企画推進部二課の平穏な(?)日常
高須家の人々
門柱に《高須運送》と社名が表示されている、広い幅の門まで戻って来た美幸と城崎は、門のすぐそばにある事務所棟らしい建物と、奥の車庫兼仕分け作業場と思われる建物を眺めながら、これからの方針を囁き合った。
「さて、日曜だが運送業だから事務所は開けているし、人の出入りもそれなりにあるみたいだな」
城崎が敷地内にワゴン車が入り、トラックが出て行くのを見送りながら考え込むと、美幸も難しい顔になって事務所の上部に視線を向ける。
「この場合、事務所兼住居って言うのが痛いですね。お家の様子をこっそり覗けないわ」
「それ以前に、ご家族は今日も事務所で仕事とかしていそうだな」
「そうですね……。配達を頼む様な適当な荷物も無いし、ここはやっぱり事務所に急病を装って倒れ込むしか」
「藤宮、いいかげん、その考えからは離れろ」
「おい、あんたら」
「はい?」
真顔で話を蒸し返してきた美幸を城崎が呆れ気味に窘めた所で、唐突に背後から声がかけられた。反射的に振り返った視線の先には、二十代後半と思われるコットンシャツとジーンズ姿の男が居り、二人に探る様な視線を向けて恫喝してくる。
「さっきから、何ボソボソ言いながら、うちを覗いてるんだ、あぁ?」
城崎程の上背は無いものの、百八十前後の色黒の男が目を細めながら美幸を見下ろして誰何してきたが、美幸は恐れ気も無く問い返した。
「うちって……、高須さんのお家の方ですか?」
「まず俺の質問に答えてからだろ? お嬢ちゃん」
皮肉っぽく促され、相手の主張の正当性を認めた美幸は、慌てて説明しようと口を開く。
「え、えぇっと、実は私達は興……むごっ!」
「失礼しました。実は私達は高須君と同じ職場に勤務している者でして」
いきなり背後から手を回して美幸の口を抑え、腰を抱え込んで動きを抑えながら、城崎は笑顔で名乗りを上げた。美幸は(いきなり何バラしてるんですか!?)と叫びたくなったが、自分だけ聞こえる声量で「ちょっとだけ黙ってろ」と囁かれて口を閉ざす。
一方言われた相手はその答えが相当予想外だったらしく、キョトンとして何度か目を瞬かせた。
「優治の同僚さん? って事は、柏木産業の方?」
「はい、企画推進部ニ課勤務の城崎と藤宮と申します。どうぞお見知り置き下さい」
そこですかさず美幸から手を離し、城崎は休日でも律儀に持ち歩いている名刺入れから一枚取り出して恭しく相手に差し出す。すると受け取った彼が、恐縮しきった様子で軽く頭を下げた。
「あ、いや、これは、ご丁寧にどうも。私は優治の義理の兄に当たります、高須淳です。初めまして」
「いえ、こちらこそ。いつも高須君にはお世話になってます」
互いに頭を下げてなんとなく空気が弛緩して来た所で、美幸が城崎の袖を軽く引きながら小声で訴えた。
「ちょっと係長! どうして同僚だってばらしちゃうんですか?」
「さっきとは逆だ。家族に『興信所の人間』って言ったら、確実に警戒されるだろ。同僚だって言った方が、どうとでも誤魔化せる」
「どうやって高須さんのご家族を探りに来たのを、ご本人達に対して誤魔化すんですか!?」
小声でそんなやり取りをしている二人を凝視しながら、淳は何やら真剣に考え込んでいたが、何やら思い付いたらしく声を上げた。
