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アビシニアンと狡猾狐

篠原皐月

第22話 リセット

「お待たせしました、遠藤さん」
「いえ、時間ぴったりでしたよ?」
「それは良かった。こいつがこんなナリなので、待ち合わせ場所で流石にビビりまして」
「……まさか俺も、こう来るとは思いませんでしたね。つくづく予想外の女です」
 確かにかつて職場の飲み会に呼ばれた事がある兄が、上司である弘樹と顔見知りなのは当然だとしても、何故その二人が息の合ったやり取りを交わした後、自分の方を見て盛大な溜め息を吐くのかと幸恵は顔を引き攣らせた。そして君島兄妹は兄は相も変わらず能天気な声をかけてきて、妹はひたすら恐縮しながら頭を下げる。


「やあ、幸恵さん、こんにちは。今日も綺麗だね。幸恵さんなら何でも似合うけど、黒もなかなか奥深いよ」
「あ、あのっ! こんにちは、幸恵さん。本日はお日柄も良く」
「あ、綾乃ちゃん、一応それって俺の台詞っぽいな~」
 すかさず突っ込んできた弘樹に、綾乃は益々狼狽した。
「あぁあ、遠藤さんすみません! もう何か色々すみません!」
「ははは、相変わらず綾乃ちゃんは可愛いな~。幸恵に爪の垢でも煎じて飲ませたいよ」
 そんな事を正敏がしみじみと言い出した為、幸恵がピクリと片眉を上げると、ここで和臣が口を挟んだ。


「正敏さん、幸恵さんはそんな事をしなくても、十分可愛いですから」
 そんな事を真顔で言われた正敏と弘樹は、顔を見合わせて苦笑いする。
「いや~、こいつは一本取られたな~」
「荒川についてそんな事をサラッと言えるのは、君島さん位だよな~」
「…………」
 大笑いしている二人に、幸恵が入り口の所で立ち尽くして冷たい視線を送っていると、足元に正座して控えていた着物姿の仲居が、不思議そうに幸恵を見上げてきた。


「お客様、どうかされましたか?」
「何やってるんだ、幸恵。お店の方の迷惑だろうが」
「……失礼します」
 仲居と正敏に促され、幸恵は渋々会釈して室内に入った。そして背後で襖が閉められる音を聞きながら、正敏の隣の座布団に座る。
「それで? 一体これはどういう事なのか、どなたか説明してくださるんでしょうね?」
 盛大に皮肉っぽく問いかけた幸恵に対し、隣の兄と斜め向かいに座る上司は事も無げに言ってのけた。


「説明って言われてもな~。俺は見合いだって、ちゃんと説明したよな? 俺はお前の付き添い役だし」
「俺は仲人役な。それでもって、君島さんがお前の見合いの相手で、綾乃ちゃんがその付き添い役。形は立派に整ってるだろ」
「どうも」
「あのっ、本当にすみません! 一応止めた方が良いとは言ったんですが、皆聞いてくれなくて!」
 そしてにこやかに会釈してきた和臣と、必死の顔付きで弁解を始めた綾乃を見て、幸恵のこめかみに青筋が一本浮かび上がった。


「役割分担は、一目見て何となく分かりましたけどね……、私が聞きたいのは、どうしてこんな茶番をしているのかと言う事よっ!」
 その詰問口調にも一向に動じず、和臣以外の面々はあっさりと腰を上げる。
「じゃあ、そこの所は当事者同士でじっくり話し合う、と言う事で」
「『後は若いお二人で』って言うのが、こういう場での定石ですよね」
「すみません幸恵さん、失礼します。どうぞごゆっくり」
「え? あの、ちょっと!」
「お食事をお持ちしました」
 慌てて引き止めようとした幸恵だったが、その時ちょうど幾つもの小鉢に料理が盛られた盆を持った仲居がやってきて出入り口で三人と入れ違いになり、和臣は仲居に頷いてみせつつ、幸恵に優しく言い聞かせる。
「はい、お願いします。幸恵さん、ちゃんと座ろうか」
「…………」
 そして憮然とした表情で座り直した幸恵と、機嫌の良い和臣の前に料理が並べられ、仲居が一礼して下がると、室内に二人だけが取り残された。


