ものぐさ魔術師、修行中

篠原皐月

10.捕らぬ狸の皮算用

 魔術師長から届け物を頼まれたエリーシアは、執務棟を抜けて近衛棟へと足を進めた。するとその出入り口手前の広い回廊で、近衛軍の白い制服を身に着けた十人前後の男が、何やら雑談している所に遭遇する。
 遠くからそれを見かけた当初は、一礼して通り過ぎようかと思ったエリーシアだったが、その中に見知った顔を認めた。
(あれって、アクセスさん? 暫く顔を見なかったわね)
 そこで歩み寄りつつ、片手を振りながら旧知の人物に陽気に声をかけた。


「アッシー! 久し振り、元気だった?」
「エリーシア!?」
 すると何故かアクセスは驚いた表情を見せ、周囲の人間の訝しげな視線もエリーシアに集まった。そんな中、彼女から見ると一番奥に立っているアクセスが、他の人間に分からない程度に小さく首を振る。それを見た彼女は、ある重要な事実を思い出した。


(あら? 何か反応が変……。っていうか、すっかり忘れてたけど、あの人って近衛軍勤務の傍ら、宰相閣下直属の諜報組織の取り纏め役をしてるって話だったけど、ひょっとしなくても近衛軍の同僚にも秘密とか?)
 それに思い至ったエリーシアは、僅かに顔を青ざめさせた。


(拙い……、アクセスさんとはこの前の隠密行動中一緒に活動してたから、すっかり周知の事実かと思ってたけど、よくよく考えたら夜会に乱入していた時もバレない様に顔を隠してたし、ここで私達がどんな知り合いかなんて周りから突っ込まれたら、下手したらアッシーの裏のお仕事がばれちゃう可能性も……)
 思わず足を止めて冷や汗を流したエリーシアを見て、周囲の者達が彼女とアクセスを交互に見ながら、不思議そうに尋ねる。


「……副官殿、こちらの女性とお知り合いなんですか?」
「その服装……、王宮専属魔術師の方ですよね? どういう接点がおありで?」
(うわ……、アクセスさん、ごめんなさい!)
 どう収拾をつければ分からなくなったエリーシアが、引き攣った笑みを浮かべつつ心の中で手を合わせると、アクセスは少しも慌てず、カラカラと笑いながら作り話を始めた。


「いや~、少し前に街で彼女をナンパしてさ。すげなく振られちまったんだけど、アローの店の肉詰め揚げパンを紹介したら意気投合しちゃって。な、エリー?」
 そこで唐突に話を振られたエリーシアだったが、如才無く話を合わせる。


「そうなんですよ! 他にもマルテさんの所のすり身スープとか、リスボンさんの店の串焼きとか、絶品料理を色々教えて貰ってすっかり仲良くなっちゃったんですよね」
「時々二人で、王都食い倒れ探索企画を立ててるんだ」
「あ、最近また良いお店見つけたんですよ? 期待してて下さいね?」
「お。そりゃあ、楽しみだな」
 そんな風に和気あいあいと盛り上がる二人を見て、周囲の者達が苦笑しながら声をかけてくる。


「そうだったんですか。納得できました」
「女性の王宮専属魔術師と言うと、最近ファルス公爵の養女になった方ですよね?」
「副官殿の普段が普段ですから、あの内務大臣の養女にちょっかいを出したのかと、一瞬肝が冷えましたよ」
「お前達。俺をどんな目で見てるんだよ?」
(普段、そんなにナンパしまくってるわけか)
 苦笑いしているアクセスに、エリーシアもこっそり笑っていると、如何にも蔑んだ口調での呟きが耳に届いた。


「はっ……、食べ物を食い漁る仲間か。下賤の者同士、似合いだな」
 抑えてはいたものの、しっかりと聞き取れる程度の声量であり、周囲の者達は焦って発言した人物を咎める。
「おい! ウェスリー!」
「お二人に失礼だろうが!?」
 しかし同僚達から『ウェスリー』と呼ばれた三十前後に見える男は、暗褐色の瞳でエリーシアを一瞥してから「報告は終わりましたので、警備に戻ります」と言い捨て、申し訳程度にアクセスに頭を下げてその場を立ち去った。


(あの人、何なの? 何だか睨まれた気がしたんだけど……)
 エリーシアが不愉快な人物の背中を見送っていると、幾分気まずくなったその場の空気を払拭する様に、アクセスが陽気に声をかけてくる。


「ところでエリーシア。ここにはどうして来たのかな?」
 それで本来の用件を思い出した彼女は、慌てて持参した書類の束を顔の前に持ってきた。
「あ、魔術師長から、今月の王都防壁防御術式の補修計画書を預かってきたんです。先程連絡を入れたら、第四軍司令官閣下は現在近衛棟にいらっしゃるようですので、お届けに来ました」
 するとアクセスは機嫌良く頷く。


