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ハリネズミのジレンマ

篠原皐月

第42話 ヤメ検は隠れスイーツ狂

「それでは次に、あなたのお父上の事ですが」
「父が何か?」
「お二方は、随分疎遠でいらっしゃるそうで」
 机の上で両手を組んだ譲原が些か皮肉気に尋ねてきたが、貴子は余裕で微笑む。


「もう三十過ぎて独立している子供と親が、べったり仲良しなんて逆に気持ち悪いと思いますが、俗に『血は水よりも濃し』と言いますから。親ですから子供が難儀してる時は、手を差し伸べてくれます」
「そうでしょうな。何しろ犯罪に巻き込まれて現場で立ち往生した娘を心配して、一刻も早く帰宅させる様に便宜を図る位ですから」
「ええ、本当にありがたいです」
「実に微笑ましい、親子の情愛溢れる光景ですね」
 意味深に微笑み合う二人を見て加藤は憤怒の形相になり、大門は呆れ果てた顔付きになっていたが、譲原は周囲には構わず勿体ぶって話を続けた。


「しかし……、それは一体、どこの親子のお話でしょうな? 実は宇田川本部長から、大変面白い物をお預かりしているのですが」
「面白い物? 何でしょう?」
「お分かりにならない様なので、聞いて頂きましょうか。加藤」
「はい」
 そこで促された上司から促された加藤は、嬉々としてどこからか掌サイズのメモリーカードレコーダーを取り出し、机の上に置いた。そして予め準備しておいたらしく再生ボタンを押すと、聞き覚えのある会話が再生される。


「分籍届の事だ! もう金輪際、お前の事なんぞ知らん!」
 しかしそれを耳にしても、貴子は少々拍子抜けしただけだった。
(あら、やっぱり録音してたのね。わざわざ電話をかけてくるからひょっとしたらと思ったけど、底が浅過ぎるわ。残念ながらこれまでも毎回下手な言質は取られない様にしてたから、全然問題無いけど)
 そう思いながら、取り敢えず黙って過去の自分と啓介の会話に耳を傾けた。


「……何が必要だと言うんだ」
「そうですねぇ。社会常識的に、三つ指位して頂いても宜しいのでは?」
「強欲だな」
「その件に関しては、こちらから改めてご連絡しますわ。失礼します」
 そうして一通り再生が終わってから、譲原が余裕の薄笑いを浮かべながらレコーダーに手を伸ばして停止ボタンを押し、徐に貴子に声をかけた。


「どうです? これはあなたと宇田川方面本部長との会話だと認めますか?」
「間違いありません。それが?」
「分籍する事を条件に、実の親に金銭を要求するなんて、常識外れも良いところだと思いますが? 一体どうやって本部長の声を合成したのか、聞かせて頂きたいですな」
 譲原の隣で加藤も「反論できるならしてみろ!」的な得意顔を浮かべているのを横目で見てから、貴子は呆れ気味の口調で反論した。


「合成? 意味が分かりませんが。それに、まだ何か誤解があるみたいですね。私は金銭の要求などしていません」
「まだしらを切る気ですか。現に『三つ指位しろ』と発言しているでしょうが」
「ええ、でもそれは『これまで散々迷惑をかけた母の再婚先に、土下座して三つ指を付いて謝罪して下さい』の意味で言いました。千葉県警に問い合わせれば、当時の事をご存じの方がまだ大勢在籍していらっしゃる筈ですし、面白い話が聞ける筈ですが」
「は?」
「土下座?」
 予想外の切り返しに、譲原と加藤が揃って呆気に取られた表情になったが、貴子はそれに構わず畳み掛けた。


「第一金銭を要求するなら、言い回し的には『三つ指位して欲しい』ではなく、『指三本分位は欲しい』とか言いません?」
「確かに、世間一般的にはそうですね。どうやらこちらの署には日本語の読解能力に些か問題のある人間が多く、会話を曲解して自分に都合の良い様に解釈する傾向が見受けられる、と」
「…………」
 生真面目に論評しつつノートに書き込んでいる大門を、貴子は笑いを堪えながらチラリと見やった。そして反論の言葉を続ける。


「調べて頂ければ分かりますが、そもそも私名義の口座には父からの振り込みなど有りません。そもそも分籍などしなくても、母の再婚先から養子縁組の話は何回もあったんです。でもその場合、父が更にそちらにご迷惑をかけかねないので、丁重にお断りしていただけです」
 そんな事を平然と口にした為、とうとう体面を取り繕っていた譲原が怒りの声を上げた。


