企画推進部二課の平穏な(?)日常

篠原皐月

分かり難い基準

 微妙に気まずい空気の中、座敷に通された高須と当初一緒に居た美野だったが、昌典が美幸に呼ばれてやって来ると、問答無用で美幸共々そこを追い出された。さすがに文句を言おうとした美野だったが、高須に無言で小さく首を振られ、彼から目配せを受けた美幸によって半ば引きずられる様にして廊下へと出る。
「……美幸」
「分かってるわよ」
 しかしこのまま黙って引っ込む事などできない心境の美野は、野次馬根性が多少入りながらも、一応日頃から世話になっている先輩の身を案じる美幸と共に、襖にへばり付いて室内の様子を窺う事にした。


「その……、本日はお日柄も良く」
「良過ぎて炎天下だったな、秀明」
「そうですね。日が長い時期とはいえ、そろそろ日没ですし過去形ですね」
「ご多忙の中お時間を割いて頂き」
「今日は珍しく訪れる客もなく、久しぶりに美幸と二人きりでのんびりと過ごしてな」
「それは何よりでしたね、お義父さん」
「昨夜は美野さんをお引き留めした事に関しては」
「そう言えば、昨夜美幸が急遽1人で留守番をする事になってな。初めての事態に狼狽して、送ってくれた係長さんに『泊まっていってくれ』とご無理を言ったそうだ」
「それはそれは。なかなか楽しい留守番だった様ですね。後から美幸ちゃんに詳細を聞かないと」
「その話をしている最中に、予定を早めて私が帰宅してな」
「城崎……、気の毒に。泡を喰って帰りましたね?」
「…………」
 畳に両手を付いて神妙に口上を述べようとする高須の言葉を、厳めしい顔付きの昌典が淡々と遮り、それとは対照的に如何にも楽しげに微笑みながら秀明が応じるやり取りを繰り返され、高須は押し黙った。そして襖の合わせ目の隙間からその光景を覗き見しつつ、話の内容に耳を傾けていた美野が、同様の美幸に小声で叱りつける。


「ちょっと美幸! 昨日そんな事が有ったの!? どうして『お父さんも会いたいと言ってるから来て下さい』ってメールを送ってきた時に、ついでに知らせてくれなかったのよ? そんな事が有ったなら、お父さんの機嫌は最悪じゃない!」
「……ごめんなさい。昨夜から色々有り過ぎて、すっかり忘れてたわ」
 さすがに言い訳できずに美幸が姉から視線を逸らしつつ謝罪すると、美野は苛立たしげに再び室内を覗き込みながら八つ当たりめいた呟きを漏らした。


「うもぉぉっ!! 秀明義兄さんも義兄さんよ。同席してるならさっきから笑ってないで、少しは優治さんのフォローをしてくれても良いじゃないの?」
「それは無理じゃないかしら?」
「美子姉さん?」
「どうして?」
 唐突に聞こえた声に二人揃って振り向くと、そこにお盆を手にした美子が微笑みながら佇んでいた。


「取り敢えず話は後ね。冷めないうちにお茶を出してくるから、そこを退いて頂戴?」
 すかさず妹達が左右に分かれたのを見て、美子は悠然と襖の前に座り、「失礼します」と声をかけながら静かに襖を引き開けた。そして閉められたそれが、「お邪魔致しました」との声の後再び開けられて美子が出て来ると、襖が閉められるやいなや、痺れを切らした様に美幸が彼女に問いかける。
「姉さん、さっき言ってた意味、どういう事?」
 その問いに、美子は室内に聞こえない様に声を潜めながら、苦笑混じりに答えた。


「秀明さんは気に入った人間程、からかって遊ぶのが大好きだからよ。お父さんはその場合、仕事以外の話で饒舌になるし」
「……そうなの?」
「二人がかりでいびってる様にしか見えないんだけど?」
 妹二人の疑念に満ちた視線を受けて、美子は上品な笑みを消して真顔で話し出した。


「二人ともこれまで結構気にしてたのよ。美野の前の結婚を許した事」
「…………」
「ええと……、それはお父さん達の責任とは……」
 微妙に話題が逸れた上、家の中では禁句となっている言葉が出て来た為、途端に美野は沈鬱な表情になって黙り込み、美幸は姉二人の顔を交互に見ながら口ごもった。そんな二人を眺めた美子は、溜め息を吐いてから再び口を開く。


「確かに普段あまり自己主張しない美野が、強く希望してたって事が一番だったけど、丁度その頃子会社で販売していた商品の偽装表示が明らかになって、お父さんがマスコミ対応に四苦八苦してたし、秀明さんは転職組なのに役員待遇の部長職に就いて、抜かされた形になった年長の生え抜き組との軋轢が酷くて、家の中の事に気を向ける余裕は無かったし」
 若干悔しそうにその述べた美子に、美幸も当時の事を思い出しつつしみじみと付け加えた。


「そうだったよね……。加えてその頃美子姉さんは美久君を出産後に体調を崩してたし、美恵姉さんの会社が金策で躓いて不渡りを出す一歩手前になってたし、美実姉さんは交通事故で怪我して、手術後暫くそのまま入院してたっけ……」
 藤宮家の歴史でもワースト3入り確実の、まさに弱り目に祟り目的な時期を思い返しながら美幸が遠い目をすると、美子がその後を引き取った。


