき、このケーニッヒ、感謝の念に堪えません。このような栄誉を賜る事ができたのも、ひとえに」
「ラミレス公爵。さっさと本題に入って貰いたい。あなたがラウール王子殿下の名前を出して申請してきたため、多忙な陛下の公務をやりくりして急遽お出でいただいたのだ」
 玉座の横に控えているタウロンが辛辣な言葉を投げかけ、それにケーリッヒがムッとした顔をしたのを見て、(やっぱり見覚えや聞き覚えがないわ)とシェリルは困惑した。するとそれを感じたらしいミレーヌが解説してくる。


「あれはケーリッヒ・ミンス・ラミレス公爵です。五公爵家の中では、領地も格式も力量も最小ですが、プライドと皮下脂肪だけは最高レベルの小物です。それで覚える必要も価値もないと判断したタウロンが、例の名簿に載せなかったのでしょう。あなたの物覚えが悪いわけではありません」
「分かりました」
 自分の勉強不足ではなかったと安堵した反面、ばっさりと中年太りの男を切って捨てたミレーヌの様子に、シェリルはなんとなく嫌な予感を覚えた。


「それでは陛下と宰相閣下に、ラウール殿下であるディオン殿を紹介いたしましょう。ディオン殿。さあ遠慮なさらず、こちらに出て来てください」
 その呼びかけに、ケーリッヒの背後に控えていた黒髪に琥珀色の瞳の若者が、玉座の前に歩み出てきた。その間無言を貫いていたランセルとタウロンに向かって、ケーリッヒが高らかに告げる。


「陛下にご報告申し上げます。この方が長らく行方不明になられていた、国王陛下と今は亡き第一側妃のアルメラ様との間にご誕生された、第一王子のラウール殿下です! この方を再び陛下に引き合わせる事ができ、望外の喜びでございます!」
「初めてお目にかかります、父上」
 若者は神妙にランセルに向かって片膝を付いて頭を下げたが、謁見の間は静まり返っていた。そしてシェリルは、自分と同じ色を持つ彼を凝視しながら、必死に考えを巡らせる。


(第一王子は実は私なのに、どうして《私》が男の人の姿で出てくるのよ!?)
 ここでタウロンが、落ち着き払った声を発した。
「ラミレス公爵。一応、弁明の機会を与えて差し上げよう。何をもってこの方が、既にお亡くなりになったと公表されている第一王子だと主張するのだ?」
 それを耳にした途端、ケーリッヒは顔を赤黒くして相手を怒鳴りつけた。


「弁明だと!? 茶番は大概にして貰おうか、モンテラード公爵! 侯爵以上の上位貴族の間では、第一王子はお亡くなりになっているというのは、王家の体面を保つ為の真っ赤な嘘で、白昼堂々後宮から攫われて以降行方不明だと言うのが公然の秘密だろうが!?」
 それを聞いたシェリルとエリーシアは無言でミレーヌに顔を向け、彼女がそれに頷いて肯定する。一方、王子の偽者を引っ張り出して来た時点で、それを暴露するのは必然だと考えていたタウロンは、すこぶる冷静に話を進めた。


「その公然の秘密を、今更暴露する意義は?」
「私が、その第一王子を発見したからだ!」
「それではその証拠は?」
 そう問われた瞬間、ケーリッヒが嫌らしく笑いながら胸を張った。


「これも侯爵以上の家の当主なら知っている事だが、その王子が誘拐された時、誕生を祝って陛下から贈られた柄と鞘が黄金造りの短剣も同時に行方知れずになっている。それを保持しておられた」
「ほぅ?」
 タウロンが僅かに興味深そうな顔付きになったのに満足したのか、ケーリッヒは得意満面で、謁見室の隅に控えていた男に向かって声を張り上げた。


