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ハリネズミのジレンマ

篠原皐月

第48話 小春日和

 11月も下旬に入ったある日。この季節には珍しく暖かく晴れ上がった為、貴子は午後から縁側の拭き掃除を始めた。
 最初は無心に雑巾がけをしていた彼女だったが、廊下の端に置いたバケツで濯いだ雑巾を絞りながら、ムラムラと怒りがこみ上げてくる。


(あれからまた一ヶ月近く音沙汰が無いってどういう事よ? あれだけ強引に、連れて来ておきながら)
 そこまで考えて、ふと最近の家族の様子を、頭の中に思い浮かべた。


(だけど私の知らない所で、他の皆とは連絡を取り合ってるみたいで、孝司はニヤニヤ笑ってるし、お父さんやお母さんは何だか複雑そうな顔をしながらも何も言ってこないし。ああぁ、何かムカツクったら!)
 そんな事を考えながら雑巾がけを再開し、両手で押さえた雑巾を勢い良く滑らせていると、視界の隅に見慣れないものが入ってきた。


「……え? きゃあっ!!」
 人影らしき物を認めて何気なく顔を向けた貴子は、庭に隆也が佇んでいるのを認めた。それに驚いて反射的に足を止めたが、腕はそのままの勢いで前方へと滑り、結果として縁側に勢い良く突っ伏す事になる。それを目の当たりにした隆也は笑いはしなかったが、呆れた顔つきで歩み寄り、窓枠に手をかけつつ声をかけてきた。


「何をいきなり、面白い事をやってるんだ?」
 それを聞いた貴子は、雑巾を放り出して勢い良く起き上がった。
「なっ、なんであんたが、平日の午後にここにいるのよ!?」
 指差しながら糾弾した貴子に、隆也が淡々と答える。


「午前中の会議が終わってから、代休に入ったからだ」
「そうじゃなくて」
「一度家に戻って、自分の車で来たが?」
「交通手段を聞いたわけじゃ無いわ! それに一体いつ来たのよ。全然気がつかなかったんだけど?」
「俺が庭に回り込んで来てから、この廊下の拭き掃除を二往復はしてたな。いつ気が付くかと思って見ていた」
 しれっとそんな事を言われてしまった為、貴子は思わず声を荒げた。


「さっさと声をかけなさいよ。第一、玄関でチャイムを鳴らせば良いでしょう!?」
「正月に来た時に、庭を見ていなかった事を思い出したんだ。だが、随分一心不乱に雑巾がけをしていたな。何を考えてた?」
「別に。大した事じゃないわ」
「そうか。ちょっと邪魔するぞ。ここに座っても構わないな?」
「どうぞ」
 取り敢えず追い返す理由も見当たらず、貴子は憮然としながら頷いた。そして遠慮無く縁側に腰掛けた隆也の横に、少し離れて腰を下ろす。


(全く……、相変わらず傍若無人よね。せっかく変えたのに、気が付いてないみたいだし。これじゃ私が馬鹿みたいじゃない)
 横目でスーツ姿の隆也を盗み見た貴子は、心の中で密かに愚痴っていると、隆也が手に提げていた紙袋を縁側に置きながら、さらりと事も無げに告げた。


「やっぱり黒くて真っ直ぐな方が似合うな」
 唐突に言われた言葉の意味が一瞬分から無かった貴子だったが、すぐに後ろで一つに束ねてある髪の事だと理解して、盛大にそっぽを向いた。
「余計なお世話よ!」
(何だか負けた気がするし、無性にムカつくんだけど!!)
 そして何とか平常心を取り戻してから、隆也に向き直る。


「それで? どうしていきなりここに現れたわけ?」
「お前にこれを見せようと思ってな」
「何、これ?」
 紙袋の中から角張った物を包んだ風呂敷包みを取り出した隆也は、それを貴子の方に軽く押しやってから、結び目を解いた。


