企画推進部二課の平穏な(?)日常

篠原皐月

撤退する勇気

 座敷の様子を気にしながらも、美野と美幸は長姉とその子ども達と共に夕食を食べ終え、食器類も洗い終えてダイニングテーブルで一息ついていた。
 男達が座敷に籠もって飲み始めてから既に二時間近くが経過し、美野は勿論、さすがに美幸も心配そうな顔になってくる。そこに五分程前にビール瓶の追加を座敷に持って行った美子が、空の瓶や皿をお盆に乗せて戻って来た。


「良かった、高須さんが結構飲める方だったみたいで。お父さんと秀明さんが、楽しそうに飲んでるわ」
 そんな事を如何にも楽しそうに報告されて、妹二人の顔が引き攣る。
「お父さんとお義兄さんは、楽しいかもしれないけど……」
「ええと、美子姉さん? ちょっと飲むペースが早くない?」
 既にビール瓶は六本空になり、その他に日本酒も飲んでいる状況に、それを三人でどの様に分配して飲んでいるのかを考えて、美幸は高須の現状を本気で心配した。しかし美子は首を傾げる。


「そうかしら? ……あ、そうそう。今度はウイスキーとアイスペールとお水を頼まれたんだったわ」
「私、持って行くから!」
「あらあら、心配性ね」
 ここで我慢できなくなったらしく美野が勢い良く立ち上がり、美子から半ばお盆を奪い取って台所に駆け込んだ。そして慌ただしく言われた物を揃えると、それを乗せたお盆を持って座敷に慎重に運んで行く。そんな美野を見送ってから、美幸は美子に確認を入れた。


「美子姉さん、本当に大丈夫なの?」
 その問いに、美子は苦笑いで答えた。
「あの二人が、本当に危ない状態まで飲ませる筈無いわ。少しは自分の父親と義兄を信用なさい」
「そうしたいのは山々なんだけど……」
(とても信用できないわ)
 疑わしげに座敷のある方向に目を向けた美幸だったが、少ししてからバタバタと廊下を乱暴に走る音と共に食堂のドアが勢い良く開き、血相を変えた美野が現れて美子に訴えた。


「美子姉さん! いい加減にあの二人を止めて! 際限なく優治さんにお酒を勧めてるのよ! 私が言っても全然聞いてくれなくて!」
(やっぱり、大丈夫じゃないみたい……)
 美野の剣幕を見て美幸は冷や汗を流したが、美子は平然と応じた。


「そんなに心配しなくとも。高須さんはきちんと正座して、まだちゃんと意識もあったでしょう?」
「それはそうだけど! じゃあどういう状態になったら止めてくれるわけ? 彼、何か目が虚ろになりかけてたのよ!?」
「だってさっき『もう飲むのはお止めになりますか?』と一応確認を入れてみたけど、『お構いなく』と言われたし」
「『もう止めます』なんて、お父さん達の前で言える筈無いじゃない!!」
(うわぁ、何か結構切羽詰まっている感じがひしひしと……)
 美野が悲鳴混じりの声を上げたのを見て、美幸は冷や汗を流した。しかし美子は相変わらず、冷静に話を続ける。


「それに美野が高須さんから、『飲ませるのを止める様に言ってくれ』と頼まれたわけでも無いでしょう?」
「それは確かにそうだけど!」
「お父さん達だって鬼じゃ無いわ。本格的に潰すまでは飲ませないわよ。寧ろ、高須さん本人の口からギブアップを言わせたいんじゃない?」
「え?」
「どうして?」
 いきなり予想外の方向に話が流れた為、美野と美幸は当惑したが、美子は事も無げに理由を説明する。


「恋人の家族に無理強いされたからって、自分の限界も弁えずに泥酔して、人前で醜態を晒す様な人間だとがっかりする筈だもの」
「どういう事?」
 まだ何となく理解しかねる顔付きの美野の横で、美幸が首を傾げつつ思った事を口にしてみた。
「ええと、つまり? お父さん達は高須さんに限界まで飲んで根性を見せて欲しいけど、自分達の言いなりになって考え無しに際限なく飲んで自爆行為的な醜態を晒すより、極限状態でも判断力を保って正体を無くす一歩手前で名誉ある撤退を求めていると? うわぁ、何て面倒臭いのよ」
 自分で言ったその内容に、美幸が思わずうんざりすると、美子は笑いを堪えながら美野に意見を求めた。


