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アビシニアンと狡猾狐

篠原皐月

第7話 難解な相手

 長期出張から戻って、星光文具本社に復帰した初日。幸恵は直属の上司である係長の弘樹に、資料の束とデータディスクを提出した上で、取り急ぎ報告が必要や要件を纏めて報告した。それを幾つかのやり取りをしながら聞き終えた弘樹は、報告の間中保っていた真面目な表情を緩め、幸恵を労う台詞を口にする。


「取り敢えず滞っていたデータ収集は完了したし、新商品生産工程の到達具合も確認できた。今回はこれで大丈夫だろう。急な出張にも係わらず、ご苦労だったな」
「いえ。それでは失礼します」
 内心でほっと一息ついた幸恵は軽く頭を下げて自分の机に戻ろうとしたが、ここで声を潜めて弘樹が言い出した。
「ところで、とある方面からの補給物資は堪能できたか?」
 思わず弘樹に顔を向けると、どう見ても面白がっているとしか思えないニヤニヤ笑いに遭遇し、幸恵は忍耐力を振り絞って冷静に言い返した。


「お陰様で、私の身近に私の個人情報を漏らす方が多々いらっしゃる様で、私の好みに合致する物を色々頂いてしまいました」
「それは良かったな。帰りも送って貰いながら、デートしてきたんだろ?」
(どこまで知ってるのよ? それにこういう軽い所が無ければ、もう少し素直に尊敬できるのに……)
 明らかに楽しんでいる様子の弘樹に幸恵は内心うんざりしたが、(これは一応上司、腐っても社長令息)と心の中で呪文の様に唱えながら、ピシャリと言い切った。


「あれはデートとは言いません。色々人の神経を逆撫でした事に対して、詫びを入れる為にあちらが勝手にお膳立てしただけです」
 そう言って胸を張った幸恵に、弘樹は「やれやれ」とでも言いたそうに小さく肩を竦めた。
「……本当にお前、ひねくれてる上に分かり難いよな。少しは綾乃ちゃんを見習ったらどうだ?」
「あそこまで考えが丸分かりなのも、社会人としてどうなのかと思いますが」
「それは同感だな」
 思わず口から漏れた愚痴に即座に幸恵が切り返してきた為、弘樹はそれ以上余計な事は言わずに黙り込んだ。しかし従妹と比較されて少々気分を害した幸恵が、八つ当たり気味に話の矛先を変える。


「それに、先程の分かり難い云々の話は、あいつに対してこそ言う台詞では? 全然考えている事が分かりませんし」
「まあ、確かに多少ひねくれてて、分かり難いかもな」
「多少? あれがですか?」
 物凄く懐疑的な表情を見せた幸恵に、弘樹は軽く苦笑いしてから、顔付きを改めて話し出した。


「彼の六つ上のお兄さんは地元の県議会議員で、子供の頃から父親の後継者として期待されてたみたいだな。それで六つ下の綾乃ちゃんは、小さいうちは体が弱くて家中から心配されて、いつも誰かが張り付いてたそうだ」
「それが何です?」
 いきなり変わった話の内容に、幸恵が無意識に眉を寄せると、弘樹が独り言の様に述べる。
「年の離れた兄妹ばかりに目が向けられてても、手のかからない良い子で育つのってどうなんだろうな。実際は、なかなか複雑なんじゃないかなと思って」
 そして意味あり気に見上げてくる視線を幸恵は真っ向から受け止めたが、それにすこぶる冷静に言い返した。


「余所様の家庭環境を詮索する時間があるなら、それを仕事に費やして下さい」
「本当に素直じゃ無いよな。じゃあ怒られないうちに、仕事をするか」
「そうして下さい。失礼します」
 明るく笑いながら資料を取り上げた弘樹に少しホッとしつつ、幸恵は再度頭を下げて自分の席に戻った。そして出張中に溜まっていた書類等に目を通し始める。