「お前の柳井クッキングスクールへの復帰を求める、署名嘆願書だ」
「はぁ!? 何よそれ、初耳なんだけど?」
 確かに表紙には隆也が告げた内容の記載があったが、そんな活動の事は寝耳に水だった貴子が、驚愕の叫びを上げた。しかし隆也が淡々と説明を続ける。


「実際に、お前は逮捕されてもいないし、不当解雇と言われても柳井クッキングスクールは反論できないだろう」
「そうは言っても、実際は私が自主的に辞めたわけだし、今更」
「お前、復帰したくはないのか?」
 真顔で改めて問いかけられた貴子は、弁解するように言い出した。


「だって……。私の復帰を諸手を上げて賛成してくれる人なんて、そうそう居ないもの。基本的に浅く広く人付き合いをしてたから、義理で署名してくれる人はいるかもしれないけど……」
「なんだ、お前弟と違って、そんなに人望が無いのか?」
「一々、ムカつくわね」
 せせら笑う気配を感じた貴子は隆也を睨み付けたが、隆也は笑いを消して詳細を付け加える。


「ちなみに、用紙の色分けは警察関係が浅葱色、クッキングスクール関係が白、テレビ局関係が薄いクリーム色だ」
 そう説明を受けた貴子は慌てて横から三色に分かれている用紙の束を確認してから、隆也を問い質した。


「ちょっと! そうなると、この五分の一位は警察関係者の署名じゃない。どうやって集めたの!?」
「そこはそれ、西脇が上手く立ち回った。『そもそも警察が疑いをかけたせいで、彼女が講師の職を追われた訳ですから、復帰要望の署名に率先して協力したら、先方は警察に対する損害賠償や名誉毀損の訴えを取り下げてくれるかもしれませんよ?』とかなんとか、新野署の上層部に持ち掛けたらしい。その結果率先して署長と副署長、刑事課長が署名したから、他の署員も付き合い半分、上への当てこすり半分でこぞって署名してくれたそうだ」
 ニヤリと笑いながらそんな事を告げた隆也に、貴子は思わず脱力しながら呻いた。


「そうだったの。西脇さんにも迷惑をかけちゃったわね」
「それだけじゃないが」
「まだ何かあるの?」
「テレビ局関係は加納局長がお前と番組で共演してたタレントのカレンに、クッキングスクールは西脇が田崎に声をかけて、それぞれの署名を取りまとめて貰ったそうだ」
「え? だって私、彼女とは特に仲が良いって訳じゃ無かったし、田崎さんだって例の結婚詐欺事件以降、顔を合わせる時は気まずそうにしてたし……」
 怪訝な顔になり、信じられないとでもいいたげな貴子の反応に、隆也は苦笑いの表情になった。


「二人とも快く引き受けて、率先して周囲に声をかけてくれたそうだぞ? 確かにこういう署名は付き合いで書いた物もあるだろうが、半分と見ても結構な人数分集まったじゃないか。お前、自分で思ってるより、好かれてるぞ」
「そう、なのかしら……」
「ああ。これが俺が不祥事を起こした場合だったら、温厚な処分を求めるどころか、さっさと叩き出す為の請願署名が集まるところだ」
 隆也が真顔でそんな事を口にした為、貴子は思わず小さく笑ってしまった。そこで隆也は庭に視線を向けたまま口を閉ざし、貴子も黙り込んだが、少ししてから彼とは目を合わせないまま、唐突に脈絡が無さそうな事を言い出した。


「私……、芳文と一緒に暮らしている時に、彼にご飯を作ってたの。こっちに来てからは、皆にも食べて貰っていたけど」
「それがどうかしたか?」
 変わらず庭に視線を合わせたまま、隆也が静かに尋ね返してきた為、貴子は小声で話を続けた。


「作ったご飯、いつも『美味しい』って言って貰えたの。自分で食べても、それなりに美味しいとは思うし」
「お前の腕ならそうだろうな」
「でも……」
「どうした?」
 貴子が俯いて言葉を濁した為、隆也は彼女の方に顔を向けて尋ねた。すると幾分迷う素振りを見せてから、貴子は思い切って頭を上げ、次いで隆也と視線を合わせながら、緊張しきった顔付きで申し出る。


