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ハリネズミのジレンマ

篠原皐月

第36話 一周年

 その日も朝に孝司からメールが転送されてきた為、貴子は少々うんざりしながら、その内容を確認するべくメールを開いた。


「全く、どれだけ続くのよ。いい加減にして欲しいわ……」
 ブツブツ言いながら見下ろした視線の先に、今日も今日とて意味不明な件名が映し出される。


《柳井クッキングスクール 正面玄関 21:45》


 それを何秒か凝視してから、貴子は眉を寄せて呟いた。
「何よ、これ。確かに今日は夜のクラスがあるし、ちょうど後片付けと戸締りを済ませて、出る時間帯だけど」
 明らかに待ち合わせ場所と時間の指定らしいそれについて、貴子は考えない事にして出かける支度を始めた。


 無事、その日の仕事を終え、荷物を纏めてクッキングスクールの一階まで下りてきた貴子は、正面玄関ロビーが見える曲がり角の陰に入り、こっそり向こうの様子を窺った。そして腕時計を見て、現在時刻が朝のメールで伝えてきた時間の一分前である事を確認した貴子は、ブツブツと独り言を漏らす。


「どこにもいないわよね……。今朝のあれは何だったのかしら? それとも、玄関を出てすぐの所で待ち構えているとか? 現職警官がストーカー行為ってどうなのよ。通報してやるわよ?」
「どこを見てる。ここに居るだろうが」
「……ひっ!?」
 それまで背後に全く人の気配を感じなかったのに、いきなり軽く肩を叩かれると同時に耳元で囁かれた貴子は、冗談抜きに一瞬心臓が止まった。そして大きめのショルダーバッグを取り落としたのにも気がつかないまま、勢い良く振り返って背中を壁にへばり付かせる。


「なっ、何であんたがここに居るのよっ!? 正面玄関前に居るんじゃなかったの?」
 動揺も露わに貴子が口走ったが、隆也は淡々と応じた。
「俺は『正面玄関』と送信したが、『正面玄関前』と送信した覚えは無い」
「こんな奥まで入り込んで、真顔で何つまらない事を言ってるのよ!!」
 その非難めいた叫びに、隆也は周囲を見回しながら渋面で答えた。


「しかし、幾ら受講生がもう居ない時間帯とは言っても、受付は閉まって事務員は皆無。警備員も巡回して来ないとは、ここの防犯態勢はどうなっているんだ?」
 いかにも気に入らないと言った感じでダメ出ししてきた隆也に、貴子は思わず顔を引き攣らせた。


「ここまで入り込んでいる、あんたが言う筋合いじゃないでしょう?」
「入り込めたから言っているんだろうが。あの防犯カメラも、どこかの監視センターでリアルに監視しているタイプでは無いだろうし。なってないな。防犯意識が甘過ぎる」
 冷静に評価を続ける目の前の男に、貴子は完全に苛つきながら声を荒げた。


「あのね! あんたはわざわざ、人の職場の防犯設備のチェックに来たわけ!?」
「そんな訳あるか。どうしても職業柄、気になっただけだ。用件はこれだ」
 そこで隆也は左手に下向きに持っていた大き目の花束を、貴子に向かって突き付けた。動揺していた為か、今の今まで全くそれに気が付いていなかった貴子は目を丸くする。


「……何よ? この花束」
「受け取れ」
 端的過ぎる上、いつも以上の上から目線の物言いに、貴子はさすがに反感を覚えた。


「どうしてあんたから、そんな物を貰わないといけないのよ?」
「九月だからだ」
「はぁ?」
 益々意味不明な台詞に貴子が思わず間抜けな声を上げると、隆也はそれを軽く投げ上げた。


「ほら、落とすなよ?」
「え? ちょっと!」
 空中に浮いた花束を反射的に受け止めてしまってから、貴子はそれを突き出しながら訴えた。


「さっきから訳が分からない事言ってないで、これを持ってさっさと帰りなさいよ!」
「……誰かそこに居るんですか?」
「え?」
 急に曲がり角の向こうから声がかかった為、貴子がそちらに顔を向けると、懐中電灯を片手に顔見知りの警備員の男性が現れ、不思議そうに尋ねてきた。


「宇田川先生? 何やら言い争っている様な声が聞こえましたが、こんな所でどうしたんですか?」
「あ、い、いえ、大した事では無いんですが、こいつが……」
 そう言いながら、どう説明しようかと隆也の方に顔を向けた貴子だったが、いつの間にかそこはもぬけの殻だった。


(もう居ない……。本当に、どうしてくれようかしら?)
 舌打ちを堪えつつ黙り込むと、その人の良さそうな初老の男性が、にこやかに声をかけてくる。


「おや、随分大きな花束ですね。今日がお誕生日とかで、生徒さんに頂いたんですか? 宇田川先生は人気がありますからね」
「いえ、四月生まれです……」
「そうですか?」
 反射的に答えてしまってから、相手が怪訝な顔になったのが分かった貴子は、慌てて頭を下げた。


「すみません。急ぎますので失礼します!」
「宇田川さん?」
 そして怪訝な声で問い掛けられながらも、貴子はそれを半ば無視してその場を立ち去った。


(全くもう! いきなり現れて花を押し付けた挙句に、一人でさっさと帰るって、一体何だって言うのよっ!!)
 それでも花束をそこら辺に放り投げたりはせず、律儀に自宅マンションまで持ち帰った貴子は、テーブルの上に置いたそれを眺めつつ、モヤモヤとした気持ちを抱えながら考え込んだ。


