話題のラノベや投稿小説を無料で読むならノベルバ

アビシニアンと狡猾狐

篠原皐月

第32話 夫婦の形

 予め聞いていた篤志達の到着予定時刻前に幸恵と和臣が荒川家に顔を出すと、出迎えてくれた香織に引き続き、泉も奥から出て来て元気な顔を見せてくれた。
「いらっしゃい、幸恵さん」
「泉さん、顔色も良さそうで良かったです。この間、体調はどうでしたか?」
 半ば強引に連れてきてしまった自覚があっただけに、密かに心配していた幸恵だったが、泉はその懸念を笑って打ち消した。


「全く問題なかったから、大丈夫よ幸恵さん。ここまでわざわざ来てくれてありがとう」
「だって今日で帰る事になってますから、見送り位はちゃんとしたかったんです」
 そこでひとまず奥の居間に向かったが、歩きながら泉が思い出した様に付け加えた。「あ、そうそう、二人とも入籍おめでとう。和臣君から話を聞いたの。向こうに帰って落ち着いたら、お祝いを贈りますね?」
「ありがとうございます」
 不意打ちで満面の笑みで言われてしまった為、ちょっと照れながら幸恵は礼を述べた。そしてその照れくささを隠す様に和臣を軽く睨んだが、和臣にしてみれば軽く上気した顔で睨み付けてくる幸恵の顔を見ても、笑いしか出てこないのが正直な所であり、そんな二人を観察した香織と泉は、笑顔で顔を見合わせる。
 居間に入ると既に綾乃が到着しており、皆でお茶を飲み始めると、ふと幸恵は夢乃の事が気になり始めた。


「でも夢乃さんの体調って、本当に大丈夫なんですか? まだ怪我が治りきって無いのに、広島から飛行機で日帰りなんて……。せっかくここまで来るんだから、一泊位していけば良いと思うんですけど」
 思わずそう呟くと、泉も困った顔で頷く。


「私も電話でそう言ってみたんですが、先生の許可が下りなかったとかで」
 そう泉が説明すると、幸恵は納得しかねる顔付きになった。
「外泊許可が出ない患者に、往復何百キロの外出許可って出るの?」
「さあ……」
「どうかしら?」
 信子も香織も同様に首を捻る中、何やら悟りきった表情の君島家の面々は、無言で茶をすすった。すると表の方から何やら物音が伝わってきた為、まず女性陣が腰を上げる。


「あら、到着したかしら?」
「行ってみましょう」
 そして一同がぞろぞろと玄関に向かい、信子が外に呼びかけながら引き戸を開けると、予想に違わず夢乃達の来訪ではあったが、その姿を見た綾乃は思わず大声を張り上げた。


「お母さん、何それ? 大丈夫なの!?」
 見舞ってから二週間経たないうちの再会で、その時に話していた通り頚椎用のコルセットは外されていたものの、車椅子に乗っての登場に綾乃は動揺したが、夢乃は座ったまま平然と娘に言い聞かせる。


「綾乃、余所様の家で、大きな声を上げたりしないの」
「だって!」
「車椅子は念の為、移動時に使う様に言われただけよ。でも空港内の移動ならともかく、表に停めた車からここまでの移動に使うなんて、ちょっと馬鹿馬鹿しいと思うんだけど?」
 なおも不安げな顔をする綾乃を宥めながら、夢乃は自分に付き添っている人物達に不満めいた口調で訴えたが、それはあっさりと切り返された。


「奥様、申し訳ありませんが、君島先生の指示ですので」
「富樫先生からも、できるだけ身体に負担をかけない様にと、念を押されていますから」
「……分かりました」
 確かに十メートルに満たない距離である為、幸恵も(少し大袈裟かも)と思わないでもなかったが、夫と主治医の指示を無視する事は出来なかったらしい夢乃は不承不承頷いた。しかしすぐに気持ちを切り替えたらしく、付き添い役の女性に支えて貰いつつ車椅子から降りながら、懐かしそうに目を細める。


「でも暫くぶりに車椅子に乗って、昔を思い出したわ」
「昔? お袋は車椅子なんか使うのは初めてだろう?」
 遅れて玄関に現れた和臣が不思議そうに尋ねると、夢乃が笑いながら説明する。
「大学時代、バリアフリー推進研究会に所属していて、時々車椅子に乗って街中での移動を検証したりしてたのよ」
「ああ、そういえばそんな事を言ってたっけ」
「そこで君島さんと出会って、口説かれたんだよな?」
 和臣が思い出しながら相槌を打ったところで、健が茶化す様に口を挟んできた為、夢乃は軽く睨み返した。
「あら、兄さん。あの人も熱心に活動してたわよ? 今でも時間が有る時は、選挙区内の改善要望があった場所を見回ったりしてるし」
「そうか?」
 苦笑しながら二人が久方ぶりの再会を果たしたところで、信子が明るく促してくる。