「ふざけるな! それなら尚の事、どうして本部長があんたに便宜を図るんだ! しかも本部長からの通話記録は無いのに、あの電話はお前が仕組んだとしか言えないだろうが!?」
 しかし乱暴に机を殴りながらの恫喝にも、貴子は一歩も引かない気迫で言い返す。


「それはいままでの自分の傍若無人な態度を反省して、一回位は便宜を図ってやろうと、気まぐれを起こしたんでしょう。駄目元で頼んでみて、こっちはとても助かりました。通話記録に関しては、謎としか言いようがありませんわね。調べるのはそちらの仕事でしょう。さっさと本来の仕事をして下さい」
「言うに事欠いて、良くもそこまで……。仮にも方面本部長が、そうそう現場の指揮系統を乱す行為を率先してやる筈が無いだろうが!」
「それならどうしてあの時の私と父の言動に関して、あの場ですぐに父に真偽を確かめなかったんですか?」
「それは……」
 何気なく口にした台詞を聞いた途端、譲原と加藤が困惑した表情で黙り込んだ為、貴子はピンときた。そしてすかさず反撃に出る。


「管轄内での人質を取っての立てこもり事件。そんな重大事件の筈なのに、まさかその最中に管轄する方面本部長の所在がすぐに確認できなかったなんて、仰いませんよね? その間、父はどちらに居たんですか?」
「話を逸らすな!」
「逸らしてなんていません。警視庁の初動捜査態勢に係わる、重大問題だと思います」
 そこで予想外に、大門がのんびりとした口調で会話に割り込む。


「そこら辺は、嗅覚の鋭いゴシップ記者達が、今現在も新野署を初め関係各所に張り付いているみたいですからな。自ずと明らかになるでしょう。再来週発売辺りの週刊誌を読めば、分かると思いますよ? そうですね、例えば記事の見出しは……、『重大事件発生の裏で何が? 警察官僚の闇と怠慢を暴く』とかですか」
「あら、そうですか。面白そうですね。楽しみです」
「……っ!」
(本当に、あそこで確認を入れられたら一発でばれるから、結構冷や汗ものだったのよね……。自分には関係無いって勝手に庁舎を離れた挙句こっそり女の所に行ってたか、断りきれない配下を連れて憂さ晴らしに飲みに繰り出して携帯も切ってたとか。どっちにしろ、こちらにとっては好都合だったわ)
 どうでも良い的な口調で交わされた会話を耳にしても、何も口を挟まず黙り込んでいる向かい側の二人を見て、貴子は密かに胸を撫で下ろした。すると静かにノートを閉じた大門が、穏やかに聞こえる口調で譲原達を問い質す。


「先程から伺っていれば、話を逸らしているのはそちらでは? 件の立て籠もり事件と宇田川さん親子の確執との間に、関係性が認められませんが。分かる様にご説明願います」
「それは……」
「仮に宇田川さんが『不仲の父親の経歴に傷を付けようと、仲間と一緒に銀行強盗を計画した』と主張するなら話は別ですが」
 大門がそう述べた途端、二人が微妙な顔付きになった為、貴子は確信した。


(やっぱりね。あの男、私が犯人の共犯で、自分は嵌められただけって主張してるわけだ。お生憎様。私の周囲を探れば探るほど真犯人から遠ざかって、現場責任者とあんたの責任問題になる事確実よ)
 そして大門が淡々と、問題点の指摘と矛盾点の追及を続ける。


「実際にそんな事が起こったのなら、随分スケールの大きい親子喧嘩ですが、そんな荒唐無稽な話を誰が信じると? 第一、物証は? 犯人達と宇田川さんとの繋がりは? そもそも先程宇田川さんが主張した様に、宇田川本部長が所在を明らかにしていて、便宜を図ったのを即座に否定していれば、あっさり犯人を取り逃がす事も無かったのでは? 通話が実際にあったかどうかなどと、水掛け論に過ぎない。便宜を図ったものの、組織内で問題視されて焦った本部長が、通話自体無かった事にしようとした可能性もありますし、そもそもその幻の通話の指示に従った、あなた方現場の人間の責任の方が重大でしょう。事の本質を見誤らないで頂きたい」
「それは……」
 立て板に水の如く大門に指摘され、更にそれに反論できなかった譲原は、悔しそうに口を噤んだ。しかし大門は容赦なく私見を述べ続ける。


「これはどう考えても自分達の不手際を無かった事にする為に、一民間人をスケープゴートにして体面を保とうとする、悪意に満ちた誘導です。……マスコミ連中が喜びそうだ」
「どこが誘導だと!?」
 思わず声を荒げて身を乗り出した加藤に向かって、大門は眼鏡のフレームのズレを軽く直しながら、眼光鋭く睨みつけつつ強い口調で断言した。