(全く、ちょっと見直そうかなと思ってると、余計な事ばかり言うんだから)
 心の中で文句を言いながら仕事に取り掛かり、一区切りつけた所でふと係長席に目をやると、同僚と何やら真面目な顔で話し合っている弘樹の姿が目に入った。それで何となく、先程交わした話の内容を思い返す。
(まあ確かに……、係長と同様に、複雑と言えば複雑でしょうけど。でもそれが、傍迷惑な行為の免罪符にはならないわよ?)
 無意識に顔を顰めた幸恵だったが、一瞬遅れてそれを自覚し、すぐにいつもの表情に戻って黙々と仕事を続行したのだった。


 結局、関係部署とやり取りをしながらの精査に結構時間がかかり、午後も事務処理に忙殺される事が判明した幸恵は、近所の弁当屋で昼食を買って自席で仕事をしながら食べる事にした。そして手早く購入を済ませて自社ビルへと戻ると、外で食事を済ませて来たらしい綾乃と、見覚えのある彼女の同僚にエレベーターホールで遭遇した。


「今日は、幸恵さん。今からお昼ですか?」
「ええ。食べながら溜まっていたメールとか一応目を通しておこうかと思って。出張中は私宛の物は係長と課長がチェックしてくれていたけど、流れをきちんと押さえておかなきゃいけない場合もあるし」
「そうなんですか……。戻ったばかりで大変ですね。頑張って下さい」
「ありがとう」
 明るく声をかけてきた従妹にそれなりの笑顔で応対していると、挨拶を済ませた綾乃が恐る恐る質問してきた。


「それで、その……、出張先から引き上げて来る時、幸恵さんの荷物を運びがてら、ちぃ兄ちゃんとお食事して犬カフェに行って来たんですよね?」
 そう尋ねられた瞬間幸恵がピクリと反応し、嬉々として携帯を取り出しながら綾乃ににじり寄った。
「そうなのよ! どの子もすっごく可愛かったわ~! 写真を見る?」
「は、はい……」
 たじろぎつつも頷いた綾乃と、その同僚の香奈を押し込む様にエレベーターに乗り込み、上昇を始めたその中で幸恵は上機嫌でデータを呼び出し、綾乃の目の前に差し出した。


「ほら、全員と撮って貰ったのよ? どの子も可愛いでしょう?」
「……可愛いですね」
「そうよね~。出張中の疲れが消し飛んだわ」
 そして次々画像を変え、全て表示させた幸恵が携帯を元通りしまい込もうとした時、綾乃が控え目に声をかけた。


「あの……、幸恵さん?」
「何?」
「そこで撮った写真って、この犬さん達とのツーショットだけですか?」
「それはそうよ。だって室内とか外観とか、わざわざ撮る必要があるの?」
 何を言い出すのかと不思議そうな顔を見せた幸恵に、綾乃は消え入りそうな声で続けた。


「いえ、そうじゃなくて……、その……、ちぃ兄ちゃんとのツーショットとかは、無いのかなぁ、と」
「最初から最後まで、何を言ったのか良く聞こえなかったんだけど、今、何て言ったの?」
 益々怪訝な顔になった幸恵に問われた綾乃は、一瞬迷ってから頭を下げた。


「……すみません。何でもないです」
 それを見て、幸恵は思わず溜め息を吐いて説教モードに入る。
「あのね、控え目なのは美点だけど、ちゃんと自己主張する必要がある時は、ちゃんと言わなきゃ駄目よ? いつまでも周りが庇ってくれると思うのは止めなさいね?」
「気を付けます」
 そこでエレベーターが綾乃達の職場のフロアに到達し、香奈が取りなす様に幸恵に声をかけた。


「荒川さん、私達はここで失礼しますね」
「ええ、それじゃあね」
 そうして幸恵と別れた二人は、エレベーターの扉が閉まって上昇するのを見届けてから、連れ立って廊下を歩き出した。