「企画推進部ニ課の係長の、城崎さんと藤宮さん…………。あぁ、思い出した! 『ガタイが良くて目つきが鋭くて腕っぷしも相当だけど、それ以上に仕事の処理能力と種々の調整力が抜群で肝が据わってるから、『あいつに任せておけばなんとかなるだろ』的なノリで貧乏くじ引かされまくりの超苦労性の係長さん』と、『見た目がちょっと可愛くて普通の新人以上に仕事もできて礼儀正しくて良い家のお嬢さんなのに、発想が一々斜め上でとんでもない方向に突撃していく猪娘で、人の恋路に首を突っ込む癖に自分の色恋沙汰にはからきし無関心な、気が付くと陰日向にフォローして後始末をしてやらないといけない、先輩泣かせの初めての後輩』の方ですよね!?」
嬉々として二人を指差しながら同意を求めてきた淳に、(自分達は家で一体どんな風に話されているんだろう)と思いつつ、城崎と美幸は何とか笑顔で言葉を返した。
「……ええ、間違ってはいないかと」
「高須さんにはいつもお世話になってます……」
笑顔が微妙に引き攣っている自覚した二人は、必要以上に取り繕うのは諦めた。しかし淳は全く気にならなかったらしく、一気にフレンドリーに話しかけてくる。
「いやぁ、お噂はかねがね。ところで今日はどうしてこちらに?」
「お恥ずかしいのですが、実はデート中でして」
「はいぃ?」
ここでサラッと城崎が口にした台詞に、美幸が目をむいた。しかし城崎が美幸の靴のつま先を軽く蹴って黙らせる。
「課の人間の住所は全員分暗記していますので、そう言えば高須君の住んでいるのがこの辺りだったなと、立ち寄って外から眺めて見ただけなんです。すみません、不審者みたいな真似をしまして」
「ああ、そうだったんですか」
「実は職場内では彼女との交際は秘密にしておりまして。一応同じ職場の上司と部下の関係ですから、色々周囲から言われない様に二課内でも秘密にしているんです。ですから高須君にも内密にして頂けると助かります」
真顔で城崎が申し出ると、淳は心得た様に頷いた。
「なるほど、それはそうでしょうね。幸い今日は優治は出かけてますし、俺は見なかった事にしますから安心して下さい」
「ありがとうございます。助かります」
「ちょっ……、係長」
「少し黙っていような?」
「……はい」
思わず城崎の袖を軽く引きながら美幸は会話に割り込もうとしたが、城崎に目が笑っていない笑顔で釘を刺され、大人しく黙り込んだ。しかしここで淳が疑問に感じた事を口にしてくる。
「ですが……、デートと言っても、ここら辺にはめぼしいものは何もありませんが、これからどちらに行かれる予定なんですか?」
(そりゃあそうよ。どこからどう見ても住宅地と商業地が入り混じっている、変哲もない所だもの。無理がありますって、係長!)
思わず冷や汗を流した美幸だったが、城崎は全く動じなかった。
「何も無い所が良いんですよね。私も彼女も賑やか過ぎる所は性分に合いませんので」
「はぁ、そうなんですか」
まだ納得しかねる顔付きの淳に、城崎は笑顔のまま話を続ける。
「それに……、何かの折に高須君から地元の話を聞いた事があって。開発時に残った空き地で遊んだ事とか、神社のお祭りには毎回友達と参加してた事とか、比較的大きい公園もあって地元の人の憩いの場となってるとか。彼は本当に地元が好きですよね?」
「そうですね。今でも休日には良く地元のイベントとかに参加してます」
「私の出身地は、帰省する度に味も素っ気もないビルが乱立する場所になってしまいまして。地元が昔と変わらない景色を保っている高須君を、常々羨ましく思っているんです。それで今日の散策先を、こちらにしてみた訳でして。歴史を感じる趣がある家屋が点在していたり、昔ながらの地名から以前の地形を推察したり、そこかしこに溢れている緑を眺めたりしてなかなか楽しめました。なぁ、美幸?」
「はっ、はいっ! な、なかなか結構な所にお住まいの様で、高須さんが羨ましいです!」
(い、いきなり名前呼びは止めて下さいよ!?)
