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アビシニアンと狡猾狐

篠原皐月

第5話 駆け引き

 出張も中盤を過ぎ、周囲から含みがありすぎる視線を受けながらも、幸恵は淡々と業務をこなしていった。
 滞っている項目を取捨選択し、現場の研究員と協議しつつ改善点や改良点を提案していく。幸恵としては取り敢えず間違った事をしていないと判断しながらそれらの事を進めていたが、それは現場の人間も同様だったらしく、上の頭の堅い連中はともかく、若手組とはそれなりに打ち解けてきていた。


「それでは、こちらのスジェート含有比率を5%から20%まで、0.5%刻みでデータを取って、紙との圧着度と磨耗度を比較して貰えますか?」
「サンプルとして使用する紙は、上質紙だけで良いでしょうか?」
「そうね……、コート紙の類は要らないでしょうけど、一応中質紙も押さえておいて下さい」
「分かりました」
 借り物の白衣に身を包み、バインダー片手に連日各部署を難しい顔で覗いていた幸恵だったが、その日は比較的機嫌が良かった。何となく相手もそれを察したのか、幸恵と同年代の彼が幾分不思議そうに問いかけてくる。


「荒川さんは、こちらにいる間は寮に宿泊されてるんですよね?」
「はい、そうですけど。それがどうかしましたか?」
「寮で何か良い事でもありましたか? 今日は朝から何となく機嫌が良いように見えますが」
「ああ、それは……、雲が随分形になってきたので、それを思い返す度に嬉しくて」
 つい正直に、幸恵が顔を緩ませながらそう口にすると、相手は益々怪訝な顔になった。


「ここは窓が無いので天気が分からないんですが、朝曇ってましたか? それに荒川さんは、曇りとか雨だと嬉しいタイプの方なんですか?」
 そう問われて、我に返った幸恵は密かに狼狽した。


(うっ……、しまった。まさか出張期間中に寮でジグソーパズルを楽しんでいましたと言っても、別に仕事をサボった訳じゃないから咎められないでしょうけど、上の連中に知られたら『流石に本社勤務の方は余裕がありますな』とか何とか言われそう……)
 正直に告げるべきかごまかすべきか、咄嗟に判断に迷った幸恵だったが、そこで背後から声がかけられた。
「荒川さん、こちらに居ましたか。本社に届けて頂きたい書類がありますので、内容をチェックがてら今から所長室に来て頂けませんか?」
 そこに現れた穏やかな表情の小池所長に救われる思いで、幸恵は軽く頭を下げた。
「はい、伺います。それでは先程の様にお願いします」
「分かりました」
 そして相手をしてくれていた研究員に別れを告げて、幸恵は小池の後に付いて歩き出した。


(正直に言っても良かったんだけど……、あれが結構楽しくて気分転換になってるなんて、何となく認めるのが嫌だったんだもの)
 ジグソーパズルの事を考えているうちに、自然にそれを送りつけてきた含み笑いの男の顔を思い出した幸恵は、歩きながら軽く頭を振って脳裏からその顔を追い出した。すると前を歩いている小池が、前を向いたまま話しかけてくる。


「荒川さんは遠藤課長の事をどう思う?」
「どう、と仰いますと?」
 急に話し掛けられた事と、微妙な問い掛けに幸恵が慎重に尋ね返すと、小池は足を止め、苦笑しながら幸恵を振り返った。
「いや、初日に『バカボン課長』の『間抜け企画』とか言っていたからね。本当にそう思っているのかなと思って。純粋な好奇心だよ」
 それを聞いて内心(失敗したな)と思ったものの、幸恵は思うまま答えた。


「正直、つい最近までバカボンだと思っていましたが、正真正銘の馬鹿では無いみたいです」
「どうしてそう思うのかな?」
「チャラチャラしていて誰とでも仲良くしている様に見えていたのですが、例の人事異動の前後で良く観察してみたら、社内で本当に親しくしている人間は、私の知る限り全員有能な人ばかりでした」
「ほう? そうなのかい?」
 面白がっている様な表情を見せた小池に、幸恵が冷静に話を続ける。


「ですから、社長令息として近付いてくる人間には満遍なく愛想を振りまきつつも、とくに社内での交友関係は、将来を見据えて厳選しているのではと思う様になりました」
「なるほど。それで君は、彼を次期社長としては有望だと思うのかい?」
 唐突に聞かれた内容に、幸恵は敢えて的外れな回答をした。
「……若干ヘラヘラし過ぎる感はあるかと思いますが、年寄り連中にも反感を抱かせずに上手く立ち回っている手腕はそれなりで、羨ましいです。私には到底真似できませんので」
 研究所内で、これまで大きな衝突は無いにしても、小さな軋轢等は未だに生じている事実を暗に含ませながら幸恵が述べると、小池は思わず失笑した。


