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ハリネズミのジレンマ

篠原皐月

第46話 急転

 警察庁刑事局特殊詐欺対策室の理事官に就任した隆也が、自分の机で資料に目を通している最中、直属の上司である室長の渡辺が机上にある電話の受話器を戻しながら呼びかけてきた。


「榊君、君に呼び出しだ」
「どちらからでしょうか?」
 仕事の手を止め、立ち上がりながら問い返した隆也に、渡辺が何か含む声で告げる。
「久住卓審議官からだ」
 彼がそう声を発した途端、室内の人間の殆どが無言で隆也に視線を向けたが、当の本人は(連中、相当焦ってやがるな)と笑い出したい気持ちを押し隠しつつ、上司に神妙にお伺いを立てた。


「今すぐ出向く必要がありますか? それと用件は何でしょうか」
「内容は聞いていない。今行って来てくれ」
「分かりました。少々席を外します」
 断りを入れて廊下に出た隆也は、早速久住審議官に与えられている部屋に出向いた。そしてノックして自分の所属と来訪を告げ、応答があった事で何食わぬ顔で入室すると、予想に違わず部屋の主である男とその義兄に当たる人物が、二人掛けのソファーに並んで座って愛想笑いを浮かべていた為、完全に表情を消した。


「やあ、仕事中に申し訳ない、榊理事官。異動したばかりだそうだが、ここには慣れ」
「初めてお目にかかります、久住審議官。ご多忙な審議官からわざわざ呼び出しがかかるとは、どの様な重要案件でしょうか」
 自分達の向かい側のソファーに座る様に手振りで勧められた隆也だったが、世間話から入ろうとでも考えていたらしい二人の機先を制し、ソファーの横で微動だにせず、立ったまま単刀直入に切り込んだ。そして咄嗟に詰まった二人を冷静に観察しながら、考えを巡らせる。


(自分の不始末を他人の威光で穏便に済ませたいと考えてる癖に、頼む相手を呼びつけてんじゃねえぞ、何様のつもりだ? しかし間近で直に見たのは初めてだが、思った以上に貧相で小者な容貌の男だな。あいつとは似ても似つかん)
 貴子の父である宇田川啓介を恐れ気も無く半眼で見下ろすと、相手も愛想笑いを引っ込めて不愉快そうな顔付きで隆也を睨んだ。そこで隆也はある事実に気が付く。


(いや、違う。見たところ、似ている所は一つはあるか。だから“あれ”か)
 ごく短時間で発見した父娘の共通点に、隆也が密かに一人で納得していると、そんな微妙な空気を醸し出し始めた二人を取り成す様に久住が口を開いた。


「それでは榊君も忙しいだろうし、手短に話そう。九月下旬に発生した、青葉銀行新野支店襲撃事件は知っているな?」
「勿論、存じております」
「その捜査の進捗状況については?」
「はかばかしくないと、漏れ聞こえております」
「困った事にそうなんだ。それで現場の捜査手腕と能力に関して、方々から厳しい意見が出ていてね」
「聞く所によりますと現場の捜査能力もそうですが、指揮系統に著しい問題があったとか。その為末端の捜査員からも、不満が噴出していると聞いております。現場の上下の連携が取れていないとは、困った事です。確か担当所轄は宇田川本部長の管轄だったかと思いましたが、そこの所はどうお考えでしょうか?」
 取り敢えず様子を窺っていた啓介だったが、さり気なく話題を振られ、一瞬口ごもったものの平静を装いながら答えた。


「あ、ああ……、誠に由々しき事態だな。上の人間が指示した事に従わないで捜査を混乱させるなど」
「現場の人間が『上からの横槍で本来の捜査ができない』と訴えているのも耳にしましたが」
「末端の人間の言い分など、知った事か!!」
「宇田川君、静かにしたまえ」
 隆也がさらっと嫌味を口にした途端啓介が激昂したが、すぐに顔を顰めた久住が窘めた。さすがに自分より上の階級である人間に逆らう事は拙いと自制した啓介が黙り込むと、久住が苦りきった表情で話を続ける。