如何にもしみじみと語っているなと思ったらいきなり話題を振ってきた城崎に、美幸はなんとか応じながらも内心悲鳴を上げた。すると黙って話を聞いていた淳が、相好を崩して会話に加わる。
「いや~、ただ単に開発し損ねた所が残ってたり、住人が死に絶えて廃屋になった所が点在してたり、地権者が首を縦に振らなくて区画整理がなかなか進まないだけなんですがね~。そんな風に気に入って頂けて、地元民としては嬉しいですよ」
(お義兄さん、係長がオブラートに包む様にして語った内容を……、身も蓋も無いですから)
思わず心の中で突っ込みを入れた美幸だったが、男二人はそれなりに意気投合して話し出した。
「そんなご謙遜を。駅からもそれ程距離はありませんし、なかなか暮らしやすい環境だと思いますが?」
「確かに買い物や諸手続に苦労しませんがね~。やっぱり都心の方が良いでしょう?」
「それを言ったら、どこも一長一短だと思いますし」
(なんかなし崩しに納得しちゃったみたい。係長、やっぱり詐欺師です)
まるで十年来の旧知の人間と話している様な自然体の城崎に、美幸は再度呆れと羨望の眼差しを送った。すると唐突に淳が提案してくる。
「そう言えば城崎さん、もうじき昼時ですが、食べる店とか決めてますか?」
「いえ、駅前まで戻って、適当に店に入ろうかと思っていましたが」
「それなら是非家で食べていって下さい! 簡単な物ですが、すぐに作りますので!」
「それは……、さすがにご迷惑かと」
上機嫌で勧めてきた淳だったが、流石に城崎は固辞した。美幸も(何でこうなる?)と驚いたが、相手の熱意は変わらなかった。
「いやいや、下ごしらえしてある物を、俺が作りますから。材料は十分にありますし、優治は普段あまり職場の話とかはしないので、義母と涼子にあいつの職場での様子を話してくれたら二人も喜びます。あ、でも先を急ぐなら、無理にお引き留めはできませんが」
気遣う様に「どうでしょう?」とお伺いを立てられ、城崎と美幸は顔を見合わせた。
「どうする? 頂いて行くか?」
「そうですね」
「それではご好意に甘えさせて貰います」
そんな風に話が纏まり軽く一礼すると、淳は喜んで二人の手を引かんばかりにいそいそと先導し始めた。
「良かった。じゃあ腕によりをかけて作ります! こちらにどうぞ」
「失礼します」
「お邪魔します」
そうして淳の後に付いて事務所棟と思しき建物に向かって歩きながら、美幸は城崎に囁いた。
「係長、普段無駄な事を喋らないタイプなのに、どうしてああヘラヘラと、口からでまかせが言えるんですか?」
その問いに、城崎はチラリと彼女を見てから、前に向き直って真顔で答える。
「商談で口を使いまくってるからな。普段喋るのが億劫なんだ」
「……冗談ですか?」
「半分本気だ」
そんなやり取りをして美幸が唖然としていると、淳が引き戸を開けて中に入り、室内の者達に声をかけた。
「社長、専務、戻りました! 皆、これ差し入れな!」
「ありがとうございます」
「頂きます、部長」
淳が手に提げていたスーパーのビニール袋の片方を軽く持ち上げながら声を張り上げると、デスクワークらしき仕事をしていた淳と年の頃がそう変わらない男達が立ち上がり、袋を受け取った。(質感からすると缶コーヒーとかドリンク剤とかかな?)などと考えつつ、美幸は引っかかった事を尋ねてみる。
「あの……、今なんか凄い肩書きが聞こえたんですが……」
「中小の有限会社の家族的経営って事だからな。お母さんが社長で、お姉さんが専務ってところじゃないのか? それでお義兄さんが何かの部長だな」
「なるほど……」
淡々とした城崎の説明に納得していると、一番奥の机に座っている五十前後に見える女性が顔を上げ、淳に明るく声をかけてきた。
「お帰りなさい淳、昼ご飯の支度宜しくね。伝票の整理が終わったら上がるから」
「私も、午前中の配送処理が済んだら昼休憩に入るわ」
次に断りを入れてきた三十前後の女性を見て、美幸が(この人が高須さんのお姉さんかな? お母さん共々陰湿な感じはしてないから良かったけど)などと考えていると、淳が二人に向かって報告した。