「そうだな!? ハリード男爵。こちらに出て来て、実物をお見せしろ!」
 するとランセルとタウロンの視線が、おどおどしながら出て来た黒髪の男に集まった。その五十代と思われる男はケーリッヒとは対照的に痩せ型で、はっきり言って貧相な顔付きだったが緊張のあまり顔色まで悪くなっており、シェリルも思わず(大丈夫かしら? 今にも倒れそう)と心配してしまった。
 そのハリード男爵は、息子の横に片膝を付いてなんとか主君に対して挨拶を済ませてから、懐からおずおずと一本の短剣を取り出す。


「あの……、これが、先程お話に出た短剣でございます」
 そこで件の短剣を眺めながら、タウロンは素朴な疑問を口にした。


「ハリード男爵。あなたはこれまで、この短剣の事もご子息の事も、全く表明されてこなかったと思うのだが? どうして今になって打ち明ける事になったのだ?」
「あの……、これは……」
「男爵は王都から領地に戻る途中の街道で、生後間もない赤子を拾った時に携えられていた短剣も保管しておいたのですが、そこは下級貴族の悲しさ。その意味するところを知らなかったのです。ハリード男爵。今更ですが、もう少し交友関係を広げておくべきでしたな」
「……誠に、面目次第もございません」
 脂汗を流しながら弁解しようとした男爵の台詞を遮り、ケーリッヒがしたり顔で解説する。それを見たタウロンが僅かに眉を寄せたが、無言を貫いた。そこで気を良くしたケーリッヒが、得意げに言い募る。


「男爵はその短剣が良い品物だとは判別していたので、赤子の出自や家名が分からないかと時折来訪する客人に短剣を披露していたのですが……、所詮は辺鄙な土地柄。王都の事情に詳しい者などそうそう訪れる筈もなく、今の今まで王子の所在が知れないままになってしまったのです」
 一応それなりに筋は通っている話であり、タウロンは無理に否定せずに質問を続けた。


「それを、どうして公爵はお知りになったと?」
「私の末娘が大病後になかなか本復できず、転地療養を試みて風光明媚な場所にある男爵の別宅を暫くお借りしたのです。そして無事回復した娘を迎えに行った折、男爵からご子息が養子である事と、この短剣を見せられて驚いた次第です。いやまさに、天の采配とはこの事ですな! それで王都まで王子をお連れしました。これも何かの縁。今後は王子の後見を、私が全身全霊をもって引き受けますので」
「ラミレス公爵。それは少し、筋が違うのではないか?」
「は? 陛下におかれましては、何かご不審な点でもございましたか?」
 両手を広げながら芝居掛かった動きで宣言したケーリッヒだったが、ここまで無言だったランセルにそれを遮られ、些か不服そうに問い返した。するとランセルは真顔で、明らかに相手を非難する口調で続ける。


「確かに、生後間もないラウール王子が行方不明になったのは事実だ。更に、その不手際を隠す為、捜索がもはや困難と思われた段階で、対外的には死亡とした事も事実だ。だが、例えその人物がラウール王子本人であるならば、貴公が後見をするまでもなく、アルメラの実家のファルス公爵家がれっきとして存在しているのだが?」
「い、いや、しかしですな……」
 ここでアルメラの実家を持ち出されるなどとは全く予想していなかったらしいケーリッヒが、目を見開きながら反論しようとした。しかしランセルはそんな事は許さず、冷静に畳みかける。


「気の毒に先代のファルス公爵は、生まれた第一王子が行方不明、その後を追うようにアルメラも病気で儚くなったことで大層気落ちされて、引退した位だ。同じ公爵である貴公が、その辺りの事情を全く知らなかったとは言わせぬ。まずラウール王子の出自が明らかになった時点ですぐ王宮に一報を入れた後、その帰還を誰よりも待ちわびているであろうと思われるファルス公爵家に連れて行って、前公爵と対面をさせて差し上げるのが、人の道と言うものだろう。重ねて尋ねるが、貴公は既にファルス公爵家にラウール王子の生存が判明した旨、報告しているのであろうな?」
「いえ、それは……。落ち着いたら改めて、ご挨拶に伺おうかと……」
 さすがにケーリッヒも拙いと思ったのか、弁解の声が尻つぼみになる。するとタウロンが、溜め息混じりに後を引き取った。