「なるほど。彼の人となりの一端は良く分かった。確かに君は我が強い所はあるが、それは十分長所だと思うし、人付き合い云々は心配しなくても彼の下で働いていれば追々身に付くだろうから、君は優秀な幹部になれるだろう。うちと商品開発部の連携の為に、今後とも宜しく」
「はぁ……、こちらこそ」
(ええと、一応認めて貰ってるの? それとも単に研究所を円滑に回す上での、処世術? いまいち読めないわね、この狸)
 唐突に含みのある誉め言葉を貰った幸恵は、その意図する所が良く分からないまま曖昧に頷いた。すると小池は所長室に向かって再び歩き出し、幸恵も黙って後に続く。


(はぁ……、やだやだ、こういう腹の探り合いって。私の柄じゃ無いのよね。係長やあの男だったら、オヤジだろうが妖怪だろうが、笑顔で丸め込みそうだけど。そういう所が似てるから、変に意気投合して色々な情報を横流ししてるのかしら?)
 若干うんざりしながら、自分の上司と従兄弟について辛辣な事を考えつつ、幸恵は足を進めたのだった。


 ※※※


 出張も終盤に入ったその日、夕食を済ませて部屋に戻ってから三十分程ジグソーパズルに取り組んだ幸恵は、ここ暫くの奮闘の甲斐あって最後の一片を本来の場所に嵌め込んだ。そしてそれを見下ろし、一人悦に入って呟く。


「これで完成……。ふっ、どうよ。仕事をしつつ、出張終了までに終わらせたわ」
 本来、部屋で仕事をする為に備え付けてある机一面にパズルが敷かれ、そこに現れた青空に浮かぶ白い入道雲の絵柄を満足そうに見下ろしてから、幸恵は改めてある事実を思い出した。


「完成したのは良いけど……、やっぱり持って帰る方法がね」
 そう呟いて、がっくりとうなだれる幸恵。
「接着剤も箱に入ってたから、このまま固定して飾りたいけど、ケースが無いと持って帰るのは無理よね。この前あいつが適当な物を送るって言ってたけど、言われた通りそれを使うのも癪に障るし……」
 諦めきれずに悶々と幸恵は悩んだが、少しして気持ちを切り替えた。


「しょうがない。やっぱり帰る前日に崩して持ち帰って、部屋で再挑戦しましょうか」
 そう言ってあと何日かはそれを机に広げておく事にした幸恵は、これまで同様ベッドに座り込み、ノートパソコンを開いて昼間入れておいたデータのチェックを始めた。そして二十分程して一区切り付けた幸恵が、お茶でも飲もうかと立ち上がったところで、タイミング良く携帯の着信音が鳴り響く。


「誰から……、ああ、あの子か」
 この間、結構頻繁に電話をかけてきては、彼女の次兄からの『やあ、元気にしてる? ストレスを溜めるとお肌に悪いよ?』などの伝言やら、『夜に小腹が空いた時の対策に欲しい物が有ったら教えて?』などの質問やらを、律儀に伝えてきている従妹の名前をディスプレイに認めた幸恵は、半ば諦めて溜め息を吐きながら通話ボタンを押した。


「もしもし? 幸恵だけど」
「こんばんは、幸恵さん。その……、この間、結構な回数お電話をして、申し訳ありません」
 無意識に不機嫌な声音になっていたらしく、電話の向こうの綾乃が恐縮気味に言ってきた為、幸恵は再度溜め息を吐いてから宥める様に言い聞かせた。


「それは今更だから。それにあなたのお兄さんが、人を丸め込むのが上手いタイプって事は良~く分かったわ。それともあなたが丸め込まれやすいだけ?」
「確かに私は丸め込まれやすいタイプですが……。ちぃ兄ちゃんは昔から、先生からお巡りさんまで、あっさり丸め込んでいましたから」
 実にしみじみとした綾乃の口調に、幸恵は(あの男は何をやって、どう丸め込んだわけ?)と問い質したかったのは山々だったが、できるだけ関わり合いにならないのがベストだと判断し、話題を変える事にした。


「それで? 今日はどうしたの?」
「幸恵さん、ちぃ兄ちゃんが送ったジグソーパズルはもう完成しました?」
「ええ、つい先程」
「そうでしたか。結構難しいと聞いていたんですが、良かったですね」
「まあね。手を付けたのを途中でギブアップして、崩して持って帰るなんてしゃくだもの。……でも、完成しても崩して持って帰るなら同じ事ね」
 そう言って幸恵は自嘲気味に笑ったが、綾乃が慌てて引き止めてきた。


