猫、時々姫君

篠原皐月

5.和やかな(?)食卓

 翌朝、ミレーヌから聞いた通り、昼前にレオン達が二台の馬車に分乗して森にやって来た。それを察知したエリーシアが防御結界を解除し、小屋の前で出迎えた。
「いらっしゃいませ」
「やあ……。どうも」
 非友好的な表情で出迎えたエリーシアにレオンが及び腰で応じると、彼女はいかにも気分を害したように続けた。


「一応、王妃様の顔を潰さないようにあなた達に来て貰いましたけど、変な事をしたらまた遠慮なく叩き出すので、そのおつもりで」
「……分かっている」
 そんな緊迫した挨拶を交わしているレオンの背後で、ジェリドはさっさと同行してきた料理人達に声をかけ、小屋の外に簡易式のかまどと調理台を設置させた。


「これで大丈夫だな。それでは準備を始めてくれ」
「かしこまりました。それではジェリド様、火力の調節をお願いします」
「任せてくれ」
 王宮の厨房とは勝手が違うことで料理人が火力の調節をジェリドに頼み、彼は気安くそれに応じて、魔術を行使して調理補助に入った。一通り下拵えをしてある物を持ち込んだことで調理にそれほど時間はかからないのは明白であり、レオンがもの言いたげな表情をしているのに気が付かないふりで、エリーシアはシェリルを抱えて一度小屋の中に引っ込む。そして二人で時間を潰していると、ノックしてからドアを開けてジェリドが姿を現した。


「エリーシア殿、シェリル姫。お待たせしました。昼食の準備が整いましたので、こちらにお出でください」
 貴公子然とした男に恭しく頭を下げられたことで、猫の姿であるシェリルは恐縮しながら意見を述べた。
「ええと……、まだ私が王女様だと判明してないですよね? それなのに姫とか、仰々しい呼ばれ方は」
「確かにそうですが、便宜上、そう呼ばせてください」
「はあ……、分かりました」
 妙に押しの強い笑顔で言われてしまったシェリルは仕方が無く頷き、言葉通り彼の背後にセッティングされているテーブルを認めたエリーシアは、腕の中のシェリルに声をかけた。


「それじゃあシェリル。準備ができたみたいだし、行くわよ?」
「う、うん……」
 既に神妙に席に着いていたレオンの正面の席に、シェリルは飛び降りた。しかしそのままでは高さが足りないのが分かって、すぐにテーブルに飛び上がる。それを見た料理人達は動揺したが、ジェリドは目線で彼らの動揺を押さえ、そのままテーブルに料理を並べるように指示した。


「凄いご馳走ね、エリー!」
「ええ。それじゃあ、いただきましょうか」
 レオンの横にジェリドが、シェリルの横にエリーシアが座って、料理人達による給仕が始まった。庶民の暮らしではまず出てこない、豪華食材をふんだんに使っていると分かる料理を見て、エリーシアは(これって、王女様にろくな物を食べさせてなかっただろうって言う、私への遠回しな嫌味!?)と一瞬キレそうになる。しかしレオン以下、料理人達全員がシェリルの反応を、固唾を飲んで見守っている事に気が付いておとなしくスプーンを手に取った。


「おいしいー! こんなの、初めて食べました!」
「お口に合って、良かったです」
 スープ皿に顔を突っ込むようにしてスープを舐めとる合間に、顔を上げて嬉しそうに感想を述べたシェリルに、ジェリドが本心からの笑顔で応じた。そして何気なく尋ねる。


「お二人の食事は、普段はエリー殿がお一人で準備しているのですか?」
「養父が死んでからはそうです。それが何か?」
「あなたの体調が悪い時などは、支度が大変だったのではないかと思いまして。姫の事を他人に秘密にしていましたから、姫を誰かに預ける事もできなかったでしょうし」
 それを聞いたエリーシアは、質問の意図が分かって大きく頷いた。


「そう言えば確かに、一回だけ結構危なかった時がありましたね。シェリル、覚えている?」
「え?」
 手を止めて妙にしみじみと言い出したエリーシアに、単なる話題の一つのつもりで出したジェリドは戸惑ったが、シェリルも頷きながら会話に加わった。


「エリーは滅多に病気なんかしないし、大抵は自分で作った薬ですぐに治るのに、本当にあの時はなかなか治らなかったわね」
「冗談抜きにあの時意識が朦朧としながら、このまま死ぬかと思ったわ。そんな時にあんなシェリルの姿を見て、一気に正気に戻ったけど」
「姫がどんな姿だったのですか?」
 微妙に深刻な表情で語り合う二人を見て、ジェリドが思わず尋ねると、エリーシアがとんでもない事を言い出した。


「自力で鳩を捕まえて、咥えて枕元まで引きずって来たの。もう全身、傷だらけの血まみれで。こっちの血の気が引きました」
「だって、何か食べないとエリーが死んじゃうって思ったのよ! その時満月の時期じゃなくて、全然人の姿になれなかったし」
 そう言って何度も頷くシェリルに、ジェリドは憐憫の眼差しを送った。


「……よほど奮闘されましたね」
「あ、姉上、肉はもう少し小さく切り分けた方が宜しいですか? お顔に少しソースが付いていますし」
「大丈夫ですよ? ほら!」
 話題を変えた方が良いだろうかとレオンが慌てて声をかけると、シェリルは笑顔で舌を動かした。そして口回りを綺麗に舐めとって、レオンに向かって自慢する。