「了解。あ、それで客人連れて来たから、家でご飯ご馳走しますね? 優治の上司さんと後輩さんに門の前で出くわして、昼飯に誘ったんですよ」
「優治の職場の方ですって!?」
「淳! あんたどうしてそれを早く言わないのよっ!」
淳の報告を聞いた途端、女性二人は血相を変えて勢い良く立ち上がった。その迫力に押されながら挨拶をしようとした城崎と美幸だったが、彼女達の勢いに阻まれる。
「初めまして。高須君には色々と」
「あの、高須さんにはいつもお世話に」
「まあまあ初めまして! こんなむさ苦しい所にようこそ。涼子、ここは良いから、先に上がってお二人のお相手をしていて。淳は調理で忙しいだろうし」
「分かったわ! ようこそいらっしゃいました。優治の姉の高須涼子と申します。さあ、どうぞこちらに。自宅はここの上になりますので」
「……はあ、失礼します」
「お、お邪魔します」
淳に引き続き、涼子にも満面の笑みで歓迎された為、二人の後に付いて歩き出しながら、美幸は首を捻った。
「係長……、何なんでしょう? この歓迎っぷり」
「初対面の人間を食事に誘うのも、あのお義兄さんが人懐っこいせいかと思ったんだが、それだけでは無いみたいだな」
「こちらから階段を上って頂きますので」
「はい」
城崎も不思議そうに考え込んだが、ふと思いついた事を美幸に囁いた。
「ところで藤宮。俺の事は『係長』と呼ばずに『義行』と呼ぶように」
「は? ちょっと待って下さい。どうしてそんな事しなきゃいけないんですかっ!?」
思わず足を止めて問い質した美幸に、一段上に上がっているせいで普段より更に身長差がある城崎は、余裕で上から笑いながら理由を説明した。
「デート中の恋人同士って設定だから。それに徹しろよ?」
「急にそんな事を言われてもですね!」
焦って反論しようとした美幸だったが、先に階段を上っていた涼子が、上から不思議そうに下を覗き込みつつ声をかける。
「どうかしましたか?」
「いえ、何でもありません。はら行くぞ、美幸」
「……はい」
強張った顔に何とか笑顔を張り付けつつ、美幸は階段を再び上り始め、無事玄関まで辿り着いた。
(だからいきなり名前で呼び合うって無理だから! あああっ、ボロが出ちゃうぅぅっ!!)
平然と淳や涼子と会話しつつ玄関から上がり込んで自分を手招きする城崎に、美幸は些か恨みがましい視線を向けつつ、心の中で叫び声を上げたのだった。
「さて、日曜だが運送業だから事務所は開けているし、人の出入りもそれなりにあるみたいだな」
城崎が敷地内にワゴン車が入り、トラックが出て行くのを見送りながら考え込むと、美幸も難しい顔になって事務所の上部に視線を向ける。
「この場合、事務所兼住居って言うのが痛いですね。お家の様子をこっそり覗けないわ」
「それ以前に、ご家族は今日も事務所で仕事とかしていそうだな」
「そうですね……。配達を頼む様な適当な荷物も無いし、ここはやっぱり事務所に急病を装って倒れ込むしか」
「藤宮、いいかげん、その考えからは離れろ」
「おい、あんたら」
「はい?」
真顔で話を蒸し返してきた美幸を城崎が呆れ気味に窘めた所で、唐突に背後から声がかけられた。反射的に振り返った視線の先には、二十代後半と思われるコットンシャツとジーンズ姿の男が居り、二人に探る様な視線を向けて恫喝してくる。
「さっきから、何ボソボソ言いながら、うちを覗いてるんだ、あぁ?」
城崎程の上背は無いものの、百八十前後の色黒の男が目を細めながら美幸を見下ろして誰何してきたが、美幸は恐れ気も無く問い返した。
「うちって……、高須さんのお家の方ですか?」
「まず俺の質問に答えてからだろ? お嬢ちゃん」
皮肉っぽく促され、相手の主張の正当性を認めた美幸は、慌てて説明しようと口を開く。
「え、えぇっと、実は私達は興……むごっ!」
「失礼しました。実は私達は高須君と同じ職場に勤務している者でして」
いきなり背後から手を回して美幸の口を抑え、腰を抱え込んで動きを抑えながら、城崎は笑顔で名乗りを上げた。美幸は(いきなり何バラしてるんですか!?)と叫びたくなったが、自分だけ聞こえる声量で「ちょっとだけ黙ってろ」と囁かれて口を閉ざす。
