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アビシニアンと狡猾狐

篠原皐月

第15話 荒川家の『和臣』

 現場に駆け付けた警官達に、青山から身柄を託された幸恵は、早速パトカーで病院に連れて行かれ、処置を受けた後そのまま所轄署に移動した。そして前後関係を確認しつつ、経緯を纏めた書類を作り、内容の確認を求められた幸恵は、一通り目を通してから所定の欄に署名を済ませる。


「お疲れ様でした、荒川さん。もうお帰りになって結構です」
「そうですか。それでは失礼します。色々とありがとうございました」
「いえ、本当に今回は大変でしたね。こちらで住所までお送りしようと思いましたが、廊下にお迎えがいらしている様なので」
「迎え? 誰でしょうか?」
 取り調べ室とは違う、簡易な感じの応接室のソファーを立ち上がり、ドアに向かって歩き出しながらそんな会話をした幸恵だったが、ドアを開けて廊下に出た途端、口を閉ざして無表情になった。


「お疲れ様、幸恵さん。もう帰って良いんだよね。それから怪我をしてるみたいだけど、ちゃんと治療して貰った?」
 目の前の壁にもたれかかってドアが開くのを待っていたらしい和臣は、ホッとした様な表情で一歩足を踏み出しつつ尋ねてきた。そして傍らの警官の手前無視する事もできず、幸恵も普通に返す。


「大丈夫よ。ちゃんと処置して貰って、年明けまでの薬も貰ったし」
 そこで若い者の邪魔はできないとばかりに、年配の警官が軽く頭を下げて挨拶してきた。


「それでは失礼します」
「ありがとうございました」
 和臣は律儀にそれに応じてから、幸恵に向き直って笑顔で尋ねた。
「もう暗くなったし、送って行くよ。ついでに夕飯も食べて行こうか。何が良い?」
「……焼き鳥」
 少し考えてからぼそりとそう呟いた幸恵に、和臣は一瞬固まってから、取って付けた様な笑みを浮かべつつ、スマホを取り出した。


「えっと……、幸恵さんがそこまで焼き鳥好きだとは思わなかったな。ちょっと待って。この近くで良さそうなお店を探してみるから」
「探さなくて良いわよ。この前行った所に行くから」
「でも、幸恵さん……」
 淡々と言われた内容に和臣は戸惑ったが、幸恵は鬼気迫る表情で和臣に迫った。


「行くのよ! あそこで付いたケチは、今日中にそこで仕切り直して落とすんだからっ!!」
「……分かった。すぐにタクシーを呼ぶから、待ってて」
 とても幸恵を説得できないと悟った和臣は、あまり気が進まないままタクシー会社に配車の手続きをし、やってきたそれに二人で乗り込んだ。そして件の店に足を踏み入れると、前回通り威勢の良い掛け声がかけられた。


「いらっしゃい!」
「……どうも」
「今日もカウンター席の方が良いですか?」
 愛想良くカウンターの向こうから店主が尋ねてきたが、和臣はチラリと斜め後ろに立つ幸恵の様子を窺いつつ断りを入れた。
「いえ、今日はテーブル席でお願いします」
 すると二人の微妙な空気を察知したらしい店主は、余計な事は聞かずに従業員に指示を出す。


「畏まりました。じゃあ奥のテーブル席、お二人様ご案内して」
「はい。こちらへどうぞ」
 そして二人が向かい合って座ると、案内役の女性が明るく尋ねてきた。


「先に飲み物を伺っておきますが、何になさいますか?」
「幸恵さん、飲み物は」
「烏龍茶」
 端的にそれだけ答えた幸恵に店員は変な顔をしたが、和臣も自分だけ酒を飲む気分にはなれなかった。


「じゃあ烏龍茶を二つ」
「畏まりました」
 それから取り敢えずの注文を済ませた和臣は、幸恵に視線を合わせて声をかけた。


「幸恵さん、今日はご苦労様」
 それに対して、如何にも不機嫌そうな声が返ってくる。
「ええ、お疲れ様だったわね。商談を一つすっぽかす羽目になっちゃったし。係長が捜査員の方に『先方には事情を説明して、他の社員を向かわせたから心配するな』と言付けてくれたから、安心できたけど」
「そうか。それは不幸中の幸いだったね」
「……不幸中の幸い? 何か他に言わなくちゃいけない事が有るんじゃないの?」
 幸恵が明らかに気分を害していると分かる表情で、早速届いたグラスの烏龍茶を一口飲んでから和臣を促すと、和臣は観念した様に頭を下げて謝罪を始めた。