「上と下で言い分が違うのは、立場が違う故の事だと思う。そこの所は、榊君も理解して貰いたいのだが」
「勿論です。ここで問題になっているのは、どちらの言い分が正しいのかではなく、一刻も早く適正な捜査態勢に戻して、本来の捜査を進める事だと愚考します。警察の威信にも係わりますので」
 そうきっぱりと隆也が断言すると、忽ち顔付きを明るくした両者が勢い込んで申し出た。


「さすがは同期の中でも俊英と名高い榊君だ。理解してくれると信じていたよ」
「それではこれ以上の余計な混乱を防ぐ為に、君から然るべき筋に話を通して貰えないだろうか?」
「俊英と評して頂いて光栄ですが、どなたにどんな話をどういう理由でしなければいけないのか、皆目見当がつきません。申し訳ありませんが、御教授願えませんでしょうか?」
 真顔で淡々と隆也がそう述べた為、久住達は怪訝な顔になって顔を見合わせてから、交互に口を開いた。


「だから……、先程の事件に関してなんだが」
「それは一般論として伺いました」
「一般論では無く、それで私達は迷惑を被っているんだ」
「何故、直接関わり合いの無いお二人が、迷惑を被ると?」
「その……、謂れの無い誹謗中傷をだな」
「謂れの無い誹謗中傷なら、真っ向から否定すべきだと愚考致します」
「貴様、ふざけているのか?」
「私は真摯に答えております」
 再び怒りを露わにして睨みつけてきた啓介を、隆也は涼しい顔で受け流した。ここで久住が慌て気味に会話に割って入る。


「宇田川君は黙っていろ! 話が進まん!」
 そう義兄を一喝した久住は、隆也に向かって真剣な表情で訴えた。
「それでは単刀直入に言う。君から父上に、警察に対して民事訴訟を検討中らしい宇田川貴子氏に、それを思い留まる様に説得する事を要請してくれ。顧問弁護士が、君の父上の法律事務所所属だそうだ。それと君の叔父の榊大輔長官官房長と前警察庁長官の井原康志氏にも、警察内部の諸々の処断をできるだけ穏便に済ませる様に、働きかけて貰いたい。この通りだ」
「宜しく頼む」
 ソファーから腰を上げて頭を下げた久住に続き、嫌そうな顔をしながら啓介も立ち上がって辛うじてお辞儀と分かる程度に頭を下げた。しかし隆也は微動だにせず、茶番を演じる二人を冷たい視線で見下ろす。


(はっ、ウザい老害野郎に申し訳程度に頭下げられて、誰がありがたがるかよ)
 隆也が取り成す類の台詞を口にしない為、室内が静まり返ったまま一分以上経過し、業を煮やした啓介が頭を上げて横柄に言い放った。


「おい、榊理事官。返事は?」
「は? 何に対する返事でしょう?」
 あくまで惚けた隆也に、啓介がさすがに怒りを露わにして怒鳴りつけた。


「決まっているだろう! 私達が頭を下げたのに、まさか何もする気がないなどと言うつもりではないだろうな!?」
 それに対して隆也は一応自分よりは目上である人間に向かって、鼻で笑ってみせた。


「どうしてこんな密室で申し訳程度に頭を下げられただけで、本来の業務と全く関わりの無い事に時間と労力を費やさなければならないのか、全く分かりません。非才な私にも、理解できるように説明しては頂けませんか? かつては俊英と誉れ高かった、宇田川啓介第十三方面本部長殿」
「何だと、貴様!?」
 その明らかに揶揄する口調に啓介は完全にいきり立ったが、横の久住も唸る様に言い出した。