「あの……、これから一生、初心に戻って頑張るから。ボケちゃって包丁を握れなくなったら、その時は捨ててくれても良いから。ずっと私の作ったご飯を食べて、『美味しい』って言って欲しいの」
 その真摯な訴えを聞いた隆也は、含み笑いで告げた。


「お前がボケるまでには、まだかなり時間があるだろう。それまでには料理ができる様になってやるから、その時は俺が作って食わせてやる。安心しろ」
「それは無理ね」
「即答するな」
 そこで二人で小さく笑い合ってから、貴子が再び真顔になって言い出した。


「それと……」
「まだ何かあるのか?」
「芳文との事だけど」
「あいつがどうした?」
「その……、夏の話なんだけど……」
 如何にも言いにくそうに切り出してきた内容について、隆也は容易に察しを付けた。


「ああ、何やら自棄になってて、あいつと一度寝た事か?」
「何!? あなた達、そんな事まで包み隠さず話してるわけ!?」
 思わず声を荒げた貴子だったが、隆也は淡々と真実を述べた。
「違う。あの時芳文と入れ替わって、お前とやったのは俺だからな」
「………………え?」
 衝撃的な内容を聞いて、口を半開きにしたまま貴子は固まったが、それを見た隆也は、遠慮の無い感想を述べた。


「お前、今自分がどれ程の間抜け面を晒しているのか、全く自覚がないだろう?」
「いえ、ちょっと待って、え? 何? どういう事?」
「じゃあ取り敢えず、必要な話は済んだな。上がるぞ」
 まだ若干頭がついていかない貴子に構わず、隆也はそこで靴を脱いで縁側に上がり込んだ。


「上がるぞって、ちょっと! 縁側から上がらないで、ちゃんと玄関に回りなさいよ!」
「面倒だ。ほら、さっさと窓を閉めて鍵をかけろ」
「どうして? せっかくの小春日和で、気持ちが良いのに」
 ブツブツと文句を言いつつも、貴子は隆也と分担して縁側の開け放してあった窓を全て閉め、きちんと鍵をかけた。


「ほら、これで文句は無いでしょう? 一体何なのよ」
「よし。じゃあ、さっさと入れ」
「え?」
 いきなり手首を掴まれ、隆也が障子を引き開けた部屋に押し込まれた貴子は怪訝な顔になったが、更に困惑する事態になった。


「きゃあっ! ちょっと、何するのよ!?」
 障子を元通りきちんと閉めるなり、多少強引に畳に引き倒された貴子は、当然の如く抗議の声を上げたが、隆也は素早く上着を脱ぎ捨てると、難なく彼女を組み敷く体勢になった。そして彼女を見下ろしながら、忌々しげに呟く。


「全く……。十代の頃じゃあるまいし、俺に長々と禁欲生活させやがって。今から利子付けて、さっさと払って貰おうか」
 ネクタイの結び目を解きながらそんな事を言い出した隆也に、さすがに貴子は狼狽して手足をばたつかせて抵抗した。


「ちょと待って! 何でこんな所で、いきなり盛ってんのよ! それに私、禁欲生活してくれなんて、一言だって言った覚えないけど!?」
「だが実際、他の女に手を出したりしたら、お前は拗ねるだろうが」
「それは……」
「じゃあそういう事だから、諦めて付き合え」
 真顔でそんな事を言いつつ、隆也がカットソーの裾に手をかけた為、貴子はその手を押し止めながら必死の形相で訴えた。


「だからちょっと待って! 私は今、独り暮らしじゃないのよ? お父さん達は出かけてるけど、二階で孝司が部屋の掃除をしてるし!」
 その訴えに、隆也が軽く眉を寄せる。