「現に、事件発生から二十時間以上経過しても、容疑者の名前すら浮上していないのは問題だと言っている。こんな所で見当違いの事情聴取をしている暇があったら、もっと実のある捜査をしたまえ。まさか状況証拠と憶測だけで、公判を維持できるなどと本気で思っていないだろうな? 思っているなら私の検察庁現役時代よりも、警視庁の捜査能力が格段に落ちていると判断せざるを得ない」
「……っ!」
(うわ、横から見ても視線が怖いわこの人。真正面から見たら、相当な迫力よね。それに検察庁って事は、ヤメ検弁護士なんだ。警察の手の内は知り尽くしてるってわけか、流石だわ)
 思わず心の中で拍手をし、蒼白になっている加藤に貴子がちょっとだけ同情していると、大門は元通りの淡々とした口調に戻って譲原に問いかけた。


「黙っておられる様だが、彼女に他に質問は?」
 その問いかけに、譲原が苦々しい口調で述べる。
「今日のところは結構です。また後日、色々お話を伺う事になるかと思いますが」
「その時には毎回私が同席させて貰うので、私と彼女のスケジュールに合わせて貰う。それでは失礼。行きましょうか」
「はい」
 最後は自分に話しかけてきた大門の後に続いて、背中に譲原達の視線を感じつつ、貴子はその会議室を後にした。
 そのまま無言で廊下を進み、二人で下りのエレベーターに乗り込んでから、他に乗っている者がいないのを幸い、大門が忌々しげな呟きを漏らす。


「やれやれ。恐らく本人達も、見当違いの事をやらされているとは理解しているらしいが……」
「上からの命令で仕方無く、ではないですか?」
 反射的に応じた貴子に、大門が小さく頷く。


「恐らくは。君の父親が、自分は無関係で娘に嵌められたと主張して、君との絶縁ぶりと君と犯人の繋がりを声高に主張しているんだろう。それで現場は、犯人があなたと何らかの繋がりがある人物と仮定して捜査せざるを得ない、と言ったところか」
「振り回される現場の人間は、気の毒ですね」
 正直な感想を漏らした貴子だったが、大門はその表情を眺め、些か不機嫌そうに押し黙った。その反応に(私、怒らせる様な事を言ったかしら?)と不安になったが、エレベーターを降りても相手が無言を貫いている為、下手に喋らない方が良いと判断して大人しく後に付いて行った。
 そしてロビーに到達して、先程譲原に述べた様にスマホの紛失届を書いているうちに、大門が椅子に座って待っていた芳文に歩み寄り、話しかけているのが目に入った。


(そうか。あいつが依頼人って、言ってたものね……)
 何となく気落ちしつつ、更にそんな自分に気が付いて自分自身を叱咤しながら書類を書き終え、貴子は二人の元に歩み寄った。


「お待たせ、芳文」
「ああ、お疲れ」
「すみませんでした、大門さん」
「いえ、依頼人の葛西さんと今後の事について、幾つか話しておく事がありましたので。葛西さんに水道橋まで送って頂く間に、あなたにも少し確認しておく事がありますので、宜しいですか?」
「はい、分かりました」
 それから三人は駐車場に移動し、話があると言われた貴子は、自然に後部座席に大門と並んで座った。そして車を発車させて早々に、芳文が面白がっている口調で告げる。


「そういえば貴子。お前が刑事に引っ張り込まれている間、俺も色々聞かれたぞ?」
「ごめんなさい。迷惑をかけたわね」
「想定内だったしな。熱く語って聞かせたぜ? ついでにお前から聞いてた、俺と付き合っている間に、つまみ食いしてた形になってる野郎共の事も」
 芳文に関しては予測できた事ではあったが、他の者達にとっては迷惑以外の何物でもないだろうと思い、貴子は思わず溜め息を吐いた。


「……皆にも迷惑かけるわね」
「ちょっと警官が話を聞きに来た位で、愛想尽かす様な男達じゃないだろ? 今でも良い友達だって言ってたし」
「私はそう思ってるけど……」
 内心で(本気で愛想尽かされそう)と軽く落ち込んでいた貴子の耳に、ここでいきなり核心に触れる台詞が飛び込んで来た。


「ところで、宇田川さんは犯人の一味ですか?」
 ゆっくり大門の方に顔を向けながら、(直球。だけど変に誤魔化したら信頼関係を築けないし、誤魔化されてくれる様な人でもないわね)と腹を括った貴子は、落ち着き払って言葉を返した。