「……私を敵に回して、どうなるか分かっているのだろうな?」
「私に落ち度があれば別ですが、この場合正当性はこちらにあります。それよりも変な横槍を入れたら叔父が黙っていないと思いますが、そこの所をお分かりの上で今の発言をされたのでしょうか?」
「…………」
 普段は叔父の威光など歯牙にもかけない隆也だったが、この時は最大限に利用するのを躊躇わなかった。案の定、自分の派閥が最小に成り下がっている事を理解している二人は、途端に悔しそうに黙り込む。そこで隆也は止めを刺すべく、さり気ない口調で言葉を継いだ。


「叔父と言えば……、以前叔父から聞いた話なのですが、かつて上司だった某警察高官が失脚した時、『婿選びだけは失敗した』と仰ったそうですね」
 心当たりのある二人は揃って無言で眉を寄せたが、隆也はしみじみとした口調で話を続けた。


「本当に、閨閥と言うものは厳選するべきですね。何やら最近某警察幹部の御子息が、スピード違反で捕まった時に抵抗して警官に怪我を負わせて、公務執行妨害で現行犯逮捕されたり、脱法薬物の所持で薬事法違反で事情聴取を受けたとか。そこで素直に応じれば良いものを、揉み消そうと親が圧力をかけたという噂が伝わっております。因みにそのご子息は、他の某警察幹部の甥御さんにも当たるそうで。そんな恥知らずな連中と義兄弟と叔父甥関係で、自分が周囲から同一視される羽目になったら、私だったら耐えられません」
「……っ!!」
 これ以上は無い嫌味と皮肉に、二人は怒りと羞恥で顔を赤らめさせたが、隆也は両者には構わず慇懃無礼に頭を下げた。


「お話がお済みの様なので、仕事に戻らせて頂きます」
「おい、ちょっと待て!」
 さっさと一礼した隆也は、引き止める声を無視してさっさと部屋を出て本来の職場に戻った。そして報告の為、真っ先に渡部の机に向かう。


「遅くなりました」
「何の用だった?」
「さあ、分かりかねます。器用にも昼日中から、寝言を仰っておられました」
「そうか。戻って良いぞ」
「失礼します」
 隆也も渡部も癖のある笑みを浮かべながらそれで話を終わらせ、何事も無かったかの様に通常業務に戻った。




 夕食の後、部屋に籠って仕事をすると言っていた芳文に、頼まれた時間に珈琲を淹れて持って行った貴子は、ドアをノックしようとして中から響いて来た怒鳴り声に、思わず手を止めた。


「おい、話は分かったがちょっと待て! いきなりにも程があるぞ!? 大体……、は!? もう着いただぁ!? お前、運転中にかけてやがったのか? 通報するぞ! 道交法違反で捕まりやがれ!!」
 その後は無言になった為、話は終わったのだろうと見当を付けた貴子は、ノックして室内に入った。


「芳文? 怒鳴り声が部屋の外まで聞こえてたわよ? どうしたの?」
 芳文の手のスマホを見て誰かと電話していたとは思ったものの、貴子がカップを差し出しながら問いかけると、相手は溜め息を吐きながらカップを受け取り、忌々しげに告げた。


「どうもこうも……、今から隆也の奴がここに来る」
「え? ……どうして!?」
 一瞬当惑してから貴子が声を荒げると、芳文は疲れた様に付け加えた。


「理由は色々あるが……。さっき、『今からここのマンションの訪問者用駐車スペースに車を入れる』と言ってた」
「そんなまさか」
 そこで開け放っていたドアの向こう、正確に言えば玄関の方から、微かな物音が伝わってくる。


「ああ、おいでなすったか?」
「嘘!?」
(なっ、何で!? どうして今の今まで音沙汰が無かったのに、急に現れるのよ?)
 どうやら以前の様に、持っていた合鍵で勝手に入って来たらしいと分かった貴子は、完全に狼狽した。そして咄嗟に近くに隠れる所はないかを探し、目に付いた場所に突進する。
 いきなり掃き出し窓に向かっていった貴子が、閉めていたカーテンを隅に寄せた為、ベランダに逃げ込むつもりかと思いきや、そんな芳文の予測に反して、彼女は纏めたカーテンの中に入ってきつく端を握り込んだ。その結果、目の前にできた不自然な円柱形の布の塊を眺めながら、芳文は呆れた返った声をかける。