「本当か? 物音も気配もしなかったが」
「本当よ!」
「姉貴~。掃除が終わったから、茶を淹れてきたぞ。羊羹も切ったし、一緒に食べ」
 そこで唐突に襖がスルッと開けられ、お盆を抱えた孝司が愛想良く声をかけてきたが、室内の光景を目にして固まったまま言葉を途切れさせた。対する二人も全身の動きを止めたが、一番早く隆也が立ち直る。


「やあ、孝司君。こんにちは。お邪魔してるよ?」
「……いらっしゃいませ」
 相変わらず貴子を組み伏せたままの状態で、爽やかに声をかけてきた隆也に、孝司は殆ど無意識に廊下に正座した。そして一礼してから、手前に置いたお盆を、二人の方に向けて押し出す。


「ちょうど二人分ありますので、租茶ですが、宜しかったらどうぞ」
「ありがとう。飲む暇があったら頂くよ」
「そうですか。それではどうぞごゆっくり」
 隆也が嘘臭い笑顔を振り撒くと、孝司は二人と目線を合わせない様にしながら再度一礼し、目の前の襖を静かに閉めてしまった。そして隆也と共に取り残された形になった貴子は、襖の向こうの孝司を、盛大に叱りつける。


「ちょっと孝司!! あんた姉を見捨てる気!? ごゆっくりって、どういう事よ!!」
 貴子は本気で腹を立てたが、隆也は満足そうに笑いながら、彼女の穿いているジーンズに手をかけた。
「相変わらず、お前と違って空気が読めるな。それじゃあ公認して貰った様だし、遠慮なく」
「他人の家なんだから、ちょっとは遠慮しなさいよっ!!」
 そして貴子がじたばたと抵抗していると、再び襖が開けられた。


「失礼します」
「孝司! 助けに来てくれたの!?」
「……ちっ、存外気の利かない奴」
 孝司が再びやって来た途端、貴子は期待に満ちた声を出し、隆也は忌々しげに舌打ちした。すると室内に何歩か足を踏み入れた孝司は、その場に正座して隆也に声をかけた。


「榊さん」
「何だ」
 不機嫌さを隠そうともせずに隆也が応じると、孝司は持参した長方形の箱を、隆也に向かって畳の上を滑らせた。


「未開封ですので、宜しかったら進呈します」
「……ありがとう。使わせて貰うよ」
 そのパッケージを見た貴子は盛大に顔を引き攣らせ、隆也は毒気を抜かれた様に、反射的に礼を述べた。そんな二人に対し、孝司は冷静に話を続ける。


「それから俺はこれから畑に出て、五時ごろまでは戻りませんので。両親にもそれ位までは帰宅しない様に、連絡しておきます」
「そうして貰えればとても助かるな」
 ここで隆也ははっきりとした笑顔になったが、貴子は逆に憤怒の形相になった。


「馬鹿孝司! あんたこの状況で、何か他に言う事は無いわけ!?」
 その糾弾を受けた孝司は、貴子に真剣な顔を向ける。
「……姉貴」
「何よ!」
「ガンバ。……じゃあ、健闘を祈る」
 すこぶる真顔でそんな事を言った孝司は素早く立ち上がり、スタスタと素早く歩いて廊下に出たと思ったら、スパッと襖を閉めてあっさり姿を消した。その襖に向かって、貴子の叫びが虚しく響く。


「『じゃあ』、じゃないでしょうがぁぁぁっ!!」
 顔を真っ赤にして怒り出した貴子を、隆也が笑いを堪えながら見下ろしてから、中断していた作業を再開した。


「さて、親兄弟公認なら、何の問題もないな」
「大ありでしょ! ちょっと離しなさいったら!!」
 玄関まで微かに伝わってくる貴子の怒声を聞きながら、作業着に着替えた孝司は靴を履いて外に出た。次いで玄関に鍵をかけ、軽トラを停めてある倉庫に向かいながら、ポケットから携帯を取り出す。


「さて、親父とお袋にメールしとくか。あぁ……、空が高いなぁ……」
 そこで何気なく晴れ渡った空を見上げた孝司は、棒読み口調で感想を述べたのだった。



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