ハリネズミのジレンマ

篠原皐月

第47話 障壁を越える時

 半ば強引に車に乗せられた貴子は、当初何を言われるのかと助手席でビクビクしていたが、予想に反して隆也が黙って運転を続けている為、些か拍子抜けした。しかしそれが首都高に乗ってから二十分以上も続くと、さすがに腹が立ってくる。
(気まずい……。何なのよ、人を連れ出しておいて無言って)
 しかし内心の怒りをそのままぶつける勇気は無く、恐る恐る声をかけてみた。


「あの……」
「何だ?」
 隆也が平然と応えてきた為、貴子は密かに安堵しながら、取り敢えずこの間気になっていた事を口にしてみた。、
「その……、以前まで送られてきていた小説なんだけど、続きはどうなってるの?」
 それに隆也が、如何にも忌々しそうに答える。


「俺も続きは知らない。あいつ『残りのデータを、ついうっかり間違って消してしまいました』とかほざきやがった」
「『あいつ』って……、東野薫の事よね。よりにもよって、あのタイミングで?」
「ああ。前々から思っていたが、本当にろくでもない奴だ」
(本当に、先輩後輩揃ってろくでもないわね!)
 吐き捨てる様に隆也は口にしたが、正直貴子は同類だと思った。それからまた車内に沈黙が満ちたが、貴子が再度声を絞り出す。


「その……」
「何だ」
「あのアザラシなんだけど、あれを購入したのって、ひょっとして……」
 かなり自信無さげに尻つぼみに口にしたが、それで十分隆也には伝わったらしく、運転しながら笑いを堪える様に言い返してくる。


「随分気に入ったみたいだな。あれも後から送る様に芳文に言っておいたから、心配するな」
「そう……」
(じゃなくて! そもそも、私をどこに連れて行こうとしてるのよ!)
 うっかり素直に頷いてからそもそもの疑問に思い至った貴子は、気合いを入れ直して問い質した。


「あのね、どうして私を強引に連れ出したわけ? それにあそこの出入りは監視されてる筈なのに、顔を見られて構わないの?」
 若干皮肉が籠もっていた台詞に、隆也はチラリと貴子の方に目を向けてから、淡々と説明した。


「芳文にさっき言ったんだが、聞いてなかったか?」
「何を?」
「あそこの監視は、今日の昼に解除された。お前のマンションと、高木さんの家もな」
「そうだったの。意外に早かったわね。もう少しかかるかと」
「だから高木さんの家に、向かっているところだ」
 自分の声を遮りながら淡々と告げられた内容を耳にした貴子は、驚きのあまり目を見開く。


「高木さんの家!? ちょっと止めて! どうして!」
 慌てて左腕を掴んで非難の声を上げた貴子に目を向けないまま、隆也は緩やかにハンドルを切り、走行車線を移動させつつ、苦々しい口調で続けた。


「お前が最近、まともに食って寝てないからだ」
「人を欠食児童みたいな言い方しないでよ。ちゃんと作って食べてるし、睡眠だって取ってるわ」
「回数や時間じゃなくて、質の問題だ。お前、以前話してただろう? 面倒をみてくれた家政婦に『美味しいご飯を食べて温かい布団で眠れたら、それほど不幸だとは思わないものだ』と言われたと」
「確かにそうだけど」
「今のお前を一人で放っておくと、どちらも無理そうだからな。本当に手の掛かる奴」
「…………」
 そこで呆れた様に溜め息を吐かれ、自分でも体調、特に精神面で些か問題があると自覚していた貴子は、弁解できずに黙り込んだ。
 それからまた数分沈黙が続いてから、隆也が思い出した様に口を開いた。


「そういえばこの前、お前の父親もどきに会った」
 しかしそれを聞いても、貴子は片眉をピクリと小さく動かしただけで、無言を保った。対する隆也も返事は期待していなかった為、構わずに話を続ける。


「春に出くわした弟もどき同様、お前とは似ても似つかない、貧相な奴だった」
「そうね」
 思わずクスッと笑いを零した貴子に向かって、ここで隆也が爆弾を投下する。


「だが、髪質だけは同じで、艶のある黒髪でまっすぐだな」
「…………っ!」
 指摘された瞬間、貴子は憤怒の形相になって運転席の隆也を睨み付けた。その鋭い視線を顔の左側に受けている事を認識しながら、隆也は前方から視線を外す事無く、冷静に話を続ける。