「偶然、あの場に居合わせただけです」
「しかし普段から仲が悪いお父上への意趣返しの一環として、突発的に見ず知らずの犯人の行為に関して、物理的精神的幇助をされましたか?」
「……はい」
 神妙に貴子が頷くと、大門は別段記録を取る風でもないまま、顎に片手を当てて少し考え込んだ。そして少ししてから質問を続ける。


「私見では、周囲の証言誘導と偽証、その他にもありますよね? できれば具体的にお願いします」
「犯人の一人に、人質の行員が服用する定期薬等を取りに行くのに同行しながら、さり気なくロッカーの場所や流しの場所を確認をして必要な物資の確保する旨の説明と、その後の段取りを指示しました」
「察するに、それはスプレー缶やマニキュアの類ですか?」
「そこまでお分かりですか」
 すっかり観念した貴子が諦めの溜め息を吐くと、大門はここで苦笑いの表情になった。


「成程……。そんな事をあなたに指示されてからするとは、犯人はど素人。しかも組織などの後ろ盾も皆無ですね」
「だと思います」
「悪い、貴子。スプレー缶なんて何に使うんだ?」
 ここで話の内容が掴めなかったらしい芳文が、運転しながら声を割り込ませてきた為、貴子は簡単に説明した。


「犯人が持参していたのが、あまり質の良くないモデルガンだけだったから、他に大量の爆発物を所持していると思わせる為のカモフラージュよ。給湯室に備え付けの弁当を温める為の小型レンジでも、そんな物を突っ込んで加熱したらどうなると思う? 書類の束や、来ていた衣類を燃やした中に放置しても、物騒な事になるけど」
「火にくべてもレンジで加熱しても、実際に爆発炎上するまで若干時間を稼げるか。あちこち時間差で爆発させるようにして人質のパニックを煽って、皆がいる部屋のすぐ近くに潜んでいて、我先にと逃げ出す時に一般人の格好で紛れたってわけだ」
「ロッカーの扉を壊して中を漁れば、私服や靴の替えを常備している人間は何人かはいるでしょう。警察に既に認識されていた犯人の服装とは、変えられますからね。恐らくタイミング良く、停電も起こさせたでしょう」
 大門も説明を付け加えたが、芳文はまだ少々納得できかねる声を出した。


「しかし報道では爆発は複数あった筈だが。都合良くそんなにスプレー缶なんて、銀行に有るものなのか?」
「探せば色々あるわよ。掃除道具の他にも、靴の艶出しとか、静電気防止のやつとか」
「あぁ……、確かに探せば色々あるかもな。で、マニキュアは?」
 その問いに、貴子は車窓から外を眺めながら、疲れた様に声を発した。


「……信じられないけど、押し入った時犯人達、手袋の類をしてなかったの」
「はあ?」
 言外に(その犯人達、底抜けの馬鹿か?)という思いを含んだ芳文の声に、貴子は些かやけっぱちに話を続けた。


「だから、指紋が綺麗に付かない状態にしてから、触った覚えのある所を、徹底的に拭いておきなさいと言ったの。だから犯人達は人質達を二階に上げた後、ロビーで触った覚えのある箇所を拭き掃除した筈よ」
 それを聞いた大門は呆れ顔で溜め息を吐き、芳文はまだ不思議そうに質問を続けた。


「どうして二階に上げた後? お前に指示を受けてから、さっさと適当な手袋とかを探してそこら辺の拭き掃除をすれば良いだけの話じゃないのか?」
「私と犯人がトイレに引っ込んだ後に早速そんな事を始めたら、後から私が指示したのかもと、他の人質達に勘ぐられる可能性もあるでしょう?」
「ああ、なるほど」
「だから人質を外部と接触できない一部屋に押し込めてから、女性行員の私物を漁って貰って、指の腹に透明か色調の薄いマニキュアを塗る様に指示したの。一階ロビーにいる間は、犯人が素手であちこちベタベタ触っている所を見せたから、他の人質は犯人の指紋が行内にしっかり残っていると思ってるわ。その証言を受けて鑑識の人達、躍起になって建物中の指紋を取ってるでしょうね。銀行の待合スペースなんて、不特定多数の人間が行き来する場所なのに」
 本気で鑑識の人間に同情しながら貴子が話を締めくくると、大門が落ち着き払って後を引き取った。


「お話は分かりました。ではあなたは襲撃事件の犯人グループの一員では無い事が確認できましたので、そのつもりで対処しましょう。あなたが『こうしたら逃げられるかも』という呟きを、偶々犯人達が偶然耳にして、幸運にも成功してしまっただけです。勿論、依頼人に不利な情報は漏らしませんので、ご安心下さい」
「あの……、私が言うのも何なんですが、良いんですか? それで」
 思わず確認を入れてしまった貴子だったが、大門の視線は揺るぎ無かった。