一方言われた相手はその答えが相当予想外だったらしく、キョトンとして何度か目を瞬かせた。
「優治の同僚さん? って事は、柏木産業の方?」
「はい、企画推進部ニ課勤務の城崎と藤宮と申します。どうぞお見知り置き下さい」
そこですかさず美幸から手を離し、城崎は休日でも律儀に持ち歩いている名刺入れから一枚取り出して恭しく相手に差し出す。すると受け取った彼が、恐縮しきった様子で軽く頭を下げた。
「あ、いや、これは、ご丁寧にどうも。私は優治の義理の兄に当たります、高須淳です。初めまして」
「いえ、こちらこそ。いつも高須君にはお世話になってます」
互いに頭を下げてなんとなく空気が弛緩して来た所で、美幸が城崎の袖を軽く引きながら小声で訴えた。
「ちょっと係長! どうして同僚だってばらしちゃうんですか?」
「さっきとは逆だ。家族に『興信所の人間』って言ったら、確実に警戒されるだろ。同僚だって言った方が、どうとでも誤魔化せる」
「どうやって高須さんのご家族を探りに来たのを、ご本人達に対して誤魔化すんですか!?」
小声でそんなやり取りをしている二人を凝視しながら、淳は何やら真剣に考え込んでいたが、何やら思い付いたらしく声を上げた。
「企画推進部ニ課の係長の、城崎さんと藤宮さん…………。あぁ、思い出した! 『ガタイが良くて目つきが鋭くて腕っぷしも相当だけど、それ以上に仕事の処理能力と種々の調整力が抜群で肝が据わってるから、『あいつに任せておけばなんとかなるだろ』的なノリで貧乏くじ引かされまくりの超苦労性の係長さん』と、『見た目がちょっと可愛くて普通の新人以上に仕事もできて礼儀正しくて良い家のお嬢さんなのに、発想が一々斜め上でとんでもない方向に突撃していく猪娘で、人の恋路に首を突っ込む癖に自分の色恋沙汰にはからきし無関心な、気が付くと陰日向にフォローして後始末をしてやらないといけない、先輩泣かせの初めての後輩』の方ですよね!?」
嬉々として二人を指差しながら同意を求めてきた淳に、(自分達は家で一体どんな風に話されているんだろう)と思いつつ、城崎と美幸は何とか笑顔で言葉を返した。
「……ええ、間違ってはいないかと」
「高須さんにはいつもお世話になってます……」
笑顔が微妙に引き攣っている自覚した二人は、必要以上に取り繕うのは諦めた。しかし淳は全く気にならなかったらしく、一気にフレンドリーに話しかけてくる。
「いやぁ、お噂はかねがね。ところで今日はどうしてこちらに?」
「お恥ずかしいのですが、実はデート中でして」
「はいぃ?」
ここでサラッと城崎が口にした台詞に、美幸が目をむいた。しかし城崎が美幸の靴のつま先を軽く蹴って黙らせる。
「課の人間の住所は全員分暗記していますので、そう言えば高須君の住んでいるのがこの辺りだったなと、立ち寄って外から眺めて見ただけなんです。すみません、不審者みたいな真似をしまして」
「ああ、そうだったんですか」
「実は職場内では彼女との交際は秘密にしておりまして。一応同じ職場の上司と部下の関係ですから、色々周囲から言われない様に二課内でも秘密にしているんです。ですから高須君にも内密にして頂けると助かります」
真顔で城崎が申し出ると、淳は心得た様に頷いた。
「なるほど、それはそうでしょうね。幸い今日は優治は出かけてますし、俺は見なかった事にしますから安心して下さい」
「ありがとうございます。助かります」
「ちょっ……、係長」
「少し黙っていような?」
「……はい」
思わず城崎の袖を軽く引きながら美幸は会話に割り込もうとしたが、城崎に目が笑っていない笑顔で釘を刺され、大人しく黙り込んだ。しかしここで淳が疑問に感じた事を口にしてくる。
「ですが……、デートと言っても、ここら辺にはめぼしいものは何もありませんが、これからどちらに行かれる予定なんですか?」
(そりゃあそうよ。どこからどう見ても住宅地と商業地が入り混じっている、変哲もない所だもの。無理がありますって、係長!)