「だからお前、カラーリングと軽いパーマをかけてたんだな。母親の髪が明るめの色調で、軽い天然パーマだから」
「それとこれとは関係ないわよ。第一、どうして私の本来の髪質が分かるわけ?」
「根元を見れば分かるだろうが。芳文も言ってたが……。やっぱりお前、頭は悪くないのに、相当な馬鹿だな」
 したり顔でそんな事を断言され、さすがに貴子の堪忍袋の緒が切れた。


「何であんたにそこまで言われなくちゃならないのよ!!」
「あの底抜けに人の良い一家が、見た目に自分達と全然共通する所が無いって位で、お前を邪険にする筈無いだろうが」
「だって……」
 真顔で断言され、貴子は何か言い返そうとしたものの、口ごもって結局黙り込んだ。すると隆也が唐突に、ぼそりと呟く。


「それに、俺は黒くてまっすぐの方が好みだ」
 その台詞に貴子が反射的に隆也に顔を向け、若干躊躇ってから胡散臭そうに問いかける。


「……ここでどうして、あんたの好みが関係してくるのよ?」
「別に? ただ口にしてみただけだ」
 完全にいつもの口調で端的に言い返されてしまった貴子は、次にどういった言葉を続けば良いか分からなくなり、途方に暮れた。
 それからは再び無言になり、車内は静かなエンジン音のみが響いていたが、大して時間を要さずに高速道から一般道に降り、記憶にある通り夜の道を走り抜けて高木家に無事到着した。


「着いたぞ」
「姉貴!」
 敷地内に車を入れ、エンジンを止めると同時に、車の音を聞きつけたのか、玄関の戸を開け放って孝司が外に飛び出してきた。それを見た隆也は、思わず小さく笑いながら貴子を促す。


「早速、出迎えらしいな。ほら、シートベルトを外せ」
 そう言いながらドアロックを外すと、ぐずぐずしていた貴子より先に、孝司が外から勢い良く助手席のドアを開けて中に向かって呼びかけた。


「ほら、姉貴。さっさと降りる! 榊さん、すみません。お世話様でした」
「いや、大した事はしていない。礼なら芳文の方に言ってくれ」
「分かりました。葛西さんには改めて、両親共々お礼に伺います。姉貴、時間も時間だし、今日はさっさと寝るぞ。布団も準備してあるから」
「まだ十時過ぎよ? それに別に眠くないし」
 半ば腕を掴まれて引きずられる様に玄関に向かって歩き出した貴子の背中を追って、車から降りた隆也も足を進めた。すると貴子を出迎えるべく、玄関先に竜司と蓉子が立っている事に気付く。


「やあ、貴子ちゃん。久しぶりだね」
「ちょっと痩せた? 大丈夫?」
 若干心配そうに声をかけてきた夫婦の前に進んだ貴子は、神妙に声をかけた。


「大丈夫だから。あの……、高木さん」
 そして深々と頭を下げながら、謝罪の言葉を口にする。
「今回も、色々とこちらにご迷惑おかけしたと思います。本当に申し訳ありませんでし」
「この馬鹿もんがっ!!」
「痛ぁぁっ!!」
「あなた!?」
「親父! いきなりなにするんだ!?」
 貴子の謝罪の言葉の途中で、いきなり竜司が拳骨で力一杯貴子の登頂部を殴った為、貴子は悲鳴を上げて涙目で頭を押さえ、さすがに隆也も度肝を抜かれて絶句した。
 至近距離にいた蓉子は真っ青になって竜司の右手を捕らえ、孝司は姉を庇う様に二人の間に割って入ったが、竜司はそのままの勢いで貴子を叱りつける。


「子供の躾は親の役目だろうが! 何度言っても分からん馬鹿娘に、鉄拳制裁して何が悪い!」
「いや、ちょっと待て! 確かに俺らも小さい頃散々されたけど、今、姉貴に対してする事ないだろ! しかも目一杯本気で! 絶対コブができたぞ!?」
 さすがに看過できなかった孝司が怒鳴り返したが、竜司は口調を抑えながらも叱責を続けた。


「俺はこれまで何度も『いい加減に向こうといがみ合うのは止めろ』と、穏やかに言って聞かせたよな? 聞いていないとでも言うか?」
「……言われてました」
「それを完全に無視してきた挙げ句、大勢の人間を振り回して迷惑かけやがって。何様のつもりだ! 上から目線でふんぞり返ってる輩と、どこが違う!?」
「う……」
 語気強く迫られて、既に頭から手を下ろして項垂れていた貴子は、痛みとは別の理由で、両眼から涙を零し始めた。