「貴子。お前一体、何をやってるんだ?」
「わ、私、ここには居ないから!」
「お前、動揺すると、とことん阿呆だな」
 心底呆れた口調で、芳文が感想を漏らすと同時に、ドアを開けて隆也がやって来た。


「芳文、邪魔するぞ」
「入ってから、断りを入れられてもな…」
 相変わらずの友人の傍若無人さに芳文が遠い目をしたが、隆也はすぐに不自然極まりないカーテンを認めて尋ねる。
「あれは何をやっている?」
「今現在この部屋には、俺とお前以外、誰も居ないらしい」
「ほう? 随分面白い事を言うじゃないか」
 いささかやけっぱちに芳文が告げると、隆也は如何にも面白そうに笑った。そして問題のカーテンに歩み寄って、横柄に言い放つ。


「おい、貴子。さっさと出て来い」
(そんな事言われても『はい、そうですか』なんて出ていけるわけ無いじゃない。第一、どんな顔をして出て行けば良いの!)
 とても進んで顔を見せる勇気は無く、貴子がカーテンを握り締めながら困惑しきっていると、何やら移動する気配が伝わってきた。 


「そうか。出てくる気は無いか。それなら仕方がないな」
 そして引き出しを開け閉めする音が何回か聞こえてから、すこぶる冷静な隆也と、狼狽気味の芳文の声が聞こえてきた。


「芳文、借りるぞ」
「おい隆也! 何をする気だ!」
 それと同時に自分を挟んで二人が立ち、頭の上の方でカーテンを掴まれている様に不自然に引っ張られ始めた事で、貴子の困惑は増幅した。
(え? 二人で何をしてるの?)
 しかし続く二人のやり取りで、おおよその事情が分かった。


「出る気がないなら、仕方がない。このまま簀巻きにして持って行く」
「馬鹿野郎! カーテンは全部オーダーメイドなんだぞ!? その鋏を離せ!」
「カーテンの一枚や二枚、どうって事無いだろう。ケチくさい奴」
「お前はもう少しこだわれ! 室内のカーテン全部、交換になるだろうが!」
(鋏って……。まさか私の頭の上から、このカーテンを切る気!? そんな乱暴な!)
 そこで貴子は慌ててカーテンから手を離し、その中から勢い良く外に飛び出した。


「ちょっと隆也、止めて! 何もカーテンを切る事は無いでしょう!?」
「ああ、出てきたな。芳文、カーテンは命拾いしたぞ」
「どうやらその様だな」
(う、思わず出ちゃったけど……)
 勢いに任せて出てしまったものの、満足そうな表情の隆也と、疲労感満載の芳文を前にして、貴子は顔を引き攣らせた。そして満足そうな表情から一転、貴子を見て眉根を寄せた隆也が、不機嫌そうに感想を述べる。


「やっぱり思った通りだな」
「……何が?」
「色々だ」
 何を言われるのかとビクビクしながら相手の出方を窺った貴子だったが、そこで隆也はいきなり彼女の手首を掴んで歩き出した。


「じゃあ、さっき言った様にこいつは連れて行く。今まで世話になったな、芳文。荷物は後で纏めて送ってくれ」
「え? 何言ってるのよ!?」
 玄関に向かってぐいぐい引っ張られていく貴子の後に付いて、芳文が笑いながら軽く手を振る。


「了解。じゃあ貴子、あまり暴れるなよ?」
「ちょっと芳文、何言ってるのよ! それに手を離して!」
 玄関で靴を履こうとしていた隆也の手を振り払おうとした貴子だったが、ここで隆也が一睨みした。


「おとなしく付いて来い。夜のドライブで事故ったりしたら、洒落にならない。暴れるならトランクに詰めるぞ?」
「……分かったわよ」
 本気以外の何物でも無い声音に、これ以上抵抗したら本当にトランクで運ばれると悟った貴子は、大人しく頷いて自分も靴を履いた。



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