「その……、ペンダントの事は、黙っていて悪かった。でも幸恵さんの性格なら、用心の為に持っておいてくれと言っても『どうして私がこんな物持たなくちゃいけないのよ。第一、あんたと私は大して交流の無い親戚関係なんだから、狙う方がおかしいでしょう』とはねつけられそうで」
 そんな弁解の言葉を聞いた幸恵は、僅かに顔を引き攣らせながら言い返した。


「……否定はしないわよ。しないけど、代議士までグルになって、話をでっち上げるとは恐れ入ったわ。あのお祖母さんの形見云々の話は、真っ赤な嘘だったのよね!?」
「はい、その通りです。反省してます」
 再び神妙に頭を下げた和臣に、幸恵は苛立ちをぶつけ続けた。


「それから、そんな物を持たせる位の懸念があったのなら、その危険性について本人に予め言って欲しかったんですけど?」
「誰なのか確証は無かったし、湯村について話したりしたら、『そんな奴の根性は、こっちから出向いて叩き直してやるわ!』って、君が突撃しかねないと思ったから……」
 最後は溜め息混じりに和臣が答え、幸恵は完全にへそを曲げた。


「……っ! 反論できないから、一々しゃくに障るわね! 悪かったわね。気が強くて!」
 そして苛立たしげに叫んだ幸恵が、頼んでおいた料理を勢い良く食べ始めたが、和臣はそれを見ながら徐に口を開いた。


「それも、幸恵さんの魅力の一つだとは思うけど……、今回は裏目に出まくりだったよ。それ位は分かってるよね?」
「どこがよ?」
「取り敢えずこちらの事情説明はしたし、謝罪もしたから一言言わせて貰うけど……」
 拗ねたように言い返して顔を背けた幸恵に、和臣は最初穏やかに言い聞かせる様にしてから、店中に響き渡る声量でいきなり怒鳴りつけた。


「あそこで犯人を煽る馬鹿がいるか! もうちょっと、時と場合を考えろ! このど阿呆が!!」
「…………っ!!」
 その途端、幸恵は固まって串を取り落とし、他の客も何事かと幸恵達のテーブルに目を向けて、店内に沈黙が漂った。その静まり返った空間で、和臣の冷静な声が発せられる。


「何か言いたい事は? 有るなら聞くけど?」
 自分を軽く睨み付けている和臣を、幸恵は最初呆然と見返していたが、段々涙ぐみながら愚痴っぽい呟きを漏らした。


「何よ……。うちの和臣と違って、コソコソ隠し事なんかして、大事な所で人任せにして、後からノコノコ来たくせにっ……」
 段々涙声になってきた幸恵の台詞の意味が分からず、和臣が怪訝な顔で問い掛ける。


「ちょっと待って、幸恵さん。『うちの和臣』って、何?」
「実家で飼ってた犬よ」
「犬?」
 和臣は呆気に取られたが、幸恵は口に出した事で何かのスイッチが入ったのか、滔々と「うちの和臣」について語り出した。


「七歳の時に飼い始めたんだけど、私が当時九条和臣のファンだったから、その名前にしたのよ」
 それを聞いた和臣は、記憶の中からその名前を引っ張り出した。


「九条和臣って……。確かとっくに亡くなっている、往年の名俳優の彼の事?」
「悪かったわね。子供の頃から渋好みで」
「いや、個人の趣味は自由だし……」
(だから以前に飼っていた犬の話題になった時、名前を言い難そうにしてたのか。興信所の報告書にも、さすがに犬の名前までは無かったな……)
 益々拗ねた様に幸恵にそっぽを向かれてしまった和臣は、何とも言えない表情で言葉を濁した。すると幸恵は和臣のそんな態度が気に障ったのか、視線を戻して真顔で話を続ける。


「和臣はね、いつも真剣な顔で私を見上げてきて、私の指示を大人しく待ってたし、間違っても隠し事なんてしなかったわよ」
「それはまあ……、犬だから。隠し事ができるかどうかの問題じゃないと思うんだが」
「それに頭も良くて、私の忘れ物を忙しいお母さんの代わりに体に括り付けて、ちゃんと学校まで持って来てくれたし」
「放し飼いにしてるって、通学路付近の住人に通報されなくて良かったね」
「下校時間の頃に急に雨が降り出した時は、首輪を外して傘をくわえて、学校まで届けに来てくれたりもしたし」
 そこまで聞いた和臣は、さすがに呆れ気味に口を挟んだ。


「……幸恵さん、どうして犬が勝手に首輪を外せるわけ? それに傘は普通玄関の中に置いてあるよね? 玄関の鍵とかは?」
「だって『和臣が苦しいだろうから』って、首輪は常に緩めにしておいたもの。それでも普段、勝手に抜け出す様な真似はしなかったし。家の玄関は『大して取られる物も無いだろう』って、誰か家に居る時や、そこら辺にちょっと出かけるだけなら、一々鍵なんかかける人は居ないわ」
「……伯父さんの家が、想像以上に豪快な人間の集まりだって事が、良く分かったよ」
 思わず頭を抱えてしまった和臣だったが、幸恵は懐かしむ様に犬の和臣の話を続けた。