「さすが荒川さん。有名レストランでもブランド品とかでも無く、犬で落ちたか。意外性の固まりよね。あんたのお兄さん、全く相手にされてないっぽいし」
 感心した様に香奈が頷いて納得していると、横を歩く綾乃が涙目でうなだれる。
「ちぃ兄ちゃん、犬に完敗しちゃうなんて……」
「交際を始めても、未だに高木さんと大して進展がない君島さんにそんなに不憫がられるなんて、お兄さんも気の毒よね」
 そう言って香奈は皮肉っぽく肩を竦め、綾乃は更に落ち込む事になったのだった。




「やあ、今晩は、幸恵さん」
 そんな会話を交わした日の夜。幸恵はかかってきた電話に対応する為、通話ボタンを押すと、爽やかに和臣が挨拶してきた。それに僅かに脱力しつつ、しかし問答無用で切る様な真似はせずに、嫌そうに言葉を返す。
「……どうも。今日は何?」
「今度一緒に食事に行かないか?」
 そんな唐突なお誘いに、幸恵は負けじと言い返した。


「どうしてあなたと一緒に食事に行かなきゃいけないんですか?」
「ちょっと遅くなったけど、幸恵さんの昇進祝い。悪かったね、決定した頃は色々忙しくて、誘ってあげられなくて」
 申し訳無さそうな口振りの和臣だったが、幸恵は軽く皮肉をぶつける。


「あら、今の今までちっとも知らなかったわ。私とあなたが、昇進を祝い合える程、親しい間柄だったなんて」
「じゃあこの機会に覚えておいて。何が食べたい? 遠慮なく言ってみて? 店の希望があるなら聞いて、幸恵さんの都合の良い日時で予約するから」
 幸恵の皮肉をサラッとスルーして話を進めた和臣に、幸恵の顔が僅かに引き攣った。そしてボソッと呟く。


「……鶏」
「え? ごめん、今何て言ったのかな?」
 申し訳無さそうに確認を入れてきた和臣に、幸恵が淡々と告げた。
「美味しい焼き鳥が食べたい」
「焼き鳥……」
 その選択肢は予想外だったのか、和臣がおうむ返しに呟くと、幸恵が鋭く付け加えた。


「勿論ブロイラーなんて出してる所じゃ駄目よ。それにお酒も美味しい物を揃えていないと問題外ですからね!」
「分かった。俺の職場の近くに行きつけの店が有るんだけど、近くまで来て貰って良いかな?」
「構わないわよ? そういえば、あんたの勤務先って一体どこなの? この前実家に帰った時、母があんたの事『さすが大手都市銀行勤務の人は違う』とか何とか言ってた様な気がするけど」
 その時のやり取りを思い出しながら幸恵が尋ねると、和臣は呆れと笑いがない交ぜになった様な口調で応じた。


「……今更それを聞くのかっていう驚き半分、漸く俺について関心を持ってくれたかという嬉しさ半分の心境だね」
「教えてくれなくて結構よ。切らせて貰うわ」
「ちょっと待って、今のは軽い冗談だから。俺の勤務先は青葉銀行大手町支店。所属は投資営業部融資審査課だよ」
 このまま切られては堪らないと和臣が慌てて勤務先を告げると、幸恵は少し考えてから思い当たった場所を告げた。


「それって……、あの大手町にある、グレーの外壁のビルの所?」
「知ってるんだ。そう、そこの一階から六階までがうちの店舗だよ。連れて行く店は、そこから少し歩くけど」
「ふぅん、そう。じゃあね」
「ちょっと待った!」
 自分の勤務先の位置を知って貰っていた事に少し嬉しくなったのも束の間、幸恵があっさりと通話を終わらせようとした為、慌てて叫んで引き止めた。それに顔をしかめながら、幸恵が文句をつける。


「何よ。急に叫ぶのは止めて貰える?」
「ごめん、謝る。でもあっさり切られるとは思わなかったから」
「だって話は終わったでしょう?」
 些か気分を害した様に幸恵が確認を入れてきたが、和臣は食い下がった。
「確かに食事に行く話は了解を貰ったけど、詳しい日時とか」
「どうせまた電話して来るんでしょ? 今日はもう録画した番組を見ながら、ダラダラしたい気分なのよ」
 微塵も取り繕う事なく本音を述べた幸恵に、和臣は思わず脱力した。