「とにかく上がって、夢乃さん。付き添いの方もご苦労様です。今お茶をお出ししますので、どうぞご遠慮なく」
「それでは失礼します」
 そして夢乃達が玄関の中に入った後ろで、運転手が車椅子を畳むのを手伝ってから、篤志がゆっくりと玄関内に足を踏み入れた。すると上がり込んだ夢乃達と入れ替わりに前に出た泉が、笑顔で彼を出迎える。


「篤志さん、お疲れ様でした。お義母さんの体調も良かった様で何よりです」
「ああ。お前も何事も無かった様で良かった。美郷も待ってるし、伯父さん達にお礼を言ったらすぐ帰るからな」
「はい。荷物はもう纏めてありますので」
 穏やかな笑みを浮かべながら声をかけてきた篤志に、泉が素直に頷いて話が終わってしまったのを見て、唖然とした幸恵は思わず声を上げた。
「え? ちょっと、言う事はそれだけなの!? 泉さんも良いんですか?」
 それを聞いた和臣と綾乃は(しまった……)と顔色を変え、篤志は表情を消したが、泉は苦笑気味に幸恵に説明した。


「ええ、この前電話で色々、これまで話していなかった事について、じっくり話し合いましたので。私はそれで納得していますから」
「そうですか……。まあ、当人同士が納得していれば良いんですが……」
 それでも幸恵は不満げにブツブツと呟いていると、「幸恵、俺達も奥に行こうか」などとさり気なく話しかけていた和臣を無視しながら、篤志が幸恵に声をかけた。
「……なんだ、居たのか“和臣の嫁”。久し振りだな」
 はっきり言って嫌味以外の何物でも無いその台詞に、幸恵は真っ向から受けて立つ。


「ええ、居たんですよ“泉さんのご主人”。ここは私の実家なものですから。予想外にたったの十三日で再びお会いできて、光栄ですわ」
「…………」
 幸恵が堂々と嫌味で言い返した為、和臣は思わず無言で片手で顔を覆った。そして二人の嫌味の応酬が続く。


「ほう? 和臣も一緒に居ると言う事は、入籍早々愛想を尽かされて、実家に戻った訳では無いみたいだな」
「お陰様で、仕事を口実に奥さんほったらかしのどこぞのお偉いさんと違って、ウザい位纏わりついて離してくれませんの」
 そう言って、わざとらしく「おほほほほ」と高笑いした幸恵を、篤志が苦々しい顔付きで睨みつける。


「相変わらず口の減らない女だな……」
「陰険な小舅への、条件反射でしょうか?」
「その位で止めておけ、兄貴。幸恵もだ」
「……ああ」
「分かってるわよ」
 さすがに和臣が険しい表情で釘を刺すと、忌々しげな顔になりながらも二人は頷いた。そして何を思ったか、篤志が幸恵に真顔で向き直って口を開く。


「その……、この前の訪問時には、大変失礼な事をして申し訳無かった。反省している」
 夢乃や屋敷の主だった面々に随分言い諭されたのか、いきなり篤志が殊勝に自分の行為を謝罪してきた為、幸恵は正直戸惑った。


(う、いきなりだなんて不意打ちじゃない。でも嫌々じゃなくて、一応素直に謝っている様に見えるし……。ここで変にごねたら、ろくでもない女って言われるわよね……)
 周囲で和臣は勿論、綾乃と泉もハラハラしながら自分達のやり取りを窺っているのが分かった幸恵は、潔く自分も頭を下げた。


「いえ、こちらこそ、君島家の皆さんが以前こちらを訪問した時の非礼な振る舞いを、篤志さんにまだきちんと謝罪していませんでした。申し訳ありませんでした」
「それに関してはもう良い。何と言っても子供の頃の話だしな」
 多少わだかまりのある口調だったものの、篤志が冷静にそう答えた為、ここで泉が会話に割り込んで確認を入れた。