「和臣だけはちゃんと私の事を守って、理解してくれたもの。嫌ないじめっ子に絡まれた時も、駆け付けて追い払ってくれたし、毛虫がボトボト落ちてきて怖くてうずくまってしまった時も、鼻と足で払い落としてくれたし。私が愚痴を零しても『お前は気が強いから』とか『虎殺しが何言ってんだよ』って周りの人間に相手にして貰えない方が多かったのに、和臣は最後まで直立不動で黙って私の話を聞いてくれたし」
「……忠犬だね」
 もう他に何も言いようがない和臣は半ばヤケになりながら相槌を打ったが、ここでいきなり幸恵の声の調子が変わった。


「本当はっ、こっ、怖かったんだから。だけどあんなろくでなしの前で、泣くなんて、やだったしっ!」
「ああ、うん。そうだよね。怖い思いをさせて悪かった」
「うちの和臣だったら、こんな小細工しなくても、私が危なくなったら、それを察知して駆け付けてくれるわよ。絶対、そうなんだからぁぁっ!」
「うん、そうだろうね。偉いね」
 急に声を震わせたと思ったら、再び涙声になった幸恵を、和臣は些か慌てながら宥めにかかった。するとまた話題が犬の和臣の事に戻る。


「だから、思い出しちゃったじゃないの。和臣の事」
「どんな事?」
「犬の寿命が人間より短いのは、分かっていたつもりよ? そのつもりだったけど……、大学の時、家に帰ったら和臣が冷たくなっててっ……」
 そしてグラスの烏龍茶を一口飲んでから、幸恵は微かに声を震わせながら続けた。


「朝、夏バテかな? 具合悪そうだなって思いながら家を出たのよ。思ったなら動物病院に連れて行ってあげるか、一日位大学をサボって側に居てあげれば良かったのに、一人で死んじゃってぇぇっ……」
「うん、分かった。幸恵さんが悲しんだのは分かったから、少し落ち着いて」
「どうしてそんなにあっさり私を置いて、先に逝っちゃったのよ和臣ぃぃ~っ!! ずっと一緒に居てくれると思ってたのに!!」
 そこでいきなり絶叫した幸恵は、グラスから手を離してテーブルに突っ伏し、「うわぁぁぁぁ!!」と店中に響き渡る大声で泣き始めた。何事かと驚いて他の客達が視線を向けてくる中、和臣が慌てて幸恵を宥めにかかる。


「幸恵さん。その和臣は寿命だったんだろうし」
 しかしそれを聞いた幸恵は、ガバッと顔を上げて一層泣き叫んだ。
「放っておいてよっ!! あっ、あんたなんか、あんたなんかねぇぇっ! ちょっと見た目が良くて稼ぎが良いかもしれないけど、和臣とは名前が同じだけで、月とスッポンなんだからぁぁっ!!」
 犬より格下と断言された和臣は、思わず遠い目をしながら呟く。


「……そうだね。隠し事は多いし、人を手玉に取るのが上手いし、得体が知れないし」
「分かってるなら黙っててよ!」
 腹立ち紛れに幸恵がそう叫ぶと、店内のあちこちから囁き声が和臣の耳に伝わってきた。


「あの男、結構いい感じだけど、あれより高スペックな男が恋人だったのか?」
「そりゃあ、あっさり死なれて悔しいだろうなぁ……」
「天はニ物を与えずって言うし、だから早死にしたんじゃね?」
「なるほど。俺達凡人で良かったな」
「それであの男、後釜狙ってるとか?」
「ハイエナみたいな野郎だな」
(何か変な誤解をされているみたいだが、大声で誤解だとふれ回るわけにもいかないな)
 和臣が本気でうんざりとした時、テーブルの横に佇んだ白い姿が幸恵に声をかけた。


「お嬢さん、ちょっと良いかな?」
「はい……、何でしょう?」
 思わず律儀に振り仰いだ幸恵の前に、店主が手にしていたお盆に乗せていた皿を置く。


「これは俺の奢りだから。良かったら食べてくれ」
「え? 良いの?」
「ああ、勿論だよ」
 そして数種の焼き鳥が十本ほど盛られた皿から、ゆっくりと店主に視線を戻した幸恵は、再びうるうると涙を溢れさせながら、声を漏らした。