「ね? 綺麗になったでしょう?」
「……はい」
「でも、これ本当に美味しいー!」
 そう言って再び肉に噛みついているシェリルを見て、(仮にも一国の王女が、獣の様に肉にかぶりつくとは)と不憫に思ってしまったレオンは、必死に涙を堪えながら背後の料理人達に言い付けた。


「もう私の分は良いから、後は全部姉上の皿に」
「かしこまりました」
 既にその様子を見守っていた彼等も涙目になっており、シェリルは呆れたエリーシアに止められるまで、周囲から勧められるまま食べまくったのだった。
 そんな風に比較的和やかに食事が進んでいったが、シェリルは勢い良く食べる合間に、時折レオンに視線を向けて考えていた。


(まだ少し怖いけど、気遣ってくれているのは分かるし、この前の話だと私が行方不明になった事で、お母さんや周りの人が疑われたのよね?)
 そこまで考えて、シェリルは自分には責任は無いとは分かっていながらも、申し訳ない気持ちになった。


(あの《黒猫保護令》が出た時もこの人はまだ子供で、何の責任もないし。闇雲に怖がったり嫌ったりしたら気の毒だわ)
 そうは思ったものの、基本的に人付き合いの経験がほぼゼロに等しいシェリルには、どうすれば良いのか皆目見当が付かなかった。しかし会話が途切れた時に、思い切って声をかけてみる。


「あのレオン殿下、こんな猫相手に大真面目に『姉上』呼びとか敬語を使うとか、どうかと思います。傍から見たら、頭がおかしいと思われそうですし」
 シェリルが大真面目にそう指摘した途端、他の二人は黙って傍観者を決め込んだ。


(確かに、事情を知らない者の目には、相当変に映って見えるだろうな)
(第三者から見たら滑稽極まりない事を、これまでスルーしていたのに)
 しかしシェリルの疑問に、レオンは大真面目に答えた。


「何故ですか? 数日とはいえ姉上は俺より早く生まれていますので、姉上と呼んで敬意を示すのは当然です」
(殿下、融通利かないですね)
(やっぱり残念王子)
 かなり遠慮のない感想を頭の中で思い描いている二人をよそに、互いに真剣な当事者二人のやり取りが続行された。


「でも、生まれてずっと王宮を出ていてまともな教育を受けていない、しかも猫に過ぎない者に、一国の王太子殿下がへりくだるのは拙いと思います」
「姉上の謙虚なお考えは良く分かりました。ですが教育云々などはこれから幾らでも身に付けられます。それに王太子であるからこそ、周囲に対して規範となる行動をする必要がある筈。故に、姉上を姉上とお呼びするのは当然です」
「だからそんな風に『姉上』と連呼するのは、止めて欲しい……」
(どちらの話にも、一理あるな)
(どこまでも平行線ね)
 堂々巡りになってきた議論に、ジェリド達は本気で頭を抱えた。しかし一歩も引かない気迫でシェリルと対峙していたレオンが、何故か急に表情を緩めて話し出す。


「確かに、誕生月も同じで大して長幼の差はないから、今後、俺は君の事を『姉上』ではなく『シェリル』と呼ぶよ。その代わり君も俺の事を『王太子殿下』とか『レオン殿下』とか呼ばないで、単に『レオン』と呼ぶように。分かった?」
 急に砕けた口調でそんな事を言われたシェリルは、どぎまぎしながら応じた。


「え、ええと、あの……、承知しました、レオン殿下」
「『分かったわ、レオン』だな。さあ、言ってみて」
「う……、わ、分かったわ、レオン」
 それを聞いたレオンが嬉しそうに頷き、シェリルに向かって右手を伸ばす。


「じゃあ改めて、これから宜しく、シェリル。分からない事とか不安な事とかあったら、なんでも言ってくれ。できるだけ力になるから」
「ありがとう、レオン」
 そうしてシェリルも素直に前足を伸ばすと、レオンはそれを握手するように軽く握り、二人で笑顔を交わした。そんな予想外の展開に、年長者二人は苦笑いを零す。


(殿下、些か力業っぽかったですね……)
(何だか一気に和んだわね。意外)
 そんな風に急転直下で姉弟として打ち解けた二人を、ジェリドとエリーシアは微笑ましく見守った。結果として美味しい物を食べて親交も深まり、エリーシアとシェリルは笑顔でレオン達に別れの挨拶をした。


「それでは明日改めて、こちらにお迎えに参ります」
「う……、はい」
「魔術師棟での準備はクラウス殿が抜かりなく進めておきますので、是非エリーシア殿も同席を」
「分かりました」
 そしてレオン達を見送ってから、エリーシアは腕の中のシェリルに尋ねた。


「シェリル、本当に良いの?」
「正直に言うとやっぱり少し怖いけど、本当に私が、あの人と姉弟かどうか知りたいの。他の家族もいたら会ってみたいし」
「そうね。成功すれば、シェリルはずっと人の姿でいられるしね。成功しなくても、これまで通り一緒に暮らすからね」
「うん。ありがとう、エリー」
 既に昨日のうちにミレーヌからの申し出を聞かされていたシェリルは、(王宮か。どんな所かな?)と多少の不安を抱えながらも、自分の運命をちゃんと向き合う覚悟を決めていた。





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