「そうそう、これ待ってたんだよ。魔術師の皆さんが出張ってる時は、危ないから周囲に近付けないし、それに応じた警備計画を立てておかないと。中身の説明もあるんだろ? 司令官室に案内するから」
「お願いします」
「じゃあここで解散」
 そしてアクセスの指示で、その場に居た者は全員散って行き、エリーシアは彼と連れ立って近衛棟の中に足を踏み入れた。そして並んで歩きながら、何気なく問いかける。


「今月は第四軍が王都内の警備担当なんですね」
「ああ、他には王宮内警備と演習と待機で一軍ずつローテーションを組んでいるからな。しかしエリー、さっきは焦ったぞ」
 さすがに自分の行為が考え無しだったと、その時には理解できていたエリーシアは、声を潜めて謝罪した。


「すみません。何とか誤魔化せたと思います?」
「まあ、大丈夫だと思うが」
「でも、同僚の人にウェスリーと呼ばれていた人が、私を睨んでいた様なので、何か怪しんでいるんじゃありませんか?」
 その懸念を口にしたが、アクセスはいつもの彼らしくなく、うんざりした表情で否定した。


「……あれは特別。別に俺達の関係を疑ったり、俺のもう一つの仕事内容を勘ぐったわけじゃないから」
「そうですか? 因みに、どんな風に特別なんですか?」
「あいつの名前がウェスリー・ロラン・ルーバンスって言ったら分かるか?」
「……分かっちゃいました」
 思わず遠い目をしてしまったエリーシアは、つい好奇心に負けて尋ねた事を心底後悔した。そんな彼女に、アクセスが淡々と追い討ちをかける。


「付け加えて言うなら、あいつが仲間内に得意気に吹聴していた内容を掻い摘んで説明すると、エリーがルーバンス公爵家に引き取られたら、女の身には爵位も領地も荷が重いから、それらはあいつが貰う事になってたんだとさ。あいつ公爵の三男でね」
 それを聞いたエリーシアの目が、益々しらけた物になった。


「すっかり貰った気になって、放言している辺りが残念度著しいですね」
「普段から色々残念な奴なんだ。一応剣の腕はそこそこだが、周囲からの人望が皆無でな。好き好んで下に就きたがる人間もいないし、指揮能力についても疑問符付きだから、指揮官にはできないんだ。それなのに『司令官も同じ公爵家の人間なのに、俺が部隊長になれないのは、司令官が俺の才能に嫉妬してるからだ』とか平気で言いやがって」
 最後は憎々しげに語ったアクセスに、さすがにエリーシアが疑問を呈する。


「馬鹿の息子は阿呆って事ですね。でもそんな困った人間、近衛軍から叩き出さないんですか?」
「公爵家の息子だから無碍にも出来なくて、一軍から三軍までたらい回しにされた挙句、四軍に来たんだ。他の司令官達からあの傲岸不遜っぷりで匙を投げられても、ジェリドの奴はかかって来るなら返り討ちにすれば良いっていう強心臓の持ち主の上、どうでも良い事は本当にどうでも良いっていう極太神経の奴だから、あいつが幾ら吠えても放置してるから務まっていてね」
 そこで何故かエリーシアは足を止め、無言で片手を廊下の壁に付いて項垂れた。それを見たアクセスが、不思議そうに声をかける。


「おい、エリー。どうした?」
 すると俯いたままの彼女から、低い声が返って来る。
「……今一瞬だけ、あのストーカー野郎を尊敬してしまった自分が、物凄く嫌になりました」
「大丈夫。この第四軍って、変なジェリド崇拝野郎と、ジェリドと方向性は違ってもどこか突き抜けてる奴と、俺のような一癖も二癖もある奴らが大半を占めてるから」
 どうやら相手が自分を慰めるつもりで口にしたらしいとは思ったが、全然気が楽にならなかったエリーシアは、手に持っていた書類をアクセスの方に突き出しながら訴えた。


「この書類、アクセスさんにお願いして、帰って良いですか?」
 しかしそんな心からの訴えを、アクセスは数歩歩けば到達するドアを指差しながら、笑って拒否した。
「残念、時間切れ。ほら、ここが第四軍司令官室だ」
「う……、分かりました」
 観念して後に付いて少し移動すると、アクセスが瞬時に意識を切り替えたらしく、真面目な口調で室内に声をかける。


「アクセスです、入ります」
「ああ、入れ」
 間近に本人が居るのと変わらない位、声が明瞭に聞こえた事で、どうやらドア表面の近衛軍紋章のレリーフに、音声伝達の術式が組み込まれていると見当を付けたエリーシアは、(結構凝った作りだこと)と少し感心しながら室内に足を踏み入れた。



コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品