「じゃあお互い、これで手打ちって事で良いわね? 私これから幸恵さんとも、仲良くお付き合いしていきたいもの」
「ああ、分かってる」
「良かった。幸恵さん、宜しくね?」
「こちらこそ宜しくお願いします、泉さん」
 明らかに安堵した口調で泉が振り返って声をかけてきた為、幸恵も素直に笑顔で応じた。篤志はそんな彼女達から視線を移し、和臣に向かって問いかける。


「ところで和臣、披露宴の件だが、当然広島でもするよな?」
「ああ、そのつもりでいる。親父から幸恵に話して、もう了解を取っているし」
「それは話が早くて助かる。和解の印に地元での披露宴は、俺と泉で目一杯派手派手しく開催する準備を整えてやるからな」
「そうね。お二人とも東京で働いているし、身一つで来て貰えれば大丈夫なようにしておきますから、安心してね?」
「……え?」
「ちょっと待って下さい!?」
 篤志は多少意地悪く、泉は完全に親切心から口にした内容に、和臣と幸恵は揃って顔色を変えた。しかし篤志が平然と話を続ける。


「招待客は俺達の時程度の人数を呼ぶぞ。あと、そうだな……、和臣に未練たらたらで、何かあると家の様子を窺いに来る過去の見合い相手とかも全員招待して、この際完全に諦めて貰おうじゃないか」
 それを聞いた幸恵は、和臣に多少白い目を向けながら低く呟いた。


「……ふぅん? そんな人が何人も居るんだ?」
「誤解だ! 俺にやましい所は微塵も無いぞ!」
 僅かに険しい表情を見せて否定した和臣の言葉にかぶせる様に、篤志が上機嫌に言い放つ。


「いや、めでたい! 幸恵さんみたいな美人を隣に座らせていたら誰も文句は言わないだろうし、これで万事解決だな? 和臣」
 そして苦笑いしている泉の横で、「はっはっは」と豪快に笑う篤志を見ながら、幸恵と和臣は顔を引き攣らせながら小さく呻いた。


「絶対ワザとだろ……」
「この熊小舅が……」
 取り敢えずは和解したものの、今後も好敵手として幸恵との関係を維持する気満々の篤志に、和臣はため息を吐き、幸恵はこめかみに青筋を浮かべた。そんな二人を笑いを堪えて傍観していた香織が奥へと促し、皆で揃って居間へと移動する。すると未だに正座が無理な夢乃が椅子に落ち着き、信子が出したお茶を飲みながら、室内を見回して感想を述べている所だった。


「外から見た感じもそうだったけど、やっぱり室内も変わって無いわね」
 それを聞いた健が、苦笑いで応じる。
「いや、お前が居た頃と比べると、さすがに古くなってるさ。実は来年、建て直しするつもりでいるんだ」
「そうなの?」
「ああ、香織さんの出産に合わせてな。出産後も暫く実家で預かって貰う事にして、その間にこの家を解して間取りを変えて建て直す事にしてる」
 兄の話を聞いて軽く目を見張った夢乃だったが、すぐにしみじみとした口調で述べた。


「そうだったの……。今年のうちに顔を出して良かったわ。じゃあ仏壇にお線香を上げさせて貰うけど、その後少し部屋を見せて貰って良いかしら?」
「ああ、勿論構わんが、今あそこは幸恵の私物が置いて有ってな。幸恵そういう訳だから、建て替え前までにお前の私物を整理しておいてくれ。あと夢乃に中を見せても構わないな?」
「勿論良いわよ」
 座卓を囲んで座ろうとした時健が確認を入れてきた為、幸恵はあっさりと頷いた。そこで夢乃が改めて幸恵に向き直り、謝罪しながら軽く頭を下げる。


「さっき兄さんと信子さんには頭を下げたんだけど、今回泉が幸恵さんに随分お世話になったみたいね。ありがとうございました。それに篤志が失礼をしたみたいで、申し訳ありませんでした。是非直に謝らないと気が済まなかったものだから」
「いえ、大した事はしてませんでしたし、お気遣いなく。それに篤志さんにも先程きちんと謝って貰いましたし、もう気にしていませんから」
「それなら良かったわ」
 幸恵は慌てて夢乃を宥め、なんとか納得して貰ってから、お茶を出してくれた香織に囁いた。


「……香織さん」
「何? 幸恵さん」
「確かにこの家、以前からあちこち古くなってるとは思ってたけど、ひょっとして夢乃さんが顔を出すまでは、建て替えるのを控えてたとか?」
 思い付いた事を口にしてみた幸恵だったが、それに関しては香織も微妙な顔付きで応じた。