(あいつ一体どういうつもりよ。『九月だからだ』って、全然意味が分からないんだけど……)
 帰り道で延々考えていた内容を、スマホで検索してみても一向に納得のできる答えは得られず、貴子の不愉快度は徐々に増加した。そして溜め息を吐いた彼女は、自力での調査を諦めて他の手段を考える。


「う~ん、やっぱり芳文かしら? 何となく雑学に詳しそうだし」
 独り言を漏らしながら、貴子はスマホを横に置き、番号を登録してある携帯電話を取り上げて電話をかけ始めた。
「もしもし? 貴子だけど、今大丈夫?」
 一応夜の為、神妙にお伺いを立ててみたが、相手は快く応じた。


「おう、構わないぞ? どうした」
「ちょっと聞きたい事があるんだけど」
「何だ?」
「九月に花束を贈る様なイベントって、何か分かる?」
 そう尋ねた途端、電話の向こうから戸惑う気配が伝わる。


「は? 九月?」
「うん、そう」
 すると芳文は少しの間考え込んでから、妥当な内容を口にした。
「そうだなぁ……、順当に考えれば、九月に誕生日を迎えるとか?」
「その他には?」
 可能性としては有り得ない為、貴子が続きを促すと、困惑気味の声が返って来る。


「卒業は……、三月だろうしな。退院とか退職時? でもそう言うのは、イベントの範疇に入らないよな……。バレンタインは女性からチョコを贈るだけじゃなくって、最近では欧米に倣って男女関係なく花を贈る事もあるが、二月だし。サンジョルディの日は日本では本を贈る日と認識されてるが、本場のスペインでは男から赤いバラを女に贈るとなってるみたいだが、それはそもそも四月……。すまん、降参だ。何なんだ?」
 自問自答しながら色々可能性を考えたらしい芳文だったが、結局白旗を上げた。そして興味深そうに尋ね返してきた為、貴子は素直に詫びる。


「ごめんなさい。自分で考えて分からなかったから、芳文だったら知らないかなって、聞いてみただけだったの」
 それを聞いた芳文は、笑いながら尚も尋ねてきた。


「何だ、そうか。だけどどうして、そんな事を聞いてきたんだ?」
「大した事じゃないんだけど……。知人がイベントで、九月に花束を貰ったって小耳に挟んで。どうして貰ったのかしらって、ちょっと気になって」
 申し訳無さそうに弁解すると、芳文が笑みを深くした気配が、電話越しに伝わってきた。


「どういう聞き方をしたのかは知らないが、それならイベントと言っても一般的なそれじゃなくて、個人的な記念日とかじゃないのか?」
「個人的な記念日?」
 盲点だった事を言われて、貴子は軽く目を見開いた。そんな動揺など分からなかった芳文は、何気なく話を続ける。


「さっき誕生日の他にはって言ってたが、それなら結婚記念日とかも当て嵌まらないか?」
「なるほど。そう言えばそうね」
「でもそう考えると、可能性は無数にあるぞ? 記念日なんて考えようによっては、幾らでも馬鹿馬鹿しい物でも作れるしな」
(記念日……。そう言えば九月って、もしかしたら……)
 急に黙り込んで、自分の考えに没頭し始めた貴子に、芳文が訝しげに声をかけた。


「貴子。どうした? 話は終わりか?」
 その呼び掛けに、貴子は慌てて返事をする。
「えっと、ありがとう。多分、そんな感じだったのよね。何か私の知らないイベントが、最近流行り出したのかと思って、気になってたの」
「そういう時は、ちゃんとその場で相手に聞いておけ。それじゃあな」
「ええ、お休みなさい」
 そして表面上は何事も無かった様に通話を終わらせた貴子は、テーブル上の色とりどりの花束を眺めながら黙考した。


(九月……。はっきり日付を覚えていないけど、閏年じゃないから今年が月曜日なら、去年の同じ日付は日曜日って事になるわよね)
 高い確率で、二人が初めて顔を合わせたのが、去年の今日の日付だと推測した貴子は、何とも言い難い表情になった。


「……馬鹿じゃないの?」
 そんな悪態を吐いたものの、当然それに応える者はおらず、貴子は静まり返った室内で腰を上げた。


「取り敢えず、花瓶に活けよう」
 自分自身に言い聞かせる様に呟きながら、貴子はキッチンに必要な物を揃え、花束をシンクの横に置いた。そしてリボンを解き、ラッピングを広げたところで、ある事に思い至る。


(ちょっと待って。まさか以前のぬいぐるみの箱みたいに、この花束の中にも何か仕込んであったりしないわよね?)
 そんな事を考えた貴子は、若干警戒しながら茎を束ねているゴムを取り去り、軽く広げてみる。しかし茎の間には何も異常は無く、彼女は自嘲気味に呟いた。


「何もないか。そうよね。よくよく考えてみたら、あいつ、下に向けて持ってた位だもの。さっさと飾ろう」
 そして花瓶に水を入れ、水切りをして飾ろうと花を持ち上げた瞬間、それまで花で隠れていた、白いラッピング材の内側に、何か小さく文字が書かれているのが分かった。


「え? 何?」
 思わず凝視した貴子が、その内容を確認して頬をひくつかせる。


《これには何も仕込んでない。残念だったな。それに意味が分からなくて、一時間はネット検索しただろう? 気付くのが遅いぞ。気になるなら、ボケ予防に効果的と言われている脳トレソフトを贈るから、今度連絡してこい》


「あいつ……、どこまで人を馬鹿にしてるのよ! ムカつくっ!!」
 怒りに任せてそう叫んだ貴子だったが、花はきちんと花瓶に活けた。それから隆也からのメッセージが書かれたラッピング材を乱暴に取り上げ、ぐしゃぐしゃに丸めて捨てる事で、ほんの少しだけ憂さを晴らした。



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