思わず冷や汗を流した美幸だったが、城崎は全く動じなかった。
「何も無い所が良いんですよね。私も彼女も賑やか過ぎる所は性分に合いませんので」
「はぁ、そうなんですか」
まだ納得しかねる顔付きの淳に、城崎は笑顔のまま話を続ける。
「それに……、何かの折に高須君から地元の話を聞いた事があって。開発時に残った空き地で遊んだ事とか、神社のお祭りには毎回友達と参加してた事とか、比較的大きい公園もあって地元の人の憩いの場となってるとか。彼は本当に地元が好きですよね?」
「そうですね。今でも休日には良く地元のイベントとかに参加してます」
「私の出身地は、帰省する度に味も素っ気もないビルが乱立する場所になってしまいまして。地元が昔と変わらない景色を保っている高須君を、常々羨ましく思っているんです。それで今日の散策先を、こちらにしてみた訳でして。歴史を感じる趣がある家屋が点在していたり、昔ながらの地名から以前の地形を推察したり、そこかしこに溢れている緑を眺めたりしてなかなか楽しめました。なぁ、美幸?」
「はっ、はいっ! な、なかなか結構な所にお住まいの様で、高須さんが羨ましいです!」
(い、いきなり名前呼びは止めて下さいよ!?)
如何にもしみじみと語っているなと思ったらいきなり話題を振ってきた城崎に、美幸はなんとか応じながらも内心悲鳴を上げた。すると黙って話を聞いていた淳が、相好を崩して会話に加わる。
「いや~、ただ単に開発し損ねた所が残ってたり、住人が死に絶えて廃屋になった所が点在してたり、地権者が首を縦に振らなくて区画整理がなかなか進まないだけなんですがね~。そんな風に気に入って頂けて、地元民としては嬉しいですよ」
(お義兄さん、係長がオブラートに包む様にして語った内容を……、身も蓋も無いですから)
思わず心の中で突っ込みを入れた美幸だったが、男二人はそれなりに意気投合して話し出した。
「そんなご謙遜を。駅からもそれ程距離はありませんし、なかなか暮らしやすい環境だと思いますが?」
「確かに買い物や諸手続に苦労しませんがね~。やっぱり都心の方が良いでしょう?」
「それを言ったら、どこも一長一短だと思いますし」
(なんかなし崩しに納得しちゃったみたい。係長、やっぱり詐欺師です)
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「そう言えば城崎さん、もうじき昼時ですが、食べる店とか決めてますか?」
「いえ、駅前まで戻って、適当に店に入ろうかと思っていましたが」
「それなら是非家で食べていって下さい! 簡単な物ですが、すぐに作りますので!」
「それは……、さすがにご迷惑かと」
上機嫌で勧めてきた淳だったが、流石に城崎は固辞した。美幸も(何でこうなる?)と驚いたが、相手の熱意は変わらなかった。
「いやいや、下ごしらえしてある物を、俺が作りますから。材料は十分にありますし、優治は普段あまり職場の話とかはしないので、義母と涼子にあいつの職場での様子を話してくれたら二人も喜びます。あ、でも先を急ぐなら、無理にお引き留めはできませんが」
気遣う様に「どうでしょう?」とお伺いを立てられ、城崎と美幸は顔を見合わせた。
「どうする? 頂いて行くか?」
「そうですね」
「それではご好意に甘えさせて貰います」
そんな風に話が纏まり軽く一礼すると、淳は喜んで二人の手を引かんばかりにいそいそと先導し始めた。