「まあ、そういう事ね。美野、あなたから見て、そこの所はどうなの?」
「どう、と言われても……。優治さんは通常なら、もう本当に無理だと思ったら、はっきり断りを入れるタイプの人だとは思うけど……」
「じゃあ心配要らないでしょう。少しは信用してあげたら?」
「はぁ……」
 かなり自信無さそうに美野が頷いたが、美幸も疑わしそうに美子の顔を眺めた。
(本当にあの二人、高須さんが潰れる手前で止めてくれるのかしら?)
 そんな事を考えて未だに不安が払拭できない美幸だったが、ここで美子の情け容赦ない台詞が飛び出した。


「じゃあそろそろ、座敷にビールの追加を持って行きましょうか」
「え? また!?」
「美子姉さん! 本当にちょっとペースが早くない!?」
 妹二人から驚愕と非難の眼差しを受けたものの、美子はそれを平然と受け流す。


「あら、そんな事無いわよ。美野、お茶を淹れておいてくれる? 戻ったら一緒に飲みましょう。美幸、栗羊羹を人数分切っておいて貰えるかしら?」
「……はい」
「分かりました」
 優雅に微笑む長姉に反論できる者はその場には居らず、美野と美幸は顔を引き攣らせながら、その指示に従ったのだった。


 それから更に一時間が経過し、一度自分の部屋に戻っていた美幸は、一階の居間で再び姉二人と顔を合わせた。
「あの……、美子姉さん?」
 深刻な顔をしている美野をチラリと見ながら美幸が声をかけると、美子が少し困った様に笑う。
「高須さんが随分頑張っているけど、そろそろタオルを投げて、無理にでも回収した方が良いかしら?」
「そうして頂戴!」
 美子の申し出に美野が嬉々として食いつくと、美子はおかしそうに笑った。


「分かったわ。それなら美野、客間にお布団の用意をお願い。今まで飲ませてしまったから、フラフラでしょう。実家から遠距離通勤をされているみたいだし、今夜は泊まって貰いなさい」
「分かったわ」
「シーツや布団カバーの収納場所は分かっているわね?」
「大丈夫だから!」
 そして美野が慌ただしく客間の方向に消えてから、美子は美幸にも役目を与えた。


「じゃあ美幸は、お水を持って座敷に行ってくれる? 私の名前を出して良いから、お開きにする様にお父さん達に言って、高須さんに酔い醒ましに飲ませてあげて。私は子ども達を寝かしつけてくるから。その後、後片付けをするわ」
「分かったわ。任せて」
「お願いね。お父さんと秀明さんは、後からちゃんと叱っておくから」
 微笑みながらそんな事を言った美子が子供部屋に向かったのを見て、美幸は安堵の溜め息を吐いた。


(はあ……、一時はどうなる事かと。取り敢えず美子姉さんが高須さんの肩を持ってくれたら、お父さん達もこれ以上無理強いしないわよね。だけど本当に高須さん、粘ったわね~)
 半ば呆れながらも、美幸は美子に言い付けられた内容を果たすべく準備を始めた。そしてお盆にコップを乗せてから、ミネラルウォーターのボトルを取るべく、冷蔵庫の扉を開ける。


「お水お水っと、……うん?」
 そこで大容量サイズの冷蔵庫の中身を確認した美幸は、ミネラルウォーターのボトルの隣に並んでいた、ペットボトルを認めて考え込んだ。
「う~ん、酔い醒ましだったらミネラルウォーターよりも、こっちの方が飲み易くて、さっぱりするかしら?」
 真顔で考え込んだ時間はさほど長くは無く、美幸は当初の目的とは違うボトルを手にして、扉を元通り閉めた。


「よし、じゃあこれを持って行こう。さて、美子姉さんのお墨付きも貰った事だし、高須さんを救出に行きますか! お疲れ様です、高須さん。今、行きますね~」
 そうしてペットボトルとコップを乗せたお盆を手にした美幸は、機嫌良く座敷に向かって廊下を歩き出したのだった。

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