「あのっ! 幸恵さん。せっかく完成した物を崩さないで下さい! そのジグソーパズルのサイズに合わせたパネルケースを、明日そちらに届く様に送ったって言ってましたので!」
 綾乃が必死の口調で言ってきた台詞に幸恵の顔が僅かに引き攣り、次いで皮肉っぽい声がその口から零れ出た。


「へぇ? もの凄く親切な上、抜群のタイミングでそれを送ってくださるのは、当然抜け目がないあなたの下のお兄さんよね? なんとなく、他にも何か言ってる様な気がするのは、私の気のせいかしら?」
「え、えっと……、『やっぱり帰る時は荷物がかさばるから、俺が車で迎えに行くから適当な時間を教えて欲しい』と……」
 綾乃の声は段々小さくなっていったが、辛うじて聞き取る事ができた幸恵は、一応最後まで聞き終えてから、先程までとは比較にならない位の皮肉気な声を放つ。


「それはそれは、お気遣いどうもありがとうございます。だけど世の中には宅配便という便利な物があるんだけど、あなたの下のお兄さんは、ご存知無いのかしら?」
「それは私も一応言ってみたんですけど、『近くのコンビニまで結構距離があるし、幸恵さんなら持ち帰ろうとすれはできる程度の手荷物の為に寮に集荷依頼をかける様な、ものぐさで不必要に人目を集める様な事はしないさ』と返されまして……」
(何か、全て見透かされている様でムカつくわね)
 確かに集荷依頼をかけようなどとは思っていなかった幸恵だったが、他人から『お前の考える事位全てお見通し』的な発言をされて、さすがにイラっとした。その気配を電話越しにも察したのか、綾乃が控え目にお伺いを立ててくる。


「それで、その……、幸恵さん。帰る日にちぃ兄ちゃんが迎えに行っても大丈夫ですか? 無料のタクシーだと思って貰えれば良いですので」
「無料のタクシーって……、あのね」
「それにその、帰りがけに犬カフェに寄るつもりだって言ってましたから。幸恵さんは犬が好きなんですか?」
 綾乃の何気ない問いかけの口調に、幸恵も戸惑いながら返した。


「確かに犬は好きだけど……、何? あいつがそう言ってたわけ?」
「はい、そうですけど」
「誰から聞いたわけ? それに私は犬を飼ってないし、ドッグカフェで犬を連れた人を見て、どうしろって言うのよ」
「あ、一般的なドッグカフェみたいに、犬連れで入れるカフェとかじゃなくて、猫と触れ合える猫カフェの、犬バージョンみたいな所らしいです」
「……そういう所があるの?」
 多少懐疑的な口調になってしまった幸恵だったが、綾乃は律儀に受け答えした。


「ちぃ兄ちゃんの話ではそうなんです。『出張で神経をすり減らしたであろう幸恵さんの精神と身体をリフレッシュさせてあげるから』って言ってて」
「御託は結構よ」
「可愛い子犬が何匹もいるみたいですよ? 完全予約制で、ゆったりできるみたいですし。それで、予約を入れるのに大まかな時間を知りたいそうなので、できれば直にちぃ兄ちゃんに、電話とか、メールとかを……」
「…………」
 正直かなり心がぐらついた幸恵だったが、綾乃の最後の言葉には素直に頷けず黙り込んだ。その沈黙に耐えかねて、少ししてから綾乃が慎重に声をかける。
「あの……、幸恵さん?」
 恐る恐る声をかけてきた綾乃に、幸恵は本人では無い人間に当たっても仕方が無いと自分に言い聞かせつつ、軽く首を振って申し出た。


「分かったわ。あなたを介してじゃなく、取り敢えず着信拒否を外して本人と連絡を取ってみるから」
「そうですか? すみません、ありがとうございます!」
 如何にも肩の荷が下りたと言った感じの言い方に、幸恵は思わず苦笑いした。
「良いの? お兄さんが単なる運転手扱いよ?」
「単なる運転手、上等です。色んな意味で傍迷惑な兄ですから、好きなだけたかってこき使ってあげて下さい。遠慮なんか要りませんから!」
「了解。妹の許可が出てるから、好きなだけたかってこき使わせて貰うわね」
 力説してくる綾乃に幸恵は思わず噴き出し、そこで会話を終わらせる事にした。そして改めて自分の携帯を軽く睨み付ける。


「さて、嫌な事は先に済ませておきましょうか」
 そうは言っても直接電話をかける気などはサラサラ無く、何行かのメールで用事を済ませた幸恵は、早速接着剤を取り出し、机の上に広げてあるジグソーパズルを固定すべく準備を始めたのだった。



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