「陛下。取り敢えずラウール王子の可能性のあるこちらのハリード男爵のご子息は、このまま王宮内にお留まりいただきましょう。暫くお時間をいただきますが、真偽の程を確認してから、改めてきちんとした両陛下との対面の場を設けるという事にいたします。ラミレス公爵、ハリード男爵、それで宜しいですな?」
「はぁ」
「結構でございます」
 そうタウロンが結論付けるとケーリッヒは不承不承頷き、ハリード男爵は畏まって頭を下げる。そこでさり気なくタウロンが付け加えた。


「それでは当面はファルス公爵に、男爵のご子息の後見を引き受けて貰いましょう。先程陛下が仰られたように、それが筋と言うものです」
 しかし予想外の展開になった事で、ケーリッヒが焦りながら異議を唱えようとした。


「なっ!? それでは殿下をお連れした、私の立場が!」
「ラミレス公爵、あなたの立場がどうかされたのか? この国に存在する全ての者は、この国の安寧の為、するべき事を為す義務がある筈。あなたは今回行方不明だった王子らしき人物を発見し、無事王都までお連れいただいて、王家に対する忠誠心を見事に示されました。今後も陛下と王家の為に、尽くされる事を希望します。それでは陛下」
「ああ」
「そんな、陛下!? お待ちください!」
 有無を言わせずにケーリッヒを黙らせたタウロンは主君を促し、二人揃って謁見の間を退出する。ここで映像が途切れ、室内のあちこちから溜め息が漏れた。


「これが先程、謁見の間であった事です。驚きましたか?」
「はい。もう訳が分かりません」
 未だ茫然としたままシェリルが答えると、ミレーヌは次に黙り込んでいるエリーシアに声をかけた。
「エリーシア。あなたは先程謁見の間に同席して、直に公爵達を見ていた筈ですが、何か言いたい事があるのでは?」
 それを受けて、エリーシアが考え込みながら口を開く。


「考えと言うか……、意見を申し述べたい事がありますので、私にその機会を頂けないでしょうか?」
「分かりました。陛下達はすぐに対策を講じている筈です。付いていらっしゃい、シェリルもです。カレン、後は任せましたよ?」
「はい。行ってらっしゃいませ」
 即座に立ち上がったミレーヌに続き、その場の女たちはキビキビと動き出した。そしてシェリルを抱えたエリーシアを従え、あっという間に後宮を抜け出て執務等に入ったミレーヌは、行き交う官僚たちの驚きの視線を綺麗に無視し、両脇に護衛の近衛騎士が立っている大きな扉を押し開けた。
 どうやら会議室らしいそこには特大級の円卓があり、正面にはランセルが座っている他、レオンを初めとする国政の重要人物がずらりと顔を揃えていた。その一角に見慣れない人物が座っていた事にエリーシアは一瞬首を捻ったが、ミレーヌはそのまま進んでランセルに声をかける。


「陛下、私と当事者であるシェリルに同席の許可を。それからエリーシアに発言の許可をお願いいたします」
「分かった、許可する。誰か、椅子を用意してくれ」
 丁度対応を協議するために喧々諤々の論争を繰り広げていたらしい面々は、疲労感に満ちた表情で一旦口を閉ざした。すると侍従が二人分の椅子を準備したところで、ランセルがエリーシアに声をかける。


「それではエリーシア。何か発言したい事があるのだろう? 言ってみなさい」
 早速促されたエリーシアは周囲を見回して一瞬迷う素振りを見せてから、慎重に申し出た。


「その……、本当にこの場で、発言してもよろしいのでしょうか?」
「構わない。ここは一つ第三者の立場から、冷静な意見を貰いたい」
 本来ならば官位も爵位もないエリーシアが、このような王族や重臣が集まっている席で発言できる筈がないのだが、ランセルの了承を得た事で瞬時に腹を括った。





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