「今日のやり取りを聞いた限りでは、捜査陣はあなたを『犯人グループの一員である共犯者』との位置付けで、捜査していると思われます。それが事実無根である以上、全力で否定するまでです。『単なる捜査妨害者』としての位置付けなら、情状酌量を狙って根回しをしますが。私は不正な事が何が何でも許せないとかいう、青臭い正義の味方などではありません」
「はぁ……、宜しくお願いします」
 気圧されてそれ以上言えなくなり、貴子は小さく頭を下げたが、そこで芳文が小さく噴き出した。


「ははっ、『正義の味方じゃない』ですか。俺の友人に、同じ様な事を口癖にしてる奴がいますよ」
「ほう? ご友人はどんな事を?」
「大学卒業前に警察官希望だと聞いて『お前が正義の味方? 似合わないから止めておけ』とからかったら、『何世迷言を言ってる、警察官全員が正義の味方なわけないだろう。第一、俺がなりたいのは正義の味方じゃなくて悪の敵だ』とさらっと言い返してきまして」
「なるほど。その方は学生時代から警察組織と言うものを、良く分かっておられた様だ」
 楽しげな男二人のやり取りを聞いて、貴子は胸の内がざわついた。


(今の話って、絶対あいつの事よね。確かに正義の味方よりは、悪の敵っていう方がイメージに近いかも)
 しみじみと考えて、貴子は無意識に頬を緩めた。そんな彼女を大門が無言で観察していると、芳文が運転席から声をかけてくる。


「大門さん、期待しています。是非ともこいつを勝たせて下さい」
「葛西さん」
「何でしょう?」
「今『勝たせる』云々と仰いましたが、まさかこんな事例でこの私が裁判まで持ち込むヘマをすると、本気でお考えですか?」
 静かな落ち着き払った声ではあったが、それ故に静かな怒りを感じ取れた芳文は、即座に謝罪の言葉を口にした。


「先生の力量を過小評価していたわけではありませんが、失礼致しました」
「分かって頂ければ結構です。送検もさせませんので、ご安心下さい。暫くはお二人とも、茶番にお付き合い願う事になるかとは思いますが」
「了解しました」
 そこで大門は貴子に向き直り、あっさりと話題を変えた。


「ところで宇田川さん。話は変わりますが、今年のバレンタインデーにうちの事務所の所長に、チョコを送りつけていらっしゃいましたね?」
 いきなりそんな事を言われて戸惑ったものの、取り敢えず貴子は言葉を返した。


「ええと……、確かにそんな事もしましたね」
「正確に言えば、所長の息子さん宛だったかと思いましたが」
「……はい」
「貴子。お前、何愉快な事をやってる」
 運転席から芳文が笑いを堪える口調で口を挟んできたが、大門は淡々と話を続ける。


「そのチョコは結局全部、所長夫妻が召し上がったそうで」
「そう聞きました」
「本当に何やってんだ、お前ら」
 今度は呆れかえった口調で芳文が感想を述べたが、それには構わずに大門の話は続いた。


「所長が大変美味だったと、あの後事務所内で言いふ……、いえ、声高に感想を述べておりまして」
「光栄です」
「どれだけ美味しかったのだろうと、事務所内で暫く話題に上っておりまして」
「……いえ、そんな大層な物では」
「いや、実に所長が羨ましい。まさしく仁徳のなせる業です」
 ここまで言われて空気の読めない貴子ではなく、慎重に口を開いた。


「あの、大門先生」
「何でしょうか、宇田川さん」
「もし宜しければ……、成功報酬の色付けの先渡しみたいな感じで、お菓子の類を作ってお渡ししますので、ご迷惑でなかったら事務所の皆さんで召し上がって頂ければと、思うのですが……」
 そんな事を控え目に申し出てみた貴子だったが、どうやら推測は間違ってはいなかったらしく、大門は間違っても満面の笑みとは言えないまでも、この日一番の緩んだ表情になって礼を述べた。


「おや、そんな気を遣って頂かなくても宜しいのですが、頂けるのならありがたく頂戴いたします。皆も喜びます」
「はぁ……、それでは腕によりをかけて、作らせて頂きます」
「それは楽しみです」
 そして満足げな大門に貴子が若干引き攣った笑顔を見せる中、その一部始終を運転席で聞いていた芳文は(おいおい、超絶敏腕ヤメ検はスイーツ狂かよ。まさか今回の依頼料は全部それで、なんて言わないだろうな?)などと見当違いの心配をしていた。



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