「じゃあせっかくだから、まず食べよう」
 その声に、二人は挨拶をしてから箸を持ち上げて食べ始めたが、一口味わったところで幸恵が尋ねる。
「あの三人は?」
「遠藤さんが別な店に案内して、一緒に食べている筈だよ。何か申し訳ないな、色々遠藤さんの手を煩わせてしまって」
 苦笑しながら和臣が説明したが、幸恵は納得しかねる顔付きで問いを重ねた。
「どうして私の上司が係わってるのよ?」
「何回か連絡を取っているうちに、かなり親身になって相談に乗ってくれて。……どうやら彼の中で、俺は『モテるのに本命には相手にされない同盟』の構成メンバーらしい」
 真顔でそんな事を言われてしまった幸恵は、思わず箸を取り落としかけ、押し黙った。そして少ししてから気を取り直し、同様に無言を貫いて自分を見ていた和臣に対して愚痴っぽく零す。


「……コメントに困るんだけど。取り敢えず馬鹿っぽい上司の部下である自分を、哀れんでみても良いかしら?」
「幸恵さんの愚痴だったら、俺は幾らでも聞くよ? でも、幸恵さんってやっぱり素直だな」
「今の会話のどこに、そんな要素が?」
 思わず呆れながら問い返すと、和臣は微笑みながらその理由を語った。


「だって、遠藤さんの事を『馬鹿な上司』じゃなくて、『馬鹿っぽい上司』と言っただろう? それって、確かにちょっと困った人だけど、それなりに仕事ぶりを認めてるって事だよね?」
「……買いかぶりよ。十分馬鹿な上司だと思ってるわ」
「そんな憎まれ口を叩かなくて良いのに」
 反射的にそっぽを向いた幸恵を見て和臣はクスクスと小さく笑ったが、それ以上は何も言わずに再び食べ始めた。
 窓の外に広がる日本庭園の片隅から、鹿威しの石を打つ音が聞こえてくる他は、時折鳥のさえずる声が聞こえてくる位の静けさの中、どうにも居心地が悪くなった幸恵は、自分から口を開いた。


「……何か喋ったら?」
 その問いかけに、和臣は自分が黙り込んでいた事に漸く気付いた様な表情になってから、真顔で話し出した。
「ああ、何だか幸恵さんと二人っきりで、こういう静かな所で食事をするのも良いなと思ったら、何となく黙ってしまったな。その他にも色々考え込んでたけど……。今日、ここに呼んだ理由を知りたい?」
「ここに来た当初から、そう言ってるんだけど?」
「ちょっと出会いをリセットしてみようかなと思って」
「はい? 出会い、って……」
 当惑して首を傾げた幸恵に、和臣は淡々と語り出した。


「最初に会ったのが、荒川のお祖母さんの四十九日法要の日だろう。幸恵さんが丹念に泥水を調整してた」
 全く否定できない事実の為、幸恵は箸を持った右手をピクリと小さく反応させたが、できるだけ冷静に申し出た。
「全面的に否定はしないけど……、言わなくても良い事は、できるだけ口にしないで貰えるかしら?」
「それから再会したのが、君の会社の飲み会に呼ばれた時だろう? 綾乃と揉めた挙げ句に、会長夫人を愛人呼ばわりして騒ぎが大きくなった」
「だから……、この場に関係無い事は一々口にするなと」
「本当に、俺が言うのも何だけど、ろくな出会いじゃないよね」
「私にとっても、ろくな出会いじゃないわよ! 悪かったわね!!」
 思わず溜め息を吐いた和臣を、とうとう我慢できなくなった幸恵が盛大に叱り付けた。すると和臣が真顔で話を続ける。


