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ハリネズミのジレンマ

篠原皐月

第35話 喧嘩するほど仲が良い

 帰宅した貴子がマンション一階の集合ポストから自分宛の物を回収すると、あまり目にしたくない人物の名前が記載された封筒が出て来た。
「何? これ?」
 無意識に顔を顰めたものの、取り敢えず部屋に戻った貴子が持って来たそれを開封すると、折り畳まれた用紙が出てくる。メモの一枚も付けず、単体で入っていたそれを見下ろして、貴子は面白そうに笑った。


「分籍届……。今更? それとも単に、結婚とか養子縁組とかしなくても、これで籍を抜く事ができるのを、今の今まで知らなかったとか?」
 そのまま皮肉っぽく笑っていると、固定電話が呼び出し音を鳴り響かせた。そしてディスプレイに浮かび上がった発信者名を見た貴子は、独り言を漏らす。


「あら、噂をすれば影」
 どうやらこちらが帰る時間を見越してかけてきたらしいと判断した貴子は、(どうせ話の内容は、この用紙についてよね)とあっさり予測を付け、余裕の表情で受話器を取り上げた。


「はい、宇田川です」
「届け出用紙は届いただろう。さっさと書いて出せ」
 挨拶も無くいきなり用件を切り出した父親に、貴子は噴き出したいのを堪えながら、精一杯真面目な声で素っ気なく応じた。
「何の事でしょう?」
「分籍届の事だ! もう金輪際、お前の事なんぞ知らん!」
 電話の向こうで吠えた啓介に、貴子は今度ははっきりと分かる程度の、嘲笑めいた口調で言い返す。


「今までも一度だって、娘だなどと思っていらっしゃらなかったのでは? もの凄く今更なんですが。届け出るのも面倒ですし」
「貴様と言う奴は……、どこまで私に逆らえば気が済むんだ?」
「分籍届は成人した未婚者であれば出せますが、基本的に本人からの申請が必要です。代理人を立てる事もできますが、身分証の提示と委任状は必要ですよね? 人にものを頼むなら、それ相応の態度を取って頂きたいのですが?」
 歯軋りした父に、貴子が含む様な口調で問いかける。すると相手も忌々しげな声になりながら、大人しく応じた。


「……何が必要だと言うんだ」
 そこで貴子は、思わせぶりな口調になって静かに告げた。
「そうですねぇ。社会常識的に、三つ指位して頂いても宜しいのでは?」
「強欲だな」
「その件に関しては、こちらから改めてご連絡しますわ。失礼します」
「おい!!」
 話は終わったとばかりにさっさと受話器を戻した貴子は、またかけ直してくるかと思いきや、電話が沈黙している為、肩透かしを食らった様な表情になってその場を離れた。そして数歩歩いて足を止める。


「まさか金をケチって、三万だけとか振り込まないでしょうね? とんだ笑い話だわ」
 そんな可能性を思い浮かべた貴子は、心底嫌そうな表情になってから気を取り直し、啓介に教える振込先の銀行名と口座番号を確認するべく、ファイルを収納してある本棚に歩み寄った。




 同じ頃、隆也と芳文は、ほぼひと月ぶりに居酒屋で顔を合わせていた。
「お前、不景気なツラだなぁ」
「余計なお世話だ」
 小上がり席で向かい合って座り、仏頂面で現れた長い付き合いの友人に芳文が酌をすると、隆也は素直にそれを受けながらも、面白く無さそうな答えが返ってくる。


「そう言えばこの前、九月末で異動って言ってたな。引き継ぎで忙しいとか?」
「……それなりにな」
「機嫌悪いなぁ、おい。そんなに写真が気に入らなかったのか? あんなに沢山、貴子を丸め込みつつ、色んなシチュエーションで撮ってやったってのに、張り合いのない奴」
 わざとらしく溜め息を吐きつつ言われた内容に、隆也が眉根を寄せた。


「芳文……、お前、あいつと一緒に旅行に行っただけでは飽き足らず、自宅マンションにも押し掛けたよな? 写真の背景があそこだった」
「押し掛けたんじゃなくて、ちゃんと招待されてる。男の嫉妬は見苦しいぞ? 第一、俺があいつに手なんか出さないって、分かってるだろうが」
「ほっとけ」
(全く、貴子以上に扱いにくい奴。じゃあさっさと話題を変えるか)
 そっぽを向いて黙々と飲んで食べ始めた隆也に少々うんざりしつつ、芳文は少ししてから用意していた話題を口にした。