「俺達に迷惑をかけたと謝る前に、他に詫びなきゃいけない人が大勢いるだろうが! 全然分かってないなお前!」
「ご、ごめんなさ……」
「もう金輪際、あっちとは関わらない。ちょっかいをかけられても無視する。分かったか!」
「分かり、ました……」
 俯いたまま目を擦り始めた貴子を見て、竜司は今度は優しく言い聞かせる。


「それから、この機会に俺達夫婦と養子縁組して、今後は俺の事は『高木さん』じゃなくて『お父さん』と呼ぶ事」
「でもっ」
「分かったな!!」
「……はい」
 先程の優しい口調とは一転して叱りつける様に念を押され、貴子は勢いに押されて思わず頷いた。するとここで竜司がいつもの穏やかな笑顔になり、貴子の頭に手を伸ばして、先程自分が殴った辺りを軽く撫でながら言い聞かせる。


「よし。もう馬鹿な事はするなよ?」
 それに対して、貴子は小さな、くぐもった声で返した。
「……うん、しないからっ。ごめんなさいっ……、お、おとうさ……、ふ、うぇぇぇっ……」
 ここで堪えきれずに貴子が両手で顔を覆って泣き出した為、竜司を押しのける様にして、蓉子と孝司が貴子の前に出た。


「ああ、ほら、貴子、泣かないの。早く家の中に入りましょう」
「親父はやりすぎ! 明日の朝飯、いつもの半分だからな!」
 そして蓉子と共に貴子を挟んで宥めながら移動し始めた孝司の台詞に、竜司が憮然とした顔つきになる。
「……それが親に向かって言う事か」
 しかし竜司はすぐに気を取り直し、その場に残っていた隆也に向き直った。


「どうもお騒がせしました」
 そう言って軽く頭を下げてきた相手に、隆也は苦笑いで応じる。
「いえ、友人曰く『あいつは怖い親父にがっつり叱られて、根性を叩き直して貰うのが一番だ』との事でしたが、正直、高木さんには難しいかと思っていました」
 それを聞いた竜司も、苦笑の表情を浮かべた。


「息子達に対しては、小さい頃はいつもあんな感じでしたよ? ですが彼女に関しては、やはり義理の娘という事で、彼女に対して色々遠慮していた面もありましたし。反省している所は多々ありますね」
 しみじみとした口調で竜司が述べると、隆也があっさり話題を変えた。
「ところで、先程『他に詫びないといけない人がいる』云々と仰られましたが」
 その問いに、竜司が真顔になって答える。


「確かにそうは言いましたが、警察が適正な捜査をしていれば良かっただけの話です。自分達の過ちを自力で正せなかった者達の尻拭いを、あの子がする必要は無いと思いますが、そこの所はどうお考えでしょうか?」
「全く同意見です」
 振り回された現場は気の毒だが、わざわざこちらから謝罪させる気は無いと竜司が断言した事で、意見の一致をみた二人は軽く笑い合った。そして隆也が軽く頭を下げながら、立ち去る旨を告げる。


「それでは夜分に電話一本で急に押し掛けまして、申し訳ありませんでした。失礼します」
「こちらこそお世話になりました。それから……、今後とも宜しくお付き合い下さい」
 そう言って差し出された手を一瞬凝視してから、隆也は笑顔でその手を握り返した。


「こちらこそ、宜しくお願いします」
 そうして高木家を辞去した隆也は再び愛車を運転しながら、芳文に事の次第を報告するべく、電話をかけた。


「芳文、今送り届けて来た」
「と言う事は……、お前今、運転中だよな? 運転中の通話は道交法違反だっつってんだろ。この不良キャリアが」
 溜め息混じりの芳文の声に、隆也は笑いながら報告する。


「それよりあいつ、予想以上にがっつり親父に怒られてたぞ? 鉄拳制裁付きで」
「それはそれは……。俺は優しいお兄ちゃんだから、やっぱりそんな真似は無理だったな」
 苦笑で返してきた芳文に、隆也も笑みを深くしながら依頼する。


「躾は無理でも、診察はできるだろ。一・二週間したら、暇な時に様子を見に行ってくれないか?」
「やっぱりお前、忙しそうだな。分かった。行ってやるさ」
「すまん」
 そこで安全上の問題からも隆也はそこで会話を切り上げ、この間の事情を聞き出そうと手ぐすね引いて両親が待っている自宅へと、愛車を走らせたのだった。



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