「あのさ……、俺の勤務先を聞いても、何とも思わないわけ?」
「何? 俗っぽく『キャ~、大手銀行にお勤めなんて凄い~! エリートサラリーマンですね~、お給料良いんでしょうね~』とか言って欲しいわけ? そんなアホな事を期待してるなら、他を当たって」
「いや、間違っても幸恵さんにそんなリアクションは期待して無かったけど……」
「無かったけど、何よ?」
 冷たく言い切られてしまったにも係わらず、突然黙り込んだと思ったら、電話越しに和臣の忍び笑いが伝わってきた。いよいよ本当に切ろうかと幸恵が苛立った時、その気配を察知したかの様に、和臣が笑いを抑えて楽しそうに言ってくる。


「本当に幸恵さんは、一々予想の斜め上の言動をしてくれるから、楽しくてしょうがない」
「馬鹿にしてるわけ?」
 無言のまま切ろうかと思った幸恵だったが、文句をつけながらも何となく応じてしまった。すると和臣も機嫌良く話を続ける。
「そうじゃなくて、誉めてるんだよ? これでも。話していて楽しくない相手に、わざわざ電話をかけようとは思わないさ」
「マザコンでナルシストな上に、自虐趣味もあるんじゃないかと思ってたわ」
「本当に予想外の言葉が返って来るから、楽しいんだよな」
(勝手に言ってなさいよ。一々腹が立つ男ね)
 楽しげに話を続ける和臣に、幸恵は一矢を報いるつもりで、ちょっとした皮肉をぶつけた。


「職場の看板じゃなくて、そこでどんな仕事を、それに誇りを持ってやっているかで、人間の価値って決まるんじゃないの? どう考えても、あんたはチャラチャラ仕事してるみたいにしか見えないんだもの」
「酷いな……。俺は勤務中は真面目に仕事をしてるよ?」
「どうだか」
 気のない返事をした幸恵に、和臣は幾分困った様に話を続ける。


「フロアは部外者立入禁止だから実際に見て貰うわけにはいかないけど、目の当たりにしたら俺に惚れ直す事確実だから」
「明らかに今の台詞に誤りがあるわ」
「え? どこが」
 キッパリと言い切らせた和臣は、ちょっと驚いた様に問い返した。すると幸恵がすこぶる冷静に指摘してくる。


「別にあんたに惚れたりしてないから、『惚れ直す』って言うのは明らかに間違いよ」
 それを聞いた和臣は、失笑して言い直した。
「分かった、訂正する。俺の勤務中の姿を目の当たりにしたら、惚れる事確実だから」
「良くできました。それじゃあね」
「ああ、お休み」
 そうして通話を終わらせた幸恵だったが、現在時刻を確認すると思ったよりも長時間話し込んでいた事が分かり、少しうんざりしてしまった。


「……だからどうしてダラダラと話をしちゃうのよ。口八丁手八丁手の天然詐欺師っぽいわよね」
 そして(次はさっさと話を終わらせよう)と決心した幸恵だったが、先程話した内容を思い返し、それなりに満足した顔付きになった。


「焼き鳥かぁ……。何か高級フレンチとか中華とか予想してそうだから、思い通りの返答をしたくなくて咄嗟に外してみたんだけど、結構楽しみ。舌が肥えてそうだものね、あいつ」
 そして幸恵はテレビのリモコンを引き寄せ、当初の予定通り録画番組の消化にかかった。
「昇進したからってあいつに奢って貰う理由は無いし、割り勘にするにしても、そういう店なら大して高値にならないでしょ。美味しく食べて来ようっと」
 奢るつもりの和臣に、割り勘にするつもりの幸恵。その後日程の相談をする機会はあったものの、二人の間の意思疎通が見事に図られないまま、当日を迎える事になるのだった。





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