「彼女のマンションで飯を食わせて貰った時、ちょっと探ってみたんだが。どうやら春以降、彼女の職場に誹謗中傷の手紙が届いたり電話があったらしいな。勿論匿名で」
 そう芳文が告げると、隆也の手の動きが止まる。


「職場って、クッキングスクールの方か?」
「加えて、レギュラー出演してるバラエティ番組のテレビ局もな。まあでも、電話の方は発信先は控えてあるし、調べればバレバレなんだろうが」
「控えか何か有ったか?」
「だから分かったんだろ?」
 にやりと笑った芳文に、隆也は溜め息を吐いて感想を述べた。


「相変わらず懲りない上に、迂闊な連中だな。ところで、以前お前が言っていた『あいつの怒りを増幅させる代物』の見当は付いたのか?」
「無茶言うなよ。あいつの目を盗んで探すのは、大変だったんだぜ?」
「使えない奴」
「あのな……」
 冷たくぶった切った隆也が再び面白く無さそうに酒を飲み始めると、芳文は一瞬イラッとしたものの、顔付きを改めて問いを発した。


「ところで隆也。前々からお前に一度、きちんと聞いておきたかった事があるんだが」
「何だ?」
「お前、貴子のどこら辺が、一番気に入ってるんだ?」
「…………」
「おい、名前を呼び捨てにしただけで、俺を睨むのは止めろ」
 急に黙り込んだのは真剣に考え込んだと言うよりは、自分を眼光鋭く睨み付けてきた為であり、芳文は(本当に面倒くさいな、こいつ)と心底呆れた。すると少しして、隆也が唐突に話し出す。


「今年の正月に、あいつに『今度ブリ大根を食わせろ』と言ったら、中旬に食べさせられたんだが……」
「確かに、寒ブリは美味いよな」
(うん? ちょっと待て。まさかこの前貴子が言ってた話と、同じ日の事を言ってるのか?)
 うっかり聞き流しかけた芳文だったが、貴子から聞いた内容を思い出して戸惑っていると、そんな事には気が付かないまま、隆也が淡々と話を続けた。


「元から、あいつの作る料理は美味かったが、その時のブリ大根は絶品だった。それまでは母が作った物が一番美味いと思っていたんだが、思わず『母親が作った物より美味い』と口走りそうになって、慌てて口を噤んだ位だ」
「あぁ~、うん。香苗さん料理好きだし上手だし、今のお前の発言を聞いたらショック受けそうだから、言わない方が賢明だな。ひょっとしたら将来の、嫁姑間の諍いの原因になるかもしれんし」
 長い付き合いでもある親友の母親の事を思い出しながら、芳文は思わず遠い目をした。そんな中、隆也の打ち明け話は順調に進む。


「だからその時、単に『美味い』と言ったんだが、そうしたらあいつが、物凄く嬉しそうに笑ってな」
 そこで芳文には、隆也の次の言葉が分かってしまった。
「それで『こんなに喜んでくれるなら、毎日美味いと言ってやるぞ』とか思ったクチか?」
「そんなところだ」
(やってらんねぇ……。貴子の奴、よっぽどこいつの前でデレやがったな?)
 相変わらず真顔で告げた隆也に、芳文は少々やさぐれながら、手酌で酒をあおった。


「それで? お前はそれから飯を食わせて貰う度に、満面の笑みであいつの料理を褒めたわけか?」
「それは勿論そうだが、その少し後から職場でブックカバーをかけてグルメ漫画を読み始めた」
 そこで芳文が軽く目を見開き、静かにカタッと杯を座卓に置いて、目の前の男に問いを発する。


「…………今、何て言った?」
「聞こえなかったのか? 『職場でグルメ漫画を読み始めた』と言ったんだが」
「どうしてそんな物を、しかも職場で読む必要があるのか説明しろ」
「ありきたりな褒め言葉ばかり繰り返していると、貴子ががっかりするかもしれないから、その時々の料理に応じた褒め言葉を目下研究中だ。職場で読むのは、家に置いていると両親が引っ張り出して、俺をからかうネタにするからだ」
 すこぶる真顔で事情を説明した隆也に対し、芳文は真っ当な忠告をした。