「言い訳でしか無いけど、当時そんな状態で皆、美野の結婚についてあまり深く考えられる状態じゃ無かったから、あんな結果になった後、それぞれ結構責任を感じてたのよ」
「そんな事……、ただ私が考え無しで、判断力が無かっただけの話なんだから」
 自分の最初の結婚について、改めて家族に心配をかけたと思った美野が、そこで心底申し訳なさそうに項垂れた。そんな姉を美幸はどう慰めて良いか分からなかったが、美子が再び苦笑の表情になって宥める。


「あの人が挨拶に来た時お父さん達が言葉少なだったのは、実際のところお父さんの場合、正直気に入らないから口を開けば文句が出ると自制していただけで、秀明さんの場合はからかう程の価値を見いだしていなかったからよ。だから二人ともまた美野が結婚相手を連れて来たら、今度こそは精査してやろうと手ぐすね引いて待ってたんだけど、あんな風にいびられている高須さんは、少なくともあの人よりは気に入られていると思うわよ?」
「それなら良いんだけど……」
「……何、その判断基準。微妙過ぎるわ」
 そんな纏め方をした長姉に、美野と美幸は揃って何とも言えない表情になったが、美子はさっさと意識を切り替えて現実的な問題を考え始めた。


「さあ、それじゃあ晩御飯の支度をしましょう。二人とも手伝って頂戴。美幸、材料は大丈夫?」
「うん、買ってあるし、下拵えを済ませてある物も有るから」
「今日はお客様も居るし、お酒も入るかもしれないし、つまめる様なおかずも多めに作らないとね」
「……手伝います」
「うん、ここで立ち聞きしてても仕方ないよね」
 どう考えても「俺の酒が飲めないのか?」的な流れになる事は確実の室内の雰囲気に、美野と美幸は気が重くなりながらも頷いた。そして台所に向かって歩きながら、美子が思い出した様に呟く。


「あら、でもお酒は有ったかしら? 確か純米大吟醸は貰い物が一本手付かずで有った筈だけど……」
 その自問自答に、美幸は思わず正直に答えた。
「美子姉さん。お父さんに言われて、6時にビールを瓶で1ダース配達して貰う事にしてあるんだけど……」
「……美幸?」
「色々ごめんなさい……」
 隣を歩く美野が、ヒクッと顔を引き攣らせたのを見て、(それも言っておくべきだったわ……)と反省しながら美幸は軽く頭を下げた。そして姉妹の間に気まずい雰囲気が漂う中、美子がそんな事には構わずに声をかける。


「そう。それならなおの事、早めに料理を作っておかないとね。空きっ腹に飲ませる訳にはいかないし。急ぐわよ?」
 それから暫くの間、問題の座敷の様子に気持ちを向ける余裕などない程、二人は明るく宣言した美子に文字通りこき使われる羽目になった。


 姉妹が奮闘し始めてから小一時間後、三人は全員料理や酒を満載したお盆を手にして、再び座敷へとやって来た。そして「失礼します」と断りを入れて襖を開けた美子が、にこやかに上座の父親に向かってお伺いを立てる。
「お父さん、ビールが届きましたので、お料理と一緒に持ってきました。食堂の方で皆で食べるならそちらに運びますが、やはりこちらで殿方だけで話をしながらご飲食にしますか?」
 そう尋ねると、昌典は相変わらず愛想の無い顔付きで、淡々と言いつけた。


「ここで食べる。ビールをあと二本位と、それから酒も有っただろう? グラスと一緒に持って来い」
「はい、分かりました。高須さん、美野や美幸も一緒に、お料理を沢山作ってますの。遠慮無く召し上がって下さいね?」
「……ご馳走になります」
 微笑みつつ美子が声をかけたが、既に何やら強張った顔付きの高須は短く答えたのみだった。そんな彼を心配しつつ美野と美幸はテキパキと皿やグラス、箸の類を三人の前に並べてから、美子に促されてその場を後にしたが、廊下に出て歩き出してから、ふと気が付いて美子に尋ねてみる。


「あの……、美子姉さん?」
「何? 美幸」
「ひょっとして、先に食堂の方に全員分の料理を揃えてから、『食堂の方にお料理を揃えましたから、そちらで召し上がって下さい』って言えば、お父さん達も食堂に移動して、皆と一緒に食べたんじゃない?」
 その問いかけに美野は僅かに驚いた顔になって思わず足を止め、美子も同様にゆっくり振り返った。そして小さく首を傾げながら、楽しそうに言ってのける。 


「あら、気が付かなかったわ。そうかもね」
「そうかもね、って……」
 何やらとっくに気が付いていたのに、敢えてその考えを無視したとでも言わんばかりの微笑みに、美野と美幸の顔が揃って引き攣った。そんな妹達を急かしながら、再び美子が台所へと移動を開始する。


「さあ、子供達を食べさせながら、頃合いを見てビールの追加を持って行かないといけないし、慌ただしいわね。あ、美野、今のうちにお風呂の準備をしておいてくれる? 美幸は残りのビールを冷蔵庫に入れておいてね。片付ければ入るでしょう。あと五・六本は今晩のうちに飲んでしまいそうだしね」
「……はい」
「分かりました……」
(美子姉さん、もしかしてわざと? お父さん達にそれほど悪意は無さそうだけど、高須さん、本当に大丈夫かしら?)
 常日頃の様に美子の指示に従いつつ、美幸は座敷で孤軍奮闘している筈の高須に、心の底から同情したのだった。



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