「良かった。じゃあ腕によりをかけて作ります! こちらにどうぞ」
「失礼します」
「お邪魔します」
そうして淳の後に付いて事務所棟と思しき建物に向かって歩きながら、美幸は城崎に囁いた。
「係長、普段無駄な事を喋らないタイプなのに、どうしてああヘラヘラと、口からでまかせが言えるんですか?」
その問いに、城崎はチラリと彼女を見てから、前に向き直って真顔で答える。
「商談で口を使いまくってるからな。普段喋るのが億劫なんだ」
「……冗談ですか?」
「半分本気だ」
そんなやり取りをして美幸が唖然としていると、淳が引き戸を開けて中に入り、室内の者達に声をかけた。
「社長、専務、戻りました! 皆、これ差し入れな!」
「ありがとうございます」
「頂きます、部長」
淳が手に提げていたスーパーのビニール袋の片方を軽く持ち上げながら声を張り上げると、デスクワークらしき仕事をしていた淳と年の頃がそう変わらない男達が立ち上がり、袋を受け取った。(質感からすると缶コーヒーとかドリンク剤とかかな?)などと考えつつ、美幸は引っかかった事を尋ねてみる。
「あの……、今なんか凄い肩書きが聞こえたんですが……」
「中小の有限会社の家族的経営って事だからな。お母さんが社長で、お姉さんが専務ってところじゃないのか? それでお義兄さんが何かの部長だな」
「なるほど……」
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「初めまして。高須君には色々と」
「あの、高須さんにはいつもお世話に」
「まあまあ初めまして! こんなむさ苦しい所にようこそ。涼子、ここは良いから、先に上がってお二人のお相手をしていて。淳は調理で忙しいだろうし」
「分かったわ! ようこそいらっしゃいました。優治の姉の高須涼子と申します。さあ、どうぞこちらに。自宅はここの上になりますので」
「……はあ、失礼します」
「お、お邪魔します」
淳に引き続き、涼子にも満面の笑みで歓迎された為、二人の後に付いて歩き出しながら、美幸は首を捻った。
「係長……、何なんでしょう? この歓迎っぷり」
「初対面の人間を食事に誘うのも、あのお義兄さんが人懐っこいせいかと思ったんだが、それだけでは無いみたいだな」
「こちらから階段を上って頂きますので」
「はい」
城崎も不思議そうに考え込んだが、ふと思いついた事を美幸に囁いた。
「ところで藤宮。俺の事は『係長』と呼ばずに『義行』と呼ぶように」
「は? ちょっと待って下さい。どうしてそんな事しなきゃいけないんですかっ!?」
思わず足を止めて問い質した美幸に、一段上に上がっているせいで普段より更に身長差がある城崎は、余裕で上から笑いながら理由を説明した。
「デート中の恋人同士って設定だから。それに徹しろよ?」
「急にそんな事を言われてもですね!」
焦って反論しようとした美幸だったが、先に階段を上っていた涼子が、上から不思議そうに下を覗き込みつつ声をかける。
「どうかしましたか?」
「いえ、何でもありません。はら行くぞ、美幸」
「……はい」
強張った顔に何とか笑顔を張り付けつつ、美幸は階段を再び上り始め、無事玄関まで辿り着いた。
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