「だからこの際、気持ちだけでも違う出会いをイメージしてみようかと思って。お見合いでの出会いなんてベタ過ぎるけど、却ってこれ位が俺達には丁度良いんじゃないかと思ってね」
 それを聞いた幸恵は呆気にとられた顔をしてから、片手で額を押さえつつ呻いた。
「……馬鹿じゃないの?」
「うん、自分でも利口なやり方ではないと思うよ? でも正攻法って言うのは、基本中の基本だろう」
「確かに、普段奇策ばかり使ってる人間がそういう事をすると、余計に新鮮よね。でもちょっと似合わないわよ?」
「似合わなくても格好悪くても、なりふり構っていられない心境なものでね。そういう事だから……」
 幸恵が軽く皮肉を交えて向かい側を見やると、和臣は居住まいを正してから神妙に頭を下げた。
「荒川幸恵さん。あなたの事が好きです。俺と結婚を前提にして、付き合って下さい」
 そのまま頭を下げている和臣に、幸恵は少しの間無意味に視線を室内のあちこちに彷徨わせてから、困惑気味に口を開いた。


「……言っておくけど、まだ当分結婚する気は無いわよ?」
 その言葉に、顔を上げた和臣が当然の様に明るく笑う。
「まさか今日明日、入籍して欲しいとは言わないよ」
「それに、仮に結婚したとしても、仕事を辞める気は毛頭無いし」
「勿論、俺も辞めてくれなんて言うつもりは無いから。その時は幸恵さんが通勤に便利な所に、マンションでも買おうか」
「客観的に見て……、私、良い嫁にはなれないと思うもの」
 我が身を振り返り、幸恵が結構落ち込みながら告げた言葉に、和臣は彼女を慰める様に言葉を継いだ。


「俺の実家については、そんなに気にしなくて良いよ。実際に結婚するまでまだ相当時間がかかると思うし、明らかに問題があるのは兄だけだし、折を見て俺がちゃんと話をつけるから。心配しないで」
 すると、ここで幸恵が弁解がましい台詞を口にした。
「取りあえずよ。何が何でも結婚するって決めたわけじゃないんだから!」
 しかし僅かに顔が赤くなっているのははっきりと見て取れる為、和臣は笑い出したいのを苦労して堪えながら何度も頷いた。


「うん、分かってる、分かってるから。取り敢えず結婚しても良いかどうかの、お試し期間なんだよね?」
「だからそう言ってるでしょうが!」
「じゃあ、お試し期間中の仮の婚約者としては、良い所を見せる様に頑張らないとすぐに愛想を尽かされるだろうから、日頃頑張っている幸恵さんへのホワイトデーのお返しとして、ここのホテルのフルエステ90分コース付き、デラックスガーデンスイート宿泊をプレゼント」
「え? 嘘っ!?」
 何かの折り、同期入社の友人と「泊まってみたいわね~」と羨望混じりに雑誌の特集記事を読んだ記憶を思い出し、幸恵は驚愕した。その反応に満足した様に、和臣が説明を続ける。


「食べ終わったらここのホテルに入ってるブティックとドラッグストアで、幸恵さんの衣類や小物を買うから。エステは四時から予約を入れてるから、三時にチェックインして部屋で荷物を片付けて、少しのんびりしよう」 
「そうね……」
「夕飯は七時に、ここのフレンチレストランに予約を入れてるんだ。昼は和食だし、そこに幸恵さんの好きなワインが揃えてあるしね」
「ええ……」
 文句の付けようが無いプランニングに、幸恵は半ば呆然となりながら頷いた。そして自分の個人情報がどこまで漏れているのかと若干不安になり、(ちょっと早まったかもしれない……)という一抹の不安が、頭の中をよぎったのだった。



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