「どうかしら? 確かに記憶にある実家の光景がガラッと変わってたら色々思う所はあると思うけど、建て替えについてお義父さん達は、特に口にして無かったわ」
「そう……」
 何となく納得しかねる顔つきで曖昧に頷いてから、幸恵は久方ぶりに実家に戻って来たにも係わらず、兄妹で隔意などなさそうに和やかに話し込んでいる親達を眺めながら、(間に合ったみたいで、本当に良かったわね)と密かに安堵したのだった。




 その後、一時間強で夢乃達の一行は荒川家を立ち去り、幸恵達もそれから更に一時間程して都心に戻って行った。その日は和臣のマンションに泊まる事にしていた為、二人でそこに入った途端、幸恵は緊張の糸が切れた様にバッグを放り出す様にしてラグに横たわり、顔をクッションに埋めて沈黙を保つ。


「お疲れ」
「……本当に、お疲れ様よね」
 幸恵が微動だにしない間に、和臣がテキパキとお湯を沸かしてお茶を淹れ、それを入れたカップを持って行って幸恵に声をかけた。するとその声に、幸恵がゆっくりと顔を上げ、更に体も起こして座り直し、そのカップを受け取る。その中身を一口飲んで人心地ついた幸恵は、何気なく呟いた。


「飛行機はそろそろ飛んだかしら?」
「そうだな……。飛んでしまえば広島まではさすがに速いが」
 考えながら和臣が応じたが、その台詞で幸恵は否応なしに気乗りしない事を思い出してしまう。


「ねえ……、本当に、広島でも披露宴をやらなきゃ駄目?」
「頼む」
「分かったわよ。言ってみただけだから。これで結婚後早くも貸し1よ?」
 真顔での即答に幸恵は弁解しながら、(面倒くさいのは確かに嫌だけど、準備は全部やってくれるし、当日見せ物になるだけよね)と自分自身に言い聞かせた。するとそこで和臣が笑って言葉を返してくる。


「結婚早々貸しを作ったか……。だが幸恵への借りだったら、ちゃんと倍にして返すから心配しないでくれ」
「……何となく和臣相手に、借りも貸しもあまり作らない方が良い様な気がしてきたわ」
「酷いな。夫を信用して無いのか?」
 若干面白そうに笑いながら尋ねてきた和臣を軽く睨んだ幸恵は、ここで今回の騒動の元になった夫婦の事を思い出した。


「ねえ、和臣」
「何?」
「私、泉さんの様に、何でも『はいはい、畏まりました』って、笑って了承したりしないわよ? 寧ろ自己主張するのが当然的な職場で仕事をしてるし」
 真剣にそう幸恵は訴えたが、和臣は目をぱちくりさせて事も無げに言い返した。


「いきなり何を言い出すんだ? そんな事は、前から分かってるが。幸恵が俺の言いなりになったら気味が悪いし、病気になったかと心配になる」
「……本当の事とは言え、はっきり言われるとムカつくわね」
 さすがに顔を引き攣らせた幸恵だったが、すぐ隣に座った和臣は、余裕の笑みでお茶を飲みながら話を続けた。


「兄貴と義姉さんはあれで上手くいってるが、俺達は俺達のやり方で良いだろう? 現に兄貴達だって、偶には意見の相違も有る」
「まあ、それはそうよね……。それで今回の騒ぎになったわけだし」
 思わず肩を竦めた幸恵に対し、和臣は小さく笑った。


「そんなに心配しなくても。結婚して何十年も一緒に暮らしていれば、自然に阿吽の呼吸になるさ」
 その微妙に裏が有りそうな笑顔に、幸恵が思わず疑わしそうに問い返す。


「……自然に? 『丸め込む』の間違いじゃなくて?」
「とんでもない。俺は幸恵の意見を、できうる限り尊重しているつもりだが?」
「どうだか」
 素っ気なく口にした幸恵だったが、(丸め込まれても良いかなって、思った段階でもう手遅れよね)などと考えながら、その顔に笑みを浮かべていた。
 当然和臣もその内心は手に取る様に分かっていたらしく、嬉々として幸恵の目の前に新居候補の物件情報を並べつつ、今後の二人の生活についての提案を繰り出しては、幸恵と活発に議論するのを楽しんでいたのだった。




(完)



「アビシニアンと狡猾狐」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「恋愛」の人気作品

コメント

コメントを書く