「そんな物を職場で読むな」
「色々忙しいんだ。時間は最大限有効に使うのが、俺の主義だ」
「お前って奴は……」
 しかし相手が平然と切り返して酒を飲み続けた為、芳文はがっくりと項垂れた。そして座卓に両肘を付き、両手で頭を抱えながら低い声で呻く。


「思い起こせば、中等部の時は陸上部だった癖に、突然『俺は生命の神秘に目覚めた』とか言って、一時期生物部に入り浸って小動物の解剖をしまくり、『こいつはマッドサイエンティストになるかも』と周りの人間を戦慄させ、高等部ではサッカー部だったのに、突然『俺の視界を限界まで広げたい』とか言い出して、写真部に入り浸って小型カメラでの特殊撮影に熱中し、周囲を『盗撮犯予備軍か?』と震撼させた上、大学時代はアマチュア無線を趣味にしてる奴の所に入り浸って、警察無線を拾っては『調整したジャマーを試してみる』とか真顔で言って『頼むから出てってくれ!』とそいつに泣かれた位、普段は超然としている反面、何かにはまると傍迷惑な奴だったが……」
「何事に対しても、真摯に向き合うと言え」
「言えるか、ボケ!!」
 怒りを露わにして再度叱りつけた芳文は、嘆息して首を振ってから苦々しげに言い出した。


「駄目だ。色々考え出したら、段々不安になってきた。やっぱりお前みたいなムッツリ野郎に貴子は渡せん。この際、潔く諦めろ」
 気分はすっかり過保護な兄のそれである芳文の台詞を聞いて、隆也は眼光鋭く睨み付けた。


「喧嘩売ってるのか? 高等部時代に、養護教諭と英語教師と近隣校の女生徒との三俣かけてたタラシ野郎が何をほざく。当時いつバレるか周りがハラハラしてたのに、卒業時には綺麗さっぱり全員と円満に別れやがって」
「俺の人徳の為せる業だ。気持ちは分かるが僻むな」
 当然の如く反論されてブチ切れた隆也は、箸をバシィィッと乱暴に座卓に置きながら、腰を浮かせて目の前の芳文に怒声を放った。


「ふざけるな! 表に出ろ! 以前から貴様を一度、徹底的にぶちのめしてやりたかったんだ!」
 それに芳文がやる気満々で応じる。
「やれるもんならやってみろ! 最近は机でふんぞり返って、足腰立たなくなってんじゃないのか? この三白眼腑抜けキャリア!!」
 そう叫んだ瞬間両者は勢い良く立ち上がり、座卓を回り込んで互いの服に掴みかかった。


「俺が三白眼なら、貴様はタレ目似非医者だろうが! 六歳の時から柔道歴十五年、加えて職場でも定期的に訓練はしてるんだ。貴様なんぞにやられるか!」
「はっ! こっちは空手歴二十七年で、今でも定期的に道場通いはしてるんだ。返り討ちにしてやるぜ!」
「お客様! 店内での暴力行為はお止め下さい!」
「誰か! 警察に電話して!!」
 一気に険悪な様相を呈してきた二人に、店の従業員が気付いて慌てて駆け寄って宥めようとしたが、店の外に出る前に早くも一戦始まってしまった為、店内には悲鳴と怒号が行き交った。


「もしもし」
「おい、貴子!!」
 夜遅くに鳴り響いた携帯に出た貴子は、いきなり大声で叫ばれて反射的に耳から離し、顔を顰めてから文句を言った。


「芳文? いきなり怒鳴らないでよ。何事なの?」
「お兄ちゃんは、三白眼の狂犬野郎なんて絶対認めないからなっ! よーっく覚えとけ!!」
「え? あの、ちょっと?」
 人の話を聞かないで一方的にわけが分からない事を叫んだと思ったら、いきなり切れてしまった電話に貴子は目を丸くした。


「三白眼の狂犬?」
 口に出してみても意味不明だった為、取り敢えず貴子は、通話を終えた携帯を耳から離した。そして手の中のそれを見下ろしながら、首を傾げる。


「……酔ってたのかしら?」
 そして彼女は真相に全く気付かないまま、静かに携帯を閉じた。



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