「……おじさん、いいひと」
「じゃあ、ごゆっくり」
 そんな幸恵に愛想良く笑った店主は、今度は和臣の前に注文していないお銚子と盃を二つ並べ、彼の肩を軽く叩きながら耳元で囁く。


「まあ、色々大変だと思うが頑張れ」
「……どうも」
 どうやら店主にまで、変な誤解をされてしまったのは分かったが、訂正する労力を惜しんだ和臣は曖昧に頷き、早速盃に貰ってしまった酒を注いで飲み始めた。そして思いっきり叫んで幾らか落ち着いたのか、静かになっていた幸恵だったが、焼き鳥を食べながら再び怪しい状態になってくる。


「和臣も、焼き鳥が大好きだった……。こんな美味しいのを、死ぬ前にお腹一杯、食べさせてあげられれば良かっ」
 そこで声を途切れさせ、「ふえぇぇっ……」と声を湿らせた幸恵に、(まだ全然飲んでないのに。余程怖かったから、今頃緊張の糸が切れて理性も利かなくなってるのか?)と疑問に思いつつ、和臣は彼女の興味を逸らす為に、盃を差し出した。


「幸恵さん、ほら、お酒も貰ったから。和臣に捧げて、二人で献杯しよう」
「……する」
 そして大人しく手を差し出してきた幸恵に盃を渡し、二人で静かに「献杯」と呟いてから静かに飲んで食べ進めた。


「……おいしい。もっと食べる」
「ああ、和臣の分まで食べて飲んで」
「うん」
(俺と同じ名前の犬か……。もの凄く複雑な気分なんだが)
 思わず溜め息を吐きながら、幸恵と一緒に酒を飲みつつ料理を食べていた和臣だったが、急に幸恵がボソリと呟いた言葉に顔を上げた。


「……来た」
「え? 幸恵さん、何が?」
「発明の神様」
「は?」
 真顔で端的に述べた幸恵は、戸惑った和臣の前で勢い良く立ち上がり、自分の服を上からバタバタと叩き始めた。


「和臣が連れてきてくれたわっ! 何か書くものっ! シャープペン! ボールペンはっ!?」
「あの、幸恵さん?」
「あった! 紙! 何か白い、書ける物! ああぁぁっ!! アイデアが消えちゃうぅぅっ!!」
「幸恵さん、ちょっと落ち着いて」
 ジャケットの内ポケットから嬉々としてボールペンを取り出したのも束の間、幸恵は今度は紙を探して、テーブルの周囲を狼狽しまくりながら見回した。完全に理性を吹っ飛ばしている彼女を宥めようと、和臣は慌てて立ち上がってテーブルを回り込み、幸恵の肩を掴んで言い聞かせたが、何故かここで彼女は、和臣のスーツの襟を両手で握り締めつつ歓喜の叫びを上げる。


「あった!!」
「え?」
 そして戸惑う和臣には全く構わずに幸恵は和臣の上着のボタンを外し、左右に思いっ切り広げた。更に右肩を露わにするほど開いてから、右肩から右胸にかけての範囲のワイシャツの上に、ボールペンを斜めに突き立てる様にしながら何かを書き始めた。


「幸恵さん! いきなり何を!?」
「えっと……、コンセプト……、販売ターゲット……」
「ちょっ、幸恵さん! 力込めて書き過ぎ! 刺さって破れそうだし、本気で痛いから!!」
「うふふっ、これで大ヒット間違い無し……」
「……聞いてないな」
 幸恵の両肩を掴みながら、半ば本気で悲鳴を上げた和臣だったが、左腕で和臣の右腕をしっかり確保し、血走った目でボールペンを走らせている幸恵に、和臣は抵抗を諦めて、気の済むまで書かせる事にした。
 予想外の光景に店内が静まり返る中、幸恵はニ・三分でワイシャツへの書き込みを終え、満足そうな笑みでボールペンを再び内ポケットにしまい込んだ。そして和臣の背中に両手を回して抱き付きながら、嬉しそうに呟く。


「ありがとう。やっぱり和臣だけは、私の味方よね……」
 それきり身動きせずに無言の幸恵に、和臣は嫌な予感を覚えながら声をかけた。
「幸恵さん?」
「……ぅん?」
「頼むから、立ったまま寝ないでくれ」
 明らかに寝ぼけている声に和臣は半ば脱力し、慎重に幸恵を椅子に座らせてから、てきぱきと動き始めた。


「疲れただろうから、今、送って行くよ。支払いを済ませてタクシーを呼ぶから、もう少しだけ起きててくれ」
「……うん」
 どう見ても寝落ち寸前の幸恵の様子を見て、和臣は微妙な顔付きの店員相手に会計を済ませながら、(もう、この店に幸恵さんを連れて来れないな)と頭痛を覚えていた。



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